アストラル体投射 1

ページ名:アストラル体投射 1

アストラル体投射


第1章 長らく知られていたアストラル体の実在


 「肉の体(肉体)があるから霊の体もある」と、聖パウロは「コリントの教会への手紙一」*1で述べているが、心霊現象研究もかなり昔から、あらゆる物理的存在の内部には、非物理的な「分身」、謎めいた存在があり、肉体のメカニズム、あらゆる核と細胞の中に正確に重なり合っているという、この信念を確立している。


 多くの信頼できる科学者からの記録は数えきれずにあり、それらによると、この非物理的な存在――研究者は一般にアストラル体と呼ぶ――は対応する肉体から分離し、肉体の住居の外側で完全に存在する事もでき、その周囲の環境でも触れる事もないと主張している。


 この謎めいた出来事は、「アストラル体投射」あるいは「アストラル体離脱」と呼ぶ事ができ、両者は同じ意味合いで用いられる。オカルトの諸書では、アストラル体投射のこの奇妙な現象について多く語られているが、これらの知識の(僅かな)蓄積からして、我々はなおもこの神秘の学派の単なる幼稚園にいると言えよう。


 アストラル体の離脱は実際問題、我々が遅かれ早かれ経験しなくてはならない「死」と呼ばれる神秘の領域へ入る第1ステップである。そのため、あなたがこの闇の現象に興味のあるなら、すなわち、あなたが棺桶の傍に立って、冷たい死体を見下ろし、静かに恐れとともに、少し前には動いていた――知性を持ち、動き、考え、あなたに対して会話すらしていた人が、今では命無き冷たい体となっている事を不思議に思い、自分もまたいずれはそうなると考えて身震いした事があるなら、このアストラル体投射にあなたは興味を持つだろう。なぜなら、アストラル体投射と死は似ていなくもないからである。


 この現象を体験していない大多数の人々は、さらにある程度は見知っている人すらも、これを「理論」のカテゴリーに置く必要があるだろう。だが意識的なアストラル体の離脱者には、肉体の非物質的な分身の離脱は大きなリアリティーであり、自らが意識的に生きているのと同じくらいに自明の事である。


 最初に読者は理解する必要があるのは、著者はこの現象に熟達しており、12年間に数百回の離脱を――心地よい性質の離脱と不快な性質の離脱の両方を、完全な意識と部分的な意識の両方で――体験している。本書に含まれた内容の大半は、私自身の経験からのものである。


 何年もアストラル体の離脱者であり、この状態で多くの実験をしてきた者として、私は数えきれない事実を集め、これらから多くの合理的な推論を導きだしている。それらの一部は、私の知る限りにおいて、オカルト界の他の著者らがこれまで見つけたり知っていない事である。


 世界には「決意を変えない」懐疑家、自らを「現実主義者」と主張し、新しい可能性に心を開かず、「証明しろ」の人、神秘で舗装された「リアル」へと導く道――そして両方の端で神秘の地平線と結びついている――を見る事が出来ない人に満ちているのを悟っているので、私が言いたいのは、あなたがそういうタイプの1人であり、自らの限界ある心と五感によって計測できる証明を探しているならば、それらは本書には見い出せないだろう。


 勿論、物質主義者はアストラル体投射という考えをナンセンスとして拒絶するだろう。「理性」が彼らの偶像、光であり、その信念を導くのである。このような人は「理性の神聖な松明」と自らが呼ぶ言葉の下で楽しみに耽る。だが、この神聖な松明には唯一の欠点がある――これは生の神秘についてはそれほど多く照らさないのだ!


 生そのものは人の精神の思索を超えていて、その魅惑を理性に明かしたりはしない。物質主義者の五感が生、創造、思考や心のプロセスの理解を与えるとしても、それらを完全に知る事はできず、それでいて受け入れるしかないのである。勿論、万物は激しい思索が無くても受け入れられる。我々は世界の終末まであらゆる物を調べ、分析するだろうが、それでも常に説明不能なものが現れるだろう。一方で、ウィリアム ウォーカー アトキンソン*2はこう述べている。


「アストラル体の実在について以上に、確立され、長く保たれていて、完全に証明されているオカルト概念は無い。古代のオカルティストらのこの教えは、現在の心霊現象研究の実験と研究によって裏付けされている。


 あらゆる人が持つアストラル体は、その肉体の完全な対応物である。この体は繊細なエーテル形質により構成され、通常は肉体の中に取り込まれている。通常は肉体からアストラル体を分離させるのは、非常な困難と共に達成される。だが夢の中だったり、心の大きなストレス状態だったり、オカルト開発の特定の状況下では、アストラル体は離脱し、長い旅へと送られ、光速より僅かに遅い速度で旅をする。


 これらの旅では、アストラル体は常に肉体と長く堅固なリンクで繋がれている。このリンクが壊れたとしたら、その人物は即死するが、それらは通常の行動の範囲ではほとんど聞いた事の無い。


 アストラル体は肉体の死後も長い間存在するが、徐々に解体されていく。時には死体の上空を浮遊しており、死者の亡霊だと誤解される事もある。実際には、これは単なる殻、魂の外側を覆うものにすぎない。


 死にそうな人のアストラル体は、肉体の死の直前に友人や愛する者の前によく現れる。この現象は、死にそうな人の愛する人を見て、自分も見られたいという強い願いから起きる。アストラル体は肉体の対応物からよくサイキック界へと旅をし、遥か遠い場所へと訪れ、そこで起きる事を知覚する。


 またこの体は、サイコマンティックな夢として知られる状況や、麻酔の影響下だったり、深い催眠状態でも離脱する。その時にはアストラル体は、奇妙な情景や世界を訪れ、しばしば他のアストラル体や亡くなった者と精神により対話をする。これらの夢にある乱雑で歪んだ集まりは、訓練の不足などの理由により、脳がアストラル体から送られる完全な印象を受け取るのに失敗した事から起きる。その結果、ぼんやりとして歪んだ写真乾板のようになる。」


 私はこの現象のリアリティーを読者は既に確信している、あるいは受け入れるのに充分なほどにはオカルト的に興味があると仮定している。一般的な心霊主義の議論については本書では扱わない。それらはアストラル体投射の問題に貢献しないからであり、それらについては私自身よりも遥かに優れた著者らによる、数えきれないほどの本があるからである。


 本書では、私はその大半を、肉体が生きているうちに起きるアストラル体の特定の異常行動について扱う。アストラル体は肉体の死後も存在する――私が先に述べたように――ものの、他の著者らがその生存について語っている。そのため、私は肉体から永遠に切断される前のアストラル体についてのみに本書の焦点を絞るつもりである。


 我々は自らを物理的に生きていると呼ぶが、実際には我々の肉体は死んでいる。肉体のメカニズムの背後にあるエネルギーが、真に「生き」物なのである。神経そのものも生きてはいない――そうだとしたら、我々は多くの生き物を葬っている事になろう――これらを動かすのは神経的なエネルギーであり、アストラル体はあなたが今用いる神経エネルギーと考えられる。


 あなたは「ではなぜ今、アストラル体は存在しているのか!」と言うだろう。だがこれが現実である! このアストラル体投射の主題の権威者らの多くは、アストラル体は心のプロセスにより形成されたという印象を受けているが、それは真実ではない。もしそうだとしたら、「殺されて」からアストラル体を即座に得た犠牲者がどこにいるのか? それが事実だとしたら、「創造的な心のプロセス」を聞いた事のある幸運な人以外は、死後には誰もアストラル体を持たない事になろう。


 確実に、あなたは今すらも自らのアストラル体を用いている。いわば肉体の通常の振動と調和するように、アストラル体の波長を落としている。そしてアストラル体の波長を落としたり、上げたりする要素がある。その同調を壊すように上昇させる諸力があり、これが肉体からアストラル体を離脱させるのである。


 アストラル体は肉体と完全に一致している。両方の体は「形質」の存在であり、その形が同一であるのは明らかである。霊体の見た目は、肉体の正確な複製である。「死」と呼ばれる状態からも生き残るので、アストラル体はよく死の床に集まった他者らに、真に肉体と似た姿で見られている。死後、霊体はその真の姿を保ち続けるが、遅かれ早かれ、より洗練された霊の姿へと変わっていく。


 我々の地上での存在での振動幅は限られており、全ての存在にまで拡張していない。結果として、我々は自らの周囲にある膨大なリアリティーに気づいていない。アストラルの霊体(あなたが本書を読んでいる今すらも、それらの目を用いている)が波長を上げたら――この体はそれが出来る――それらの目が、周囲の見知った物以外も見られるようになり、アストラル体は肉体から離脱できるようになるだろう。そして、このアストラル体の目が地上のものと他のアストラル存在を見る事が出来る事は、それらの振動幅が増大しているのを示している。


 これは意識が肉体のメカニズムの一部であると考えている人には、パラドックスに見えるであろう。実際には、肉体には精神は一切なく、アストラル体に密接しており、象徴的に述べるならば、アストラル体が真の「自己」であり、これらを通じて、意識は真に働くのである。アストラル体が超意識があると信じるのは誤りであり、それらは無い。あなたが知るような意識は、アストラル体の心である。あなたの通常の意識――アストラル体が含む全て――があなたであり、あなたは今も永遠に、アストラル体が行くとともに学ぶ個である。


 だが、潜在意識というものもあり、この広大で測りがたい超知性は、ほとんど全能で、全知である。だが、我々が意識になすように、個としてこれを考える事は出来ない。「霊」を信じる人の多くが、アストラル体が目覚めたら、潜在意識の全ての諸力により悟りを開くという印象を受けているようだが、そのような事は無い。潜在意識は、離脱した霊体が内部の(肉体として生きる)存在に対してなすのと、実質的に同じ関係を保つからである。


 例えば、あなたの肉体が今すぐに死んだとしよう。あなたはアストラル体に存在し、なおも変化せず、超知性の存在となったりもせず、あなたの同一の精神性を生前と同じように保つだろう。そしてこれが覚えておくべき要点である。肉体は非知性的な物質にすぎず、アストラルの霊体の衣のようなものである。


 また誕生時にアストラル体――自己――は、過去、現在、未来にある全能の知性により、存在するようにされたと推測するのは論理的であろう。その時にはこの体の意識は空白であり、外界の印象を受け、学び、成長する準備をしている。我々がいつ死ぬかは問題ではない。我々の全体の意識は、地上での存在の終わり、肉体が滅びた後にも、我々が持つ全てだからである。


アストラル体投射 1-2
↑ アストラル体投射


*1 コリントの教会への手紙一 第15章44節。
*2 20世紀初頭にニューソート(いわゆる「引き寄せの法則」)関連の本を100冊以上出版していたオカルティスト。著書には自らの本名の他にも、ヨーギ ラマチャラカと称してインド人ごっこをするなど、多くのペンネームを使い分けていた、オカルト界の怪人二十面相である。