アストラル体投射 序文 3

ページ名:アストラル体投射 序文 3

無意識的な場合


 先に述べたように、アストラル体投射には2つのタイプ、無意識的なものと実験的なものがある。前者では離脱者はどのように行うか、どうして行ったかを知らないまま、いつの間にか自分が「離脱」しているのを見い出す体験をする。離脱者は自分が肉体――自ら明白に見る――の外側にいるのに気づくが、どうやって出たのかは知らない。後者の場合は、実験者は「離脱」しようと決めて、自発的に努める。通常は離脱する場所は先に決めておいて、起きた時にそこにいるか、その途上にあるのに気づく。無論、そのような試みの大多数は失敗に終わり、成功は極めて稀である。また離脱者はその場所の人間に「見られる」事もあり、その成功について自覚しないままにある事もある。読者はこれらの離脱の全てのタイプ、種類の例と、そこにある手段の分析、その成功や失敗の理由の説明も含めて、本文の中に見い出すであろう。


 ではまず最初に、「無意識的な」離脱の幾つかの典型的な例を考えてみよう。先に述べたように、これは理論的には離脱者が睡眠状態、トランス状態、麻酔の影響下にあるなどの時に起きる事がある。あるいは離脱者が目を覚まして意識があり、単にリラックスするだけでも――少なくとも、この体験の始まりで――起きる事もある。これらの良い例は、最近出版されたキャロライン D. ラルセンの「霊界への我が旅」に幾つか見い出せる。


「私は突然に非常に奇妙な体験をした。深い抑圧を感じ、不安が襲ってきた。気絶する前に起きるものと似ていなくも無い。私はこれらに抵抗しようとしたが無駄であった。この圧倒する抑圧は強まっていき、すぐに痺れが体全体に忍び寄ってきて、最後にはあらゆる筋肉が麻痺した。この状態がしばらく続いた。だが私の心は常に明晰に働いていた。まず私は(階下から)平明な音楽を聞いたが、すぐにこの音は消えていき、最後には無音となって、私は自己や周囲に対して無意識へと落ちていった。どれくらいこの状態が続いたかは私は知らない。この状態で何が起きたかも覚えていない。次に私が気付いたのは、私自身がベッドの横で立っていて、ベッドに横たわっている私の肉体を注意をしながら見下ろしていた。(略)私は見知っている自分の顔のあらゆる詳細を見た。死体のように青白く、その目は固く閉じられ、口は部分的に開かれていた。腕と手は胴体の横で生命の無いように横たわっている。(略)私は視線を移して振り向き、ゆっくりと扉の方へと歩いていった。そして扉を通り抜け、寝室の隣の広間へと入っていった。(略)つい習慣によって、私は電灯を点けようとスイッチに手を伸ばすが、勿論、実際に点ける事が出来なかった。だが灯りは必要無かった。なぜなら、私の肉体と顔から強い白い光が放出されていて、部屋を明るく照らしていたからである。」


 I.K.フンク博士が出版した「サイキックの謎」(179 - 185ページ)での場合では、著者はどのように「自らの肉体の制御を失った」か、最初の意識的な離脱の前に、何度か起きた冷たい痺れについて記している。これらの症状の後に、博士はまず最初に一時的な無意識へと落ちた。「そして、輝く光が我が目に来て、耳の奥では耳鳴りがした。私はすぐに気絶したように思える。そしてこの状態から目覚めた時、私は空中に浮かんでいるように思えた。私が経験したこの高揚感と自由の感覚を言葉では説明できない。そして心で見たこのヴィジョンの清澄さを説明する言葉もである。我が生涯で心がこれほどまでに清澄で自由だった事は無い。(略)私は部屋の中で意識を取り戻し、ベッドに横たわっている肉体を見下ろし、それが自分のものであるのに気づいた。私がこの時にどれだけ奇妙に感じたかを言葉では語れない! この肉体は実際、死体のように見え、生命のある兆候は何も見えなかった。だが肉体から分離した私には、その精神は清澄ではっきりしており、別の体の中にあった。この体には物質は通り抜けて何の抵抗も無かった。(略)1、2分ほど、この新しい体を見てから、私はそれを動かそうとした。そしてすぐに肉体から分離された感覚は失われ、この新しい体を動かそうとする事のみに意識は集中した。かなり長い時間が過ぎたように思えてから、私はこれを動かし、ベッドから起き上がらせる事に成功し、服を着て、朝食へと向かおうとした。」
 批評家はこれらについて、単に「明晰な夢」と述べるのは疑いない。さらに著者は述べる。
「多くの人々はここで述べた文を、単に活動的なイマジネーション、あるいはおそらくは夢の結果と考えるだろう。だが、これらはいずれでも無い。世界全体が反対しても、我が心を一片も変えられないだろう。私は肉体からこれまでになく自由であり、肉体から分離されたこの出来事は、今まで人生で経験した事の無いものだと絶対的に確信しているからだ。」


 ウィルツ博士の場合については良く知られている。これは1889年11月のセントルイスの町の医療外科ジャーナルで最初に記され、その後にはS.P.R.の会議録の第8巻でも引用されている。またこれは「人間の人格性」(第2巻 315 - 322ページ)にも、部分的に引用されている。この記事から、読者に対して最も興味深い部分のみを引用するとしよう。幾らかの注記と説明をしてから、ウィルツ博士はこのように述べている。


「医師としての全ての関心から、私はこの体の驚異を解剖学的に、織り成す繊維に至るまでを見た。私はこの死せる体の生ける魂だった。(略)私は肉体と魂が分離する、この興味深いプロセスを観察した。私自身のものではないと思える何らかの力により、エゴは揺り籠が固定されるように(新しい体へと)固定され、このプロセスにより、肉体の繊維との繋がりは壊れた。少ししてから、これらの動きは静まり、魂の足元から膝へと急速に引き寄せられる、数えきれないほどのコードを感じたり、その音を聴いたりした。これらが終わると、私はゴムの紐を縮めるように、ゆっくりと(肉体の)足から頭へと至るまでから抜け出し始めた。(略)私は頭から抜け出して、パイプのボウルに付いた泡のように空中へと浮かんだり戻ったりした。やがて肉体との繋がりが緩められて、体が軽く感じた。そして床に立つと、ゆっくりと起き上がり、人の彫像のように体を広げた。私の体は青っぽい半透明に見え、完全に裸であった。(略)私は視線をベッドへと向けると、自らの死体を見た。それは多くの労苦をなして置いたように横たわり、特に右側はそうであった。そして両足首は共に付けられていて、両手は胸の上に置かれていた。私はその顔の青白さに驚いた。(略)私はベッドから背を向けると、扉の方へと向かって行った。」


 ウィルツ博士はそれから、この「トリップ」の間の幾つかの精神的な経験を述べている。それらの中には、それまで存在を知らなかった事を知覚し、後に肉体に戻ってから確認すると正しかった事も含まれる。そしてこのアストラルの旅の終わりに、博士は突然として濃い黒い雲のようなものに捕まった。「小さな濃い黒い雲が私の前に現れて、私の顔へと進んできた。私は体が動かなくなるだろうと知った。自ら動いたり考えたりする力が去っていくのを感じた。我が両手は力なく側面へと垂れて、我が肩と頭は前へと倒れた。雲は我が顔に触れて、私はそれからどうなったかを知らない」
 そして博士が意識を取り戻すと、既に肉体に戻っていたという。


 L.J.バートランド牧師の場合も、会議録の第8巻194ページで、マイアーズ氏によって要約されている。
「登山中に、ティトリス山の危険な匂いを嗅いでいる間、バートランド氏は仲間らとはぐれてしまい、休むために座った。そして、寒さによって体が麻痺してしまった。だが彼の頭はなおも清澄であり、ウィルツ博士が記すような肉体と分離するセンセーションを経験した。だが、「ある種の弾力のある紐」のようなもので繋がったままだった。この状態で氏は仲間らを遠隔透視し、肉体に戻った後に再会してから、その時に彼らの行った事を説明して大きく驚かせた。」


実験による場合


 私は次には自発的、実験による離脱の場合について述べるとしよう。これらは先に述べたように、無意識的なものよりも遥かに稀である。英語圏では「生ける者の幻影」での僅かな例(おそらくは)と、フォックス氏が「オカルト レヴュー」誌に寄稿した記録――本書でも後に詳しく引用する――の他には、「遠隔透視」に関する、幾らかの疑わしい歴史的な記録しかない。だが、フランス語で出版された2冊の本、片方はシャルル ランセリン氏によるものと、もう片方はヘクトル デュルヴィル氏のものも、この主題について扱っている。両方の本では、被験者のトランス状態に入った「磁気化された」肉体からアストラル体をいわば「摘出」しようとする試みを扱っていて、そして両方とも、自力での離脱の場合については述べていない。被験者は深い磁気的、メスメル的(催眠的なものと区別される)なトランス状態に置かれ、可能ならば彼(あるいは彼女)の肉体から離れて、かなりの距離を離れるようにと催眠暗示を行う。それから確認のための様々な巧みな実験テストが可能な限り行われた。
 私は既に拙著の「Modern Psychical Phenomea」と「Higher Psychical Development」でランセリン氏の本についてはかなりの部分を要約しており、マルドゥーン氏も本文の中でかなりの部分を扱っているので、これ以上はここでは述べない事にする。だが、デュルヴィル氏が、著書「生ける霊」の中で記している発見については、ここで簡潔に述べるとしよう。


 この本は2つの部に分かれており、第1部では歴史と理論についてであり、「分身」の一般理論について扱い、これらの例として考えられなくも無い、古代やより近代の例を挙げている。第2部では実験によるもので、被験者が深い「磁気的な」トランス状態にある中で、アストラル体が離脱したと思われる例を扱っている。それらの内容の幾つかは充分に興味深いものであり、マルドゥーン氏の説明や体験に大いに同意している。例えば189ページにはこのように記されている。「この実験の被験者は常に「分身」と、伸長する事のできる流動的なコードによって、同意的に繋がっている。(略)これは通常は円柱状であるが、時にはある種のリボンのように見える事もある。」また、霊体の着る衣のように、これらはある種の「流動的なガーゼ」により構成されるように見える(215ページ)。このアストラル コードによって、様々な感覚の印象が体へと送られる(235ページ)。また離脱には気温も重要とされ、多すぎる灯りを点けるのは、アストラル体に悪影響がある。握力計を用いた実験では、被験者の筋力(握力)は常に、離脱前よりも後の方が強くなっている(152ページ)。逆に手の温度――特に右手のもの――は、実験の結果として常に低下している(195 - 197ページ)。一つの章では霊体の活動について扱い、2人の被験者を同時に離脱させて、(a)相手の「分身」についてや、(b)相手の肉体への作用について述べている。この両方で幾らかの肯定的な結果があったようである。また被験者から離れた場所に硫化カルシウムの幕を幾らか置いて、被験者に対してこの幕のいずれかを霊体で通過するように示唆がなされた。そしてアストラル体の接近の結果として幕は明るさを増したという(275 - 280ページ)。また物理的な物を動かしたり、ラップ音を慣らしたり、筋力計をトランス状態に置いた被験者から離して置いて、その針をアストラル体で動かす実験の成功も報告されている(297 - 332ページ)。最後の章では、アストラル体や、そこから放出されるオーラ、肉体のオーラを写真で取る幾つかの試みについて扱っている。デュルヴィル氏はこの本の結論として、以下のように述べている。


 1. アストラル体の離脱は確実な事実であり、直接的な実験の手段によって示す事ができる。また、生命力は物質から独立しており、我々の個人性は肉体、知性魂、そしてこれらを結ぶアストラル体により構成されるのも示される。


 2. 霊体は肉体から離れても存在し、活動できるので、これは死後も活動できると仮定される。すなわち、不死は事実であり、科学的に証明される。


 この世間にはほとんど知られていないデュルヴィル氏の本は、奇妙で興味深い内容に満ちている。そして、これらの実験の結果の全てが科学的に正確だと仮定するならば、第一級の重要性の論文であると言えよう。また氏の発見の多くがマルドゥーン氏のものと驚くほど符合する事も注目に値する。これらの結果について、本文でも幾らかの批判的注釈があるのを読者は見い出せよう。


アストラル体投射 序文 4
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