アストラル体投射 序文

ページ名:アストラル体投射 序文

アストラル体投射


シルヴァン J. マルドゥーン、ヘレワード キャリントン共著


シルヴァン J. マルドゥーン


前書き


 私に初めて体外離脱体験が起きたのは、わずか12歳の時であった――そして、あまりに若く未熟だったので、この意味合いを理解できずにいた。この出来事は自然と起きて、しばしば自発的に繰り返された。やがては私はこれらに慣れていき、実際問題、私はすぐにこれらは誰にでも起きるものと考えるようになって、我が家族にすら稀にしか話さずにいた。記録に取る事もしなかったが、関心を持った多くの人々から、そうするようにと勧められた。
 私はこの現象を良く知る人物から、アストラル体の意識的な離脱は異常なものでも何でも無く、多くの心霊家が意識的に行えると伝えられた。私も意識的に行えるようになるのを望み、(私が聞いた)それらが行なえる人を羨んだ。そのため、私は意識的にこの現象を引き起こせる人を探し始めた。だが我が探索は実りなく、やがては「この人」を見つけられないだろうと結論付けた。そのため私はこの現象を私自身で実験するようになり、本書において読者は我が実験の結果を見い出せるであろう。
 我々は20世紀に生きているが、現在でも中世の不寛容さを持っている者らもおり、多くの者らが私が述べる事に対して偏見を抱かずに読むと信じる程には、私は楽観的ではない。私は本書を、他のオカルティストらへ私が発見した結果を与えるのを目的に書いている。残念ながら多くのオカルティストらは、意識的なアストラル体投射という主張は、夢以外の何物でも無いと信じている。
 私は意識的なアストラル体投射を信じる前に、自ら体験する必要がある事によく気づいている。そして私自身も、この体験がなく、これが真実だと「知る」事が無ければ、受け入れなかっただろうと告白する。よく懐疑家が「私は証拠、客観的な証拠を望む。そうすれば、私は信じるだろう!」と言う。
 そして体外離脱者は「あなたは客観的な証拠は持てませんよ。あなたはこれを『経験』する必要があります。それによって、あなたは証拠を持つでしょう」と答える。離脱者が懐疑家にこれが夢ではないという証明を与えられないという議論は、懐疑家が正しいのを意味するのではない。懐疑家の方もまた、離脱者にこれが夢であるという証明を与えられないのである。そのため、この議論は無用である――第一原因や最後の結果についての議論と同様に!
 私は明解な立場に立つ。私はこれを「経験している」と言う。諺にあるように、「プリンの存在する証拠は、それを食べる事にある!」私は何かを隠そうと試みようとはせず、この主題を扱った著者らによくある、この体験に含まれる「危険」についての疑似議論を訴えたりもしない。私が知るアストラル体の離脱をもたらす特別な技法についても幾つか与え、これらの技法の実践を通じて得た結果によって、我が見解の真実性が読者に公平に判断されるのを望みたい。あなたが証拠を望むならば、私はそれはあると言うが、あなたはそれを「経験」しなくてはならない。あなたがこれを経験する方法を知りたいと望むならば、私はその方法も教える。私にはそれ以上は何も行えない。
 本書では私は自らの体験の多くと関連している。だが、私がここで与える体験は、全ての体験を表しているのではない。このような大きさの本では、これら全ての内容を保つ事は出来ない。一方で私が少数の体験のみを引用するのでは、そこに含まれた情報を集めるには充分では無かったろう。
 普通の人間は他者の体験にはさほど興味はなく、自らの体験に興味があるものである。そして私は本書を書く前に、読者はどのようにこの現象を起こすかの方法のみを知りたいだろうと仮定した。先に述べたように、私は読者の多くが本書を偏見なく読むと信じるほどには楽観的ではないが、本書で私が概要を示した技法のように、意識的に試す中で結果が得られるものを、他の誰も与えられないだろうと信じるほどには楽観的である。
 本書を理論のみで判断せず、実験によって判断して頂きたい。私が書いた内容のみで、我が言葉を誰も受け入れないのを望む。私はそれを経験せよと言いたい! この術式に従い、その後に我が意見の利益について判断してほしい。ここが判断する時である――後にであって、先にではない!
 私は生者と死者の霊の我が信念から、「迷信的」な者と告発されてきた。だがこれら告発者らは、通常は別の分野で自らが迷信的であるのを私は見い出している! 最近、ある信仰心の厚い人が、どうして私や他の人物が彼の中に「ゴースト」がいると信じられるか、わからないと述べていた。だがこの同じ批評家が、聖書の全てを信じていると告白しているのだ。死の際に「キリストはゴーストとなった」という文すらも!
 一方で物質主義者は、脳の外にも精神は存在できると信じるのは迷信であると信じている。彼の理論では、肝臓が胆汁を分泌するように、脳は思考を「分泌」する。そして、この(脳が思考を分泌する事を証明できない)物質主義者は、自らの説を証明できないのを忘れて――心霊主義者には証明を要求するのだ! あなたがこの物質主義者に証拠を求めるならば、実験により(実験によりと彼が述べたのを覚えておいてほしい)、脳が思考を作り出すのは明白となると彼はあなたに語るだろう。そして心霊主義者も、同じ事を述べるのである。つまり、この体験を実験する事で、脳が思考を「生み出さない」のが明らかとなるのだ! 物質主義者も心霊主義者も、「理論」を放り出して、実験によって解決しようとしている。
 そして、これこそが私が読者に、私が書いたものの利益を自ら確信するために、求めている全てなのである。理論を放り出して、実験を試みる事を。(本書に含まれている技法によって)成功した全ての者らが、たとえそれが小さな結果だとしても、私にそれらを報告してほしいと望んでいる。私はエビデンスを集めるのを望んでいるからである!
 私はこの機会に、キャリントン氏にその貴重な共同作業と助けに対して、また我がフィアンセのグッドリッチ嬢に、この原稿をタイプライターで整えた助けに対して、感謝の意を述べたい。


 S.M.


ヘレワード キャリントン


ヘレワード キャリントンによる序文


 アストラル体は、肉体の分身あるいは、エーテルの対応物として定義できよう。これらは似通っており、通常は重なり合っている。これは半流動的なもの、あるいは微細な形質により構成され、肉眼では不可視であると考えられている。過去においては、これはエーテル体、メンタル体、霊体、願望体、放出体、復活体、分身、光輝体、微細体、流体、輝体、ファントム、その他様々な名前で呼ばれてきた。最近の神智学の文献では、これらの様々な体の間の区別がなされているが、本書においてはそれらの違いは無視し、西洋科学で知られ、生理学者らに研究されてきた肉体に比して、より微細な形態についてを「アストラル体」と呼ぶ事にする。


 (オカルト文献で)幅広く一般に教えられている事は、あらゆる人間には、心臓、脳、肝臓があるように、アストラル体を「持つ」。事実、アストラル体は肉体よりも人の本質に近い。肉体は物理世界での働きのために相応しくした、単なる機械に過ぎないからである。だがアストラル体が人の魂であるとも考えてはならない。これはよく誤解されている。アストラル体は、肉体が器であるのと同じ意味で、魂の「器」であり、精神と物質との間を繋げる本質的なリンクの1つであると言われる。無論、精神は単に特定の脳の生産物であると見做す物質主義者には、このような説は迷信的でナンセンスに思える事だろう。だが本書はそれらの物質主義者に向けられたものでは無く、超自然的(サイキック的)な現象のリアリティーと、アストラル体の、少なくとも理論的な可能性を信じる者らに向けられている。それらの学徒の全てに、本書は、私が確信するに、価値あるユニークな情報の真の宝庫を与えるだろう。


概論


 日常の起きている意識状態では、アストラル体は肉体と完全に重なり合っている。だが眠っている時には、アストラル体は多かれ少なかれ肉体から分離し、通常は肉体のわずか上で浮遊しており、意識的でも制御されてもいない。トランス状態、卒倒、気絶、また麻酔薬の影響下にある時などにも、アストラル体は似たように肉体から離脱する。そのような離脱は、自動的、不随意の離脱の例を構成している。


 これらと反対のケースに、私は意識的、随意による離脱を置いている。これらでは離脱者は肉体から離脱するのを「望み」、実際に行う。そして離脱者は自らのアストラル体で完全に目覚めていて、意識がある。そして自らの(眠っている)肉体を見る事もでき、望む場所へと、おそらくは今まで見た事の無い景色を見たり、訪れたりも出来る。この結果、離脱者は後にそれらの場所を訪れる事で、これらの経験が真実であるのを確証できる。離脱者は望む時に肉体へと戻る事ができ、あるいは何らかのショック、恐れ、激しい感情が原因となり、肉体へと自動的に引き戻される。


 アストラル体と肉体は、ある種のコードあるいはケーブルによって常に繋がっており、この中を生命力の流れが通過している。このコードが損傷したら、即座に死ぬことになる。アストラル体投射と死との唯一の違いは、先の場合にはコードは無傷であり、後の場合にはコードが損傷している。このコード――聖書の伝道の書では「シルバー コード」と呼ばれている――は、伸縮自在で大きな距離まで伸ばす事が出来る。これは2つの体の間の本質的なリンクを構成する。
 上記がアストラル体とその離脱に関する教義、教えの、一般的で非常に簡潔な要約である。


 今やこの主題を扱った文献は夥しくあるが、私は科学的な価値の多くある内容を見い出せずにいる。さらに何よりも、実践的な性質――どのようにアストラル体を離脱させるか――については、ほとんど無い。もしそのような体が実際に存在し、自発的に離脱される――多くの研究者がそうだと確証するように――ならば、それらについて出版された本の中で実践的な助言や情報がこうも少ないのは何故か? これらの試みに「危険」が伴う可能性があるからか? あらゆる感受性のある人物は、これらが存在するのに気づいており、経験したいと望んでいるだろう。だが、望むように「離脱」できると主張する者らから、実践的、正確な情報を得るのはほとんど不可能である。そして、これらについて、サイキック現象の全ての学徒らは、私に同意すると確信している。何故そうなのか? 私はこの全ての秘密主義の理由について、理論的な「危険」が含まれているからではなく、単に自称「教師」らが知らないからだというマルドゥーン氏の意見に大いに同意している。彼らはアストラル体の離脱が起きる事は知っていよう。また自らも幾らかは経験した事もあろう。だが、このプロセスの実際の詳細について――どのように達成するか――は知らず、結果として他人に述べる事もできない。本書の大きな価値は、初めて世界にこの情報を提供している事にある。そして私は最も価値ある文書、サイキック現象の学徒らが長らく切望してきた情報をここに記したと信じざるを得ない。本書は出版を可能とした思いがけない幸運が重ならなかったら、決して世に出る事は無かっただろう。そのため、読者は本書がどのように書かれるようになったか、また著者自身らについても知りたいと望むだろう。


どのように本書が書かれるようになったか


 拙著「Modern Psychical Phenomena」で、私はアストラル体の離脱の経験について一章を割いて、シャルル ランセリン(Chales Lancelin)氏の書の要約をしていた(この人物については、後により詳しく説明する)。この内容は、後の書「Higher Psychical Development」ではさらに大きく膨らませてある。いずれの本もほとんどが他者の書の引用のみを扱っていて、私は常にそれでは全く不十分だと感じていた。だが、これらが私がこの重要な主題について発掘できた全てのエピソードであった。そして1927年、私はシルヴァン マルドゥーン氏からある手紙を貰った。そこではこう記されていた。


「私は最近、あなたのご著書「Occult and Psychical Sciences」を読みましたが、特に「アストラル体投射」の章の内容に興味を抱きました。なぜなら私も、12年ほどの経験のある「離脱者」だからです――長い間、私は世界の誰もこのような事は行えないだろうと考えていました。私が最も困惑するのは、ランセリン氏はこの主題について、事実上の全てを語っているとあなたは仰るからです。キャリントン氏よ、何故でしょうか。私はランセリンの本を読んだことはありませんが、あなたの本での要約が正しいとしたら、私はランセリンが知らない内容の本を書けます!(略)私は、ランセリン氏が実際に意識的な離脱者であるかすらも疑問に思っています。あなたが与えた要約から、ランセリンは一切離脱していないか、その協力者らは離脱中も意識は明白で無かっただろうと私は結論しています。この考えは理に適っていないでしょうか? もしランセリン氏やその協力者らが明白な意識だったとしたら、この現象のあらゆる詳細を与えられなかったでしょうか? もちろん、出来たはずです! でも、彼らは行っていません。(略)そして私は肉体からアストラル体で離脱し、同じ変化しない意識のまま、そして肉体への「一致」へと戻るまで、これら全てにおいて、そこで起きたあらゆる感情、あらゆる動き、あらゆる詳細を明白な意識で知っています。(略)


 ですが、私が最も驚くのは、アストラル コード――この現象全体の根本的な基盤――について、僅かにしか語られていない事です。ランセリンの協力者らが、誰もこのコードを調べずに、それどころか見たりもしないのは可能でしょうか?(略)このコードがどう働くか、この現象をどう安定させるか、あるいは不安定にするかは何も語られていません。2つの体がほぼ一致する時に、このコードの長さはどれくらいか、特定の距離で(私はこれらを正確に測っています)、コードがその幅と抵抗を減らしていくかなどです。ランセリンは、この現象は風に揺られる石のように現れると述べています。ですが氏は何がその原因であるかは述べていません。(略)ランセリンはアストラル コード、この現象の主要な要素であるメカニズムをどう制御するかも語っていません。(略)氏はアストラル体は太陽神経叢から離脱すると述べています――これは全くのデタラメです*1。2つの体は同時に全ての場所で分離します。コードはこの神経叢に集中し、その典型的な部分は延髄で、肉体の呼吸器官を直接的に制御しています。ランセリンはこのコードを通じての欲望の抑圧や鼓動の状態についてや、分離が完了してから、どのように霊体が安定するかについて何も述べていません。氏は霊体が取る姿、どのように出入りするか、どのように金縛り状態が、霊体の全体が潜在意識の制御下にありつつも意識的であるようにするかも述べていません。(略)また氏は霊体での様々な段階の視覚や聴覚について、どのように旅をするか、旅で助けとなったり不可能にしたりする状態についても語っていません。(略)また、このプロセスでの意志力の必要性について、大げさに書きすぎています。意志力が無くても達成する別の方法、実際には複数の方法がありますから。また良い健康が障害となる事もありません。ほとんど瀕死の人物の方が離脱が容易になる事も無いと私は述べ、証明する事もできます。(略)


 私はアストラル体投射について、さらに多くの事を語れますが、全てを述べた後にあなたは「それを証明しろ」と答えるでしょう。ですが、これは容易には証明できない事です! この主題については1本の論文が必要となるでしょう。私はこの主題について本を書こうかと思った事もありますが、誰もが私の事を「狂っている」と言い、誰も注意を払わないだろう事に気づいてからは、この考えを捨て去りました。(略)それでも私は、あなたが今知られている事の要約を与えるならば、この主題にはそれ以上に多くの闇があると知る程度には経験を積んでいます。(略)加えて申しまするに、私は単なる25歳の若造であり、あなたがこの手紙を読み、これを真剣に受け取るならば、それは私にとって栄誉な事であります(後略)」


 この手紙を読んだ後に、最も価値のある情報を膨大に蓄えている人物を発見したと私が即座に気づいた事については、指し示す必要はほとんどあるまい。そして私はすぐに返書を書き、マルドゥーン氏にぜひともすぐに本を書くべきだと励まし、その原稿を私が校閲し、編集し、序文も書くと約束した。本書はその結果である。マルドゥーン氏と私は大いに調和的に本書を書いたと言えよう。マルドゥーン氏は多くの要点を覆い、私が示唆した多くの実験も試して、そのあらゆる面で完全な誠実さ、真実へと厳密に忠実であろうとする態度を示している。マルドゥーン氏は実際の経験を基にしていない、どの理論も主張せず、もしも特定の事を知らないとしたら、率直にそう述べている。氏の手紙からの追加の引用(37から41ページ)はより明白にし、本書に含まれていない、より価値のある内容を読者に与えるであろう。私がさらに加えるに、本書の大半はマルドゥーン氏がベッドから起き上がれないほどに病んでいて、翌日がその最後の日となるか否かが確かでは無かった時に書かれている! 人が最も真実で誠実であるのを期待できるのは、そのような時であろう。だがこの著者の真実性と誠実さは、あらゆる行にて明らかである。


 私はこれらの「アストラル トリップ」の間に達成した内容について、乱暴だったり馬鹿げていたりする主張は本書には一切無い事に、読者の注意を特に惹きたいと願う。マルドゥーン氏は遠い惑星を訪れたと主張したりもせず、帰ってから異星人の生態についての詳細を我々に語ったりもしない。さらに、広大で美しい「霊界」を探索したと主張したり、過去や未来の世界を見たと主張したり、自らの過去の「前世」を再現したり、「アーカシック レコード*2」を読んだり、膨大な時の流れを遡って、人類の歴史や原初の地球を再訪したりもしていない。マルドゥーン氏は、自らの肉体から自由に離脱でき、完全に意識を保ったまま、何らかの体によって、現在のすぐ近くの場所を旅できると主張しているのに過ぎない。これは完全に理性的であり、これらの「トリップ」の実際の経験の理論で、正確に我々が期待すべき事である。アストラル体のような何らかの体が存在し、肉体から時には自発的に離れるという主張の他には、述べられた全ては自然な場所にあり、そのような環境の下で起きる事について正確に期待しうる事なのである。


アストラル体投射 序文 2
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*1 この太陽神経叢(あるいはヨーガでのマニプーラ チャクラ)からの離脱ルートについては、後の時代にも複数の著名な離脱者らが証言している。
*2 アストラル界のどこかにあるとされる、全ての情報が集まった図書館のようなもの。20世紀の「眠れる予言者」エドガー ケーシーが夢の中でよく訪れていたと述べた事で有名となる。