人間の尊厳についての演説 5

ページ名:人間の尊厳についての演説 5

 そして「アシンボリ」*1のように、賢者らの宴会で、数えきれないほどの他者の意見を議論した後に、我々自身のものについて貢献せず、我々の精神によって何も受け取らず作らないならば、何の利益があろうか? 無論(セネカが書いたように*2)自らの知識の全てをノートにのみ記すのは、無能の性質である。我々の前の時代の者らの発見は、それが真理を示さないならば、少なくとも、遠くから指し示さないならば、我々自身の努力への道を閉じて、我々の中の自然の力は衰え、何も生み出さないであろう。農夫らは畑の不毛を憎み、夫はその妻の不毛を嘆くが、それ以上に神的な精神は加わり上昇してきた不毛な精神を憎む。なぜなら、そのような高次の自然が生み出される源となるのを望むからである。


 これらの理由から、私は使い古された諸教義を繰り返すのに満足せず、三重に偉大なヘルメースの古代神学の多くの点での議論を提案する。これらの多くは、古代のカルデア人とピュタゴラス学派の教え、ヘブライ人のオカルトの諸神秘から導かれており、我々自身が発見している神と自然についての充分な数の提案がなされている。まず第1に、私はプラトンとアリストテレスの(学派の)間の調和を提案したい。我々の時代の前の多くの者らも、それらは存在すると信じられてきたが、誰も満足した理論を確立していない。ラテン語の著者らの間ではボエティウス*3はそのような調和を作ろうとしたが、完成までには至らなかった。聖アウグスティヌスも、contra academicos(プラトン学院に対して)で同様に記しており、その他の多くの者らが、プラトンとアリストテレスの哲学は同一の事を、最も微細な議論によって述べていると証明しようと努めてきた。例えば、文法家ヨハネス*4は、アリストテレスとプラトンとの間の唯一の違いは、プラトン哲学の要点を掴めなかった者のみにあると述べているが、その証明は後世に委ねている。私は加えて、スコトゥスやトマス、その他にもアヴェロエスやアヴィケンナなど多くの者らの書も挙げ、これらは不同意であるとこれまで考えられてきたが、私はお互いに調和にあると主張したい。


 第2に、アリストテレスとプラトン学派の私自身の反映と発展において、私は物理とメタ物理での72の議題を挙げている。そして私自身が誤っていないならば(それは、この提案の論争が進むうちに明白となるであろう)、これらの議題に寄与する者は、我々が大学で学び、現代の世代の師らに教えられる哲学の他にも、自然哲学や神学での原理の提唱されたあらゆる疑問を解決できるであろう。私は幼い頃から(一部の者らが仄めかすように)、他者の書を読むのをほとんど許さず、新しい哲学を提案するのを望んでいたのにも、驚くことではない。この新しい哲学が良く擁護されるならば称えられ、論駁されるならば否定されよう。最後に、我が発見と我が学識を判断するのは彼らの役割なので、著者の年齢ではなく、これらのメリットとデメリットについてを見るべきである。


 私は加えて、数を基にした哲学化の新しい技法についても紹介している。この技法は事実、非常に古くからあり、古代の神学者たちやピュタゴラス学派にまず用いられていたが、他にもアグラオフォモス、ピロラオス*5、プラトン、さらに初期のプラトン学派も同様である。だが他の多くの古代の高名な達成と同様に、この技法も次の世代らの興味を惹く事は無く、忘却されていき、その痕跡はほとんど見い出せなくなった。プラトンは「エピノミス」の中で、その他の全ての自由諸術や黙想的な諸学の間でも、この数の学は至高にして最も神聖であると記している。また別の箇所でも、なぜ人は動物の中で最も賢いのですかと尋ねられると、プラトンはそれは数を数える事を知るからだと答えている。似たようにアリストテレスも「問題集」の中で、この意見を繰り返している。アブー マーシャル*6は、バビロンのアヴェンゾアル*7は数える事を知る者は、その他の全ての事も知ると好んで述べていたと記している。これらの発言は、この数える術とは、今日の商人が他者に勝る数える術の事ならば、真実が欠けているであろう。プラトンはこの観点に加えて証言するには*8、この神の算術を、商人の使う算術と混同しないようにと忠告している。結果として、日夜学習した後に、この高尚なる算術に熟達したように私自身が思え、そのため自らの知識を試すために私はこの数の技法によって、物理学と神学の最も重要な諸問題の間に共通して存在する74の議題を解くのを試みようと思っている。


 私はまた魔術に関する議題も提出しており、そこでは私は魔術を2つのカテゴリーに分けている。一方は、悪魔の働きと諸力に完全に属するものであり、結果として私には、神が我が証人であるように、これらは忌わしき怪物的なものに思える。だがもう一方は、完全に調べるならば、自然哲学の至高の具現以外の何物でも無い。古代ギリシア人はこれらの両方の用語を持っており、彼らは第1の形態を魔術と呼ぶには完全に値しないとし、γοητεια(ゴエテイア)と呼び、μαγεια(マゲイア)の用語は第2のものに留めており、至高にして最も完全な知恵と見做していた。この「マグス」という言葉は、ペルシア語から来ており、ポルピュリオスによると我々の言葉でいう「解釈者」や「神の崇拝者」を意味する。さらに教父らよ、これらの2つの間の不同と相違は、想像できるものの中でも最大である。キリスト教だけではなく異教徒の間でも全ての法典と良く導かれた常識は、第1のものを嫌い、非難している。だが反対に第2のものは、全ての賢者らと、天と神の事柄を求める全ての人々に称賛され受け入れられている。第1のものは諸術の中でも最も欺瞞であり、第2のものは最も高く聖なる哲学である。前者は空しく失望するものであり、後者は堅固で満足させるものである。第1のものの実践者は常に自らの耽溺を隠そうとするが、それは常に恥と非難を浴びるからである。一方で第2のものを研鑽する者は、古代でもほとんど全ての時代でも、学問の分野でも最も高く称えられ栄光の源であった。価値ある哲学者、良き術の追求者らで、前者の学徒だった者はおらず、常に後者の学徒であった。ピュタゴラス、エンペドクレス、プラトン、デモクリトスはこれらを学ぶために海外へと向かい、祖国へと帰ると他者に教え、厳密に守られた宝と見做していた。前者には真の議論で支えられていないので、高名な著者らの誰からも擁護されていないが、後者は原初の時代の高名な賢者らからも称えられていた。その主要な2人のみを挙げると、ヒュペルボレイオスのアバリスが真似たザモルキスと、ゾロアスター、といっても、あなたがすぐに頭に浮かべる方では無く、オロマシウスの息子の方である。


 我々がプラトンに、魔術のこれらの形態のそれぞれの性質について尋ねるならば、「アルキビアデス」にて、ゾロアスターの魔術とは、神的な事柄の学以外の何物でも無いと答えるであろう。ペルシアの諸王は王子らにこれらを教授し、世界のパターンに従って国を治めるように学ばせていた。また「カルミデス」では、プラトンはザモルキスの魔術とは魂の医薬であると答えている。なぜなら、これは医薬が肉体に健康をもたらすように、魂に節制をもたらすからである。後の時代のカロンダス、ダミゲロン、アポロニウス、オスタネス、ダルダノスらはこれらの足跡を辿ったが、かのホメーロスも同様であった。ホメーロスを私は証するに、「詩的神学」により、オデュッセウスの放浪の中に、その他の全ての博識な教義と同様に、この教義を象徴的に隠して記している。彼らに従ったのは、エウドクソス*9、ヘルミッポス*10、またピュタゴラスとプラトンの密儀を学んだ事実上の全ての者らである。後の哲学者らについては、私はアラビア人のアル キンディー*11、ロジャー ベーコン*12、パリのギヨーム*13の3人が探し求めたのを見い出している。プロティノスも、その書の中でこの事に気づいていた徴を与えている。すなわち、魔術師とは自然の使者であり、単に人工的な模倣者ではないと記している。この賢者はこの魔術を認め保ちつつも、他の種類は嫌っていた。ある時、この哲学者は悪霊の儀式に参加するように誘われたが、私が彼らに向かうよりも、彼らが私の方に来るべきであると述べ、それは良く述べられた事であった。魔術の第1の形態が人を悪の諸力の奴隷、駒にするように、後者の魔術の形態は人をそれらの主にして支配者とするからだ。魔術の第1の形態は術や学のいずれの主張も正当化できないのに対して、後者は神秘で満たされ、物の最奥の秘密、最終的には自然全体の知識の、最も深遠な黙想にわたっている。この慈悲深い魔術は、神の恵みが世界に植えた光と諸力へと隠された場所より呼び起こし、それ自身では奇跡を働かず、自然に勤勉に仕える事で、彼女が奇跡を働かせるのである。世界を貫いているこの大きな働きをギリシア人はσυμπαθεια(共感)と呼び、物の間の相互の愛着として、自然は万物にこれらの導き(魔術師らは、ιυγγεςと呼ぶ)をその最も適切な性質に応じて当てはめた。よって、この力によって世界の休息所、自然の子宮、神の貯蔵庫、秘密の地下室に横たわる奇跡を、自然自身がその技巧家として、公の注目へと引き出すのである。


 農民がニレの木をつるへと継ぎ木するように、「魔術師」は天と地を繋ぎ、低位の世界に上位の世界の恵みと諸力を結び付ける。よって、この後者の魔術はより神的で有益なのに思えるのに対して、前者の魔術は怪物的、破壊的な容貌を示す。だがこれらの違いの最も深い理由は、第1の魔術は神の敵(サタン)から人に、神から離すためにもたらされたものであり、一方で第2の慈悲深い魔術は、神の働きを崇めるように人を啓明させ、慈善、信仰、希望へと自然と花開かせるのである。神の奇跡の熱心な黙想以上に神への崇拝へと我々を確実に駆り立てるものはなく、この自然魔術の手段により、我々はこれらの奇跡をより深く探るのであり、我々は神の働きの中で、その愛と崇拝へと、より熱烈に駆り立てられる。そして最終的には、かの歌「天地の全ては、神の栄光に満ちる」の中へと、我々は完全に燃やし尽くされるであろう。もはや魔術については充分に述べたが、私はさらに多く述べるように駆り立てられている。なぜなら、多くの人々は魔術を非難し憎んでおり、それは犬が常に異邦人を吠えるように、彼らはこれを理解していないからだと私は知っているからだ。


人間の尊厳についての演説 6
↑ ピコ デッラ ミランドラ


*1 宴会に費用を払わずに参加する者。
*2 セネカ「書簡集」第33章。
*3 480年 - 524年。古代ローマ末期の哲学者。
*4 ヨハネス ピロポノス。490年 - 570年、アレクサンドリアのキリスト教徒で、アリストテレスの注釈者。
*5 紀元前470年 - 紀元前385年。ピュタゴラス学派の数学者。ソクラテス以前の哲学者の1人で、地球が宇宙の中心には無いと述べた最初の人物。
*6 787年 - 886年。ペルシア生まれのバグダッド宮廷の天文学者。
*7 ラテン語でアヴェンゾアルと呼ばれたイブン ズフル(1094年 - 1162年)はコルドバの医師であるが、時代が違うのでピコは同名の別人を指しているのだろう。
*8 プラトン「国家」第7巻525b。
*9 紀元前390年 - 337年。古代ギリシアの数学者、天文学者。
*10 紀元前3世紀頃の逍遥学派哲学者。
*11 801年 - 873年?。中世イスラームの哲学者、科学者、数学者、音楽家。イスラーム哲学の基礎を確立する。
*12 1214年 - 1294年。驚嘆的博士。イングランドの哲学者、カトリック司祭。実験を重んじた近代科学の先駆者。
*13 またの名をオーベルニュのギヨーム。1190年 - 1249年。フランスの神学者、哲学者。