人間の尊厳についての演説 4

ページ名:人間の尊厳についての演説 4

 まず最初に私は、この類の公的な議論に不賛成な者らには多くの事を述べないであろう。あなた方、最も優れた博士ら、多くの分野で優れた業績をなす方たちの評判、さらにプラトンやアリストテレス、その他のあらゆる時代の最も高名な哲学者らと自らを同列に置くのは犯罪――それが犯罪だとして――であろう。これら過去の全ての哲学者らは、公的な議論によく参加する事は、知恵の探求にとってこれ以上の利益はないと考えていた。肉体の諸力が運動によって強められるように、精神の諸力は学習の領域でその力と活力を増大させるのだ。私はパラスの武具について詠ったかの詩人たちと、ヘブライ人が「バルゼル」すなわち剣、賢者の象徴について詠った事は、この知識の獲得のために不可欠でかつ名誉ある、この論争の象徴以外の何物でも無いと信じる。またこれはカルデア人が、生まれた子供のホロスコープの火星と水星が3つの明確な角度で対立しているなら、哲学者として定められてると考えた理由でもある。これらの集会、論争が捨て去られたならば、全ての哲学者らは怠惰で眠るようになると言えるであろう。


 だが、私がこれらをなすには力不足であると語る者らから自らを擁護するのは、さらに難しい。もし私が自らが充分になす力量があると言うならば、慎みも無く自らを高く評価すると思われるだろう。一方で、私は自らが力不足であると認め、それでも行おうとするならば、向こう見ずで軽率と呼ばれるリスクを確実に犯すであろう。あなた方は私が陥っている困難について見た事だろう。私は非難される事無く自らについての提案もできず、一方で同様に非難される事無く、私が提案した事を否定する事もできないのだ。おそらく、ヨブが述べた「人のうちには霊があり」*1を思いおこし、使徒パウロがテモテへ述べた「あなたは、年が若いために人に軽んじられてはならない」*2を慰めとしよう。だが私自身の心から述べるに、私はまことに自らの中には非凡なところは無いと言えよう。私は学習に自らを捧げ、良き諸術の追求に熱心であったと認めている。だが私は学者の称号を受けてもおらず、不当に称する事もしない。結果として、私がこのような大業の重荷を背負うのは、自らの弱点に無知だからではない。むしろ私はこの種の学者の討論会では、真の勝利は征服された者に横たわるのを理解しているからだ。結果として最も弱い者すらも、これらを避けるのではなく求めるべきである。最良の好敵手は、征服者から傷ではなく利益を授けられ、その者は家により豊かになって帰るであろう。すなわち未来の論争のために、よく博識を身につける事になるだろうからだ。そのような希望に啓明され、私は弱き兵士の1人にすぎないが、最強にして強健な敵とのかくも危険な闘争に入るのも恐れたりはしない。そうする事は愚かしい行いか否かは、我が歳ではなく、論争の結果から判断する方が良いだろう。


 第3の問題について、私はかくも多くの多様な議題についての提案に憤慨している者らに返答をする。これらは膨大な重荷ではあるが、これらは彼らの肩にあるのであって私にではない。確実にこれらは望ましくなく、咎めたてし、著者の努力に制限を与えたいと望み、キケローが言うように*3「より多いほど良いという規則に、中庸を望む」であろう。かくも大いなる試みの結果は、成功か失敗かのいずれかのみに私は向き合う事になろう。私が成功するとしたら、900の議題を擁護するよりも、10の議題を擁護する方がより称賛に値するとは思えない。そして私が失敗したとしたら、私を憎む者らは非難の根拠を得るだろうし、一方で私を愛する者らは擁護する機会を得るだろう。だが、かくも多く重要な議題では、才能や知識の欠如により失敗した若者に対しては、非難よりも寛大さを受けるように思える。かの詩人*4が述べるようにである。


 力が失敗したら、その勇気に対して称えられるべきであり、その大いなる試みの意志で充分である。


 我々の時代には、多くの学者らは、レンティーニのゴルギアスを真似て、900の議題のみならず、全ての諸術の範囲全体と、それらを称えている事について非難をしている。では何故に、私はかくも巨大な数の議題だけではなく、その範囲が明白で定められた議題について、批判を受ける事無く、議論をするのを許されないのか? 彼らはこれらは過剰で野心的だと答える。私はそれに対して、ここには過剰なものは無く、全ては必要であると抗議する。我が哲学の技法について彼らが考えるならば、その必要性を認めるのに、その意志に反してでも強制するように感じるであろう。また現在多くの者らが従う、例えばトマス(アクィナス)や、スコトゥスといった哲学者らに属する者らは、僅かな議題の議論で自らの教義を試すであろう。反対に、私は自らで学んできて、誰の教えにも従わず、哲学の全ての師らを学び、彼らの書全てを調べ、全ての学派に熟達したのである。結果として、私は議論ではこれら全てを導入するのを止めざるを得ず、特定の1つの教義を擁護し、それに専念して、残りを軽視するしかなかった。これらの議題のうちのごく僅かで、個々の哲学者らについて扱っているが、その多くはこれら全てを共に扱っている。また「嵐が私を吹き飛ばす場所では、私は客人として留まる」*5を基に、私を非難すべきでもない。古の全ての著者らは、可能な限り注釈書を全て読むのが規則だったからだ。アリストテレスは特にこの規則に忠実であり、そのためプラトンは彼を、αναγνωοιης、すなわち「読者」と呼んでいた。全ての哲学に熟達する前に、学院の門の中に入ったり、単独の学派や哲学者に属するのは、心の極端な偏狭さの徴と確実になろう。加えて各学派では、他と共有しない幾らかの特有の性質があるのだ。


 その哲学が我々の時代に近い信仰者らから始めると*6、ヨハネス スコトゥスは勢いがあり卓越し、トマス(アクィナス)は堅固でバランスが取れており、アエギディウスは流暢で精密であり、フランシスは深遠で鋭く、アルベルトゥスは究極で全てを包み込み基盤となるものについてセンスがあり、ヘンリクスは常に微細な要素があり、敬慕を抱かせるように私には思える。アラビア人の間では、アヴェロエスは堅固で揺ぎ無く、アヴェンパーケとアル=ファーラービーには真剣で深く黙想したものがある。そしてアヴィケンナには神的、プラトン的なものがある。古のギリシア哲学者は常に聡明であったが、その初期の者らはさらに純潔である。シンプリキオスには豊かなものがあり、テミスティオスには優雅で簡潔さがあり、アレクサンドロスには博識と一貫性があり、テオプラストスには大きな熟考がなされ、アンモニオスには流暢さがあり、読んで心地よい。あなた方が(新)プラトン主義者らに目を向けるならば、ここでは僅かのみを述べるが、ポルピュリオスには多くの豊かな内容と、宗教の多くの様相への没頭により喜ばしいものがある。イアンブリコスには、そのオカルト哲学と、蛮族の民らの諸密儀の知識に、あなたは敬意を抱くであろう。プロティノスには、あなた方は崇敬のために単独のものを選ぶのは不可能なのを見い出すだろう。なぜなら、その全ての様相で崇敬されるからだ。プラトン学派の学徒自身が、その書を紐解いても、理解するのが大いに困難である。その曖昧な文体で、人間について人間的に教えるよりもさらに多く、神的な事柄について神的に教えているのだ。より近代の者らについて述べると、プロクロスやそこから分かれた者ら、ダマキウス、オリュンピオドロス、その他の多くの者らには、θειον、すなわち神的なもの、これはプラトン学派の特別な印であるが、常に輝いているのである。


 また加えて、どの学派もより確立した真実を攻撃し、巧みに中傷し嘲る事で、理性の正当な議論は弱められる事はなく、かえって確証させられ、真実そのものも残り火のように、かき混ぜる事で消される事は無く、かえって煽られ生き返るのである。これらの考えは私に(それが好みであるように)一部の教義だけではなく、全ての学派の意見へと人々の注意を惹こうという決断を動機づけた。多くの学派の対決、多くの哲学体系の議論、すなわちプラトンが書簡集で述べた「真実の光輝」は、海から昇る太陽のように、我々の心をより明瞭に照らすように私には思えるからである。ラテンの著者ら、すなわちアルベルトゥス、トマス、スコトゥス、アエギディウス、フランシス、ヘンリクスのみを議論し、ギリシアやアラビアの哲学者らを見過ごすのに何の制約があろうか? 全ての蛮族の国々(の哲学)をギリシア人が継承し、そのギリシア人から我々に伝えられているというのに? この理由から、我々の思想家らは哲学の分野では異国人の発見に拠り、他者の書を単に完成させている。プラトンの学院を参加させずに、逍遙学派の自然哲学のみを議論するのに何の利益がもたらされようか? プラトンは神的な事柄に主に触れているとはいえ、常に(聖アウグスティヌスが証言するように)全ての哲学者らの中でも最も称えれていたのではないか? そして、これが私が何世紀もの間無視されてきた後に(私がこう述べるのに、何の不公平も無い)、公的な議論へと再びもたらそうとする理由である。


人間の尊厳についての演説 5
↑ ピコ デッラ ミランドラ


*1 ヨブ記 第32章8節。
*2 テモテへの手紙一 第4章12節。
*3 デ フィリブス 第1章。
*4 セクストゥス プロペルティウス。紀元前50年頃 - 15年頃。ここでの引用は、主著の「エレギア」詩集の2巻より。
*5 ホラティウスのエピストレス1巻より。
*6 この節でピコが列挙する哲学者らは、ヨハネス ドゥンス スコトゥス(1266年 - 1308年)、トマス アクィナス(1225年 - 1274年)、ローマのアエギディウス(1246年? - 1316年)、メイロンのフランシス(1280年 - 1328年)、大聖アルベルトゥス(1193年 - 1280年)、ガンのヘンリクス(1217年 - 1293年)、イブン ルシュド(ラテン語ではアヴェロエス。1126年 - 1198年)、イブン バーッジャ(アヴェンパーケ。1095年? - 1138年)、アル=ファーラービー(870年 - 950年)、イブン スィーナー(アヴィケンナ。980年 - 1037年)、キリキアのシンプリキオス(490年 - 560年)、テミスティオス(317年 - 387年)、アフロディシアスのアレクサンドロス(3世紀頃)。その他の大半は新プラトン主義哲学者である。