薔薇十字団の真の歴史 13-8

ページ名:薔薇十字団の真の歴史 13-8

 我々は今や自由の身となり、大いに心地よく過ごし、この町の中や、その周囲の場所を見て回った。そして市民らの多くと知遇を得て、彼らのうちに、我々は自らの国々の親愛なる者らを忘れるのに充分なだけの人情を見い出していた。我々は常に観察して関連するに値する物事に出会い、それらは世界に価値のある物を映し出す鏡のようであった。ある日、我々の仲間のうちの2人が、彼らが家族の祝祭と呼ぶものをなすように勧められた。これは最も自然で、敬虔で、尊い風習であり、この国が全ての善意によって構成されているのを示していた。自らの血統の3歳以上の30人と共に住んでいる者ならば、この祝祭が行え、それらは国の費用によって賄われていた。彼らがR.C.と呼ぶ家族の父は、祝祭の2日前にそのような友らから望む3人を選んで与え、また町の祝祭が行われる街区の長からも助けがあった。そして家族の全ての者らは男も女も参加するように呼ばれていた。そして、何らかの不和や訴訟があれば、和解するようにし宥められた。また、いずれかの家族に困窮や問題があれば、彼らの安堵、生活の保障の命令が出された。また悪行があるのが判明したら叱責された。このように結婚や生活の指導がなされていた。そして彼らが命令に服従しないならば、それらは稀であったが、ティルサン(薔薇十字の父)からの命令が下された。彼らはそれらを自然の命令として崇めていた。またティルサンは彼の息子らから1人を選んで、館に住むようにし、そのような者はつるの子と呼ばれていた。


 父あるいはティルサンの祝祭の日には、祭が行われる大きな部屋で神事に奉仕した。この部屋の奥は壁に対して踊り場となっていて、その中心には椅子がティルサンのために置かれ、その前にはテーブルが置かれカーペットが敷かれていた。椅子の上には円あるいは楕円の板があり、アイビーによるものだが、我々のものよりも白く、またシルバーアスペの葉のようだが、より輝きがある。冬の全期間にも緑があるからである。この板は銀色やその他の様々な色のシルクで奇妙に覆われ、アイビーに包まれていた。これは家族の娘らが造ったもので、シルクと細かい網が上にかぶせられ、銀色であるがこの物質は真にアイビーであり、家族の友らは、祭儀が終わった後に幾らかの葉を得るのを望んでいた。ティルサンは、その全ての世代、血族らと共に来て、男たちはその前を、女たちはその後ろで従っていた。そして全ての血族の母がいたならば、椅子の右側の上階にて、黄金と有鉛で飾られた私用の扉とガラスの細工窓があり、その中に彼女は座っていたが外からは見えないようにされた。ティルサンが来ると、彼は椅子に座って、全ての血族らはその背後と広間の両方の壁に沿って、年代順に男女関係なく立った。部屋には常に仲間らで満たされていたが、無秩序なものではない。やがては部屋の奥からタラタン、布告者が来て、その両側には若い子供らがおり、片方は彼らの輝く黄色い巻物を持ち、もう片方は長い茎の黄金の葡萄の房を持っている。布告者と子供らは、海水のような緑色のサテンのマントを着ているが、布告者のものは金と三角の装飾がなされている。そして布告者が踊り場まで来ると3度礼をして、自らの手に巻物を取る。これは王からの勅許状であり、領地の贈物、多くの特権、免除、名誉を含んでおり、家族の父に許可していた。それは「我らの愛する友にして貸主」に向けられていた。この称号は、この場合にのみ適切である。王は臣民らの繁栄以外には借りは無いと言われるからである。この王の勅許状にある印は、R.C.であり、王の印は金で浮き彫りにされたり塗られていた。布告者はこの勅許状を大声で読み上げ、薔薇十字の父は立ちあがり、2人の息子らにより支えられた。それから布告者は踊り場を進んで、この勅許状を手渡しし、そこで広間全体から「アプンナの民ばんざい!」の叫びがなされる。そして布告者は片方の子供から葡萄の房を手に取る。これは精巧にうわぐすりが塗られていた。この聖なる島で男性が多い時は、この葡萄は紫に塗られ、太陽がその頂点に置かれる。そして女性が多い時には、黄緑色に塗られ、三日月が尖端に置かれた。この葡萄は家族の子孫の数だけあった。この黄金の房を布告者は薔薇十字の父に与え、そしてこの父もまた、自らの家系の先に選んだ子へと渡した。これは、その者に名誉の記章として以後扱われた。


 この儀礼が終わった後、薔薇十字の父は退き、しばらくしてからの晩餐会で再びやってきた。この時には単独で板の下で座り、聖なる館の後継者以外の他の子らは一緒に座らない。彼は自らの息子らのみに仕えられている。女性らは彼に向き合って立ち、壁にもたれている。この部屋の踊り場の下には、大いに丁重に仕えてきた客人らのためのテーブルが置かれている。晩餐会の終わり(これらの大祭では、1時間半を超える事はなかった)で、賛歌が歌われ、それらは作曲家の発明(彼らは優れた詩人だからである)によって様々であったが、常にアダム、ノア、アブラハムを称える内容があった。前者2人は、世界の民の父であり、アブラハムは信仰の父だからである。それから我らの救い主イエス キリストへの感謝によって終わる。その誕生によってのみ、全ての誕生した者らは祝福されるからである。晩餐会が終わると、薔薇十字の父は私的な祈りをするためにまた退き、全ての子孫らに祝福を与えるために三度目に来る。まず周囲にいる者からなされ、彼が望む順に祝福が与えられる。もっとも年齢順で無い事は稀であった。人々は呼ばれ(その前にテーブルは片付けられていた)、椅子の前で跪き、父はその手を額へと置いて、これらの言葉によって祝福を与えていた。「この聖なる島の息子(あるいは娘)よ、その御言葉によって汝が息をして生きている、その父はこう述べる。世々限りなく続く父、平和の君、聖霊が汝にあらんことを。そして汝の巡礼の日々が幸いで長く続かんことを。」それから、息子らの中で卓越した美徳を持つ者がいたならば、彼は再び彼らを呼び、立っている彼らの肩へとその腕を置いて、こう述べる。「息子らよ、汝らはよく生きてきた。神を称えて、終わりまで保つのだ!」それから、小麦の粒の形の宝石が全員に渡され、彼らは以後はターバンの前にそれを身に着けるようにした。これが行われると、音楽と踊り、その他の娯楽がなされた。これが薔薇十字の祝祭の完全な進行である。


 6、7日ほど費やしているうちに、私はこの町のニコラス ワルフォードという名の商人と、その部下のセーデ ジョン ボッカーと顔なじみとなった。彼はユダヤ人で割礼をしていた。この町には僅かにユダヤ人がおり、人々は彼ら自身の宗教を許していたからである。そして彼らはより良く行っていた。なぜなら、世界の他の場所のユダヤ人とは大きく違い、彼らは我らの救い主イエスを高く称えていて、ハッサロニアの国を大いに愛していたからである。私が話したこの者らは、キリストが処女から生まれ、人以上の者である事を常に認め、神がいかにしてその御座を守護するセラフィムの長に任命したかを語った(「世界の調和」の書を参照)。彼らはキリストを、エメフトの乳の流れる道や、メシアのエリヤ、その他多くの名で呼んでいた。これらは神の威厳より低かったものの、他のユダヤ人の言葉よりも遥かに高かった。アパミアの地、聖なる島、ハッサロニア、これらは同じ場所を表しているが、この者は終わり無くこの地を称えていた。また、ここでのユダヤ人の間では、彼らがナホランと呼ぶアブラハムの別の息子の子孫であり、モーセが秘密のカバラ(「知恵の神殿」の書の第4巻を読むのだ)により定めたエルサレムの律法を今でも用いていて、そしてメシアが来たりてエルサレムの玉座に座った時、ハッサロニアの王はその足元に座り、他の王らは遠くに立っているだろうと信じていた。このユダヤの夢はともかく、この男は賢明で博識であり、この国の法と習慣に秀でているように思えた。


 他の対話とともに、私は彼に家族の祝祭に、我々の一部の者らを関連させたいと多く願っており、婚礼によって家族の繁栄が起きるので、結婚のためには何の法がここにあるか、一夫一妻制なのかを知りたいと望むと述べた。これに対して、彼はこう述べた。「あなたは家族の祝祭の優れた制度を称える理由があります。その祝福を受けた家族は、大いに繁栄しているからです。天の下でこのアパミアほどに控えめな国は無いと理解する必要があります。ここは世界の乙女です。私はあなた方のある賢者の書を読みましたが、そこで賢者は姦淫の霊を見たいと望み、それは小さく汚く醜いエチオピア人の姿で現れたとありましたが、彼がこの聖なる島の貞節の霊を見たいと望んだとしたら、それは美しいケルブの姿で現れた事でしょう。死すべき定めの人の中でも、この民の貞節な精神よりも称えられるものは無いからです。ここにはシチュー(売春)は無く、放蕩な館も無く、高級売春婦もいません。彼らはヨーロッパのあなた方がそのようなものを許している事に驚き、嫌悪し、あなた方は結婚の法を台無しにしていると言うでしょう。結婚は不法な情欲への薬であり、自然の情欲は結婚を刺激すると思われるからです。ですが人がその腐敗した意志により、必要以上の薬を求めるならば、結婚の法はほとんど失われます。そのため、あなた方には結婚をせず、自由で不純な独身生活を選ぶ無数の男たちがいるように思われます。そして結婚をする者らも晩婚で、その主要で力ある時代は過ぎているのです。彼らが結婚をする時には安い理由からで、家の間での同盟、立場、評判を求めてのもので、些細な理由からです。男とその妻との信義ある結合が第1の目的では無いのですか? また、その力を失っている彼らは、貞節な者らが行うようには、子供らをなす事も出来ないでしょう。結婚が必要からのみなされるならば、行っていても多くが改悪されるのではないですか? 堕落した場所や高級売春婦を求めるのは、それでは既婚者も未婚者も変わらないでしょう。堕落した習慣と、俗悪な抱擁の快楽(これらは罪がアートとされる)は、結婚を退屈なもの、重荷や税のようなものにします。あなた方はこれらを姦通、処女を犯す、変態性欲といったような、より大きな罪を避けるための必要悪だと援護するのを聞いていますが、それらの悪徳、欲望はなおも存在し蔓延り、不法な欲望は燎原の火のように広がっています。あなたがこの火を止めようとするなら、これらは静められますが、あなたがこれに空気を与えるならば燃え上がります。男性愛については、この島の者らは触れませんが、ここほど信義と侵されない友情がある場所は世界にありません。彼らは通常こう言います。不貞な者は自らを尊敬できず、人の自己への尊敬は、宗教に続いて、全ての悪徳への主な束縛となるのです」


 私はアパミアの正義は、ヨーロッパの正義より大きなものがあるように思えると告白すると、彼は頭を下げて、このように述べた。「また他にも結婚についての賢明で優れた法があります。彼らは複婚を認めません。また最初に出会ってから一ヶ月が経つまでは、結婚や接触をしないように定めています。両親の同意の無い結婚は無効とはしませんが、資産の継承の権利で罰則があります。そのような結婚で出来た子らは、彼らの両親の資産の3分の1以上を継承できません。私が読んだ、あなた方の書いた正当な常識とされる本では、結婚したカップルは、初夜にのみお互いに裸なのを見るのを許されるとありましたが、ここではそれらは好まれません。男や女の体に多くの隠された欠陥があるのを見つけ、その密接な知識を知った後に拒絶する嘲りとなると考えるからです。ここではほとんど全ての町に、幾つかのプール(アダムとイヴのプールと呼ばれています)があり、そこでは男女らの友人がお互いに沐浴する裸を見るのが許されています」


 我々がこのように対話していたら、豪華な服を来た使者が来て、このユダヤ人に何かを話すと、彼は私に向いてから述べた。「どうかお許しください。私は急いで行くように命ぜられましたので」翌日の朝に、彼は私のもとに喜びながら来て、こう述べた。「この町の市長から、薔薇十字の神殿、聖なる館の父らの1人が、7日後にこの町に来られると聞きました。我々は彼らの1人も、ここ十数年間、見たことが無いのです。この来訪は公式なものですが、その理由は秘密にされています。私はあなたとそのお仲間方に、その入場が見える良い席を用意しましょう」私は彼に感謝し、この知らせに大いに喜ぶと述べた。やがてその日が来て、この者が街路を行進するのを我々は見た。彼は中背で中年の人物で、顔立ちが良く、人々への憐れみ深い様相があった。彼は良質の黒布で、裾の広くケープのついたローブを着ていた。彼のインナー服は、優れた白いリネンのもので足元まで降りており、同じ材質のベルトを付け、その首から同じ材質のシドン、ティペットを降ろしていた。彼は様々な宝石が付いた奇妙な手袋をはめ、その靴は桃色をしたビロード織であった。その首は肩まで露出され、帽子はスペインのモンテナのような形をし、髪の房はブラウン色で、下へと丁寧にカールしていた。その髭は口元を覆い、髪の毛とほぼ同じ色だが、より明るかった。彼は車輪の無い豪華なチャリオットに乗り、それを引く2匹の馬も豊かに飾られ、ビロードの刺繍を靡かせており、それらの横で同様に正装した2人の従者らが引いていた。チャリオットは杉の木により造られ、輝く水晶で飾られ、その前面には金で縁取られたサファイアの板があり、背面にはペルーの色のエメラルドの板があった。また中央の頂点から太陽のように輝く金があり、その前には金で出来た翼を広げる小さなケルブの像があった。このチャリオットは無数の金の点を吹き付けた薄絹で覆われていた。彼の前には50人の若者の先導者らがいて、全ては膝まで伸ばした白いサテンのコートを着て、その白いシルクの靴下を履き、靴は吹き付けられたビロードのものであり、帽子も同様で、その縁は様々な色の美しい羽毛で飾られていた。チャリオットのすぐ前の2人は帽子をかぶっておらず、リネンの衣を足まで垂らし、ベルトと靴はビロードのものであり、片方は司教杖を、もう片方は羊飼いが使うような牧羊者の杖を持っていた。司教杖はシュロの木で、牧羊者の杖は杉の木で造られていた。騎手らは、困難や騒動を避けようとしていないように見えた。このチャリオットの後ろには、この町の全ての役人や要人らが従っていた。彼は単独で豪華な立毛のクッションに座り、その足の下には、ペルシア人のものに似ているが、より繊細な、シルクの様々な色の奇妙なカーペットが敷かれていた。彼は両手を上げて、沈黙のうちに人々に祝福を与えていた。街路は驚くほど秩序を保っていた。同様に窓は閉じられておらず、全ては置かれているかのように立っていた。


 この行進が去っていくと、ユダヤ人は私に告げた。「私はこの薔薇十字の父を歓待するよう町の者から任せられているので、これ以上あなたに付いていけない事をお許しください」そして3日後、彼は再び私のもとへと来てこう述べた。「あなたは幸福な人です。薔薇十字の神殿の父が、あなたがここにいるのに気づいて、あなたとその仲間ら全てと謁見し、あなた方が選んだ1人と私的な対話をしたいと伝えるように私に命令しました。それらは明後日になすように決められています。そして、あなた方に祝福を与えるために、午前中にするように父は決められました」そしてこの日が来て、私が私的な対話をするように選ばれた。我々は彼が美しい部屋の中にいるのを見つけた。部屋には織物が豊かに吊るされ、足元にはカーペットが敷かれ、国のどの階級の役人らもいなかった。彼は豊かに飾られた背の低い座に座り、その頭には豊かな刺繍がされたサテンの布で覆われていた。彼の両側には2人の栄誉ある小姓らがいて、白い衣服で正装していた。彼のインナー服は、チャリオットに乗っていた時のものと同じだったが、ガウンを着る代わりに、今は同じく黒く美しい、ケープのついたマントを羽織っていた。我々は入り口で跪いて、彼の座の近くまで来ると、彼は立ちあがり、その手袋をはめていない両手を掲げて祝福の姿勢を取ると、我々全ては跪いて、そのティペットの端に接吻をした。これらが終わると、他の者らは退室して私のみが残った。それから彼は小姓らも退室するように命じて、私を彼の傍で座るようにさせ、スペイン語で以下のように対話をした。


薔薇十字団の真の歴史 13-9
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