薔薇十字団の真の歴史 16-2

ページ名:薔薇十字団の真の歴史 16-2

 これらの情報は、「薔薇十字団」という題名の結社の秘密の記録から転載したものである。これは1868年に最初に出版された、わずか12ページの季刊誌として現れ、後には月刊誌となって1879年まで続いた。この年に結社は別の再編がなされて、その以後の歴史は私は追跡できずにいる。これらの雑誌には多くの奇妙な内容が含まれている。初期の号では結社の目的について、以下のように宣言している。「現代まで継続的に発展している古の学と術を学ぶのを望む価値あるメイソンを集める。これらはまた、力ある者が正義とされ、お互いに攻撃し合い、そのような組み合わせが強者から弱者を守るのに不可欠であった、世界の暗黒時代からある神秘的な結社らの現存する全ての情報から精選している。」


 これらの目的は、少なくとも機関誌の内容を見る限りにおいては、非常にとりとめない方法によって満たされていた。メイソンリーの会合の報告、オカルトの性質の長期連載の物語、至高魔術師と価値ある兄弟らのいささか陳腐な詩が、10年間の機関誌の僅かなスペースの大半を常に占めていたのである。


 1871年にこの結社は会員らに、当結社は完全に非メイソンリーのものであり、唯一の例外はあらゆる志望者はメイソンリーに属する必要がある事のみであると伝えている。この混同の理由は、薔薇十字団とフリーメイソンリーの秘密の間の多くの類似点からである。そのため結社の目的は、純粋に文芸と古典に定められ、新しいメイソンの儀礼の普及を意図したものではない。「この結社は現在では144人の会員により構成され、第9位階、至高の魔術師に到達した3人の仲間に支配されている。そして、そのうちの72人はロンドン カレッジを構成し、36人は(ブリストルとマンチェスターの)2つの従属するカレッジに定められている。」1877年には、首都ロンドンを除いたあらゆるカレッジは、第9位階の者を除いた36人の会員に限定されていた。それらの者は各位階へと定められていた。


 1. 神殿の師 VIII゜
 2. 罷免達人 VII゜
 3. 大達人 VI゜
 4. 小達人 V゜
 5. 哲学者 IV゜
 6. 実践者 III゜
 7. 理論者 II゜
 8. 熱心者 I゜


 この数は首都のカレッジでは倍増されていた。だがこれらの配置は、空席が出来るまでの定員外の会員を受け入れる事で、実質的には放棄されていた。ヨークシャー カレッジは1877年に設立され、スコットランド東部を管轄するエディンバラ カレッジはそれ以前の頃に設立されていた。


 この結社の主な活動家は、小ロバート ウェントワースで、1878年に38歳で亡くなっている。ロバートは至高魔術師であり、イングランドの薔薇十字団の事実上のリバイバルは、この人物の指揮で行われている。名誉議長の座は、様々な貴族に与えられており、先のリットン卿は大パトロンに選ばれている。これらの間でも最も重要な会員らは、フレデリック ホックリー、ケネス マッケンジー、ハーグレイヴ ジェニングスを挙げねばなるまい。


 この結社と関連する最も注記すべき性質として、会員らの間に蔓延しているように思える、一般に薔薇十字主義と関連するとされる全ての事柄への完全な無知であり、これらは出版雑誌に目立っている。兄弟ウィリアム カーペンターは、兄弟ジェニングスの作業から多くの啓明を受けていないと不満を述べ、自らを「教えられていない思弁家」と呼び、兄弟ウィリアム ヒューガンは達人と認められているが、ドイツに最初に現れた「名声」や「信条」の存在に気づいていないように思えるなど。そして兄弟カーペンターは疑問について自分の中に留める方が良いと考えるようになった。「質問を出したら、それを解こうとする全ての者らを紛糾させるからである。」カーペンターは、これは驚異的すぎ、高すぎて、得る事が出来ないと謙虚に告白する。同時に彼は、多く乱用されてきた薔薇十字の用語の新しい定義にも乗り出しており、それは兄弟団により教えられてきた、ros(露)の助けによって光を得るのではなく、rus(独居)からであって、それはこの「教えられていない思弁家」の哲学の能力の結論であった。1872年、会員らは、結社は元の意図をほとんど為されていないのを見い出していたように思える。「会員らの大半は、薔薇十字の伝統を僅かにしか解明しようと努めていない。」だが、この批判にも関わらず、状況はほとんど変わらずにいた。オカルティズムの輝ける光、兄弟ケネス マッケンジーの第6位階への秘儀参入で改革の期待は高まったものの、それもまた秘密主義の闇の中に隠されていった。私が様々なカジュアルな発言の中から集めたもののうち、「英国薔薇十字兄弟団」のバランスの取れた意見では以下のようなものであった。アンドレーエは「名声」と「信条」の著者と関連しており、「化学の結婚」で記されているクリスティアン ローゼンクロイツの友愛団は、実体としての存在は無かったが、薔薇十字主義の哲学的なセクトを引き起こし、この名前はトーマス ヴォーンの言葉では、神秘的な主張のあらゆる類を含む用語となった。


 この無害な組織は、オカルティズムの学徒らから淡い共感を受けている。「この結社は毒にもならないが、薬にもならない。そうであったとしたら、遥かにマシであったろうに。」この結社の性質は、最も信じやすい志望者も欺けずにいた。会員らの一部は、自らを闇と神秘で覆い、欺きの意図で自らを薔薇十字団員と宣言していた。これらの者らは、僅かな――ごく僅かな――微かな――実際には非常に微かな――信者と崇拝者らを見い出していた。他の者らは、この結社は別の組織の仮面であると主張したが、追い詰められた信じやすさと暴露された詐欺の最後の拠り所であった。さらにヨーロッパの他の部分やアメリカにも似たような結社、例えばボストンの薔薇十字団があった。


 この近代の薔薇十字系結社の章の結論として、我が読者に警告をしたいが、出版のサークルの内部であろうとも外部であろうとも、自らを薔薇十字団員と主張する者らは、単純に疑似友愛団の会員であり、彼らの主張と「本質的に嘘で造られた」事の違いがある。真の薔薇十字団は――そのような具体的な組織が存在したとしても――歴史の表舞台から速やかに消え去っており、これらを取り巻く神秘の魅惑は、ロマンスや詩の錬金術の変容の多産な第一形質となり、伝説の場へと置いているのである。ハーグレイヴ ジェニングスによって2つの奇妙な伝説が記されているが、その精神の捻じれ具合から、両方の場合も、序文で述べたように、自らの想像力で詳細を作った価値無き信用できない物語で、その情報源は慎重に他者――もちろん匿名の――に帰するものにしている。それらの1つは、薔薇十字団員の墓の発見とされるものである。ジェニングス氏はこの伝説の権威として、プロットの「スタッフォードシャーの歴史」を引用する。私は慎重に、この「読むのが困難なほど古い」大著を調べたが、引用元を発見できずにいる。1712年5月15日のスペクテイター紙は、元の物語を引用しており、「高名な秘教文献の」疑似歴史の学徒へ、比較のためにここに記す事にする。ハーグレイヴ ジェニングス氏は、これは「貧しく、効率的ではない」と評しているが、この意見は自らの私見のために、内容を改変する歴史の解釈者には珍しくは無い。


「ある男が、この哲学者(ローゼンクロイツ)が埋葬されているという地面を深く掘っていたら、その両側に壁がある小さな扉を発見した。好奇心と隠された宝を見つける期待は、すぐにこの男を扉を開くようにさせた。すると、この男はすぐに、中からの輝く光に驚かされ、非常に綺麗に整った地下室を発見した。その奥には、鎧を付けた像があり、テーブルの上に座り、その左腕でもたれていた。その右手は棍棒を持ち、その前には燃えるランプが置かれていた。この男はすぐに地下室へと入ると、彫像はもたれていた姿からまっすぐに立ちあがって、この男がさらに1歩を進むと、その右手の棍棒を持ち上げた。この男はなおも3歩目を進むと、彫像はランプを激しく叩きつけ、千の破片とし、この招かれざる客人を突然の闇の中に落とした。


 この冒険の報告を受けて、その地方の住人らはすぐに地下室へと灯りを持って向かい、この彫像を発見した。これは真鍮で造られ、時計細工の塊のようだった。地下室の床は全てゆるく、その下には幾つかのバネがあり、誰にせよ部屋に入ると、自然と先の出来事を起こすようになっていた。


 ローゼンクロイツはその弟子らに、古代の燃え続けるランプを再発明したと世界に示すが、この発見の利益を誰も受けないようにするために、この方法を用いるよう伝えていた。」


 第2の物語は、さらに馬鹿げた内容である。ハーグレイヴ ジェニングス氏は、これを「優れた権威」と関連していると主張している。この権威とは、ジョン キャンベル博士の「蘇ったヘルミプス、あるいは古代と墓への賢者の勝利」という題の本であり、その中にある1687年の「歴史の記録」とされるが、誰もそれを証明できず、ウィリアム ゴドウィンの説では、これは編者の想像力に富む脳の中以外には存在しないだろうと述べている。


「これは1687年に、ヴェネツィアで奇妙な偶然により起きた事で、大きな騒動を引き起こしたが、忘却から救うために記録する価値があると私は考える。この町は良き見た目の者らに、住むと大きな自由と安楽を与えると充分に知られているので、シグノル グアルディという名の異邦人が来たのも驚く事ではない。この者はそこで充分な数の者らに最良の仲間と認めさせていたが、誰もこの者の素性や過去に何をしていたかを知らなかった。この異邦人はヴェネツィアに数ヶ月逗留し、そこには3つの注目すべき点があった。第1に、この者は僅かな絵画を持ち、望む者には見せていた。次に、この者は全ての術や学に熟達し、それらの全てを巧みに語り、聞いた者全ては圧倒された。そして第3には、この者は文字を書いたり受け取ったりはせず、銀行のクレジットを望まず、為替の証書を用いたりもせず、常に現金で払っており、派手ではないが、上品に暮らしていた。


 ある日、この紳士はコーヒーハウスで、優れた絵の目利きであるヴェネツィア貴族と出会った。この貴族はシグノル グアルディの絵のコレクションを聞いて、丁重にそれらを見たいと望み、同意を受けた。このヴェネツィア人がシグノル グアルディのコレクションを見て、これほどの物を見たことが無く感銘を受けたと述べた後に、その目が偶然に部屋の扉に吊るされた絵を見て、ヴェネツィア人は述べた。「この絵はあなたを描いたもののようですね」するとシグノルは頭を軽く下げた。ヴェネツィア人はさらに述べた。「あなたの見た目は、50歳のように見え、私はこの絵がティツィアーノの作であるのを知っていますが、彼は130年前に亡くなっていますよ。どうしてこれが可能なのでしょう?」するとシグノル グアルディは重々しい声で述べた。「可能な全ての事柄を知るのは容易ではないですが、ティツィアーノの書いた絵のように、私の存在には何の犯罪もありませんよ」ヴェネツィア人は、その喋り方からこの異邦人が不快に感じているのを容易に察し、そのため部屋を去ったのだった。


 この貴族は、この事を夜に友人らに話すのを抑えられず、彼らは満足を満たすために翌日に絵を見に行く事にした。そのため、シグノル グアルディが来る時間帯のコーヒーハウスで待ち構えたが出会えず、その中の1人はよく彼と会話をしていたので、問い合わせるためにその住居へと向かった。だがそこで聞いたのは、この異邦人は1時間ほど前にウィーンへ行くべく去ったという。この出来事は大きな騒動を引き起こし、ヴェネツィアの全ての新聞に書かれたのであった。」そして、この神秘的なシグノル グアルディは「薔薇十字団員と疑われた」。


 後の時代の定評のあるフィクション小説らは、時たまに薔薇十字団を小説の読者層に紹介していた。それらは、シェリーが17歳の時に書いた支離滅裂で価値の無いロマンスの「聖アーヴィン、または薔薇十字団」、リットン卿の「ザノーニ」、パスカル R.ランドルフの「薔薇十字団の物語」などである。この最後の著者は黒人との混血アメリカ人で優秀な人物であり、他に「Divine Pomiander」を翻訳している。後には短命の薔薇十字の出版会社を設立し、突然の自殺で波乱の生涯を終えたが、現在でも一部の心霊サークルで敬意をもたれ、時には「心霊交渉」される事もあるが、その内容は平均的なものである。英国薔薇十字協会の公的な組織も、その「古の」イルミナティの秘密で秘教のサークルに、「薔薇十字団員の日記の諸ページ」を与えており、これは第9位階のケネス マッケンジーの優秀なロマンス小説である。


薔薇十字団の真の歴史 結論
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