薔薇十字団の真の歴史 15

ページ名:薔薇十字団の真の歴史 15

第15章 薔薇十字団とフリーメイソンリーとの繋がり


 ブール教授は、その著書の結論の「メインテーゼ」として、「概ね、フリーメイソンリーはイングランドへと輸出され修正された薔薇十字団である」と断言している。だが教授のこのエレガントで興味深い仮説は、顕微鏡で見るしかない僅かな実際の事実の基盤の上に成り立っている。ロバート フラッドはガッサンディの書簡への返答の中で、R.C.友愛団は、以後はサピエンテスやソポスと呼ばれるようになったと述べている。このドイツ人批評家(ブール教授)は、この文への明白な注釈として、団の古い名前は捨て去られたが、新しい名前はまだ決められておらず、さらに重要なヒントとしてメイソンという名前は、薔薇十字団の「聖霊の館」の伝説から導かれたものだと述べている。この館は寓意的な建物であり、結社の秘密の目的を象徴しているという。そしてケント地方の高名な薔薇十字団をフリーメイソンリーの父としてから、ブール教授は空想的な探求に乗り出し、その犠牲となった諸書から「証拠」を拾い集めようとし、やがては先に述べたようにフラッドが自著ではないと述べた「Summum Bonum(至高善)」の書の中に見い出した。そこでは、イエスは人間の神殿のlapis angularis(隅の親石)であり、この中で人は石打にされ、この著者はその弟子らを「死者から生ける哲学の石へと変容した」と呼ぶ。これを基盤として教授は薔薇十字友愛団がメイソンリー結社へと変化したという仮説全体を建てている。言うまでもないが、これは根拠薄弱で不満足の極みである。


 私はフリーメイソンリーの起源について議論するつもりはない。その厄介な疑問は、これまで延々と議論されてきたが、満足な結果を生みだしていない。私がここで言いたい事の全ては、メイソンリーと薔薇十字団の間には追跡可能な繋がりは何も無い事である。メイソンリーはその参入者らから「倫理の学で、寓意によりヴェールをかぶせられ、象徴により啓明され」、また「寓意と象徴により教える教義の体系で(略)その儀礼は外的な追加であり、内容には影響しない」と定義されている。そして神との一致と魂の不死の2つの教義は、「フリーメイソンリーの哲学性」を構成している。だがこの結社の歴史のどの期間にも、薔薇十字友愛団の主要な目的であった、科学的な探求や自然の実験的な研究の組織であった事は無かった。メイソンリーは錬金術や魔術の超越的な秘密、あるいはどの医療の技術を保有すると主張した事も無く、それらのいずれにも関心を持った事も無い。メイソンリーは元は自然の倫理を伝播する組織で、今では単純に共済の結社である。人類の進歩と博愛主義の拡張は、過去も今もこの結社の主張する目的であり、薔薇十字団の夢でもあったが、一方でこの結社は術や学の改革を目的とした事は無かった。メイソンリーはその歴史の全ての期間で学者の結社であった事は無く、その会員の大半は無学な階級から選ばれていたからである。メイソンリーは薔薇十字団の狂信的な熱狂や過ちから自由であった。確かに一時期はカトリック信者を入会させるのを拒んでいた事もあったが、それはカトリック教会が会員らを破門し非難していたからであり、この結社はこの時代の偏見や狂信の影響をほとんど受けていなかった。この結社はキリストの再来説に自らを捧げたりせず、教皇を反キリストと呼ばず、総体的な大変動を期待したりもしなかった。この結社は自然の倫理を教えており、よく誤解され、特にその神秘的な象徴から疑われているが、神秘主義に対しては僅かにしか興味を持たなかった。


 ブール教授の説を信じている者らは、フラッドが薔薇十字団員やフリーメイソンである証拠を示せずにいる。何らかの理由で薔薇十字団が様々な組織へと分裂したと信じられているが、それらがフリーメイソンリーへと発展したと示せる証拠は何も無い。マッケイはこれらの組織は18世紀の半ばまで存続したが、ブーンという名の首領の1人の死と共に活動停止したと述べているが、その正当性を示す事もできない。またマッケイは、薔薇十字団の中から1777年に「黄金の十字の兄弟団」と呼ばれる組織が設立されたと述べ、シグムンド リヒターがこの組織について更にこう述べている。「この結社の支部はドイツで多数設立され、さらに外国、特にスウェーデンにも拡張していた。そして薔薇十字団からの第2の分裂は、1780年に建てられた「アジアの秘儀参入された兄弟団」と呼ばれる結社で、その目的は親結社と同様に、錬金術や自然の諸学の総合であった。1785年にこの結社は警察の注意を惹き、その2年後には結社の秘密の全てがローリングという名の裏切り者によって暴露されるという致命的な打撃を受けた。」


 これらの内容は値どおりに取らねばなるまいが同等に疑わしく、それらは最も根拠のない類や、拷問によって得た引用などにより支えられている。だが、適格なメイソンらの意見のコンセンサスから、私はブール教授の観点を拒否せねばならない。マッケイは自著「フリーメイソンリーの象徴主義」の「要約的な索引」の中で、薔薇十字結社はメイソンリーと、その組織やその探究の目的の一部が似ていると認めつつも、「フリーメイソンリーとはまるで繋がりが無い」と述べる。また「用語集」でも、「薔薇十字団はメイソン友愛団とは何の繋がりも無かった」と語り、「ジャコバン主義の回顧録」でのバルエルのように、2つの組織を同一視しようとするのは、悪意のある中傷である。そして他の権威者も同様に語っている。


 フリーメイソンリー内の薔薇十字位階の秘儀参入の存在が、これらの混同の主な原因となっている。半可通の人物が、メイソンリーの位階の中には「薔薇十字の至高の君主」や「ヘロデ王の薔薇十字の君主」などがあると聞いたら、このオカルト結社の輝ける秘儀参入者らと、神秘的で荘厳な薔薇十字団とを自然と同一視するようになろう。この薔薇十字位階の起源は、最も深遠な神秘に含まれている。その起源はヨハン ヴァレンティン アンドレーエに帰するとされるが、そこからこのヴィルテンベルクの神学者とクリスティアン ローゼンクロイツの結社との愚かな混同が起き上がっている。18世紀の半ばまで、これらの位階の存在した証拠は無い。もっとも「フリーメイソンリー百科事典」では、この位階は1100年にパレスチナで(第1回十字軍指導者の1人の)ゴドフロワ ド ブイヨンにより設立され、薔薇は秘密の、十字は不死の象徴であると述べている。この位階では錬金術の霊的な側面と、バジル ヴァレンタイン、パラケルスス、クヌートが求めていたのと同じ神秘的な石の追求、心理化学的変容の真の「哲学的増殖」を扱う。だがこの浅い主張では誰も欺けなかった。真の「大いなる作業」の深淵な伝統は、超越的で霊的な秘密のみを指しており、メイソンの陳腐で退屈な倫理の決まり文句ではないのである。つまり、メイソンリーの無学な秘儀参入者らは、不明瞭な錬金術の用語を誤って用い、錬金術の象徴主義をプネウマ的ではなく倫理的に解釈するという、粗雑で豚のような過ちに陥ったのである。ともあれ、薔薇十字の至高参事や至高君主、鷲とペリカンの騎士、完全な師の君主らには、高貴な食事を続けさせようではないか。これらの美食の密儀の秘儀参入者としての深遠さを誰も論争したりはしないだろうが、大建築家の名のもと、彼らには教義の真の息子らへの、哲学的な金の倫理的で探究不能な密儀を続けさせようではないか。


 この薔薇十字の位階は、カーライルからはメイソンリーの極致を表すとされた。この位階には3つの儀礼があり、最初の2つは至高参事と呼ばれ、第3は神秘家の夕食会と呼ばれ、1年に4回行われていた。議長役の司官は「常に最も完全な主権者」の深遠な称号で呼ばれ、2人の監督官は「最も素晴らしく完全な兄弟」と呼ばれていた。また、儀礼の師もいて、他の参加者らは「最も敬意を受ける騎士たち」と呼ばれた。結社の毎年の祝祭は四旬節の灰の水曜日の前日に行われていた。マッケイによれば、結社の装身具は「円の16度、あるいは22.5度の角度に広げられた黄金のコンパス」であった。またカーライルは、コンパスと四分円によって造られた三角形としている。「コンパスの足の間には十字架があり、四分円の上に置かれていた。その中心には花開く薔薇があり、それらの2本の茎が十字架の下の部分を取り囲んでいた。この十字架の足元で、薔薇が示されたのと同じ側には、仔を養うために自らの胸を開き血を流すペリカンが描かれ、その周囲には巣が取り囲んでいる。そして別の側には、翼を開く鷲の図が描かれていた。円の弧の部分には、結社の位階を表す暗号でP∴W∴の文字が彫られていた。」さらにその頭には三重冠がのせられている。これらの象徴は疑いなく薔薇十字団からもたらされたもので、これが両結社にあるとされる繋がりの全てである。そしてこのフリーメイソンリーの薔薇十字位階は「近代の発明品」であるのは疑いない。この位階の3つの祝祭儀礼については、カーライルの「フリーメイソンリーの儀礼」と、ヘッケソーンの「全ての時代と国々の秘密結社」の第1巻の中に見い出せるであろう。


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