バヒールの書 3-3

ページ名:バヒールの書 3-3

101. ラビ ベラヒアーは座ると述べた。
 私が述べてきたルラヴとは何か? これは32(ラヴ)に与えられた36(ル)である。
 ではどのように行うのか?
 ラビは答えた。軸、圏、心の3人の君主らがおり、それぞれには12(の働き)があり、そのため合計で36あり、これらによりこの世界は養われている。よって、(箴言 第10章25節に)「義はこの世界の基盤である」と書かれている。


102. 私が学んだ事に拠ると、天から地へと降りる単独の柱があり、その名は義(ツァディク)である。
 この柱は、義を意味して名付けられた。世界に義人らがいる時には、この柱は強くなり、いない時には弱くなる。
 そして「義はこの世界の基盤である」と書かれているように、世界全体を支えている。
 そのため、神は義人から捧げられたものをまず最初に取る。それから、残りの(出エジプト記 第25章3節の)「彼らから受け取るべき捧げ物」を取る。それは何か? 「金、銀、銅」である。


103. 別の説明もある。
 (出エジプト記 第25章2節に)「私(リ)に捧げる物を受け取りなさい」と書かれている。この「リ」は、「ヨドに」とも読める。捧げものを聖なるものとするために、10番目のヨドへと捧げる必要がある。
 この10番目が聖なるものと、どのように知るのか? なぜなら、(レビ記 第27章32節に)「10番目に通るものは、主に聖なる物である」と書かれているからだ。
 何が聖なるものか? それについては、(エゼキエル書 第44章30節に)「全ての物の初なりの初物、および全てあなたがたの捧げる諸々の捧げ物」と書かれている。
 さらに(詩篇 第111篇10節にも)「主を恐れることは知恵のはじめである」と書かれている。だが、これは「恐れること」とは読まずに、「恐れと」と読むべきだ(よって、「主を恐れるのと知恵ははじめである」と読む)。


104. 弟子らはラビ エリエゼルに尋ねた。我が師よ、(出エジプト記 第13章2節の)「全ての初子、すなわちすべて初めに胎を開いたものを、人であれ、獣であれ、みな、私のために聖別しなければならない」の意味合いは何か? 祝福された聖なる御方には初子がいるのか?
 ラビは答えた。「全ての初子を私のために聖別する」というのは、第二義的な聖なるもの以外の何物でも無い。
 これは、(出エジプト記 第4章22節に)「主はこう仰せられる。イスラエルは私の子、私の長子である」と書かれているように、イスラエルに対して与えられた名前である。
 さらに言うと、エジプトでの迫害に遭っていた時期に、この子はイスラエル人の事であった。そのため、(出エジプト記 第4章23節に)「(ファラオに対して)私の子を去らせて、私に仕えさせなさい」と書かれている。ここでは「子」とのみあり、「長子」とは限らない。
 ラビ ラフマイは述べた。
 (申命記 第22章7節の)「必ず母鳥を去らせ、ただ雛だけを取らなければならない」の意味合いは何か? 何故に、「父鳥を去らせ」とは言わないのか?
 だが聖書は、世界の母と呼ばれる者を称えるために、「必ず母鳥を去らせ」と述べている。よって(箴言 第2章3節に)「あなたは理解を母と呼ぶべきだからである」と書かれているのだ。


105. では、その次の「ただ雛だけを取らなければならない」の意味合いは何か?
 ラビ ラフマイは述べた。これらは彼女が育てた子供らである。では、これらは誰か? これらは創造の7日間であり、仮庵の祭の7日間である。
 では、週の7日間と仮庵の祭の7日間には違いがあるのか?
 その違いは、仮庵の祭の7日間は最も聖なるものである。これらについては、(レビ記 第23章36節に)「これは聖会の日である」と書かれている。
 (弟子らが尋ねた。)では、何故に7週間後のシャヴーオートの祭日も含まないのか? これもまた(レビ記 第23章21節に)「聖会」と書かれていないのか?
 ラビは答えた。然り。だが、これは第1の日であり、他は第2である。よって、(出エジプト記 第12章16節に)「あなたがたは第一日に聖会を、また第七日に聖会を開かなければならない。」と書かれている。
 それからラビは述べた。
 何故に、シャヴーオートは第1の日なのか?
 なぜなら、この日にトーラーがイスラエル人に与えられたからだ。そして、トーラーが始まりの時に創造された時、祝福された聖なる御方はこれと共に単独であったからだ。よって、(詩篇 第111篇10節に)「主を恐れるのと知恵ははじめである」と書かれている。そして、神は「このトーラーは、自ら聖なるものである」と述べた。
 では、仮庵の祭とは何か?
 ラビは答えた。ベートの文字は、家(バイト)と繋がりがある。よって、(箴言 第24章3節に)「家は知恵によって建てられ」と書かれている。
 では、仮庵の祭が家と関連があるとどう知るのか? それは(創世記 第33章17節に)「ヤコブは立ってスコテに行き、自分のために家を建て、また家畜のために小屋(仮庵)を造った。これによってその所の名はスコテと呼ばれている」と書かれている事からだ。


106. ラビ ベラヒアーは座ると述べた。
 では、軸(テリ)とは何か?
 これは、祝福された聖なる御方の御前にあるものと似ている。よって、(雅歌 第5章11節に)「その髪の毛はうねっていて(タルタリム)」と書かれている。
 では、圏とは何か? これは子宮である。
 では、心とは何か? これについては、(申命記 第4章11節に)「天の心へと」と書かれている。そして、この中には知恵の32の神秘的な小路も含まれている。


107. では(民数記 第6章24-26節の)「願わくは主(יהוה)があなたを祝福し、あなたを守られるように。願わくは主(יהוה)が御顔をもってあなたを照し、あなたを恵まれるように。願わくは主(יהוה)が御顔をあなたに向け、あなたに平安を賜わるように」の節の意味合いは何か? 
 これは祝福された聖なる御方の明白な御名、יהוה יהוה יהוה の12文字を含む御名である。
 これは神の御名は3つの集まりで構成されるのを教える。それぞれの集まりは他と似ており、ぞれぞれの御名は他の御名と似ている。これら全てはヨド ヘー ヴァウ ヘーにより定められている。
 だがどのようにか?
 ヨド ヘー ヴァウ ヘーの4文字は、24の違った組み合わせがあり、1つ目の集まり、すなわち「願わくは主があなたを祝福し」を形成する。
 似たように、2つ目の集まり、「願わくは主が御顔をもってあなたを照し」を形成する。これらには祝福された聖なる御方の24の御名がある。
 似たように、3つ目の集まり、「願わくは主が御顔をあなたに向け」を形成する。これらには祝福された聖なる御方の24の御名がある。
 これは(天の)各軍団には、24の指揮官、士官らがいるのを教える。この24を3倍にすると、祝福された聖なる御方の72の御名となる。
 これらの72の御名は、(出エジプト記 第14章19-21節の)「このとき、イスラエルの部隊の前に行く神の使は移って彼らの後ろに行った。雲の柱も彼らの前から移って彼らの後ろに立ち、エジプトびとの部隊とイスラエルびとの部隊との間にきたので、そこに雲とやみがあり夜もすがら、かれとこれと近づくことなく、夜がすぎた。モーセが手を海の上にさし伸べたので、主は夜もすがら強い東風をもって海を退かせ、海を陸地とされ、水は分かれた」の諸節から導かれている*1


108. では、士官らとは誰か? 私が学んだ事によると、それらは3人いる。
 (神の)力は、全ての聖なる陣形の士官であり、祝福された聖なる御方の左側にいる。
 その名はガブリエルという。
 祝福された聖なる御方の右側にいる士官は、ミカエルである。
 そして真ん中にいるのは真理であり、それはウリエルである。(中央にいる)全ての聖なる陣形の士官である。
 各士官はそれぞれ24の陣形を指揮している。だが、(ヨブ記 第25章3節に)「その軍勢は数えることができるか?」とあるように、この陣形の下にある軍勢の数は数えきれない。
 だがあえて数えると、72と72を足して、総数で144ある。
 ラビは述べた。だが、この場合には違う。イスラエルが天の父への捧げものをもたらした時、それらは共に結び付いているからだ。これは我らの神との一致である。


109. 何故に捧げものは、カルバン(「近くにもたらす」の意味)と呼ばれるのか?
 なぜなら、これは聖なる諸力の陣形らを近くにもたらすからだ。よって、(エゼキエル書 第37章17節に)「あなたはこれらを合わせて、一つの木となせ。これらはあなたの手で一つになる」と書かれている。
 では、この捧げものは何故に「喜ばしい香り」と呼ばれるのか?
 香りは鼻からのみ得られる。嗅覚は息を通じて得るものであり、それは鼻以外では得られない。
 また「喜ばしい(ニホアフ)」は、「降りる」以外の何物でも無い。よって(レビ記 第9章22節に)「アロンは降りた」と書かれている。タルグム(アラム語聖書)ではこれを(ニホアフと同じ語源である)ヴェ=ニヒトと訳している。
 香しい霊は降りていき、これらの聖なる陣形らと結び付き、捧げものを通じて自らを近くへともたらす。これが、捧げものがカルバンと呼ばれる理由である。


110. (出エジプト記 第14章19-21節の)「このとき、イスラエルの部隊の前に行く神の使は移って彼らの後ろに行った――」の3つの節から導かれた御名がある。
 第1の節「このとき、イスラエルの部隊の前に行く神の使は移って彼らの後ろに行った。雲の柱も彼らの前から移って彼らの後ろに立ち、」の文字らは、正当な順(右から左へと読む順)で、この御名を配置する。
 第2の節「エジプトびとの部隊とイスラエルびとの部隊との間にきたので、そこに雲とやみがあり夜もすがら、かれとこれと近づくことなく、夜がすぎた」の文字らは、逆向きの順で御名を配置する。
 第3の節「モーセが手を海の上にさし伸べたので、主は夜もすがら強い東風をもって海を退かせ、海を陸地とされ、水は分かれた」の文字らは、第1の節と同様に、正当な順で御名を配置する。
 それぞれの節には72の文字を持つ。
 そのため、72の各御名は、これら3節から導かれた3文字をそれぞれ含んでいる。
 これらが72の御名であり、それぞれ24からなる3つの部分に分かれている。
 そして、それぞれの部分には、1人の指揮官がいる。
 それぞれの部分は、東西南北の4方向を(それぞれ6つずつ)持つ。この4方向を合わせると、24の陣形となる。これは第1も、第2も、第3も真実である。
 これら全ては、יהוה、イスラエルの神、生ける神、シャダイ(全能者)、いと高き、天に永遠に住まう者、その御名が聖なるיהוה である方に封じられている。その栄光の御名に祝福あり、その王国は世々限りなく続かんことを。


111. ラビ アヒライは座ると述べた。
 「神(יהוה)は王である。神(יהוה)は王であった。神(יהוה)は世々限りなく王であろう」の節の意味合いは何か?
 これは明白な御名(シェム ハ=メフォラシュ)であり、これらを置き換え述べるように定められている。よって、(先に述べた祭司の祝福について、民数記 第6章27節に)「こうして彼らがイスラエルの人々のために、私の名を唱えるならば、私は彼らを祝福するであろう」と書かれている。
 これは、12文字による御名を指している。これは祭司の祝福「願わくば神があなたを祝福し」で用いる御名であり、(それぞれが4文字からなる)3つの御名で構成され、合計で12文字となる。
 その母音点は、ヤファアル、イファオエル、イフオル(Yapha’al Y’pha’oel Yiph’ol)である。
 これを保ち、聖なる場で唱えるならば、その祈りの全ては神の御許にて聞かれる。それだけではなく、その者は天と地から愛され、即座に祈りは答えられ、助けられよう。
 これはアロンの額に書かれていた明白な御名である。
 これら72文字の明白な御名と、12文字の明白な御名らは、祝福された聖なる御方から、天の幕の御前に立つ天使メサマリアーへと授けられた。そして、(この天使は次に)カルメル山で預言者エリヤへと授け、これらにより預言者は天へと(生きたまま)昇っていき、死を経験する事が無かったのだ。


112. 以下にあるのが、明白な聖なるいと高き御名である。これらは12の御名があり、それぞれがイスラエルの12部族と関連している。
 Ah-Tzitzah-ron
 Aklithah-ron
 Shemaqtharon 
 Demushah-ron
 Ve-Tzaphtzaphithron
 Hurmyron
 Brach Yah-ron
 Eresh Gadra-aon
 Basavah Monahon
 Chazhavayah
 Havahayryhah
 Ve-Harayth-hon
 これら全ては、天の心の中に含まれている。
 これらは男と女を含んでおり、軸、圏、心の全てに与えられており、知恵の泉である。


113. ラビ ラフマイは座ると述べた。
 イスラエルの12部族とは何か?
 これは、祝福された聖なる御方は12の杖(シェヴェトという言葉は、「部族」と「杖」の両方の意味がある)を持つのを教える。
 これらは何か?
 これは何に似ているか? ある王が美しい泉を持っていた。その兄弟ら全ては、この泉以外には水を持っておらず、渇きに耐えられなかった。王は何をしたか? 王は泉に12のパイプを置いて、それらを兄弟の子供の名で名付けた。
 それから王は彼らに言った。「息子らが、その父と同じく善良ならば、価値ある者であり、余はこれらのパイプを通じて水を送ろう。それにより、父らは望むだけ水を飲め、息子らも同様である。だが、息子らが価値無き者で、我が目には正しい事をなそうとしないならば、これらはパイプは立てたままにしておくだろう。余はこれらの子供らには何も与えない水の状態にする。なぜなら、彼らは我が意志に従わないからだ」


114. (部族と杖の両方の意味のある)シェヴェトの言葉の意味合いは何か?
 これは単純で、正方形でないものである。
 その理由は何か?
 一つの正方形が別の(同じ大きさの)正方形の内側に含むのは不可能だからだ。内側に正方形のある円は動かせるが、内側に正方形のある正方形は動かせない。


115. 円であるものは何か?
 これらはモーセのトーラーの母音点である。それらは全て円である。これらは人の体の中に生きる魂のように、文字の中に生きる。
 魂がその中に住まない限り、人がこの世界に来るのは不可能である。魂無しには、人は大いなることも小さなことも述べるのは不可能である。
 同様に、母音点らが無い限り、大いなる事も小さな事も、言葉を述べるのは不可能である。


116. あらゆる母音点は円であり、あらゆる文字は正方形である。
 母音点は文字の命であり、これらを通じて、文字は保たされる。
 これらの母音点は、文字へのパイプであり、これらを通じて捧げものの香りは即座に降りていく。それゆえ、「神への降下する(喜ばしい)香り」と呼ばれ、これが神へと降下するのを示す。
 これが(申命記 第6章4節の)「イスラエルよ聞け。われわれの神、主は唯一の主である」の意味合いである。


117. ラビ ヨハナンは述べた。
 (出エジプト記 第15章3節の)「主はいくさびと(イシュ)、その名は主(יהוה)」の節の意味合いは何か?
 この人(イシュ)は、徴を示している。よってタルグムでは、「主はいくさびと」を「主は戦の勝利の支配者である」と述べている。
 この支配者とは何か?
 最初の文字、アレフであり、聖なる王宮である。
 私はこの王宮を聖なると述べたか? 無論、私は「聖なる御方の王宮」と述べた。


118. י(ヨド)はそれにより世界が創造された10の発言である。
 これらは何か? これらは真理のトーラーであり、全ての諸世界を含んでいる。
 ש(シン)の文字は何か?
 ラビは述べた。これは樹の根源である。このシンの文字は樹の根源に似ている。


119. あなたが述べた樹とは何か?
 ラビは述べた。これは祝福された聖なる御方の諸力を表しており、それぞれ上へ上へと並んでいる。
 普通の樹が水を通じて果実を産むように、祝福された聖なる御方も水を通じて樹の諸力を増大させる。
 祝福された聖なる御方の水とは何か?
 それは知恵である。義の魂である。これらは泉より大きな星へと飛び、上昇し、自らを樹と結びつける。
 これらは何を通じて飛ぶのか?
 イスラエルを通じてである。良く義があるものには、神の臨在は共に住む。
 そして彼らの行いは、祝福された聖なる御方の胸で安らぎ、満たし、増大される。


120. 神の臨在がツェデク(義)と呼ばれるのをどう知るのか?
 それは(申命記 第33章26節に)「あなたを助けるために天に乗り、威光をもって空(シェハキム)を通られる」と、また(イザヤ書 第45章8節にも)「義(ツェデク)をも生えさせよ」と書かれている事からである。
 (詩篇 第146篇10節に)「主はとこしえに統べ治められる。シオンよ、あなたの神はよろず代まで統べ治められる」と書かれているように、義はダヴィデ王に与えられた。また、(歴代誌上 第11章1節に)「ダヴィデはシオンの要害を取った。これがすなわちダヴィデの町である」とも書かれている。


121. 「よろず代まで」とは何を意味するのか?
 ラビ パピアスは述べた。それは(伝道の書 第1章4節の)「世は去り、世はきたる」である。 
 ラビ アキバは述べた。「世はきたる」とは、既に来ているものである。


122. これは何に似ているか? ある王が奴隷らを持ち、その能力に応じてシルクとサテンの衣服を着せていた。だが関係が壊れて、王は彼らを追い払い、衣服を取り除いた。彼らは自らの道で進んでいった。
 王は衣服を取ると、それらを一点の汚れが無いまでに良く洗った。王はこれらを衣装室に保管し、別の奴隷らを買って、彼らに着せた。王はこれらの新たな奴隷らが良いか否かは知らないが、少なくとも先の奴隷らと同じくらいには衣服を着せる価値はあった。
 (次の文の)「しかし地は永遠に変らない」というのは、(伝道の書 第12章7節の)「ちりは、もとのように土に帰り、霊はこれを授けた神に帰る」というのと同じである。


バヒールの書 4
↑ バヒールの書


*1 これはシェム ハ=メフォラシュ、72の神の御名の事である。