バヒールの書 1

ページ名:バヒールの書 1

ספר הבהיר


セフェル ハ=バヒール


輝きの書


ラビ ネフニアー ベン ハ=カナー著とされる


第1章 創造の初期の諸節について


1. ラビ ネヒニアー ベン ハ=カナーは述べた。
 聖書のある節(ヨブ記 第37章21-22節)では「(神の命により)光が空に輝いている(バヒール)とき、人々はその光を見ることができない。神には恐るべき威光がある」と述べてある。
 だが別の節(詩篇 第18篇11節)では、「(神は)闇を覆いとして、自分のまわりに置き」と述べ、また(詩篇 第97篇2節では)「雲と暗闇とはそのまわりにあり」とも書かれている。これは明らかに矛盾である。
 だが、以下の第3の節は、これら2つの節へと来て和解させる。(詩篇 第139篇12節では)「あなたには、闇も暗くはなく、夜も昼のように輝きます。あなたには、闇も光も異なることはありません」と書かれているからだ。


2. ラビ ベラヒアーは言った。
 (創世記 第1章2節に)「地は形なく(トフ)、むなしかった(ボフ)」と書かれている。
 この節の「かった」という意味は何か? これは形無き状態が、以前には存在したのを示している。
 この形無き(トフ)とは何か? 人々を混乱させる(トハ)ものである。
 では、むなしい(ボフ)とは何か? 実体がある何かである。これは、ボフ、すなわちボ フ(中にあるもの)と呼ばれる理由である。


3. 何故にトーラー(旧約聖書の最初の5書)はב(ベート)の文字から始まるのか? 祝福(ベラハー)と共に始めるためである。
 トーラーが祝福するものと呼ばれるのを、どう我々は知るのか? なぜなら、(申命記 第33章23節に)「主の祝福に満ちて、海とその南の地を所有する」と書かれているからである。
 この海とは、(ヨブ記 第11章9節に)「海よりも広い」と書かれているように、トーラー以外の何物でもない。
 では、この節の「主の祝福に満ちて」とは何を意味するのか? これは我々がベートの文字を見い出すたびに、それは祝福を意味するからだ。
 (創世記 第1章1節に)「はじめに(ベレシト)神は天と地とを創造された」とある。
 この「はじめに(ベレシト)」とは、知恵以外の何物でもない。(詩篇 第111篇10節に)「主を畏れることは知恵の始めである」と書かれているからだ。
 知恵は祝福である。「そして神は(知恵の王)ソロモンを祝福された」とあるからだ。さらに、(列王記上 第4章29節に)「神はソロモンに非常に多くの知恵と悟りを授け」とも書かれている。
 これは娘を息子へと結婚させる王*1に似ている。王は婚礼の時に娘を息子へと渡して、「望むように彼女をなせ」と言うであろう。


4. ベラハー(祝福する)という言葉が、バルフ(祝福される)から来たと、どう知るのか? おそらく、これはベルフ(膝)から来ているのだろう。(イザヤ書 第45章23節に)「すべての膝は我が(神の)前にかがみ、すべての舌は誓いをたてる」と書かれている。(そのため、ベラハーは)全ての膝がかがむ場所である。
 これに似た例は何か? 人々は王の御前で膝をかがめるが、その家(バイト)がどこで見い出せるかを知らない。最初に彼らは「どこに王の家はあるのか?」と尋ねる。それからのみ、「どこに王はおられるのか?」と尋ねる。
 至高の者すらも、「すべての膝は我が前にかがみ、すべての舌は誓いをたてる」と書かれている。


5. ラビ ラフマイは座ると述べた。
 (申命記 第33章23節の)「主の祝福に満ちて、海とその南の地を所有する」の節は何を意味するのか?
 これは、我々がベートの文字が見い出すどこであれ、祝福されているのを意味する。
 これは満たされており、この節の「主の祝福に満ちて」で表されている。
 ここより、必要な者は養われる。この満たされた場所より、神が助言を求める。
 何の例がこれに似ているか? ある王が大きな崖の上に宮殿を建てたいと望んだとしよう。そして掘らせたら、そこから生ける水の大きな泉を見つけた。そして王は述べた。「余は流水を持つようになったので、庭園をここに造るとしよう。それにより、余も世界全ても喜ぶであろう」
 それゆえ、(箴言 第8章30節に)「私はその傍らにあって名匠となり、日々に喜び、常にその前に楽しみ」と書かれている。
 トーラーでは「二千年の間、私は祝福された聖なる方の喜びとして、その胸の中にあった」と述べている。 
 それゆえ、この節は「日々に」と述べる。祝福された聖なる方の日々は、(詩篇 第90篇4節に)「あなたの目の前には千年も過ぎ去れば昨日のごとく」と書かれているように、それぞれ千年である。
 そこから、この節で「常にその前に楽しみ」と述べているように、常にこのようにある。
 この休息は世界のためである。よって(イザヤ書 第48章9節に)「わが誉のために、わたしはこれ(怒り。ヘブライ聖書では鼻)を抑えて、あなたを断ち滅ぼすことをしない」と書かれている。
 この「わが誉」とは何を意味するのか? (詩篇 第145篇1節に)「ダヴィデ王の賛美。わが神、王よ、私はあなたを崇め、世々限りなく御名を誉めまつります」と書かれているようにである。
 なぜこれが称えなのか? なぜなら、私は「あなたを崇め」るからである。
 そして、この崇めるとは何か? なぜなら、「世々限りなく御名を誉めまつります」からである。


6. 祝福とは何か?
 これは例によって説明できよう。ある王が自らの庭園に木を植え、水を蒔いた。地面は濡れて、湿気に覆われた。だが王はなおも、泉より水を配る必要がある。
 (詩篇 第111篇10節に)「主を畏れることは知恵のはじめである。これを行う者はみな良き悟りを得る」と書かれている。
 あなたは、これに何か欠けていると考えるかもしれない。それゆえ(次の文に)「主の誉は永久に失せることはない」と書かれている。


7. ラビ アモライは座ると述べた。
 この節(申命記 第33章23節)の「主の祝福に満ちて、海とその南の地を所有する」の意味は何か?
 モーセは「あなたが我が命に従うならば、この世界と来るべき世界とを継ぐであろう」と述べている。
 来るべき世界とは、(ヨブ記 第11章9節で)「海よりも広い」と書かれているように、海と関連している。
 現在の世界は、南の地として表されている。(ヨシュア記 第15章19節に)「わたしに祝福をください。あなたは(南の)ネゲブの地に私をやられるのですから、泉をもください」と書かれているようにである。
 タルグーム(アラム語聖書)では、これを「見よ、地は南である」と訳している。


8. なぜ神はアブラハムの名前に、他でも無くה(ヘー)の文字を加えたのか? こうする事で、人の体の全ての部分は、海で表される来るべき世界に価値あるようになるからである。
 こう表現する事で、この構造は完成する。(この構造については、創世記 第9章6節に)「神が自分のかたちに人を造られたゆえに」と書かれている。
 アブラハムの値は248であり、これは人の体の部分の数でもある。


9. (申命記 第33章23節の)「主の祝福に満ちて、海とその南の地を所有する(イラシャー。YiRaShaH)」の意味は何か?
 これは、「海とその南の地を所有する(ラシュ。Rash)」と述べるので充分だっただろう。
 だが、ここでは神も含まれてなくてはならないと教える。そのため、YiRaShaHには、RaSh YH(神を所有する)の文字が含まれるのである。
 これに似た例は何か? ある王が2つの宝を持ち、1つを隠した。何年も経ってから、息子に対して述べた。「これらの2つの宝を取るがよい」息子は答えた。「父上は片方を隠しているので、私に全てを与えないでしょう」だが王は答えた。「全てを取るのだ」
 そのため、「主の祝福に満ちて、海とその南の地を所有する」となる。神を所有する(YH RaSh)――すなわち、あなたが我が道を保つならば、全てが与えられる。


10. ラビ ブンは言った。
 (箴言 第8章23節の)「いにしえ、地の無かった時、初めに私は永遠より(メ=オラム)頭から立てられた」の節の意味合いは何か?
 この「永遠より(メ=オラム)」の意味は何か? これは世界から隠されている(ヘ=エラム)のを意味する。
 (伝道の書(またはコヘレトの言葉) 第3章11節に)「神はまた人の心に世界(ハ=オラム)を思う思いを授けられた」と書かれている。だが、ここではハ=オラム(世界)ではなく、ヘ=エラム(隠されている)と読むべきである。
 トーラーでは「私は最初であり、そのため世界の頭である」と述べている。そのため、「初めに私は永遠より(メ=オラム)頭から立てられた」と書かれている。
 あなたは地は先にあっただろうと考えるかもしれない。そのため、「地の無かった時」と書かれている。
 ゆえに(創世記 第1章1節で)「はじめに神は天と地とを創造された」と書かれている。
 この「創造された」の意味は何か? 神はまず万物が必要な全てを創造された。それからのみ、神は「天と地」を創造されたと書かれている。


11. (伝道の書 第7章14節の)「神は彼とこれとを等しく造られたのである」の節の意味合いは何か?
 神はむなしきもの(ボフ)を創り、平和の場所に置いた。そして形なき混沌(トフ)を創り、災いの場所へと置いた。
 (ヨブ記 第25章2節に)「神は高き所で平和を施される」と書かれているように、むなしきものは平和にある。
 これは、神の右手の君主である天使ミカエルは水と雹であり、神の左手の君主である天使ガブリエルは火である事を我々に教える*2。この2人は平和の君主と見做されている。これは、「神は高き所で平和を施される」の節の意味合いである。


12. 形無き混沌が災いであるのを我々はどう知るのか? それは(イザヤ書 第45章7節に)「私は平和をつくり、また災いを創造する」と書かれているようにである。
 どのように行われるのか? 災いは形無き混沌より、平和はむなしきものから来る。
 そのため、「私は平和をつくり、また災いを創造する」と書かれているように、神は形無き混沌を創り、それを災いの場所へと置き、また「神は高き所で平和を施される」と書かれているように、むなしきものを創り、平和の場所へと置いた。


13. ラビ ブンはまた座り述べた。
 (イザヤ書 第45章7節の)「私は光を造り、また暗きを創造し」の節の意味合いは何か?
 光には物質がある。そのため、これについて「造り」の言葉が用いられた。闇には物質が無いので、「創造し」の言葉が用いられた。これは(アモス書 第4章13節で)「彼は山を造り、風を創造し」と似たように書かれている。
 別の説明もある。
 (創世記 第1章3節で)「神は「光あれ」と言われた。すると光があった」と書かれているように、光は実際に存在へともたらされた。創造されていないものは存在は出来ない。そのため、ここでは「造り」の言葉が用いられた。
 だが闇の場合は、創造は無く、分離のみであった。そのため「創造し(バラ)」の言葉が用いられている。これは「その人は良くなった(ヒ=ブリア)」の表現と同じ意味合いがある。


14. なぜ、ב(ベート)の文字は、両側が閉じられていて、前面が開いているのか? この文字は世界の家(バイト)であるのを我々に教えている。神は世界の場であり、世界は神の場ではない。この文字をベートと読まずに、バイト(家)と読むのだ。
 そのため(箴言 第24章3節に)「家は知恵によって建てられ、悟りによって堅くせられ」と書かれている。


15. ベートに似たものは何か? それは神により知恵により創られた人に似ている。人は全ての側面は閉じられているが、前面は開いている。だがא(アレフ)は、背後が開いている。
 これはペートの末尾は背後へと開いているのを我々に教える。そうでなかったとしたら、人は存在していなかっただろう。
 同様に、ベートがアレフの末尾に繋がっていなかったら、世界は存在しなかっただろう。


16. ラビ ラフマイは述べた。
 世界の前に輝きがあった。そのため(詩篇 第97篇2節で)「雲と暗闇とはそのまわりにあり」と書かれている。また(創世記 第1章3節で)「神は「光あれ」と言われた。すると光があった」と書かれているようにである。
 人々は神に「あなたの子、イスラエルの創造の前に、あなたは子のために王冠を創りますか?」と尋ねた。
 神はその通りと答えた。
 これは何と似ているか? ある王が子供をもった。ある日、王は美しい宝石で飾られた王冠を見つけた。そして王は「これは息子の頭に適している」と言った。
 人々は王に「あなたの息子は、この王冠をかぶる価値があると確信しますか?」と尋ねた。 
 王は「確実にだ。これは私の思いに浮かんだ事だ」と答えた。
 よって、(サムエル記下 第14章14節で)「彼は思いを考える」と書かれている。


バヒールの書 2
↑ バヒールの書


*1 カバラでは、王は神の象徴としてよく用いられる。
*2 一般的に西洋魔術、オカルティズムでは、ミカエルは火エレメントと、ガブリエルは水エレメントと関連すると見做しているが、バヒールでは逆に述べているのが興味深い。