真のカバラの鍵 1-7

ページ名:真のカバラの鍵 1-7

マントラ


 多くの読者は確実に、マントラ神秘主義はある種の東洋のカバラ学かどうかに興味があるだろう。たとえ既にヨーガの道を進め、一部のヨーガ体系の実践をしている読者も、マントラやタントラや、東洋のカバラ学についてほとんどが明白には理解していない。だがマントラについての完全な論文をここで公にするのは複雑になりすぎるので、気になっている読者を啓明するために、ヘルメース学の観点からのマントラについてにのみ述べるのに、ここでは制限する事にする。


 多様な全てのマントラは、本書でカバリストが教えられるであろう普遍的な言語とは何の関係も無い。マントラとは、いわゆるマントラ術式において、1つや幾らかの概念を含んだ1つの文であり、崇拝している神々の力や性質を示す。それゆえ、全てのマントラは祈りの文と、瞑想の助けのための実践的な使用と見做せよう。マントラは魔術の術式ではなく、それらや似たような諸力を召喚したりもしない。マントラは概念の表現であり、関連する力、存在、権威、性質などへの献身や繋がりのために用いる。東洋では、マントラを用いる人は、どの認識の道を選んでいようとも、ハタ ヨーガ、ラージャ ヨーガ、その他のヨーガ体系のどれを実践していようとも、マントラ ヨーギと呼ばれる。マントラ ヨーガは神々やその様相への献身の形式のために用いる。インド哲学のみがマントラを教えているわけではなく、他のあらゆる宗教にも似たようなものはある。例えば、キリスト教では、マントラは連祷として表されている。マントラは神々の献身にのみ用いられるわけではなく、関連する神との深い繋がりを作るためや、僅かな言葉により神の概念を表現するのにも用いられる。どの神的な存在を崇拝するかは、実践者に任せられており、そのメンタル、サイキック、カルマの発展に拠るであろう。秘儀参入者が、ブラフマー、ヴィシュヌ、仏陀、本初仏、キリスト、アッラーフなどのいずれを崇拝しようとも同じである。これらの名前には何の意味も無いからだ。だが、その(名前の)様相とは無関係な普遍的な性質の形で、自らの神の本質的な諸原理を認め、崇拝するのが重要である。ヘルメース学の観点からは、実践者が知らない宗教のマントラを用いるのは勧められない。実践者に、ある神のマントラが異質だったり心に響かなかったら、そのような使用は無用であろう。通常、マントラ ヨーガに興味を持った普通のヨーロッパ人には、これらのマントラは常に到達できず、知覚出来ず、心に響かず、未知であり、そのためマントラ ヨーガに専念し、あるマントラを繰り返して献身をしても、その神はこの人物には全く心に響かない。通常、この人物はマントラについて書かれた多くの本の中にある、あれこれのマントラを唱える事で関連する神が賜物を授けるという主張に従ってこの実践をするものである。


 ある宗教的なキリスト教徒が、インドの類のマントラをしてみようと決めても、この関連するマントラにより表現される神の性質への適切な宗教的な態度に欠けていたならば、無定見に進むばかりで、関連する神の力の圏に到達する事はできず、僅かな成功のみか、全く成功しないだろう。だが、ある強い信仰心を持つキリスト教神秘家は、自らのマントラを造る事ができ、それが東洋の言語だろうとも、母国語であろうとも、そこには自ら崇拝する神の力、性質、個人的な特徴などを持つであろう。マントラ神秘主義では、神の象徴的な概念が1つの文でのみ表現されるのが何よりも重要である。だが、あるヘルメース学者が東洋の神に魅力を感じて、自らの大陸にある宗教体系やその神へと充分に捧げる事ができないならば、その東洋の神に自らを捧げるのは自由である。またこれは、この人物が前世で今自分が選ぶ宗教圏に住んでいた事を示してもいる。正当な魔術師は霊視能力者でもあるので、自らの霊の目を己の前世へと向けるならば、これが事実であるのを確信し、このような行いに興味があるのも当然だと感じよう。


 マントラには2つの種類がある。第1の種類は、二元性によるもので、第2の種類は一元性のものであり、実践者の精神の発展と目的に応じてそれぞれが使われる。二元性のマントラは、実践者を特有の神を崇めるようにさせ、崇拝者と崇拝される神は別で外側にあるのを確証する。一元性のマントラは、崇拝者を崇拝する神や概念と外側では無く自らの内にて合一させ、崇拝者は崇拝する神の部分、時には神自身であると感じるようになる。


 だが二元性のマントラも、外側にある崇拝する神と自己の内側が同じであると人格化する事で、一元性の性質がある。そのようなマントラは、インドではサグナ マントラと呼ばれる。一方で、抽象的な概念、つまり崇拝者が自己と同一視する普遍的な性質を表現するマントラは、インドではニルグナ マントラと呼ばれる。初心者は、自らが抽象的な概念を形成できる立場になる前には、サグナ マントラのみが授けられる。それから、これらをマントラ神秘主義により、つまりニルグナの意味で用いるのを学ぶ。


 インド人や他の東洋人は、実践者はマントラ ヨーガを、そのための適切な師(グル)を選ぶまでは、すべきではないと述べている。マントラ神秘主義に熟達した正当なグルのみが、弟子にその成熟の段階に応じたマントラを教えられる。この時に、師は弟子にマントラやその力の適切な説明も与え、マントラと関連する神との実践的な類似の関係についても説明する。グルによりマントラの説明が与えられたら、弟子は突然にその意味を完全に理解し、崇拝する神を理解しようと学ぶであろう。この関連するマントラへの悟りあるいは秘儀伝授は、インドの言葉でマントラ ヨーガのアビシェーカと呼ばれる。グルからアビシェーカを受け取る、つまりその繋がりを理解するのを学ぶ事で、弟子は瞬時にマントラ神秘主義により示される神との繋がりについて理解できるようになる。それらはサグナ、つまり二元的なものか、ニルグナ、一元的なもののいずれかである。これは成熟した弟子はマントラ神秘主義に精通したグル無しには、崇拝する神に関連したマントラを唱えられないと言うのではない。だがその場合、普遍的な繋がりを理解し、実践で成功できるようになるまで、ある程度の時間がかかるであろう。


 マントラ神秘主義の本の中にはまた、グル マントラについての記述もある。このグル マントラという名前には2つの意味がある。まず第1の意味は、成熟した弟子にグルがアビシェーカの助けとともに伝授するマントラの事である。これらには様々な種類のマントラが含まれるが、全ては特定の目的を到達するのを意図している。第2の意味は、「グル マントラ」の表現は、グルが特定の目的のために自ら用いていて、何年もの繰り返しにより特に効果的なものにしたマントラであるのを示している。そのようなマントラが弟子に授けられたら、グルと同様に弟子にも強力なものであるのには疑いが無い。勿論、そのようなマントラはグルから弟子へと口承によってのみ伝えられ、他の方法は信頼できないであろう。


 各マントラの詳細を伝えるのは、それがサグナかニグルナか、インド、仏教、その他の東洋のものか、その応用、目的などについては、本書の目的ではなく、興味ある読者は様々な西洋言語にも翻訳されている、東洋のマントラ ヨーガについての多くの文献にて見つけられるであろう。


 多くのマントラは、特定の姿勢、いわゆるアーサナを取った後に、繰り返し唱える必要がある。それらは声を出したり、囁いたり、心の中でのみだったりする。この心に繰り返す事のは、マントラによって表現される概念を実践者の心に保ち、逸れたりはしないようにする以外の目的は無い。また多くの書では、心を逸らす影響があるならば、マントラを声を出して唱え、マントラの概念により集中できるようにするのを勧めている。繰り返し囁くマントラは無論、声を出すものよりも大きな効果がある。だが、最も大きな効果は、心の中で唱えるのみのマントラにより達成される。


 マントラの訓練の中で、繰り返した数を確認するのに、数珠がその助けになろう。各マントラを唱えるごとに、数珠の珠を2本の指と親指で前へと動かしていく。インドの数珠は108珠あり、「ルホク」と呼ばれている。ルホクが100ではなく108の珠を持つ事にはカバラ的な意味合いがある。108の各桁を足していけば9となり(1 + 8 = 9)、9の数はリズムの数であり、リズムは連続した動きである。東洋の用語では、108の数はなおも別の意味合いがあるが、それでもヘルメース学との類似がある。興味がある読者は東洋の文献でそれらを確認できよう。マントラがサグナやニルグナのいずれかの種類の様々な儀式や概念との関係をもたらす事はよく知られており、そのため私はここで詳細を記す必要はあるまい。あらゆる宗教体系では、その儀礼、祈りや、神の概念、性質などに捧げるためや、それらを吸収するためや、他の目的のためのマントラの同じ方法を用いている。


 マントラを扱っている本の中には、ビジャ マントラ、種子マントラについて述べられているものもある。これらのマントラは神の概念を知的言語で表現するものではなく、普遍的な諸法則により構成される文字であり、この諸法則の類似の概念を宇宙的に表現した言葉を形成している。ビジャ マントラはタントラを起源としているので、ヘルメース学の観点からはカバラ的なものである。ビジャ マントラの正しい発音は、グルから弟子へとアビシェーカにより授けられる。例えば、エレメンツ、いわゆる「タットワ」のよく知られているビジャ マントラ、ハム、ラム、パム、ヴァム、ラム、オームなどである。師がアビシェーカに参加していたら、この時に弟子に、マントラを活性化させる方法も教え、後には四極的に用いる方法も授けるであろう。これは仏教でも同様で、ここでは5つのエレメントのタントラはカ、ハ、ラ、ヴァ、アのビジャ マントラの形式で象徴され、成熟した弟子に実践での使用法について説明される。このマントラを用いる際には、実践者は容易にするために多くの他の助けもある。例えば、祈りや浄化、供養であり、これら全ては弟子の心を神と関連する界へと高める目的に用いられる。


 これまで述べた事で明らかであるが、秘儀参入者はマントラとは真に何であるかを理解し、一方で素人は何も本物を見ないであろう。


 最後に、東洋の僧らが瞑想の助けのために、いわゆる祈りのマニ車と呼ばれるものを用いている事に読者に注意を向けたい。これらのマニ車は蓄音機のような形をし、単純に車を回す事で、マントラ、おそらくタントラでも、数千回、時には数十万回も繰り返し唱えた事になる。これらの僧は、この車を回す事によりマントラやタントラを唱え、至高の幸福への道への進歩は大きなものとなると信じている。だが、そのようなマニ車は仏僧の集中の実践のみに助けとなり、このマニ車が数珠のように用いられたら、ヘルメース学の観点からは、その目的にも仕えられよう。だがこの僧が自らのマントラを唱えている間にも、心は別の事を考えていたならば、その目的は失敗し、正当な秘儀参入者はそのような人物を、ただの宗教的な狂信者、宗派主義者と見て、憐れむ事だろう。


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