ゾーハル 小聖会の書 16

ページ名:ゾーハル 小聖会の書 16

第16章 小さな顔の耳について


582.(小さな顔は)善と悪を聴くための2つの耳を持ち、それらは1つに減らせる。


583. 列王記下 第19章16節に「主(テトラグラマトン)よ、耳を傾けて聞いてください」と書かれているようにである。


584. 発言が脳の入り口の前で明らかとなるように、この耳の中は特別に曲がって形成されている。


585. そして、脳がそれを調べるが、ゆっくりとである。急いで得ようとするあらゆるものは、完全な知恵からは来ないからである。


586. これらの耳に、世界の声を受け取る全ての翼の主らは拠る。そして、これらは皆、テトラグラマトンの耳と呼ばれる。


587. それらについては、伝道の書 第10章20節に「空の鳥はあなたの声を伝え」と書かれている。


588. この「空の鳥はあなたの声を伝え」の文は(意味を知るのが)難しい。では、この声とは何か?


589. この節の始まりの部分で、「あなたは心のうちでも王をのろってはならない」と書かれている事である。ここでは、汝が寝る時の(表現していない)考え、秘密の考えについて書かれている。


590. 何故か? なぜなら、「空の鳥はあなたの声を伝え」るからであり、この声はまだ表現されていないものだ。


591. 確実に、これは真の意味合いである。人が心で思い、考える事は、それを唇から出すまでは言葉とはならない。(この文が意味するのは)それらをなさない事である。


592. (内なる考えからの)この声は風を掻きわけて送られ、進み、上昇し、世界を通じて通り抜ける。それゆえ声と呼ばれる。


593. そして、翼の主らは、この声を受け取り、王(小さな顔)へと運び、その耳に入るようにする。


594. これについては、申命記 第5章28節に「主(テトラグラマトン)はあなたがたの言葉を聞いて」と書かれている。また、民数記 第11章1節にも「主(テトラグラマトン)はこれを聞いて怒りを発せられ」と書かれている。


595. それゆえ、人が最も聖なる神――その御名に祝福あれ!――の御前にて祈りや懇願をする際には、その唇により言葉を発する必要がある。


596. これらを発音しないならば、その祈りは祈りでは無く、その懇願は懇願ではないからだ。


597. だが、言葉が発せられるならば、それらは風を掻きわけて進み、上昇し、飛び、それらから声が造られ、受け取り手(翼の主ら)が受け取り、王の頭の聖なる場所(別版では、王冠ケテルの下)へともたらす。


598. (小さな顔の脳の)3つの空洞より、特別ににじみ出るものがあり、小川と呼ばれる。列王記上 第17章3節に「ケリテ川」と書かれているように、これは耳の洞穴、あるいは通路である。


599. そして、声はこの曲がった通路に入り、このにじみ出る小川に留まる。


600. そして、この通路の中で留められ、善か悪かと調べられる。これはヨブ記 第34章3節で「耳は言葉をわきまえるからだ」と述べられているものと同じである。


601. 何故に、この耳は言葉を調べるのか? なぜなら、この声は耳の曲がった通路にてにじみ出る小川に留められ、体へと速やかに入ったりはせず、善か悪かを調べるのが定められているからだ。


602. (この節の前の文の)「口が食物を味わうように」とあるが、何故この口は食物を味わうのか? なぜなら、同じように、これは遅れさせ、(食物が)速やかに体に入ったりはしないようにするからだ。ゆえに、(口は)それが甘く喜ばしいものかどうかを調べ、味わう。


603. この耳の入り口には、他の入り口、すなわち目の入り口、口の入り口、鼻の入り口が拠っている。


604. 耳の入り口へと入った声から、必要ならば、(その部分が)目の入り口にも入り、涙を流させる。


605. この声から、必要ならば、(その部分が)鼻の入り口にも入り、この声から煙と火を作り出す。


606. これについては、民数記 第11章1節に「主(テトラグラマトン)はこれを聞いて怒りを発せられ、主の火が彼らのうちに燃えあがって」と書かれている。


607. さらに必要ならば、この声は口の入り口に向かい、発言をなし、特定の事柄を定める。


608. この声から万物は影響される。この声(の部分が)体全体に入り、それによって万物は影響される。どこにこれは拠るのか? この耳からである。


609. 祝福されるは、その言葉に気を付ける者である。それゆえ、詩篇 第34篇13節には「あなたの舌をおさえて悪を言わせず、あなたの唇をおさえて偽りを言わすな」と書かれている。


610. この耳は聴く事と関連しており、この聴く事(の概念)にこれらの脳は含まれる*1


611. この中にホクマーは含まれ、それについては列王記上 第3章9節に「それゆえ、聞きわける心をしもべに与えて」と書かれている。


612. またビナーもそうであり、サムエル記上 第3章9節に「しもべは聞きます。主よ、お話しください」と、また列王記下 第18章26節に「わたしたちは、それがわかるからです」と書かれているようにである。それゆえ、万物はこれらに拠る。


613. またダアトもそうであり、箴言 第4章10節に「わが子よ、聞け、私の言葉を受け入れよ」と、さらに同書の第2章1節に「あなたが私の言葉を受け」と書かれているようにである。それゆえ、万物はこの耳に拠る。


614. これらの耳に、祈りと懇願、目の入り口は拠る。


615. これは、列王記下 第19章16節で「主(テトラグラマトン)よ、耳を傾けて聞いてください。主よ、目を開いてごらんください」と書かれたものと同じである。それゆえ、万物はこれらに拠る。


616. この耳に、至高の奥義は拠り、外側へと出る事は無く、(この耳の)曲がった内なる部分にあり、奥義の中の奥義はこの中に隠されている。災いなるは、この奥義を明かす者である!


617. そして、この奥義はこの耳と接しており、その曲がった部分に従うので、奥義は不正な道を歩む者には明かされず、不正でない道(を歩む者)に明かされる。


618. ゆえに、詩篇 第25篇14節に「סוד יהוה(SVD IHVH、ソド テトラグラマトン、主の秘密)は主を畏れる者のためにあり、主はその契約を彼らに知らせられる」と書かれている。すなわち、その小路を保つ者に、その言葉は明かされるのである。


619. だが、正道を踏み外した者には、特別な言葉を受け取り、速やかに与えられるが、それらを(調べるために)留まれる場所は無い。


620. そして、他の全ての入り口は、この中に開かれていて、やがてはこれらの言葉は口の入り口から放たれる。


621. そして、そのような者らは、この世代の罪びとと呼ばれ、最も聖なる神――その御名に祝福あれ――に嫌われる。


622. 我らの言い伝え、ミシュナーで私が教えられた事によると、そのような者らは、人殺しや偶像崇拝者のようなものである。


623. そしてこれら全ての事については、一言で述べられており、それはレビ記 第19章26節に「民のうちを行き巡って、人の悪口を言いふらしてはならない。あなたの隣人の血にかかわる偽証をしてはならない。אני יהוה(ANI IHVH、私はテトラグラマトンである)」と書かれている。


624. それゆえ、この節の最初の部分に背く者は、全体を背くようなものである。


625. 祝福あるは、義人の場所であり、それについては箴言 第11章13節に「人の良し悪しを言いあるく者は秘密をもらす、心の忠信な者は事を隠す」と述べられている。


626, ここでは、רוח(RVCh、ルアフ、霊*2)は適切(に用いられている)。そのような者のルアフは、上位の聖なる場所から引き出されたからである。


627. ところで、私が述べてきた事は象徴である。この奥義を定まった目的を心に持ちつつ明かす者は、最も聖なる王の体には属さない。


628. それゆえ、そのような者は、奥義とは関係なく、奥義の場所にも無い。


629. そして、その魂が(死後に)旅だったとしても、王の体とは繋がらない。その場所には無いからである。「その者は災いなるかな! その者自身に災いなるかな! そのネシャマーに災いなるかな!」*3


630. だが、秘密を隠す義人の場所には祝福があり、それよりも遥かに大きいのは、最も聖なる神――その御名に祝福あれ!――の至高の奥義、最も聖なる王の至高の奥義である。


631. それらについては、イザヤ書 第60章21節に「あなたの民はことごとく正しい者となって、とこしえに地を所有する」と書かれている。


ゾーハル 小聖会の書 17
↑ 明かされたカバラ


*1 マサース注。小さな顔の3つに分割された脳の事である。
*2 邦訳聖書では心と訳される。
*3 マサース注。序説での魂の部分の名前に関する部分を参照せよ。