ゾーハル 小聖会の書 14

ページ名:ゾーハル 小聖会の書 14

第14章 小さな顔の目について


510. この(小さな顔の)頭の目は、それらからは罪びとらが自らを守れない目である。この目は眠るが、それでいて眠らない。


511. それゆえ、これらは「כיונים(KIVNIM、ケ=イオニム、鳩の)ような目、」と呼ばれる。このיונים(IVNIM、イオニム)とは何か? 確実にそれについて、レビ記 第25章17節で「あなたがたは互に欺いてはならない」と述べている。


512. それゆえ、詩篇 第94篇7節では「(不信心の者が言う。)יה(IH、ヤー、神)は見ない」と書かれている。そのすぐ後の9節では「耳を植えた者は聞くことをしないだろうか、目を造った者は見ることをしないだろうか」とある。


513. この目の上にある部分(眉)は、特有の比率で配置された毛で構成される。


514. これらの毛から、1,700の戦いに励むための観察の主らが拠っている。そして、これら全ての使者らが起き上がり、目は閉ざされない。


515. 目の上にある肌(まぶた)には、睫毛がある。そこには、千の千倍の盾の主らが結び付いている。


516. そして、これらは目を覆うものと呼ばれる。そして、これら全てはיהוה(IHVH、テトラグラマトン)の目(の部分)と呼ばれ、これらまぶたの覆いがお互いに、すなわち、(まぶたの)下と上が分離されるまで、開かれて目覚める事も無い。


517. そして、下のまぶたが、上のまぶたから分離され、幻視の住居が露にされると、人が眠りから覚めた時と同じように、この目は開かれる。


518. そして、この目は周囲を見渡して、(小さな顔は、広大な顔の)開かれた目を見返す。そして、これらは白い輝きに洗われる。


519. そして、これらが白くなると、裁きの主らはイスラエル人から逸らされる。それゆえ、詩篇 第44篇23節に「主(テトラグラマトン)よ、起きてください。なぜ眠っておられるのですか。目をさましてください」などと書かれている。


520. これらの目の中には4つの色が現れる。そこから聖句箱の4つの覆いが輝き、脳からの流出を通じて輝く。


521. テトラグラマトンの目と呼ばれるものは7つあり、私が先に述べたように、目の黒い部分から向かう監査者である。


522. それについて、ゼカリヤ書 第3章9節で「七つの目をもっているこの一つの石の上に」と書かれている。そして、これらの色はこの面に炎を発する。


523. 赤い色からは、裁きのための監査する主らが向かう。


524. そして、これらは「あまねく全地を行き来するテトラグラマトンの目」と呼ばれる。


525. この文では(女性形で)「משוטלות(MShVTLVTh、メショテロト、向かう)」と述べられており、男性形の「משוטטים(MShVTTIM、メショテティム)」ではない。なぜなら、全ては裁く者だからである。


526. 黄色からは、善悪いずれの行いの発現もなす者らが向かう。


527. それについては、ヨブ記 第34章21節で「神の目が人の道の上にあって、そのすべての歩みを見られるからだ」と書かれている。また、ゼカリヤ書 第4章10節では「これらの七つのものは、あまねく全地を行き来する主(テトラグラマトン)の目である」とある。だが、ここではמשוטטימ(MShVTTIM、メショテティム)の男性形の言葉が用いられている。なぜなら、これらは2つの方角――善と悪へと向かって拡張するからである。


528. この白い輝きからは、全ての慈悲と利益が向かい、この世界の中で見い出せる。それゆえ、これらを通じて、イスラエル人は幸福となる。


529. そして、これら3つの色が全て白色となると、彼(小さな顔)は彼ら(イスラエル人)に憐れみを持つであろう。


530. そして。これらの色は共に混ざり合い、お互いに繋がる。それぞれが隣同士の色と密接となる。


531. だが、白い輝きは別であり、必要な時にはこの中に全ては含まれる。これは全てを包み込むからである。


532. それゆえ、誰も全ての低位の色――黒、赤、黄色――を白い輝きへと変えられない。


533. 唯一、(広大な顔の)恵みによってのみ、これらは全て統一され、白い輝きへと変わるのだ。


534. その目が色を見たいと望む時、その睫毛(小さな顔の睫毛。なぜなら、広大な顔には眉も睫毛も無いからである)は見い出せない。全ての色を見るために、その睫毛は(視野の)場所を露にするからである。


535. そして、これらが(視野の)場所を露にしないならば、(目は)見る事も考える事も出来ない*1


536. だが、この睫毛は完全な時間を除いて、起きも眠りもしない。これらは上にある(広大な顔の)常に開かれた目に従って、開いては閉ざされ、また閉ざされては開く。


537. それゆえ、エゼキエル書 第1章14節では「生きものは、稲妻の閃きのように速く行き来していた」と書かれている。


538. 次に、私はイザヤ書 第33章20節の「あなたの目は平和な住まい、移されることのない幕屋エルサレムを見る」の文について既に述べている。


539. また、申命記 第11章12節にも「年の始めから年の終りまで、あなたの神、主(テトラグラマトン)の目が常にその上にある」などと書かれている。


540. エルサレムがそれを必要とするからであり、ゆえにイザヤ書 第1章21節で「צדק(TzDQ、ツェデク、正義)がそのうちにやどっていた」と書かれている。


541. それゆえ、これはシオンではなくエルサレム(と呼ばれる)。なぜなら、イザヤ書 第1章27節に「シオンはמשפט(MShPT、メシェパト、裁き)をもってあがなわれ」などと書かれており、慈悲とは混ぜられていないからである。


542. (それゆえ)この目について「עינך(OINK、アイナク、単数形の目)」で書かれている。確実に、(ここで引用されているのは)最も聖なる老いたる者、全ての中で最も隠された者の目である。


543. 次に「あなたの神、主(テトラグラマトン)の目が常にその上にある」とあるが、これは赤色か黄色によって、善や悪について述べている。


544. だが、(広大な顔の)恵みによってのみ、万物は白い輝きに包まれて清められる。


545. (小さな顔の)睫毛は、(その目が)色を見たいと望む時には見い出せない。だがこの「あなたの目はエルサレムを見る」とある文では、完全な善、完全な慈悲にある。


546. イザヤ書 第54章7節で「私は大いなる憐れみをもってあなたを集める」と書かれているようにである。


547. 「年の始めから年の終りまで、あなたの神、主(テトラグラマトン)の目が常にその上にある」では、「מרשית(MRShITh、メラシト、始めから)」の言葉がא(A)を入れずに、不完全に書かれている。א(A)を入れた、ראשית(RAShITh)とは書かれていないからである。


548. それゆえ、これは常に同じ状態に留まるわけではない。何故か? (יהוה(IHVH)の)低位のה(H、ヘー)だからである。


549. *2そして、上位のものについては、哀歌 第2章1節で「主はイスラエルのティフェレト*3をמשמים(MShMIM、メ=シャマイム、天から)ארץ(ARTz、アレツ、地)に投げ落し 」と書かれている。


550. 何故、シャマイムからアレツへと投げ落としたのか? なぜなら、イザヤ書 第50章3節に「私は黒い衣を天(シャマイム)に着せ」と書かれているからである。これは(小さな顔の)目の黒い部分の事であり、この黒色で覆われるのである。


551. では、「年の始めから」テトラグラマトンの目がエルサレムを見るのは、どの場所からか?


552. それゆえ、彼*4は速やかに示す。「年のמרשית(MRShITh、始まり)から」の中で、この(מרשית(MRShITh、始まり))言葉には、א(A)が含まれておらず、裁きを象徴する*5。事実上は(メラシトの言葉は)裁きでは無いものの、裁きのかの面を指している。


553. 次の「年の終りまで」では、適切に述べると、裁きが見い出せる。イザヤ書 第1章21節に「正義がそのうちにやどっていた」と書かれているからである。これは「年の終わり」の事である。


554. 来たりて見よ! א(A、アレフ)は最初(の文字)とのみ呼ばれる。א(A、アレフ)の中には、男性(慈悲)の力が隠されている。すなわち、知られていない。


555. このアレフが別の場所と結びついたなら、それはראשית(RAShITh、ラシト、始まり)と呼ばれる。


556. だが、א(A、アレフ)は、これらと結びついてる*6と汝が言うならば、真にそうではなく、א(A、アレフ)はこれを発現させ、照らすためにのみある。その場合にのみ、これはראשית(RAShITh、ラシト、始まり)と呼ばれる。


557. それゆえ、この(文の)中では、ראשית(RAShITh、א(A、アレフ)を含んだ言葉)はエルサレムについて見い出せない。(א(A、アレフ)が)この中にあったならば、永遠に留まる(のを示す)だろうからだ。


558. ゆえに、不完全にמרשית(MRShITh、メ=ラシト)と書かれている。だが、来るべき世界については、イザヤ書 第41章27節に「私は初めてこれをシオンに告げた」などと書かれている*7


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↑ 明かされたカバラ


*1 マサース注。ここと次の節での意味合いは単純に、まぶたを上げる事で、上の睫毛が下の睫毛と分かたれた時のみに、目は見れるという事である。
*2 マサース注。この節では明らかに、シャマイムが上位のה(H、ヘー)の象徴として扱われている。
*3 邦訳聖書では栄光と訳されている。
*4 マサース注。申命記のこの文の著者とされるモーセの事である。
*5 マサース注。つまり、מראשית(MRAShITh)ではなく、מרשית(MRShITh)と書かれている。
*6 マサース注。つまり、アレフがそこに無いならば、この言葉は同じ意味を示さないであろう。言い方を変えると、アレフはこの言葉の根本的な文字である。
*7 マサース注。このראשון(RAShVN、ラション、初めて)という言葉は、ראשית(RAShITh)と同じ語源から導かれたものであり、א(A、アレフ)が含まれている。