ゾーハル 小聖会の書 9

ページ名:ゾーハル 小聖会の書 9

第9章 小さな顔とその花嫁全般について


341. ラビ シモンは言った。この御方の口には、全てのものが従い、これらの泉が乾く事は無い。


342. この泉は流れていき、乾く事は無い。確実に、これらについては、(創世記 第2章10節で)「また一つの川がエデンから流れ出て」という文が当てはまろう。また(イザヤ書 第58章11節に)「水の絶えない泉のようになる」と書かれたようなものである。


343. さて、私自身の証言では、私は生涯、今日という日を見るのを待っていたが、これまで(神の)意志では無かった。


344. だが今日、この王冠をかぶり、今や最も聖なる神――その御名に祝福あれ!――の御前にて、特定の事柄と、我が頭の王冠の全ての事柄について明かそうと思う。


345. そして、この日*1は苦しみは増大せず、別の日に移す事もしない。この日全体に、我が力はもたらされているからだ。


346. そして今、私はこれらの事柄を明かし始めよう。これにより、私は来るべき世界に入る時にも恥に覆われる事はあるまい。それゆえ、私は言い始める。


347. 詩篇 第89篇14節に「צדק ומשפת(TzDQ VMShPT、ツェデク ヴェ=ミシュパト、義と公平)はあなたの御座の基、חסד ואמת(ChSD VAMTh、ヘセド ヴェ=エメト、慈しみとまこと)はあなたの顔の前に行きます」と書かれている。


348. 賢者はこれをどう説明し、その諸小路、(すなわち)最も聖なる上位の方の諸小路、まことの裁く者ら、その上位の王冠らをかぶった裁く者らを見るのか。


349. いわば、この上位の光、全てにおいて最も隠された光から輝く全ての光は、この光(へと導く)全ての小路である。


350. そして、これらの単独の諸小路の中に存在する、この光の中に、明かされるべきものが明かされる。


351. 全てのこれらの光はお互いに結び付いている。この光はかの光の中に、かの光はこの光の中に。


352. これらはお互いに輝き合い、これらはお互いから分離されない。


353. この光、すなわち、個別であり、結び付いたこれらの光は、王の諸構造、あるいは王の王冠と呼ばれる。それらは、万物の中の最奥にある光により輝き、結び付いており、これ無しには輝かない。


354. それゆえ、万物が一つの小路を上昇し、万物は一つにして同じ王冠をかぶり、この一つが別のものと分離する事は無い。なぜなら、הוא(HVA、彼自身)とその御名は一つだからだ。


355. この発現した光は、衣と呼ばれる。王自身は、全ての最奥の光だからだ。


356. この光の中にあるのはהוא(HVA、彼自身)であり、分離する事も発現する事も無い。


357. これらの全ての光と、全ての輝きは、最も聖なる老いたる者、全ての隠されたものと共に隠された者、いと高き光より輝く。


358. これらの全ての光を正確に調べたら、その拡張はいと高き光以外は、見いだせない。


359. この方は隠れており、発現していない。この装飾の衣を通じてのみ(発現する)。これは真理の衣、קשות(QShVT、ケショト)、真理の姿、真理の光である。


360. そして、王の玉座の構造である、2つの光の使者らが見い出せる。それらはצדק(TzDQ、ツェデク、正義)と、משפת(MShPT、ミシュパト、裁き)である。


361. そして、これらが始まりであり、完成である。これらを通じて、上位者も低位者らも全ての裁く者らが王冠をかぶる。


362. そして、これらは全てミシュパトの中に隠されており、このミシュパトによりツェデクは養われる。


363. そして、時にはこれらは、מלכי צדק מלך שלם(MLKI TzDQ MLK ShLM、メレキ ツァデク メレク シャレム、サレムの王メルキゼデク)とも呼ばれる。


364. この裁く者らがミシュパトにより王冠をかぶると、万物は慈悲とともにあり、万物は完全な平和の中にある。なぜなら、片方がもう片方を節制させるからである。


365. ツェデクと厳格さは、秩序へと減らされ、これら全ては、平和と慈悲とともにこの世界へと降りてくる。


366. そして、この聖別された時間に、男と女は合一し、全ての存在する諸世界は愛と喜びとともにある。


367. だが、この世界で罪が増えてきて、聖域が汚されたら、男と女は分離される*2


368. そして、強き蛇が起き始めたならば、汝、世界よ、災いなるかな! この時、世界はこのツェデクにより養われる。汝、世界の中で、多くの人殺しと(裁きの)処刑人らが起き上がるからだ。また多くの義人らも、汝から退く。


369. だが、これは何故にか? なぜなら、男が女が離されて、裁き(ミシュパト)が、正義(ツェデク)と合一しないからだ。


370. これらについては、箴言 第13章23節に「しかし不正(ミシュパトが無い)によれば押し流される」と書かれている。ミシュパトがこのツェデクから離れているので、ツェデクは抑制されず、別の方法により働くようになる。


371. そして、これについては、ソロモン王は伝道の書 第7章16節で「わたしはこのהבל(HBL、ヘベル、むなしい)人生において、もろもろの事を見た。そこには義人がその義によって滅びることがあり」などと述べている。


372. ここでは、このהבל(HBL、ヘベル、通常は「むなしい」と訳される)の言葉により、王の鼻の孔と呼ばれる、これらの上位の息を出す場所からの息と理解される。


373. そしてソロモン王がהבלי(HBLI、ヘベリ、我が息)と述べると、ツェデク(正義)はמלכותא קדישא(MLKVThA QDIShA、マルクタ カディシャ、聖なるマルクト、聖なる王国)となる。


374. 彼女が裁きと峻厳により刺激されると、「義人がその義(ツェデク)によって滅びる」と述べた事が起きる。


375. 何故にか? なぜなら、裁き(ミシュパト)が正義(ツェデク)から遥かに遠くなるからだ。それゆえ、箴言 第13章23節で「しかし不正によれば押し流される」と述べられる。


376. 来たりて見よ! 最も聖なる神――その御名に祝福あれ!――を愛する義人らが、この世界で充分に見い出せるならば、たとえツェデク(正義)のみが刺激されても、この世界の義人はなおも耐えられる。


377. そして、最も聖なる神――その御名に祝福あれ!――が、その栄光を増大させ、義人は(裁きの)峻厳により滅ぼされないであろう。


378. だが、この義人がその場所に留まらないならば、そこから義人はこのミシュパト(裁き)により、例として取り去られ、自らの場所を保てなくなる。ツェデク(正義)の前では尚更である。


379. ダヴィデ王は、詩篇 第26篇2節で「主(テトラグラマトン)よ、私をためし、私を試み」とまず述べている。それにより、王は、全ての峻厳、ツェデク(正義)自身によっても、これらと結びつき、滅ぼされないであろう。


380. 詩篇 第17篇15節に「しかしわたしは義(ツァデク)にあって、み顔を見」と書かれているからである。それゆえ、適切の述べると、私はツェデクを通じては滅ぼされない。私はツェデクの峻厳の中に留まれるからである*3


381. だが、ダヴィデ王が罪をなして、このミシュパト(裁き)に飲み込まれようとする際にも、詩篇 第143篇2節に「あなたの僕の裁き(ミシュパト)に携わらないでください」と書かれている。


382. 来たりて見よ! このツァデク(正義)が、ミシュパト(裁き)により和らげられると、それはצדקה(TzDQH、ツァデカー、公平)と呼ばれる。


383. そして、この世界はヘセド(慈悲)により和らげられ、満たされるであろう。


384. それについては、詩篇 第33篇5節に「主(テトラグラマトン)はמשפת(MShPT、ミシュパト、正義)とצדקה(TzDQH、ツァデカー、公平)とを愛される。地は主のחסד(ChSD、ヘセド、慈しみ)で満ちている」と書かれているようにである。


385. 私自身について証言をすると、我が生涯で常に、私が裁きの峻厳に陥る事もなく、この世界がそれらの炎で燃やされることの無いようにと気遣ってきた。


386. 箴言 第30章20節で「彼女は食べて、その口をぬぐって」と書かれているようにである。


387. その後は、全てにして単独の者らは、深淵の傍にある。


388. そしてまことに、この世代にもある義人らが(地上に)与えられており、彼らは小数であるが、四方の角(の裁き)から、人々を守り続けるであろう(さもなければ、裁きはこの世界に対して起き上がり、我らに襲い掛かるのを望むであろう)。


ゾーハル 小聖会の書 10
↑ 明かされたカバラ


*1 マサース注。これは、これらの事柄を明かす時期を意味し、正確に一日の24時間の事ではなく、聖書やカバラで用いる意味合いでの日の事である。
*2 マサース注。言い方を変えれば、アンバランスの力の状態にある時である。これは悪の起源である。
*3 マサース注。なぜなら、これらの峻厳の中、その背後に、彼は神の顔を見れるからである。