ゾーハル 大聖会の書 44

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第44章 上位の人についての更なる解説


1059. ラビ シモンは言った。これらを見よ。上位者らは下にあり、低位者らは上にある*1


1060. 上位者らは下にある。これは人の姿をし、世界の上位の構造である。


1061. 私が学んだ事によると、箴言 第10章25節に「そして、義人は世界のיסוד(ISVD、イェソド、基盤)である」と書かれている。なぜなら、この方は計算による6つ組で構成されるからである*2


1062. これについて雅歌 第5章15節では「その足のすねはשש(ShSh、シェシュ、6本の)柱のごとく」と書かれている*3


1063. 私が「隠された神秘の書」から学んだ事によると、人の中には一般的、特別な上位の諸王冠で構成され、また人の中には一般的、特別な低位の諸王冠で構成されている。


1064. 一般的な上位の諸王冠は、これまで述べてきた全ての構造の姿で(構成されている)。


1065. 特別な(上位の諸王冠は)、手の指の、חמש כנגד חמש(ChMSh KNGD ChMSh、ハメシュ ケネゲド ハメシュ、5つに対する5つ)である(構成されている)*4


1066. 低位の諸王冠は、足の指で(構成されていて)、特別なものと一般的なものがある。


1067. この体はこれらには見えずに、これらは体からは外側の存在だからである。それゆえ、これらは体の中には無く、体はこれらから退いている。


1068. そうであるならば、ザカリヤ書 第14章4節の「その日には彼の足が、東の方エルサレムの前にあるオリブ山の上に立つ」は何を意味するのか? まことに、これは体の足の指であり、復讐をなす裁きの主らである。


1069. そして、これらは足首の主らと呼ばれている。これらの一部は強力で、裁きの主らであり、下にあり、低位の諸王冠と結びついている。


1070. 私が学んだ事によると、これら全ての上位者の諸構造は、聖なる体、男と女の中にあり、人の適切な順序にあり、これら自身から順に導かれ、順に(偏向した順序に)繋がっていき、順にこれら自身の中へと流れ落ちていった(すなわち、複数の男と女が結び付いていった)。


1071. 血管を血が流れるように、今はこちらに、今はあちらにと、今はここに、今はそこに、ある場所から別の場所へと向かう。


1072. そして、体の低位の部分らは、全ての諸世界が照らされ、これらにより祝福を受けるまでは、共に順に結び付いている。


1073. 私が学んだ事によると、体の中に含まれない全ての王冠は、遥か遠くにあり、不純で、許可された者らを腐敗させる――すなわち、これらから学ぼうとして近くに来る者らをである。


1074. これらが私が学んだ事である。だが、知恵の弟子らの間で、これらほどに望む者らはいようか?*5 これら(不純な諸王冠)が聖なる体へと近づくのを強く望み、知恵の弟子らを通じて、これら(不純な諸王冠)は体の中に含まれるのを望むからである。


1075. だが汝は、もしそうならば、聖天使らもまた体の構造には含まれていないだろうと言うかもしれない。


1076. 最も確実に、その問いは完全に間違っている。もし、これらから小さな顔は不在であったとしたら、体の構造の配置の外側に聖なるものらがいる事により、確実にこれらは聖なるものでも、存在し続ける事も出来なかったであろう。


1077. にも関わらず、ダニエル書 第10章6節には「その体はתרשיש(ThRShISh、タルシシュ、緑柱石)のごとく」と、またエゼキエル書 第10章12節には「そのまわりに目が満ちていた」と、さらにダニエル書 第9章21節には「かの人ガブリエル」と書かれている。これら全ては、この人の寓意である。


1078. これら(低位の諸王冠)は、この体の秩序ある配置の中には存在しないのを受け入れている。これらは不純で、近づいて来る者らを堕落させる。


1079. また私が学んだ事によると、左側の霊から進んでくるものがあり、これらは人の姿でも和らげられず、聖なる体の秩序ある配置の外へと進み、結び付いてもいない。


1080. それゆえ、これら全ては不純なもので、世界のあちこちを彷徨い、飛んでいる。


1081. そして、これらは大いなる深淵の口に入り、この体の秩序ある配置から外へと向かった、先の裁く者、低位のカインと呼ばれるものと結びつく。


1082. そして、これらは世界全体のあちこちを彷徨い、上へ下へと飛び、あちこちへと向かい、この体の要素とは結び付いていない。


1083. そのため、これらは外側にあって、不純であり、これらの大群は上や下にある。レビ記 第13章46節に「その住まいは宿営の外でなければならない」と書かれているようにである。


1084. また、アベルと呼ばれる霊、聖なる体の構造の中で和らげられてきたものから、他のものらも出てきており、これらはより和らげられていて、この体と結びつく事ができるが、その中に完全に住む事はできない。


1085. これらは全て風に留まり、これらの不純な類から進み、上や下で様々なものを生み、これらについて語る者への知識を持つ。


1086. またこれは「隠された神秘の書」の言い伝えである。上位の人の要素が聖なる体で和らげられると、男女のこれらの姿は再び、3度目に共に繋がる*6


1087. そして、これらから万物への節制ある者が生まれ、上位と低位の諸世界は和らげられる。


1088. これらにより、上位と低位の諸世界は、聖なる体の姿の下で共に繋がり、諸世界は共に関わり、繋がり、一つの体となる*7


1089. そして万物は一つの体、上位のシェキナー、低位のシェキナー――すなわち聖なる者である。この方が上にて祝福あれ! 下にて祝福あれ!――なので、その霊は引き出され、一つの体へと入り、万物は統一以外の何物でも無くなる。


1090. קדוש קדוש קדוש יהוה צבאות(QDVSh, QDVSh, QDVSh, IHVH TzBAVTh。カドシュ、カドシュ、カドシュ、テトラグラマトン ツァバオト。聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、万軍のテトラグラマトンは!)地の全てはその栄光に満ち、万物はその一つの体にあるからである。


1091. 私が学んだ事によると、この一つの体は別のものにより和らげられているので、雅歌 第1章11節で「我々は銀を散らした金の飾り物を、あなたのために造ろう」と書かれている。裁きと慈悲は共に繋がっており、(別版では、裁きは慈悲を通じて和らげられており)、彼女は彼により和らげられているからである。


1092. それゆえ、彼女は彼を除いて上昇はせず、(雄雌が結び付く)シュロの木のように、片方の性がもう片方を置いて起き上がったりはしない。


1093. それゆえ、私が言い伝えから学んだ事によると、この世界で人類から自らを切り離した者、この世界を去った者がいたら、その後には人類の形態、聖なる体と呼ばれるものに入るべきではなく、人類とは呼ばれずに、この体の形態から離れるべきである。


1094. 私が外部の言い伝えで学んだ事によると、これは(雅歌 第1章11節の)「我々は銀を散らした金の飾り物を、あなたのために造ろう」の意味合いであり、裁きは慈悲により和らげられるので、裁きのありえない所には慈悲も見い出せない。


1095. それゆえ、雅歌 第1章10節で「あなたの頬(の輪郭)は美しく飾られ、あなたの首は真珠をつらねた首飾で美しい」と書かれている。


1096. 「その輪郭(あるいは境界)」については、「金の飾り物を」と書かれている。


1097. 「真珠」については、「銀を散らした」と対応している。


1098. 「あなたの首は」は、女の完成を含んでいる。これは、上では聖なる住居で、下ではエルサレムで見い出せる。


1099. これら全てにより、彼女は男を通じて和らげられ、彼ら二人は、真理の形態においても一つとなる。


1100. この真理とは何か? どこに全ての真理は見い出せるのか?


1101. ゆえに、私が学んだ事によると、アダムと呼ばれる者は誰でも、その魂(ネシャマー)はそこから離れて、彼は死者となり、その住居を(魂が)離れるのは禁じられているので、彼は地に住む事になる。


1102. この体の誉れについては、その中では腐敗は起こらない。


1103. それについては、詩篇 第49篇13節に「人(アダム)は栄華のうちに長くとどまることはできない」と書かれている。すなわち、アダムは全ての栄華を受ける価値があったとしても、そこに住めないのである。


1104. 何故か? なぜなら、もしそうならば、彼はבהמות(BHMVTh、ベヘモス、獣)のようなものとなり、滅びていただろうからだ。


1105. この獣とはどういう意味か? 彼はアダムの種族ではなく、רוחא קדישא(RVChA QDIShA、ルアフ カドシュ、聖霊)を受ける事もできない。また、この獣のようならば、その体には霊が無く、同時にその体、(上位者の像であるので)全ての中で最も誉れ高いものは、不名誉なものと関連づけられるべきではない。


1106. また私が「隠された神秘の書」から学んだ事によると、そのような聖なる体(の像)に留まるのを許され、それでいて霊(ルアフ)が無いならば、それらはこの世界の体の虚無となっていたであろう。


1107. それゆえ確実に、聖なる場所、この地で義がやどる場所に住む事は許されなかったであろう(別版では、聖なる王冠、ケテル、王、小さな顔の命により、この地(では住む事は許されない)。それについてはイザヤ書 第1章21節に「正義がそのうちにやどっていた」と書かれている)。


1108. *8この尊い体は王の姿をしているからである。だが、留まる事が許されたとしたら、それは獣らの一つとして数えられていたであろう(別版では、この尊い体は王の姿と呼ばれるからである。だが、それが左に住むならば、獣のようなものだったであろう)。それゆえ、「獣のようなもので滅びる」と言われる。


1109. 私が学んだ事によると、これは創世記 第6章2節に「神(エロヒム)の子たちは人(アダム)の娘たちの美しいのを見て、自分の好む者を妻にめとった」と書かれている。これら(エロヒムの子たち)は退いて、大いなる深淵の口*9に入った者らである。


1110. 「アダムの娘たち(ここで注意すべき点として、האדם(HDAM、ハ=アダム)と書かれていて、指示詞で強調詞の固有名詞であるのを意味する)」は、アダムの種である。


1111. 次の節には「地にネピリムがいた。これは神の子たちが人の娘たちのところにはいって、娘たちに産ませたものである」などとある。この場所とは地の事であり、言い伝えでは、ימי עולם(IMI OVLM、イェミ オラム、日の世界)である。


1112. この名前は不純である*10。これらからרוחין(RVChIN、ルアヒン、霊ら)とשדין(ShDIN、シェディン、悪魔ら)がこの世界にと生まれ、悪しき者らと繋がっている。


1113. また、「הנפילים(HNPILIM、ハ=ネピリム、巨人ら)が、בארץ(BARTz、ベ=アレッツ。地に)いた」とあるが、去ったうちで抑圧していた者は、地に存在しなかっただろうからだ。


1114. これらの巨人らはעזא(OZA、アザ)とעזאל(OZAL、アザエル)であり、地に住んでいた。そしてエロヒムの子らは地にはいなかった。そしてこれは奥義であり、これら全ての事柄は述べられた。


1115. また、創世記 第6章6節には「主(テトラグラマトン)は地の上に人(アダム)を造ったのを悔いて、心を痛め」と書かれている。すなわち、上位のアダムが地にはいないように制約した。


1116. この「主は悔いた」とは、小さな顔の事を述べている。


1117. そして「心を痛め」では、ויעצב(VIOTzB、ヴァ=ヤウツェブ、痛みに影響された)とは書かれずに、ויתעצב(VIThOTzB、ヴァ=イェタウツェブ。痛みに触れた)と書かれている。すなわち、この問題に拠る者から、この方は痛みに影響されている。この方は痛みに触れないよう制約されているからである。


1118. 「心を痛め」では、「その心の内には」と書かれておらず、「人が痛みに影響され、主の前で嘆く時のように、その心はあった」。この心の中は、全ての心の中の心を表すからである。


1119. そしてテトラグラマトンは(次の第7節で)「私が創造した人(アダム)をהאדמה(HADMH、ハ=アダマー。地)のおもてからぬぐい去ろう」と言われた。制約されたアダム*11は、上位だからである。


1120. そして、汝が低位のアダムのみを理解すればよいと言うならば、これらは共に対立できないと知るべきである。片方はもう片方無しには存在できないからである。


1121. そして、ホクマー(知恵)が全てから隠されなければ、万物は始まりから従っていたであろう。


1122. ゆえに、箴言 第8章12節では「אני חכמה(ANI ChKMH、アニー ホクマー、知恵である私)は悟りを住処とし」と述べている。ここでは、שכנתי(ShKNThI、シェケネト、私は住む)とは書かれずに、שיכנתי(ShIKNThI、シェキネタイ。我がシェキナーあるいは我が臨在)と書かれている。


1123. そしてアダムが無かったならば、この世界は存在しなかっただろう。箴言 第3章19節に「יהוה בחכמה יסד ארץ(IHVH BChKMH ISD ARTz、テトラグラマトン ボ=ホクマー イェセド アレッツ。主(テトラグラマトン)は知恵(ホクマー)をもって地の基をすえ)」と書かれているようにである。


1124. また、創世記 第6章8節にも「しかし、ノアは主(テトラグラマトン)の前に恵みを得た」と書かれている。


1125. また私が学んだ事によると、全ての脳は、この(上位の)脳に拠っている。


1126. またホクマー(知恵)は、一般的な名前であるが、この隠された知恵は人の姿を強め、固め、その場所に住めるようにする。


1127. それは、伝道の書 第7章19節で「知恵が知者を強くするのは、十人のつかさが町におるのにまさる」と書かれているようにである。この(10の数)は、人の統合された構造である。


1128. このアダムはまことに、低位の構造であり、この中にはרוח(RVCh、ルアフ、霊)が含まれる。それについては、サムエル記上 第16章7節で「人(アダム)は外の顔かたちを見、主(テトラグラマトン)は心を見る」と書かれているようにである。これは、低位者の部分の中の事である。


1129. そして、この形成の中で、上の玉座に存在する万物の真の完成が現れる。これについて、エゼキエル書 第1章26節に「またその玉座の形の上に、人(アダム)の姿のような形があった」と書かれているようにである。


1130. また、ダニエル書 第7章13節にも「見よ、人の子のような者が、天の雲に乗ってきて、日の老いたる者のもとに来ると、その前に導かれた」と書かれている。


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↑ 明かされたカバラ


*1 マサース注。これは三重に偉大なヘルメースのエメラルドタブレットにある言葉「上にあるものは下にあるが如き、下にあるものは上にあるが如し。この形質の奇跡を起こすために」の2つ目の文節と同等である。
*2 マサース注。一見すると何を言っているのか理解できないが、慎重に読んでいくならば、ここでの「義人」とは、小さな顔、息子、「人の姿をしたもの」の事であり、6つ組とあるのは、この小さな顔は6つのセフィロト――ヘセド、ゲブラー、ティフェレト、ネツァフ、ホド、イェソド――で構成されているからである。
*3 マサース注。通常の聖書では、「大理石の柱」と訳されている。ここでのשש(ShSh)は、「大理石」とも「6つ」とも点の位置によって訳せるであろう。
*4 マサース注。これは「セフェル イェツィラー」の第1章3節の以下の文と比較せよ。「10は制約された計算(セフィロト)である。10の数は指であり、חמש כנגד חמש(ChMSh KNGD ChMSh、5つに対して5つ)があり、新生の御言葉、力の御言葉にて、純粋な統一は彼女の力の玉座に座る」
*5 マサース注。この節は、おそらくは義人が向上するために、不純なだけではなく、悪魔そのものすら探索すべきであるという教義を含むのを意図しているように思える。
*6 マサース注。最初の結合によりカイン、厳しく悪しき裁く者を生み、2度目によりアベル、穏やかで弱い形でありカインに飲み込まれた者を生み、この3度目にはセト、上位者と低位者らの均衡を生む。
*7 マサース注。マルコによる福音書 第10章8節「彼らはもはや、二人ではなく一体である」
*8 マサース注。この節では、神の霊が体から去っても、体が生きたままでいれるかの考えを述べている。
*9 マサース注。先の1048節を参照せよ。
*10 マサース注。クロル フォン ローゼンロートは、このאנשי(ANShI、アネシ)をViri(人々)と訳しているが、私は「不純」と訳する方を好む。
*11 マサース注。あるいは対照するアダム。