ゾーハル 大聖会の書 40

ページ名:ゾーハル 大聖会の書 40

第40章 小さな顔の女性の部分について


945.それゆえ、このアダムが形成された際に、その中に両性具有が配置され始めた。そして、その背中(別版では、その胸)より始まった。


946. その2つの腕の間、髭が吊るされた場所は、ティフェレト(美)と呼ばれる。


947. そして、この美は2つの胸に拡張し配置された。


948. これは背中から分離され、女の頭を生み出し、その顔の(境界の)あらゆる面で、その髪の毛で覆われている。


949. このティフェレト(美)を通じて、アダムは男と女を含む1つの体となる。


950. それについては、イザヤ書 第44章13節に「כתפארת אדם(KThPARTh ADM、ケ=ティフェレト アダム。人の美しい姿にしたがって)人の形に造り、家の中に安置する」と書かれている。


951. この女の顔が造られたら、小さな顔の背中にある巻き毛の房の1つが、この女の顔を吊るす。


952. そして彼女の頭から赤や黄金の毛全てが生えていき、また他の色もそれらと混ざり合う。


953. これについては、雅歌 第7章5節に「髪の毛はארגמן(ARGMN、アルガマン、紫色)のようで」と書かれている。


954. このアルガマンとは何か? 他の色と混ざり合っている色である。


955. このティフェレト(美)は、心臓から拡張し、他の面へと貫き、通り抜けて、女の顔からその心臓を形成する。そのため、この心臓の部分はこの面に起き上がり、心臓の末端の部分はかの面に起き上がる。


956. さらにこのティフェレトは拡張し、男の内なる部分を形成する。


957. そして、全ての慈悲と慈悲の要素へと入り、配置する。


958. また私が学んだ事によると、これらの内なる部分は慈悲の600,000の主らを含んでいて、これらは内なる部分の主らと呼ばれている。


959. なぜなら、エレミヤ書 第31章20節に「主(テトラグラマトン)は言われる。それゆえ、わたしの心は彼をしたっている。わたしは必ず彼をあわれむ」と書かれているからである。


960. 私が学んだ事によると、このティフェレト(美)は慈悲と裁きを取り囲み、この慈悲は男の中に拡張する。


961. そして他の面にも通り抜けていき(別版では輝き)、裁きの面の女の内なる部分を形成する。また、それにより女の内なる部分も配置する。


962. 私が学んだ事によると、男はその面(別版ではその心臓)に248の部分*1を形成している。その一部は内側に、一部は外側に、一部は裁く者らである。


963. 裁きと関わり密接にある全ては、女が拡張している隠された部分の周囲にあり、これらはこの面の周囲に集まり拡張している。


964. また私が学んだ事によると、かの面には5つの裸が露にされる。それは5つの裁きであり、これら5つの裁きは248の部分へと拡張している*2


965. ゆえに私が学んだ事によると、女の中の声は露にされ、この女の髪も露にされ、その足*3も露にされ、その手も露にされ、その足首も露にされる。


966. さらに、これら2人の我らの仲間らは尋ねていないが、これら2人はさらに裸にある。


967. また私が「隠された神秘の書」で学んだ事によると、この男は拡張し、その部分を固め、それは純粋な形で覆われていたが、その部分は純粋であった。


968. この248の部分は世界全体の広さがあり、またこれらの部分全てはテトラグラマトンの4文字のי(I、ヨド)に拠っている。


969. そして、このヨド、その働きが見い出されたら、そこには上位の善も見い出せる*4


970. この部分は慈悲であるが、その働きは適切には、この部分の名前で呼ばれる。そして、י(I、ヨド)、その働きの部分が露にされない限り、慈悲とは呼ばれない。


971. そして、来たりて見よ。アブラハムは、י(I、ヨド)、この部分が露にされるまでは、この慈悲では完全には呼ばれなかった。だが、これが露にされた時、アブラハムは完全と呼ばれた*5


972. これについては、創世記 第17章1節に「(主はアブラムに言われた。)あなたは私の前に歩み、全き者であれ」と書かれている。


973. また、詩篇 第18篇23節にも「私は主の前に欠けたところがなく、自分を守って罪を犯しませんでした」と書かれている。


974. (これらの文の)第1と2の例にあるのは誰か? 確実にヨドを露にし、守り、ヨドに敵対する力をもたらすのを防いできた者である。この者は来るべき世界でも共にあり、命の束に結ばれるであろう。


975. では「敵対する力」とは何か? これについては、マラキ書 第2章11節に「(ユダは)他の神に仕える女をめとった」と書かれている。


976. それゆえ「私は主の前に欠けたところがなく」と書かれているのは、「ヨドを露にして完全となった」からであり、「自分を守って罪を犯しませんでした」。


977. そして、この部分全体は拡張し、女の厳格な左側に拡張した。


978. そして、これは女の特別な場所に組み込まれ、印となり、それらを裸にする。すなわち、女の側面、体全体のほとんどが露とされる*6


979. また私が学んだ事によると、5つの厳格な裁きが含まれた裁きを和らげるために、彼女の肌の全ては隠され、この場所、明かされた部分の場所は、慈悲と呼ばれる。


980. そして、この慈悲はそれ自身に5つの慈悲を含んでいる(別版では、この中に他の慈悲らからの慈悲が存在する)。そして、これらからの慈悲は右側であり、それらからの峻厳は左側にある。


981. そして、峻厳が慈悲により和らげられると、これら両方の相を持つ者が人と呼ばれる。


982. それゆえ、この王冠全て(先の状態)は、王*7の諸構造が日の老いたる者により準備されるまでは、永続するものではなかった。それにより王は女*8を確立させ、彼女が和らげられるために、諸世界を創造し、(それらの)構造を形作った。


983. この上位の慈悲が降りて、女の諸構造が永続するものになり、(小さな顔の)慈悲と呼ばれるこの部分により和らげられる。


984. これについて、創世記 第36章(31節)では「エドムの地を治めた王たち(がいた)」と書かれている。この地は全ての裁きが見い出せ、これらは女を構成するものである。


985. なぜなら、「地にいて」ではなく「地を治めた」と書かれているからである。これらは全てが形成され、慈悲が向かうまでは和らげられないからである。


986. それゆえ「そして、この王たちは死んだ」と書かれている。なぜなら、これらは永続するものではなく、裁きを通じて裁き*9は和らげられてもいないからである。


987. そして汝が「これら全てが裁きであり、そのため、創世記 第36章37節で「ユフラテ川のほとりにあるレホボテのサウル*10がこれに代って王となった」と書かれているのは、この者が真に裁きから除外された(象徴な)のか?」と言ったとしよう。


988. 私が学んだ事によると、これら全ては裁きを示すが、1つの例外があり、最後まで留まる。


989. だが、この川のほとりのレホボテのサウル王は秩序ある者(別版では、側面あるいは相ある者)であり、この秩序は川のほとりのレホボテから拡張して進む。


990. そして、これはビナーであり、そこから光と輝きの世界の諸相である50の門*11が開く。


991. これは、川のほとりのレホボテについて述べられた事の意味である。そして、これらは全てが裁きではない。汝はこれらは廃されたとは言わなかったが、これらは女の面からの、この王国で永続するものではない。


992. やがては、これらは刺激され、拡張し、その最後の者については(創世記 第36章39節に)「そして、הדר(HDR、ハダル)がこれに代って王となった」とある。


993. このハダルとは誰か? 上位の慈悲である*12


994. 次には、「その都の名はפעו(POV、パウ、叫ぶ)であった」とある。このパウとは何か? これを通じて、この人は聖霊の価値のある者へと祈る。


995. 次には、「その妻の名はמחיטבאל(MChITBAL、メヘタベル)といって」とある。ここで彼らは共に和らげられる。そして、この(ハダルの)妻の名前は、エドムの他の王らには書かれていない。このמחיטבאל(MChITBAL、メヘタベル)は、AL EL MChI TB AL(慈悲の名前により、より良くなるように)の意味合いを生み出し、片方によりもう片方も和らげられる。


996. この妻は「מטרד(MTRD、マテレデ)の娘であった」とあり、峻厳の面で作り上げられ、さらにこの女は「מיזהב(MIZHB、メザハブ)の娘」とある。これは、מי(MI、メ、水銀*13)と、זהב(ZHB、ゼハブ、金)、つまり慈悲、裁きとを堅固に共に整え、編みこむ。


ゾーハル 大聖会の書 41
↑ 明かされたカバラ


*1 マサース注。この248の部分 = רחם(RChM、ラヘム、慈悲) = 200 + 8 + 40である。それゆえ、この概念を含んでいる。
*2 マサース注。この5つとは、テトラグラマトンיהוה(IHVH)の女性原理のה(H、ヘー)の数であり、この数はまた小宇宙、低位の世界の数でもある。この数の象徴あるいは印は五芒星である。この5つの裁きが拡張した248の部分は慈悲のそれらとも関連している。
*3 マサース注。原書での言葉はשוק(ShVQ、ショク)である。フュアーストはこれを足、特に膝から足首までと訳している。ゲセニウスのヘブライ語辞典でも同様である。だが、より大著であるヘブライ語とカルデア語の辞典では、うっかりしていたせいか、含まれていない。ザノリーニはこれを「armus, Crus」と訳している(後略)。
*4 私はこれはラテン語のままに留めるのが良いと考えた。通常の学徒はラテン語も同様に読めるだろうからだ。そして、これは英語での表現には良く適していない。これには性器の象徴が含まれているからだ。(訳注。この辺りの節は原書ではラテン語のままにされている。性に極端に厳格だったヴィクトリア朝時代の反映である。また当時の読書人の教養の高さは、現代とは比較にならない。ラテン語は出来て当たり前である。)
*5 マサース注。これは創世記でのאברם(ABRM、アブラム)とשרי(ShRI、サライ)がאברהם(ABRHM、アブラハム)とשרה(ShRH、サラ)へと名前を変えた話を、カバラの象徴により表わしているように思える。ABRM = 243は、ABRHM = 248へとה(H、ヘー)の字の5の値を加えられた。また、ShRI = 510は、ShRH = 505へと、最後のי(I、ヨド)の5を引いている。248は小さな顔の部分の数であり、5は5つの裁きである。それゆえ、アブラムとサライを合わせて、243 + 510 = 753となるが、アブラハムとサラ 248 + 505 を足しても、753の同じ値が得られる。そのため、これらの2組の名前の総数は変わらない。
*6 ここら辺の節も、当然全てラテン語のままである。マサースも読んでて頭を抱え込んだ事だろう。
*7 マサース注。小さな顔の事である。
*8 マサース注。これは第10のセフィラ、マルクト、王妃、小さな顔の花嫁である。また他の宗教の(女神の)イシス、レアー、ケリドウェン、ヘルタなどでもある。彼女は自然であり、我々全ての太母である。
*9 マサース注。ソロモン王の神殿の入り口の2本の柱の名前(ヤキンとボアズ)の意味と、これを比較せよ。
*10 マサース注。レホボテのサウルが裁きから除外された象徴として挙げられている理由は、一見しては明らかではない。だが、רחובות(RChVBVTh、レホボテ)の言葉をゲマトリアにより調べると、その理由が明らかとなる。R + Ch + V + B + V + Th = 200 + 9 + 6 + 2 + 6 + 400 = 623 = ברכת(BRKTh、ベラコト、祝福)となるからである。また、この川の水は、第3のセフィラ、ビナーである。
*11 マサース注。先の「隠された神秘の書」を参照せよ。
*12 マサース注。הדר(HDR) = 213であり、חסד עלאה דאל(ChSD OLAH DAL、ヘセド アラー ダ=エル。エルの上位の慈悲)もまた213だからである。またヘセドは第4のセフィラであり、川のほとりのレホボテのサウル王をハダルが継いだように(訳注、実際にはこの2人の間には、アクボルの子バアル ハナンがある)、第3のビナーから流出している。
*13 マサース注。ここでは錬金術の象徴主義とも関連している。メザハブは哲学の水銀である。