ゾーハル 大聖会の書 37

ページ名:ゾーハル 大聖会の書 37

第37章 小さな顔の髭の第3の部分について


867. また私が学んだ事によると、不法に耐えるものと(先の)第2の構造は呼ばれ、それは聖なる老いたる者のものに似ている。


868. だが、この第3の構造では、2つの鼻の孔の下の小路には短く硬い毛で満たされるので、この小路の構造は「不法に耐え、罪を贖う」とは呼ばれず、別の場所でそれらは共に集められる。


869. また私がバリエタで学んだ事によると、日の老いたる者の慈悲には375の慈悲が含まれ、それら全ては原初の慈悲と呼ばれる。


870. それについては詩篇 第89篇49節に「主よ、あなたがまことをもってダヴィデに誓われた昔の慈しみはどこにありますか」と書かれているようなものである。そして、これら全ては最も聖なる老いたる者、全てにおいて最も隠れた者の慈悲に含まれる。


871. だが、小さな顔の慈悲はחסד עולם(ChSD OVLM、ヘセド オラム、時の慈悲)と呼ばれる。


872. そして「隠された神秘の書」(で私が学んだこと)によると、日の老いたる者の前の慈悲は「豊富な慈悲」と呼ばれるが、小さな顔の慈悲(の言葉)は単独で絶対的に置かれる。


873. それゆえ、ここでは「慈悲に満ちて」と書かれている。だがまた、「数千のために慈悲を保ち」とも平明で追加するものもなく書かれている。


874. そして、この御名「豊富な慈悲」について私が教えられた事によると、これらは(低位の)慈悲と混ぜられるので、全ての光へと輝く(別版では、この御名「豊富な慈悲」は、絶対的な慈悲と呼ばれる慈悲へと引き伸ばされ、照らし、灯りを点ける)。


875. 私が学んだ事によると、この鼻の2つの孔の下を降りる小路は、短い毛で満たされている。そしてこの小路について、「罪を贖う」と書かれている(別版では、この小路にはより短い毛で満たされているが、この小路は「罪を贖う」とは呼ばれない)。なぜなら2つの理由から、ここで罪を贖う事は無いからである。


876. 第1に、この小路は罪を贖うには硬い場所だからである(別版では、ここで見い出せる毛は硬いからである)。


877. 第2に、この罪を贖う小路は口の始まりにまで均等に降りているからである。


878. だが、これらについては、雅歌 第5章13節に「その唇は、薔薇の花のようで(すなわち、薔薇のように赤い)*1、没薬の液をしたたらす」と書かれている。これは明白な赤を示している。


879. そして、この場所のこの小路は二重の形をしていて、混ざり合わない。なぜなら、迫るのを望む者は、その手でこの小路を2度触れるからである。


ゾーハル 大聖会の書 38
↑ 明かされたカバラ


*1 マサース注。この文の英語版では「His lips like lilies, dropping sweet-smelling myrrh.」とある(訳注。日本語版でも百合となっている)。ここでクロル フォン ローゼンロートにより薔薇と訳された言葉は、שושנים(ShVShNIM、ショシャニム)で、通常の版のように、疑い無くこれは「百合」と訳すると私は考える。この章の象徴主義は非常に難しく、曖昧である。