ゾーハル 大聖会の書 35

ページ名:ゾーハル 大聖会の書 35

第35章 小さな顔の髭の第1の部分について


819.第1の構造では、この髭の毛は耳の入り口の前から進み、その房は耳から垂れていて、毛は降りていき、口の入り口まで均等に進む。


820. 私が学んだ事によると、これらの毛全ては、頭の房の他の全ての毛よりも硬い。頭の毛はより長く、容易に曲げられるが、この(髭の)毛はそう長くはない。


821. 頭の毛は、一部は硬くて、一部は柔らかい。


822. 日の老いたる者の白い房が、小さな顔へと到達するたびに、箴言 第1章20節で「知恵は、外側に呼ばわり」と書かれているようになる。


823. この「外側」とは何か? 小さな顔の事であり、(広大な顔と小さな顔の)脳の2つ(の形)が結び付く。脳に2つの形があると汝は言ったか?(と、あなたは尋ねるかもしれないが)実際には、脳には4つの形があると言われる。


824. 確かに(そのうちの)小さな顔には3つの脳があり、これらはその頭蓋骨の3つの空洞の中に見い出せる。


825. さらに(広大な顔の)1つの静かで平穏な脳が、それ自身の透明な輝きの中にあり、これら3つの脳全てを含み、ここから髪の毛は伸びていて、そこから均等に白い髪が小さな顔の頭へと到達し、その3つの脳へと入る。そのため、小さな顔の中には、4つの脳が見い出せる。


826. それゆえ、(ユダヤ教の)聖句箱には4つの文が書かれている。なぜなら、それらの中に、日の老いたる者、老いたる中の老いたる者、さらに小さな顔の聖なる御名が含まれているからである。


827. これは聖なる御名の完成であり、それについて申命記 第28章10節では「地のすべての民は皆、あなたが主(テトラグラマトン)の御名をもって唱えられるのを見て、あなたを恐れるであろう」と書かれている。


828. この主の御名とは、テトラグラマトンの御名そのものであり、それは聖句箱の溝と穴を形成する。


829. そのため、箴言 第1章20節で「知恵は、外側に呼ばわり」と書かれている。なぜなら、それはこの中(小さな顔の中)に見い出せるからである。


830. まことに、日の老いたる中の老いたる者は、全ての隠れたものとともに隠れており、見いだせず、その知恵も(公には)来ないからである。その知恵は全てに隠されていて、自らを発現させない。


831. それゆえ、4つの脳が共に結び付き、そこから四方へ向かって均等に泉が流れている。そして、これらは全て1つの泉から与えられたものであり、それらは全てに先立ってあり、それゆえ4つあるのである*1


832. また私が学んだ事によると、この4つに含まれた知恵から髪の毛が流れ落ちて、巻き毛の中の巻き毛として吊るされ、強く密接にあり、それぞれが自らの方角にわずかに広がっている。


833. そして千の千倍の無数の中の無数のものは、これらに拠るのであり、それらは数えきれない。


834. これについて雅歌 第5章11節に「その髪の毛はתלתלים(ThLThLIM、テルテリム、うねっていて)」と書かれているものと同じである。これはיהלי תלים(IHLI ThLIM)かのようであり、巻き毛の中の巻き毛で集められる。


835. そして、これら全ては強く密接にあり、(敵対するものが)破壊しようとしても、岩のように固い。


836. これらが頭蓋骨が開かれて、泉がその房の下を流れられるようにするまで、これらの強い泉らは分離された方角で、分離された道を流れる。


837. そして、これらの房は黒く、曖昧なので、ヨブ記 第12章22節に「暗やみの中から隠れた事どもをあらわし、暗黒を光に引き出し」と書かれている。


838. さらに私が学んだ事によると、これらの髭の毛は頭の毛よりもはるかに硬い。なぜなら、これらのみにより、自らを顕著にさせ、容易に見い出せるようにし、これらの小路*2では硬くなるからである。


839. 何故に、汝はこれらが硬いと言うのか? これらは全て裁きの象徴だからか? そうではない。まことに、これらの配置の中には、慈悲も裁きも見い出せる。


840. 13の聖油の泉の川が流れ落ちる時は、これら全ては慈悲である。


841. だが他にも私が学んだ事は、これらの髭の全ての毛は硬い。何故か? これら慈悲を象徴するものも、裁きの流れを逸らすために、硬い必要があるからだ。


842. そして、裁きを示すもの全てもまた硬いものであり、そのため、これら両者ともいずれも硬くする必要があるのである。


843. そして、世界が慈悲を必要とする時には、慈悲は強まり、裁きに勝る。だが、裁きが求められる時には、裁きは強まり、慈悲に勝る。それゆえ、いずれの場合でも、これらは硬く強い必要がある。


844. そして、慈悲が求められる時には、慈悲を象徴する毛は立ちあがり、髭はこれらの毛のみであるのは明白であり(別版では、これらの毛のみを含んでいる)、全ては慈悲で満たされる。


845. だが裁きが必要な時には、髭は明らかにそれらの(裁きを示す)もののみとなり、全てが裁きで構成される。


846. だが、聖なる白い頭*3が露にされると、これら(慈悲を示す毛)全てと、これら(裁きを示す毛)全ては照らされ、人が川で沐浴して、その不浄を清めたように輝く。


847. そして、全ては共に慈悲で構成され、裁きはどこにも見い出せない。


848. そして、これら9つの形*4は共に輝き、全ては慈悲により白くなる。


849. それゆえ、モーセは他の箇所、民数記 第14章18節で「主(テトラグラマトン)はארך אפים(ARK APIM、アリク アピム、怒ることおそく。文字通りには長い鼻で)、いつくしみに富み」と述べている。


850. そして、まことについてモーセが述べた事については、出エジプト記 第34章6節では述べられていないが*5、その奥義は、日の老いたる者から小さな顔へと輝き降りる、これら9つの構造の事だからである。


851. モーセがこの民数記 第24章18節の2番目の文で、これらの神を称える言葉を繰り返して、9つの構造を挙げている。そして、これらは髭の構造であり、それらは小さな顔に見い出せるものであったとしても、それらは日の老いたる者から降りてきて、輝かせるものである。


852. そのため、אמת(AMTh、エメト、真理)は、日の老いたる者に拠るのであり、そのためモーセはこの文では「そして、まことの」を述べていないのである。


853. 私が学んだ事によると、この小さな顔の頭の毛は、全てが硬く、巻き毛であり、柔らかくない*6


854. 我らは小さな顔の中に、3つの脳の形を見て、(頭蓋骨の中の)3つの空洞にて見い出せ、それらは隠された脳により輝くからである。


855. そして、日の老いたる者の脳は、酒粕にある良きワインのように、静かで安らいでいるので、全てのその髪は柔らかく、素晴らしき油で塗られている。


856. それゆえ、ダニエル書 第7章9節に「頭の毛は混じりもののない羊の毛のようであった」と書かれている。


857. だが、小さな顔のものは一部は硬く、一部は硬くない。なぜなら、これらは全て吊るされていて、これらの源から導かれたものでは無いからである。


858. それゆえ、知恵*7は(これらから)流れ進んでいく。だが、これは知恵の中の知恵(ケテル)ではない。それは静かに安らいでいるからである。


859. 私が学んだ事によると、日の老いたる者自らを除いて、その脳については誰も知らない。


860. この事についてヨブ記 第28章23節で「神はこれに至る道を悟っておられる」などと述べているのは、まさにそれである。これら(の言葉)は、小さな顔について述べているのである。


861. ラビ シモンは、(ラビ エレアザルに)言った。「汝、我が息子に、聖なる祝福された方から、この世界でも、来るべき世界でも、祝福があらんことを!」


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↑ 明かされたカバラ


*1 マサース注。この1つから発された4つが万物を含むというのは、正確にピュタゴラスのテトラクティスの教義であり、ピュタゴラス自身これをカバラの情報源から得た可能性が高い。もっとも確かに、古代のほとんどの宗教は、4の数に重要性を与えてはいたが。4の数には、10の全体を含んでいるといわれる。なぜなら、最初の4つの数(1,2,3,4)を足したら10となるからである(1 + 2 + 3 + 4 = 10)。そして、8は4と対照しており、そのため8はיהוה אדני(IHVH ADNI)となる(序説を参照せよ)。また、1 + 2 + 3 + 4 + 5 + 6 + 7 + 8 = 36、黄道のデカン(10度ずつのグループ)の数となる。また、 5 + 6 + 7 + 8 = 26となり、これはIHVHの値である。そのため36は、テトラグラマトンの4文字と、セフィロトの数の総数を表している。
*2 マサース注。この小路という言葉については、序説を参照せよ。
*3 マサース注。勿論、これは広大な顔、日の老いたる者の事である。
*4 マサース注。小さな顔の髭を分割した9つの構造の事である。
*5 マサース注。私は読者の便のために、ここで2つの文を並列で与えるとしよう。出エジプト記 第34章6-7節では「主、主、あわれみあり、恵みあり、怒ることおそく、いつくしみと、まこととの豊かなる神。いつくしみを千代までも施し、悪と、とがと、罪とをゆるす者、しかし、罰すべき者をば決してゆるさず、父の罪を子に報い、子の子に報いて、三、四代におよぼす者」とあり、民数記 第14章18節では「主は怒ることおそく、いつくしみに富み、罪ととがをゆるす者、しかし、罰すべき者は、決してゆるさず、父の罪を子に報いて、三、四代に及ぼす者である」。
*6 マサース注。カルデア語版とラテン語版では同様に書かれているように思える。だが、この文は587節と857節に矛盾している。私は「柔らかく」の前にあるLA(否)は誤字であるように思える。あるいは、これは頭の毛ではなく、髭の毛を指している。
*7 マサース注。すなわち、第2のセフィラ、ホクマーの事であり、ホクマーの源はケテルには隠されていない。ケテルの中には全ての他のセフィロトが含まれるからである。