ゾーハル 大聖会の書 33

ページ名:ゾーハル 大聖会の書 33

第33章 小さな顔の耳について


707. 私が学んだ事によると、列王記下 第19章16節に「主よ、耳を傾けて聞いてください」と書かれているが、この耳は髪の下に隠されており、髪は覆うように降りているが、なおも耳は聴くために、そこにあるのである。


708. そして、耳の内なる部分は、螺旋階段のように強く凹面の形をして作り上げられており、あらゆる面で内側に曲がっている。


709. だが、なぜ曲がっているのか? それによって、小さな顔は善悪の両方を聴けるからである。


710. また、私が学んだ事によると、この耳の中の曲がった部分に、全ての翼ある主らは拠っており、それらについては伝道の書 第10章20節で「(王や富める者を呪ってはならない。なぜなら)空の鳥はあなたの声を伝え、翼のあるものは事を告げるからである」と書かれている。


711. この耳の中には、脳の3つの空洞の部分から、この耳の入り口へと(霊が)流れている。そして、この(霊の)流れに沿って、深い底(別版では内屈した場所)へと声が送られて、善であれ悪であれ、この蒸留した(霊と)混ざり合う。


712. 善については、詩篇 第69篇33節に「主(テトラグラマトン)は乏しい者に聞き」と書かれており、悪については、民数記 第11章1節に「民は災難に会っている人のように、主の耳につぶやいた。主はこれを聞いて怒りを発せられ、主の火が彼らのうちに燃えあがって、宿営の端を焼いた」と書かれている。


713. また、この耳は外側からは閉ざされており、その底(別版では内屈した場所)へは脳からの啓明の回廊の中を進む。


714. それにより、声は共に内側で集められ、放たれる事は無く、守護され、あらゆる面で閉ざされる。ゆえに、これは奥義の性質なのである*1


715. 災いなるは、これらの秘密を明かす者である! この秘密を明かすのは、上位の形成を否定するのと同じだからである。これらは、共に集まるように配置され、外側へと放たれないようになっているのである。


716. また、バリエタ*2から私が学んだ事によると、人々が困難から救いの叫びをあげると、小さな顔の髪は耳の前から動き、声が耳へと入って回廊を進み、また蒸留の霊も脳から(同様に、この回廊へと入る)。


717. そして脳の中で、これらは集められ(別版では、脳の中へと滑りこみ)、2つの鼻の孔から出ていき、躍動し、(小さな顔の)鼻は短くなる。(すなわち)火により赤くなって、火と煙がそこから出ていく。そして、これらの鼻の孔は全ての峻厳なる者らを刺激し、復讐がなされる。


718. まことに、これらの鼻の孔から火と煙が放たれる前には、(救いを求める)声が上へと上昇し、脳の入り口(耳)へと滑り込み、その目から2つの涙が流れる。


719. そして、この声によって、輝きからの煙と火が放たれ、これらの門を開く。この耳へと入った声によって、これらの者全ては刺激され、駆り立てられる(別版では共に混ざり合う)。


720. それゆえ、民数記 第11章1節に「民は災難に会っている人のように、主の耳につぶやいた。主はこれを聞いて怒りを発せられ、主の火が彼らのうちに燃えあがって」と書かれているのである。この声を聞いた事により、脳全体は刺激されたからである。


721. 私が学んだ事によると、列王記下 第19章16節に「主よ、耳を傾けて聞いてください」と書かれているが、それは「600,000のこれらの翼ある者らを、引き伸ばされた耳から放ちたまえ」と言うようなものである。そして、これらの者全ては、テトラグラマトンの耳と呼ばれる。


722. それゆえ、「主よ、耳を傾けて聞いてください」という時、この「耳を」とは、小さな顔の耳の事である。


723. 脳の1つの空洞に、これらの耳は拠っている。そして、この空洞からの50の門*3があるが、これはその1つであり、拡張され、進み、耳の回廊へと開かれている。


724. それは、ヨブ記 第34章3節の「耳は言葉をわきまえるからだ」と、また詩篇 第7篇9節の「義なる神よ、あなたは人の心と思いとを調べられます」と書かれているようなものである。


725. そして、この50の門の空洞の体へと進む拡張に比例して、これも心臓が住む場所にすら拡張する。


726. それゆえ、この耳については、この中で観察がなされると言われる。また、心臓についても、この中で観察がなされると言われる。なぜなら、これら両者とも同じ場所から進んできたからである。


727. 私が「隠された神秘の書」から学んだ事によると、この耳が善悪いずれも証しするように、小さな顔の中にある全てのものは、一部は善で一部は悪、右と左、慈悲と裁きがある。


728. そして、この耳は脳へと繋がっており、それはこの耳に入った声が直接に脳の空洞へと導かれるからである。


729. それゆえ、この耳について、聴くものだと呼ばれる。だが、この聴く事の中に、ビナー(理解。第3のセフィラ)が含まれる。なぜなら、聴くというのは、理解するのと同じだからであり、それにより、全ての問い合わせは共に問い合わされる。


730. そして、主の中の主のこれらの言葉が与えられる事で、人々はそれを聞き、それについて黙想して、理解するのである。


731. 来たりて見よ! ハバクク書 第3章1節に「主(テトラグラマトン)よ、私はあなたのことを聞きました。主よ、私はあなたの御業を見て恐れます」と書かれている。


732. この文には、こういう意味がある。この聖なる預言者がこれらの構造を聞き、理解し、知り、心に留めたのである。そして「私は恐れます」と書いてあるが、正しくもそう書かれており、預言者は恐れ、その御前に跪く。なぜなら、これらの言葉は、小さな顔について述べているからである。


733. そしてさらに、預言者は理解し、知る。そしてなんと書かれているか?「この年のうちにこれを新たにし、この年のうちにこれを知らせてください」とある。だが、日の老いたる者について、ここでは述べている。


734. そして、これらの全ての文の中には、テトラグラマトンが見い出せる。ヨドとヘーが2回あるテトラグラマトンや、アレフとダレトとヨドとヘーがあるものなどで、片方は小さな顔に属するものであり、もう片方は老いたる中の老いたる者に属している。なぜなら、これら全ては1つの特定のものであり、そのため同じ名前で呼ばれるのである。


735. また私が学んだ事によると、いつ完全な御名が表現されるのか? いつ、יהוה אלהים(IHVH ALHIM、テトラグラマトン エロヒム)と書かれるのか? これは全ての中で最も老いたる者と、小さな顔の完全な御名だからである。これらが共に加わると、完全な御名と呼ばれる。だが、他の形は、私がすぐ前に述べたような完全な御名とは呼ばれない。


736. そして、創世記 第2章8節で「主なる神(テトラグラマトン エロヒム)は東のかた、エデンに一つの園を設けて」などと述べられると、完全な御名が与えられる。ここでは、エデンの園を設ける事についてであるが、どこであれテトラグラマトン エロヒムが書かれるならば、完全な御名が表現される。


737. יהוה יהוה(IHVH IHVH)の中には、一般の万物が含まれている。そして、慈悲が万物を刺激する。


738. そして「(テトラグラマトンよ、)この年のうちにこれを新たにし、この年のうちにこれを知らせてください」(と書かれる時には)日の老いたる者について述べられている。


739. だが、誰が「新たにし、知らせる」のか? それは、ゼイル アンピン、小さな顔である。


740. 「この年のうちに」とは、かつての年月の事であり、ימי קדם( IMI QDM、イェミ ケデム、前の日々)と呼ばれ、עולם(OVLM、オラム、この世界)の年月についてではない。


741. この前の年月は、前の日々である。この世界の年月は、この世界の日々である*4


742. そして、ここでは「この年のうちに」(と書かれている)。何の年月か? 前の年月である。


743. そして「新たにし」とは、誰が「新たに」するのか? 小さな顔がである。その全ての光輝は、これらの年月により保たれており、そのため「新たにし」と述べられるのである。


744. (ハバクク書の次の文の)「怒る時にも憐れみを思いおこしてください」とは、上位の慈悲についてであり、この中では慈悲が万物を刺激する。(これらの慈悲ある者らは)憐れみを望み、これらに慈悲は負うている。


745. 私が学んだ事によると、ラビ シモンは言った。「私は上にある天に、我が周りに立つ者らの証人となるように呼んだ。これらの言葉により、全ての諸世界で大いなる喜びが起き上がるのだと。


746. また、これらの言葉は、我が心も喜びで刺激した。素晴らしき拡張のヴェールの中に、これらは(今まで)隠されており、これらは上昇し、全てにおいて最も老いたる者、全てにおいて隠された者が、これらを保つ。


747. そして、私が全く知らなかった我が仲間らに話した、これらの言葉はあらゆる意味で価値がある。


748. 汝の場所は何と祝福されていることか、この集会の仲間らよ! そして、この世界でも来るべき世界でも、汝とともにある我が場所にも祝福があらんことを!」


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↑ 明かされたカバラ


*1 マサース注。なぜなら、同じような方法により、秘密は守護され、部外者からは閉ざされるからである。
*2 マサース注。前の388節を参照せよ。「聖都エルサレムの外での言い伝え」である。
*3 マサース注。これは第3のセフィラを暗に示している、「理解の50の門」の事である。
*4 マサース注。この741節と関連して、詩篇 第77篇5節の「חשבתי ימים מקדם שנות עולמים(ChShBThI IMIM MQDM ShNVTh OVLMIM、私は昔の日を思い、いにしえの年を思う)」も注記すべきである。