ゾーハル 大聖会の書 32

ページ名:ゾーハル 大聖会の書 32

第32章 小さな顔の鼻について


661. 私が「隠された神秘の書」の小さな顔の鼻について学んだ事によると、この鼻により小さな顔は知られている。この鼻の中には様々な象徴がある。


662. それについて、詩篇 第18篇8節では「煙はその鼻から立ちのぼり*1、火はその口から出て焼きつくし、炭はそれによって燃えあがりました」と書かれている。


663. 「煙はその鼻から立ちのぼり」、この煙は火と燃える炭の両方を含む。火が無い所には煙は立たず、煙無き火も無いからである。まことに万物はこれから出でて(別版では、万物はこれにより点火され)、その鼻から出てくるのである。


664. また私が学んだ事によると、これら3つのものが共に関連し、この鼻から出る煙も含むならば、この鼻は長くなる*2


665. そして、ここには2つの色がある。鼻から噴き出る煙は黒と赤があるからである。そして、これはאף(AP、アフ、怒り)*3、חימה(ChIMH、ヒマー、激烈)、משחית(MShChITh、メシャヒト、地獄)と呼ばれる。


666. 汝が、怒りや憤怒と言うならば、それは正しい。申命記 第9章19節に「主は怒りを発し、憤りを起し、あなたがたを怒って滅ぼそうとされたので、わたしは恐れた」と書かれているからである。ここには、黒と赤の煙があるからである。だが、なぜここに、משחית(MShChITh、メシャヒト、地獄)が加えられるのか?


667. なぜなら、創世記 第13章10節に「主(テトラグラマトン)がソドムとゴモラを滅ぼされる前」と書かれているからである。ここでは、שחת(ShChTh、シャヒト)という言葉は、火を点けられ燃える事により地獄がもたらされるのを意味している。


668. また私が学んだ事によると、小さな顔のこの構造で5つのגבוראן(GBVRAN、ゲボラン、厳格)がある。これらは1,400のגבוראן(GBVRAN、厳格)へと上昇し、小さな顔の鼻、その口、その腕、その手、その指へと拡張する*4


669. それゆえ、詩篇 第106篇2節には「だれが主の大能のみわざ(גבורות(GBVRVTh、ゲブロト、テトラグラマトンの諸力))を語り、その誉をことごとく言いあらわすことができようか」と書かれている。


670. ゆえに、ここではゲブロトと(複数形の)諸力で書かれている。また、歴代誌上 第29章11節にも「主よ、大いなることと、力(ゲブラー)と、栄光(ゲドラー)と、勝利と、威光とはあなたのものです」と、単数形で書かれている*5


671. 私が学んだ事から確実なのは、これら全ての厳格が、一つへと混ぜられたならば、それらはגבורה(GBVRH、ゲブラー)と単数形で呼ばれる。


672. これら全ての諸力ゲブロトは、この鼻から降り始める。そして、ここから1,400の千倍もの数が、この単独の形に拠るのである*6


673. そして、この鼻から放たれた煙に、厳格(の概念)に属する千の1,405が拠るのである*7。全ての厳格はこの鼻に拠るからである。


674. これについて、詩篇 第145篇4節に「 この代はかの代にむかってあなたのみわざをほめたたえ、あなたの大能の働き(גבורות(GBVRVTh、ゲブロト))を宣べ伝えるでしょう」と書かれているからである。


675. また、このגבורה(GBVRH、ゲブラー、力)が(発現が)始まると、全ての厳格なものはそこから放出され、形作り、最後には燃える回転する剣の形へと降りていく(創世記 第3章24節)。


676. 創世記 第19章13節には「(ソドムに来た天使らが言った)我々がこの所を滅ぼそうとしているからです」と書かれている。また創世記 第13章10節にも「主(テトラグラマトン)がソドムとゴモラを滅ぼされる前であったから」とあり、また創世記 第19章24節にも「主は硫黄と火とを主の所すなわち天からソドムとゴモラの上に降らせ」とある。


677. 確実に私が学んだ事によると、悪しき者への裁く者はおらず、彼ら自身が慈悲の(天秤の皿の)測りを裁きの測りへと変えているのである。


678. だが、これをどのように変えるのか? また、マラキ書 第3章6節に「主(テトラグラマトン)なる私は変ることがない」と書かれているのだ。


679. 確実に、老いたる中の老いたる者、この白い頭が、慈悲の中の慈悲を露にするたびに、大いなる慈悲があらゆる場所で見い出せる。


680. だが、これが覆われている時には、小さな顔の全ての裁きが準備される。そしてこの意味では、言うなれば、万物の中での最も老いたる者の慈悲は裁きとなる。


681. 私がバリエタ*8から学んだ事によると、「老いたる中の老いたる者が、慈悲の中の慈悲を露にすると、似たような名前で呼ばれるこれらの光全てが輝き、慈悲は万物の中に見い出せる。」


682. だが、この隠された中の隠された者が覆われると、これらの光は輝かなくなり、裁く者らが刺激され、裁きがなされる。


683. それゆえ、誰がこの裁きの原因か? それは慈悲の中の慈悲ある者である。なぜなら、それが覆われると、罪人らへの慈悲から裁きへと(彼ら自身により)変わるからである。


684. それゆえ、創世記 第19章24節に「主(テトラグラマトン)の所すなわち天からソドムとゴモラの上に降らせて」で述べられており、これはゼイル アンピン、小さな顔の事だと言われる。


685. では、なぜこう言えるのか? なぜなら、(先の文の中で)מן השמים(MN HShMIM、メン ハ=シャマイム。天から)と書かれているからである(だが、この言葉 השמים(HShMIM、ハ=シャマイム)は)אש ומים(ASh VMIM、アシュ ヴェ=ミム。火と水)*9、慈悲と裁きと同等であり、(この状態の)対照では、裁きはどこにも見い出せない。


686. 私が学んだ事によると、この(小さな顔の)鼻は短く*10、そこから煙が出始めると、それは迅速に発されて、裁きがなされる。


687. だが、何の障害により、この鼻が煙を出さなくなるのか? 老いたる聖なる者の鼻である。この方はまた、全ての他の前に、ארך אפים(ARK APIM、アリク アピム、長い鼻)とも呼ばれるからである。


688. そして、これは私が学んだ奥義である。この2つの言葉、יהוה יהוה(IHVH、IHVH)の間には、アクセントが挿入されている(聖書で、これらの2つが記されているたびに、置かれる)*11


689. 言葉が2回述べられるたびに、(それらの間に)区別が付けられるからである。例えば、創世記 第22章11節の「(主の天使が言った)アブラハムよ、アブラハムよ」や、他にも創世記 第46章2節の「ヤコブよ、ヤコブよ」や、サムエル記上 第3章10節の「サムエルよ、サムエルよ」で、ここではプセク アクセントにより、これらの名前の2つ組は、区別されている。その例外は、出エジプト記 第3章4節の「モーセよ、モーセよ」で、ここではアクセントは入れられていない。


690. 何故か? 創世記 第22章11節の「アブラハムよ、アブラハムよ」では(この間にアクセントが入れられており)、(この2つの名前の)後者は完了形で示されているが、前者は完了形ではない。この時、アブラハムは10の誘惑に捕らわれていたが、そのためこのアクセントが挿入され、その時にアブラハムは、前の自分とはほとんど別人となったからである。


691. また「ヤコブよ、ヤコブよ」(と創世記 第46章2節で述べられた際には)、後者は完了形で記されているが、前者はそうではない。その息子ヨセフからの使者がヤコブのもとへと来て、ヤコブの中にシェキナーが留まったからである。


692. また、この大地の聖なる樹は今や完成し、上位のものと似たものとなり、12の制限と70の枝を持ち*12、それまでは完成していなかった。そのため、後者は完了形で記されて、前者はまだ完了形ではない。そのため、これらの間にもアクセントは入れられる。


693. そして「サムエルよ、サムエルよ」(サムエル記上 第3章10節)の文でも、アクセントは入れられている。何故か? 後者の名前は、完了形で示されており、前者はそうではない。今や、サムエルは預言者となったが、その前にはまだ預言者では無かったからである。


694. だが、出エジプト記 第3章4節で「モーセよ、モーセよ」と述べられる時には、アクセントは間には挿入されていない。なぜなら、出エジプト記 第2章2節に「女はみごもって、男の子を産んだが、その麗しいのを見て」と書かれているように、モーセはその誕生の時から完成していたからである。


695. また、出エジプト記 第34章6節のテトラグラマトンの2つの御名の間にもプシク アクセントが挿入されている。これは、最初の御名も勿論完成しているが、後者は全体的で完全に完成しているからである。


696. だがモーセはこれを裁きの場にて述べている。それはイスラエルの民のために、最も聖なる老いたる者から小さな顔へと慈悲が降りるようにするためである。


697. 言い伝えによると、モーセの美徳はかくも偉大だったので、慈悲の測りを降ろす事が出来たのである。


698. そして、老いたる者が小さな顔へ向けて露にされると、万物は慈悲の光を見て、鼻が現れて、火と煙はそこからは放たれない。


699. イザヤ書 第48章9節に「わが誉のために、私は怒りを抑えて、あなたを断ち滅ぼすことをしない」と書かれているようにである。


700. また、私が学んだ事によると、この鼻には2つの鼻の孔があり、その1つからは燃える煙が出て、大いなる深淵の入り口へと入っていく。


701. そしてもう1つの鼻の孔からは、火が放たれ、この炎により燃え、その左側にある4,000の諸世界へと流れる。


702. まことに、戦争を引き起こす者は、テトラグラマトンの火、焼き尽くす火、他の全ての火を食らう火と呼ばれる。


703. そして、この火は祭壇の火を除いて、他とは混ざったりはしない。


704. 他の鼻の孔から放たれる煙は、祭壇の生贄の煙を除いては混ざり合わない。だが、万物はこの鼻に拠るのである。


705. それゆえ、創世記 第8章21節には「主(テトラグラマトン)は、その香ばしいかおりをかいで」と書かれている。匂いを嗅ぎ、煙と火を放つ全ての働きはこの鼻に属するものであり、赤い色をしており、そのため慈悲深き者(すなわち、広大な顔の額)と対照している。


706. そして、これによって出エジプト記 第4章14節に「主(テトラグラマトン)はモーセにむかって怒りを発して」や、申命記 第7章4節の「そのため主はあなたがたにむかって怒りを発し」や、出エジプト記 第22章25節の「そしてわたしの怒りは燃えたち」や、申命記 第6章15節の「あなたの神、主はねたむ神であるから、おそらく、あなたに向かって怒りを発し」が起きる。そしてこれら全ては、ゼイル アンピン、小さな顔についてであると理解すべきである。


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↑ 明かされたカバラ


*1 マサース注。通常の英語版聖書では、単数形の「nose」ではなく複数形の「nostrils」とあるが、ヘブライ語版では単数形の言葉が用いられている。
*2 マサース注。イザヤ書 第48章9節は、通常の英語版では「For my name`s sake will I defer mine anger」と訳されている。だが、パーカストのヘブライ、カルデア語辞典では、חטם(ChTM)の項で、その正確な訳は「for my name`s sake will I lengthen my nose」だと述べている。クロル フォン ローゼンロートは、664節のラテン語版で「corrugatur(皺をよせる)」と訳しているが、これはあまり正しくない。
*3 マサース注。このאף(AP、アプ)は、「鼻」や「怒り」を意味する。
*4 マサース注。我々が慎重に、この曖昧な文を検討するならば、私が思うに、この5の数が、その象徴を解読する鍵となるであろう。この5は、第5のセフィラ、ゲブラー(力や峻厳)を表すからである。これは裁きを通じて、そして究極的には火星の数と知性体を通じて働く。次に、この1,400の厳格は、רף(RP、ラフ、恐怖の概念)で、その値は280を5倍にしたものである。そして、1400の最小数は 1 + 4 + 0 + 0 = 5である。また、1,400はאת(ATh、混沌や万物の形質)も表している。最後に、小さな顔の5つの部分――すなわち、鼻、口、腕、手、指へと拡張されており、その5の数はה(H、ヘー)である。
*5 マサース注。序説を参照せよ。בגור(BGVR。その語源はגבר(GBR)) = 211 = יאר(IAR、洪水)でもある。勿論、これはゲマトリアによるものである。
*6 マサース注。この膨大な配置は、先の1,400が、別の界、すなわち物質世界での働きをしているのを表している。
*7 マサース注。ここでも、この1,400はアシヤー界での最も物質的な形態を表している。そして5の数は、単純に厳格のセフィラの数を足したものである。
*8 マサース注。本書の先の(第16章の)388節を参照せよ。 訳注。エルサレムの外での言い伝えのこと。
*9 マサース注。私がこれまで一度ならず引用してきた「セフェル イェツィラー」では、ש(シン)の文字は火の象徴であり、(מ(メム)が水の象徴なので)そのためשמים(ShMIM)は火と水と言えなくも無い。
*10 マサース注。これは、アリク アンピン(広大な顔)と同様に、アリク アピム(長い鼻)とも呼ばれる広大な顔とは対照的である。
*11 マサース注。このアクセントとはプシクと呼ばれ、ゲゼニウスの文法書では、20番目のアクセント、あるいは「低位の特徴」として知られる3つの連なりの5番目に分類されている。これは用いる2つの言葉の間に、垂直の線を置く事で表されている。この使用の例は、出エジプト記 第34章6節の「主、主(これら2つのテトラグラマトンの言葉の間に、プシク アクセントが挿入されている)、あわれみあり、恵みあり、怒ることおそく、いつくしみと、まこととの豊かなる神」に見い出せる。また、この文で「long-suffering(怒ることおそく)」と訳されたのは、ヘブライ聖書ではארך אפים(ARK APIM、アリク アピム、長い鼻)であるのは注記する価値がある。
*12 マサース注。これはエッツ ハイイム、生命の樹の事で、セフィロトとシェム ハ=メフォラシュにより構成され、前者は10、後者は72の数がある。そして、この12の制限とは、ヤコブの12人の息子の事であり、70の枝とはその家族を全員合わせた総数である。