ゾーハル 大聖会の書 31

ページ名:ゾーハル 大聖会の書 31

第31章 小さな顔の目について


607. (小さな顔の)頭の目は、全ての他の者の目とは大きく違っており、この眉毛が投げかける黒い影があり、(あたかも)目の上に黒く塗ったようである。全ての目はこの黒い影に覆われる。


608. 髪の巻き毛から吊るされる巻き毛は、これらの上にあり、目の上の額の始まりにて眉の形をなす。


609. そして(眉毛の)両方の中には、700,000の監査の主らが含まれ、眉毛の上に住む。


610. この眉毛から、1,400の(毛の)放出があり、端にて集まり、睫毛を創る。これらのはるか上には、日の老いたる者の目の観察がある*1


611. そして、これらの(小さな顔の)瞼が起き上がるたびに、人が眠りから覚めたら目を開くように、この目(小さな顔の目)が現れる。


612. そして、(小さな顔の目は、上から輝く広大な顔の)開かれた目を見る。これらは良き目(すなわち、広大な顔の目である。なぜなら、この方は「全てが右(正しい)」のであり、左が無いからである)の輝く白い光を受ける。


613. それについては、雅歌 第5章12節の「その目は泉のほとりの鳩のように、乳で洗われて」と書かれているようにである。この乳とは何か? この素晴らしき原初の白色である。


614. そして、彼(小さな顔)が、慈悲の凝視にある時、イスラエルの民の祈りは(天へと)上昇する。なぜなら、その目は開かれているからであり、かの(広大な顔の目の)白により白くなっているからである。


615. 詩篇 第44篇23節に「主(テトラグラマトン)よ、起きてください。なぜ眠っておられるのですか。目をさましてください」と書かれているようにである。


616. そして真に、この目が開かれていない時には、全ての裁きの主らはイスラエルを抑圧し、他国がイスラエルを支配するのである。


617. だが、小さな顔がその目を開いた時には、それらは(広大な顔の)良き目により照らされ、イスラエルには慈悲が下り、その目は他国へと振りむいて復讐を行う。


618. これについては、詩篇 第35篇23節で「わが主よ、わが裁きのため、わが訴えのために奮いたち、目を覚ましてください」と書かれているものと同じである。この「奮いたつ」事で、(小さな顔の目は)白で照らされる。そして「目を覚ます」事で、それまでイスラエルを支配していた者らへの裁きが行われる。


619. その目が開かれた時、鳩のように美しく見える。その色は、白、赤、黒、黄金のような黄色である。


620. そして、この目(あるいは、この白色)は(これらの色に)覆われているが、良き目により見られている場合には、これらの色全てが、白い光線により覆われる(あるいは洗われる)。


621. これらの色が露にされた時には、7つの神意の目へと向かう。この目の黒い部分からそれらは放たれる。


622. これについては、ザカリヤ書 第3章9節に「すなわち七つの目をもっているこの一つの石の上に」と書かれている。


623. だが「この石」は何か? 目の黒色である。


624. この赤い部分からは、7つの使者らが放たれ、左側へと逸れて、火を燃やし、北の面へと向かう。そして、これらは組み合わされ、罪びとらを露にするために、この世界へと拡張される。


625. これについては、ザカリヤ書 第4章10節に「これらの七つのものは、あまねく全地を行き来する主(テトラグラマトン)の目である」と書かれている。


626. 黄色い部分からは、7つの純粋な光輝(あるいは光)が放たれ、南の面へと向かう。そして、これらは組み合わされ、露にする必要のある道へと向かい、この世界へと拡張される。


627. これについては、ヨブ記 第34章21節に「神の目が人の道の上にあって、その全ての歩みを見られるからだ」と書かれているようにである。そして、これらがこの白の光で照らされると、これらは真実の主らを見て、それによってこの世界に善行をなし、(これらの目の)あらゆる恵みが、イスラエルへと慈悲深く注がれる。


628. だが、赤い色ならば、罪ある者を見る。それらについては、出エジプト記 第3章7節の「わたしは、エジプトにいるわたしの民の悩みを、つぶさに見」というこれらの言葉の中に暗喩されている。この「つぶさに見」ようとするのは、彼らに善行をなすためであり、「見た」事で、擁護をなし、イスラエルの民の苦しみから解放しようとするのである。


629. それゆえ、詩篇 第44篇23節には「主よ、起きてください。なぜ眠っておられるのですか。目をさましてください。我らをとこしえに捨てないでください」と書かれているのである。この「目を覚まして、起き上がる」には、2つの観察、2つの目覚め、2つの良きものがある。一つは慈悲であり、もう一つは復讐である。


630. 第1の色は赤であり、赤の中に隠されて取り囲まれている。これと比べるならば、他の赤は(赤には)見えない*2


631. この赤の周囲には、黒い糸が取り囲んでいる。


632. 第2の色は黒であり、深淵から大海へと1,000年ごとに放たされる石のようである。


633. そして、この石*3は、大海に嵐を引き起こし、その水は逆巻き、(その轟きの)声があり、それらはレビアタンと呼ばれる大魚が聴くのである*4


634. そしてこの石が出ると、海の波で渦巻き、そこから再び出る。すなわち、これは他の全ての黒が無に思えるほどに黒いのである*5(さもなければ、今ではこれは退いていたであろう。なぜなら、全ての他の小路はこれにより隠され、取り囲まれているからである)。


635. そして、この目の黒の中の黒(い部分)は、全ての残りの黒を含み、隠している。そして、この黒の周囲には、ある赤い糸が見い出せる。


636. 第3の色は全ての黄色の中の黄色であり、全ての他の黄色を含み、隠しており、この黄色の周囲には2つの(色の)糸が取り囲んでいる。一方の方向には赤い糸が、別の方向には黒の糸がである。そして、これらは黄色を取り囲んでいる。


637. だが、輝く白が、この周囲を渦巻き、目がこの白い輝きに燃えると、全ての他の色はそこに留まらずに、さらに深い底へと沈んでいく。赤、黄色、黒はもはや見る事が無く、白い輝きのみとなる。その光は、日の老いたる者から来たものである。


638. そして、これ(白い輝き)から、全ての低位者らは輝き、他のあらゆる色は見えなくなり、白い輝きのみとなる。それゆえ、双子のような(色である)赤と黒の全ての君主らは立ち退く。


639. これは、雅歌 第4章2節の「あなたの歯は洗い場から上ってきた、毛を切られた雌羊の群れのようだ。みな双子を産んで、一匹も子のないものはない」で書かれているものと同じである。


640. この「洗い場から」とは何か? 素晴らしく聖なる目の白い輝きからである。全てが双子なので、一つ(の色)は他のようである*6


641. だが、彼(雅歌の著者)は、この歯は刈られた羊の群れのようにお互いに組み合わされるとは述べていない。それなのに汝は、これら全てが双子だというのか?


642. だが、これらの白は、(広大な顔の)上位の目からの白い輝きによって照らされた時の、(小さな顔の)目の白として述べられている。


643. そして、義人は理解し、知恵の霊の中にあるものを見るであろう。


644. それは、イザヤ書 第52章8節に「彼らは目と目と相合わせて」と書かれているようにである。それは何時か? (次の文の)「主(テトラグラマトン)がシオンに帰られる」時である。


645. また、民数記 第14章14節にも「主(テトラグラマトン)なるあなたが、目の当たりに現れ」と書かれている*7。そして、この開かれた目は、善に向かっている。


646. 善に向かった開かれた目と、悪に向かう別の(開かれた目)があるからである。


647. 善に向かっての目については、ダニエル書 第9章18節に「(我が神よ)目を開いて、我々の荒れたさまを見、御名をもって唱えられる町をごらんください」と書かれているようなものである。ここでは、これは善に向かっての目である。


648. だが、悪に向かっての目については、イザヤ書 第33章20節に「あなたの目は平和なすまい、移されることのない幕屋エルサレムを見る。その杭はとこしえに抜かれず、その綱は、ひとすじも断たれることはない」と書かれているようなものである。ここでは真に、善と悪に向かっている。なぜなら、片方はもう片方無しには存在できないからである。


649. 私は「隠された神秘の書」でそれを学んでいる。これは何か? この「あなたの目は平和なすまい、移されることのない幕屋エルサレムを見る」は(実際の)エルサレムではなく、それゆえ平和なすまいでは無いのか? また、イザヤ書 第1章21節にも「(この町は昔は)正義がそのうちにやどっていた」とあるが、この場所には正義は見出せるが、他はそうではなく、平和でも無い(他の版では、この場所の中には裁きが住み、見い出せ、正義は留まらずに、などとある)。


650. 真に、これは真実の解釈である。「あなたの目は平和なすまい、移されることのない幕屋エルサレムを見る」(は、このように説明される)。この住まいは、(小さな顔の)これらの目を見る日の老いたる者において、平和であると述べられる。


651. 真に、その目は静まり、平穏だからである。慈悲の目であり、他の様相の目では無い。


652. そして、「彼らは汝の目を見る」の文では(עיניך(OINIK)の代わりに)עינך(OINK)*8と書かれている。(עינך(OINK)と書かれているので)汝の目らではなく、2つ目のי(I、ヨド)が欠けている。


653. だが、エルサレムであってシオンでは無いのは何故か? これはこの中に見出せる征服する裁きのため、それに慈悲を刺激させるために、適切に述べられているのである。


654. また私が学んだ事によると、申命記 第11章12節の「年の始めから年の終りまで、あなたの神、主(テトラグラマトン)の目が常にその上にある」と書かれている。これは「正義がそのうちにやどっていた」と書かれているのと同じである。なぜなら、その中に、全ての他の例と同じように、多くの最も厳しい裁きを見い出せるからである。


655. だが、来るべき時には、そこには慈悲の目、(すなわち)日の老いたる者の目を見出せるであろう。


656. これについては、イザヤ書 第54章7節の「大いなる憐れみをもってあなたを集める」の中で暗喩してある。


657. ここでは「憐れみをもって」とあり、さらに(形容詞の)「大いなる」(がそこで用いられている)。確実に、その理由は慈悲には2つあり、(すなわち)日の老いたる者(広大な顔)の慈悲の方で、これは「大いなる憐れみ」と呼ばれる。


658. また、小さな顔の慈悲は、平明で不適切な憐れみと呼ばれる。なぜなら、この顔には右と左*9、正義と慈悲がある(それらの天秤を象徴している)。それゆえ、「大いなる憐れみをもってあなたを集める」と言われのは、日の老いたる者の慈悲である。


659. 私が学んだ事によると、(小さな顔の)これらの目、その2つの色――すなわち、赤と黒――には、2つの涙が留まっていると言われる。そして、聖なる中の聖なる者が、慈悲をイスラエルの民に注ごうと望むと、これらの2つの涙を送り、この大海の(水の)甘さの中で育つようにする。


660. この大いなる海、素晴らしき知恵によるものの、かの流れ(別版では白い輝き)の中で、この泉の中で、人々は清められるであろう。そして、この大海から出でるものにより、イスラエルの民に慈悲が与えられるのである。


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↑ 明かされたカバラ


*1 マサース注。先の全ての象徴主義と同様に、ここでも日の老いたる者、広大な顔の目は、複数形ではなく単数形で述べられている。私が先に述べたように、この者は前面からではなく横顔で象徴されるからである。
*2 マサース注。この輝きと比べるならば、他の全ての赤は貧しく、乏しく見えるという意味である。
*3 マサース注。ヨハネの黙示録 第8章8節(第二の御使が、ラッパを吹き鳴らした。すると、火の燃えさかっている大きな山のようなものが、海に投げ込まれた。)と比較せよ。また、これは錬金術の象徴主義を示唆している。
*4 マサース注。この大海とは、ビナーの事である。またこの大魚はレヴィアタンであり、「だがその頭は大海の水により破壊されている」(序説、「隠された神秘の書」第1章28節、詩篇 第74篇14節、ヨハネの黙示録 第8章を参照せよ)。
*5 マサース注。三重に偉大なヘルメースの「黒の中の黒」と比較せよ。
*6 マサース注。すなわち、黒と赤である。ここでは、これらはお互いに関連しているものとして表されている。
*7 マサース注。我々の版の(英語)聖書では、「eye to eye」ではなく「face to face」と訳されているが、原典のヘブライ語聖書では、これはעין בעין(OIN BOIN、アイン ベ=アイン。目と目で)となっている。(訳注。そして日本語では、目の当たりとなっている)
*8 マサース注。עינך(OINK)は「汝の目」の単数形である。
*9 マサース注。小さな顔の中には右と左があり、一方で広大な顔は全てが右である。そして私が先に注記したように、広大な顔は横顔によって象徴されており、小さな顔は両面がある。