ゾーハル 大聖会の書 19

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第19章 広大な顔の髭の第8の部分について


424. この第8の構造では、髭を取り巻く特有の毛の房であり、これは胸にまで均等に吊るされている。「立ちあがれ、我が息子エレアザルよ、そしてこの構造について説明せよ」


425. その息子ラビ エレアザルは立ちあがり、言い始めた。万物は、この流れに拠るものであり、神殿にある律法の書(旧約聖書)すらもそうである。これについて、私は「隠された神秘の書」により理解しており、このように述べられている。


426. それゆえ、万物はこの流れに拠るのではないのか? また、私が学んだ事によると、律法の書は聖なるものであり、その覆いも聖なるもので、神殿も聖なるものである。


427. また、イザヤ書 第6章4節にも「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、とその呼ばわっている者の声により」と書かれている。これら3つ(の聖なると繰り返される言葉)を見よ。これは律法の書の事であり、その覆いは聖なるもので、神殿は聖なるもので、書そのものも聖なるものだからである。


428. それゆえ、この律法は3つの聖なるもの、3つの段階、3日で構成される。(だが)シェキナーは(それに続く)、テーブル、聖櫃、神殿の3つの中にある。そして同じように、これは律法の書に拠るものであり、この律法の書も流れに拠るのである。


429. また、エレミヤ書 第10章2節にも「また異邦人が天に現れる徴(あるいは影響)を恐れても、あなたがたはそれを恐れてはならない」と書かれている。なぜなら、聖なるものの中に存在するならば、同様に彼らはこの流れに拠るべきだからである。


430. だが、私が「隠された神秘の書」で読んだ内容によると、この髭の尊く聖なる房、髭から吊るされる全ての房は、流れと呼ばれる。何故か? なぜなら、全ての聖なるものの中でも聖なるものの中でも聖なるもの全ては、この流れに拠るからである。


431. そして、律法の書においては、これは聖なるものであるが、10の聖性*1は、これが神殿へともたらされるまでは、降りてこない。だが神殿へともたらされた後には、これは10の聖性と共にある聖なるものと呼ばれる。


432. 上の例で述べたように、10の聖性が関連しない限り、神殿も聖なるものとはされない。


433. また、私が学んだ事によると、万物は、この流れに拠るのであり、この流れは(他の)全ての毛が拠っている(髭の毛の)房(による象徴)である。


434. なぜこれは流れ(あるいは影響)と呼ばれるのか? なぜなら、これに影響と、影響の影響は拠るからであり、これから上にあるものも下にあるものも出てくるからである。


435. また、これは拠るものであり、世界の万物は上位も低位も拠っている。また、律法の書の最後に置かれる場所、すなわち神殿の中でも、10の聖性による王冠をかぶるのであり、他の聖なるものも別では無い。万物はこれ(すなわち、この構造)に拠るのである。


436. そして、この形を見る者の前では全ては服従し、膝を曲げる(別版では、全ての罪は服従し、などとなっている)。それについて、「יכבוש עותינו(IKBVSh OVThINV、イェケボシュ ウシノ。主は我らの罪を許される。あるいは服従させる)と書かれている。


437. ラビ シモンはラビ エレアザルに言った。「我が息子よ! 聖なる中の聖なる者、全ての前からある老いたる者による祝福が汝にあらんことを」


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↑ 明かされたカバラ


*1 マサース注。勿論、これは10のセフィロトを表している。ספר יצירה(SPR ITzIRH、セフェル イェツィラー、形成の書)、父祖アブラハムが書いたとされる、この非常に古く神秘的なカバラの書において、10の数(セフィロト)と22のヘブライ文字の象徴を通じて世界の創造を扱い、これらを合わせて32の知恵の小路と呼んでいる。そして、10の数は4と6に分割され(後者は、東西南北と上下を表す)、「そして、この6つ組の中心には聖なる神殿がある」という文が用いられている。この「イェツィラー」の書は、本訳書には含まれていない。