ゾーハル 大聖会の書 16

ページ名:ゾーハル 大聖会の書 16

第16章 広大な顔の髭の第5の部分について


382. 第5の構造は、口の下を進む別の小路である。これについてミカ書では「לא החזיק לעד אפו(LA HChZIQ LOD APV、ロ ヘヘツィク レアド アポ、その怒りを永遠に保たない)」と書かれている。ラビ ヨシ、立ちあがれ!


383. ラビ ヨシは立ちあがると述べた。詩篇 第144篇15節に「このような祝福をもつ民は幸いである。主(テトラグラマトン)をおのが神とする民は幸いである」と書かれている。


384. 「このような祝福をもつ民は幸いである」の、この「שככה לו(ShKKH LV、シェカカ ロ。このような祝福)」とは何か? これはエステル記 第7章10節に「こうして王の怒りは和らいだ」と書かれているようなものである。ここでの、שככה(ShKKH、シェカカ)は、怒りが静まるのを意味する。


385. 別の解釈では、王はその怒りを宥め、それは民数記 第11章15節の「もし私があなたの前に恵みを得ますならば、私にこのような仕打ちをされるよりは、むしろ、ひと思いに殺し、このうえ苦しみに会わせないでください」のこれらの言葉の中に暗喩されている。


386. この「ひと思いに殺し」という言葉は、裁きの中の裁きである。だが、「主(テトラグラマトン)をおのが神とする民は幸いである」は慈悲の中の慈悲である。


387. 別の解釈では、שככה(ShKKH、シェカカ)は全ての名前を含んだ名前*1であり、その結果、聖なる祝福された御方は、その怒りを終わらせ、小さな顔に平和をもたらし、その中央からこれら全ての外部(の事柄)を取り除く。


388. 私がバリエタ(聖都エルサレムの外にある言い伝え)を通じて学んだ事は、聖なる上位の老いたる中の老いたる者(の髭)の構造のこの小路は、鼻の孔の下の髭を降りていき、この内側の小路はいずれも均等であって、下にあるものは上にあるがごときという形である*2。この上位(の小路)は、低位者の罪を許すもの、「その怒りを永遠に保たない」と呼ばれる。


389. また、私が学んだ事によると、「保たない」状態の中には、怒りはもはや留まらないのを意味する。この上位者の中で、(怒り)を取り除く機会が与えられるように、また低位者にも、(同じ機会が)与えられる。


390. 私が学んだ事によると、この老いたる者、全てにおいて最も隠された御方の中には、この小路は覆われておらず、全ての低位者(の小路)*3のために良く整っている。これら全てが善行をなすための助言として現れるからである。


391. だが、これが退き、覆われる時には、助言は無くなり、自ら以外には誰も知らなくなる*4


392. これは上位のエデンが自ら、老いたる中の老いたる者以外には誰も知らないようにである。


393. そして、これらについては詩篇 第92篇5節に「主よ、あなたの御業はいかに大いなることでしょう。あなたのもろもろの思いは、いとも深く」と書かれている。


394. ラビ シモンは、ラビ ヨシに言った。「汝の働きは、来るべき世界にて老いたる中の老いたる者により数えられんことを!」


ゾーハル 大聖会の書 17
↑ 明かされたカバラ


*1 マサース注。一見すると、この言葉が「全ての名前を含む名前」である理由がわからない。だが、ゲマトリアにより調べるならば、すぐにその理由を見出すであろう。שככה(ShKKH) = Sh + K + K + H = 300 + 20 + 20 + 5 = 345 = שמה(ShMH、シェマー) = ハ=シェム(神の御名)である。このシェマーの称号は、全ての名前の中の名前、テトラグラマトンを表すのによく用いられており、そのためשככה(ShKKH)は隠されたテトラグラマトンと見做される。
*2 マサース注。この文を、三重に偉大なヘルメースのエメラルド タブレットにある文「下にあるものは上にあるが如き、上にあるものは下にあるものが如し。この1つの形質で奇跡を行うためにである」と比較せよ。これは全ての古代の神秘教義、カバラ、神話(の密儀)、錬金術、魔術のいずれにせよ、その本質的な原理である。そして、この術式の中に全ては含まれている。神から宇宙に至るまで、上位の人である創造主から、低位の人である創造された者まで、大宇宙から小宇宙まで、永遠から生まで!
*3 マサース注。セフィロトの低位の部分の事である。
*4 マサース注。このהוא(HVA、ホア、自ら)の代名詞により象徴されるのは、絶対者、我々を超えた者、畏れ多く、未知の王冠、我は有りし者と述べた者、過去も未来も無く、「永遠の現在」の者。そのため、この者(ホア)は父であり、息子יהוה(IHVH)以外には知られておらず、この息子によってのみ明かされる者である。このホアを見たら、それに飲み込まれるので、無事に生きられる者はいないからである。