ゾーハル 大聖会の書 14

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第14章 広大な顔の髭の第3の部分について


347. ラビ ヒスキアーよ、再び立ち上がれ。


348. だが我々はラビ ヒスキアーが立つ前に、声がしてきて「1人の天使は、2つのメッセージを伝えられない」と言ったのを学んだ。


349. ラビ シモンは困惑して言った。「どうやら、(汝ら)それぞれが、この場所では(7つの低位者らの象徴主義に関して)1回のみしか語れないようだ。そこで、私自身、我が息子ラビ エレアザル、ラビ アッバ、我々(3人)が(この10のセフィロトの)至高にして完全な完成と関連するとしよう。では、ラビ ヒヤよ、立ちあがれ*1


350. ラビ ヒヤは立って言った。エレミヤ書 第1章6節に「אהה אדני יהוה(AHH ADNI IHVH、アハー アドナイ テトラグラマトン。ああ、主なる神よ)*2。わたしはただ若者にすぎず、どのように語ってよいか知りません」と書かれている。


351. そのため、この時にエレミヤはなぜ語れなかったのか? これを言う前には、エレミヤは多くの事を唇から出しているのに? そのため、なぜエレミヤが喋られない事について、(聖書では)「私はדבר(DBR、デベル、語る)れない」と書いてあるのか?


352. だが私が学んだ事によると、神はエレミヤがこのために喋れるように影響を与えた。こう言い伝えられているからである。דבור(DBVR、デブル)とאמירה(AMIRH、アミラー)の違いは何か? アミラーは(日常の)発言であり、声を特別に上げる必要は無い。一方でデブルは公的な発言で、無論声を上げ、言葉を(大声で)発音する必要がある。


353. それゆえ、出エジプト記 第20章1節で「神はこのすべての言葉を語って言われた」と書かれている。


354. そして私が(言い伝えから)学んだ事によると、地の全ては、このדבור(DBVR、デブル、発言)を聞いて、地の全ては震えた」とある。なぜなら、これはוידבר(VIDBR、ヴァイェデベル、彼は発言した)とも書かれており、ויאמר(VIAMR、ヴァヨマル、彼は述べた)とは書いていないからである。


355. またこの箇所では「どのようにדבר(DER、デベル、語って)よいか知りません」とある。すなわち、使者として、演説を宣言し、聖霊を通じて世界を説得する事である。


356. この問題について、さらに「וידבר יהוה(VIDBR IHVH、ヴァイェデベル テトラグラマトン、テトラグラマトンはモーセに語った)」と書かれているのにも注意すべきである。預言者らの間でモーセほどに偉大な者はいようか? モーセほどに価値ある者は誰もいないからである。なぜならモーセは(神の)使者が宣言するようなדבור(DBVR、デブル、大きな声)を聞いて、恐れず、震えなかったからである。一方で他の預言者らは、אמירה(AMIRH、アミラー、一般の発言)ですら震え、大いに恐れたのだ。


357. また私が学んだことでは、第1と2の髭の配置を通じて、第3も通過する必要がある。ヨブ記 第33章29節に「見よ、神はこれらすべての事を二度、三度と人に行い」と書かれているようにである*3


358. そして、来たりて見よ! 汝が第3を通過するには、最初の2つの構造を通過する必要がある。なぜなら、第3の形はその中間にあるからである。


359. 鼻の下*4、2つの鼻の孔の下に、特別な小路が放たれており、そこから髭の毛は減少していく。


360. なぜ、これらは減少するのか? なぜなら、ミカ書 第7章18節に「ועובר על פשע(VOVBR OL PShO、ヴァ=ウベル アラー ペシュアー、不義を許し)」と書かれているからである。そのため、この小路は(不義を)許すために準備されている。


361. そして、そのために、この小路は鼻の孔の下にあるのである。そして、髭の毛はこの小路では育たない。なぜなら、これは不義を抑えているからである。


362. そして、「不義を許し」と書かれている。聖なる口へと通過するためである。言い方を変えると、「私は許された」と言えよう。


363. 私が学んだ事によると、多くの脅迫する怒りを漏らす者らがこの口を求めるが、これらの間では発現していない。これは退去し、よく守られているからである。これは知られており、そして知られていない。


364. 私が「隠された神秘の書」で学んでいるのは、(この文に書かれた)言葉、פשע(PShO、ペシュアー)とは何か? 最初に、עובר(OVBR、ウベル)があるならば、許しがあるであろう。だが、そうでないならば、פשע(PShO、ペシュアー、不義)がこの場にあるであろう。


365. この「不義を許し」という文は何を教えるのか? (פשע(PShO)の)ש(Sh)がפ(P)の前にあるならば、שפע(ShPO、シェパウ、影響)があるであろう*5


366. これらが義では無かったとしたら、それは(影響として)留まり、小さな顔へと通過しない。


367. これと、もう片方との違いは何であろうか? 小さな顔(ここに問題は立っている)にて、この小路は鼻の孔の下を降りていく。それについて、民数記 第12章9節に「主(テトラグラマトン)は彼らにむかい怒りを発して去られた」と書かれている。


368. この「去られた」とは何なのか? なぜなら、怒りの霊はこれらの鼻の孔から去って、もし誰にせよ、この方の前にいたならば、その者は取り去られ、もはや見つからなくなるのである。


369. これは、イザヤ書 第40章7節の「主の息がその上に吹けば」のこれらの言葉の中に暗喩されている。


370. だが、広大な顔については、「不義を許し」と書かれている。


371. またヨブ記 第37章21節にも「風(霊)過ぎて空を清める」と書かれている。


372. また、私が学んだ事によると、この小路について「不義を許し」と書かれている。また、この(許す、通過する)については、出エジプト記 第12章23節に「主が行き巡ってエジプトびとを撃たれる」と書かれている。


373. 祝福されるは、この事で価値ある者の場である。そして、これが、老いたる中の老いたる者の尊く、聖で、素晴らしい髭の小路の第3の構造である。


374. ラビ シモンは、ラビ ヒヤに言った。神、聖なる御方が汝を祝福し、恵みを注ぎ、最も豊富に守護せん事を。


375. また私はこうも学んでいる。「喜びとともに、私は主(テトラグラマトン)を喜ぶ」と書かれているのは何か? 日の老いたる者については、「それは万物の誉れである」と書かれている。


376. またこうも学んでいる。日の老いたる者の髭の小路が発現したら、全ての悲しみと嘆きの創造主ら、全ての裁きの遂行者らは、沈黙して隠れ、これらの誰も傷付けるために口を開いたりしない。なぜならば、この小路は正式に発現するからである。


377. ゆえにまた、この口に触れ、沈黙するように助言する*6者は、その指でこの小路を指し示す。そして、これは聖なる老いたる者の象徴である(別版では、なぜなら、この小路は沈黙の象徴であり、他者を見て、沈黙するように助言する者は、この小路に触れ、それは象徴である、などになっている)。


ゾーハル 大聖会の書 15
↑ 明かされたカバラ


*1 マサース注。この10人の主要なラビの会合について、少し説明が必要に思える。シモン、エレアザル、アッバ、イェフダ、ヨシ ベン ヨセフ、イツハク、ヒスキアー ベン ラヴ、ヒヤ、ヨシ、ヨサの10人は、10のセフィロトの象徴であるのを意図しており、さらに最初の3人の名前は、王冠(ケテル)、王(ホクマー)、王妃(ビナー)の大いなる3つ組を表している。簡潔に言うならば、この会合の配置の全体は、メイソンリーのロッジの構成と酷似している。また、本書の(第1章)13節では、3人のラビらがセフィロトの「3本の柱」の象徴となっている――これは大聖会の10の形の集会である。だが、「小聖会の書」では、小聖会は7人のラビのみで構成されているのを見出すであろう。さらに、7番目のラビ イツハクは他よりも遅れて参加している。これら7人は、シモン、エレアザル、アッバ、イェフダ、ヨシ ベン ヤコブ、ヒヤ、イツハクである(「小聖会の書」の第13節と比較せよ)。
*2 マサース注。これは、ヘブライ語の対訳聖書のものである。だが、大聖会の書では、「אהה יהוה אלהים(AHH IHVH ALHIM、アハー テトラグラマトン エロヒム)が、「アドナイ テトラグラマトン」と変えられている。
*3 マサース注。この文の言葉は、通常の(英語)聖書では「oftentimes」と訳されている。
*4 マサース注。本書の(第11章)217節を参照せよ。また、「隠された神秘の書」の第2章8節もである。
*5 マサース注。これは単純に、この言葉の最初の2つの文字の配置の問題である。勿論、この2つの言葉には同じ文字が保たれている。それらの総体的な場所は変わっても、この2つの言葉のゲマトリアによる数値は同じである。だが、この言葉の数値が何であるのかを検討する価値がある。ラビ ヒヤはそれを述べていないからである。P + Sh + O = 80 + 300 + 70 = 450 = תן(ThN、タン、竜)となる。それゆえ、ゲマトリアの解釈の規則に従うと、竜は不義の象徴となろう。だが450はまた、שפע(ShPO、影響)の値でもある。そのため、竜はまた、影響や力の象徴でもある。だが「この影響は、小さな顔へと通過する」。ところで、ピストリウスによるカバラの格言の1つに、「楽園はセフィロトの樹である。そして、その中心の大いなるアダムはティフェレトである」というのがある(序説を参照せよ)。そのため、小さな顔へと伝えられる影響は、エデンの園へと侵入しようとする蛇でもある。
*6 マサース注。象徴的に裁きの概念を意味する。