ゾーハル 大聖会の書 9

ページ名:ゾーハル 大聖会の書 9

第9章 広大な顔の目について


112. この白い頭*1の目は、全ての他の者らの目とは違っている。この目の上には瞼も眉毛も無い。


113. 何ゆえか? なぜなら、これは詩篇 第121篇4節に「見よ、イスラエルを守る者はまどろむこともなく、眠ることもない」と書かれているからである。これは、上位のイスラエルの事である。


114. また、エレミヤ書 第32章19節にも「あなたの目は人々の歩むすべての道を見て」と書かれている。


115. また、こうも言い伝えられている。全ては慈悲を通じて働くので、この方はその目を覆わずに、その上に瞼も無い。白き頭に、いかほどそれらが必要であろうか。


116. ラビ シモンはラビ アッバに言った。「これは何に似ているか?」そして、ラビ アッバは答えた。「海のクジラや魚に似ている。これらはその目を覆うものも、その目の上に瞼も無く、眠らずに、目を守るものも必要とされない。


117. いわんやそれ以上に、老いたる中の老いたる者に守るものは必要であろうか。この方は、その被造物よりも遥かに上にあり、万物を見続けて、それにより万物は養われ、この御方自身は眠る事は無い。


118. これについては、詩篇 第121篇4節に「見よ、イスラエルを守る者はまどろむこともなく、眠ることもない」と書かれている。これは、上位のイスラエルの事である。


119. また、詩篇 第33篇18節にも「見よ、主の目は主を恐れる者の上にあり」と書かれている。また、ザカリヤ書 第4章10節にも「これらの七つのものは、あまねく全地を行き来する主の目である」と書かれている。


120. (これらの述べている中に)何の矛盾も無い。あるものは小さな顔についてであり、別のものは広大な顔についてである。


121. さらに述べると、2つの目がありつつも、1つの目にと変えられている。


122. これは白く純粋であり、全ての白を含むほどに白い。


123. この第1の白は輝き、繋がっているものを組み合わせるべく、上昇して下降する。


124. こう言い伝えられている。この白きものは、光線を放ち、3つの灯りを点火する。これらは、הוד(HVD、ホド、栄光)、והדר(VHDR、ヴェヘダル、威厳)、וחדוה(VChDVH、ヴァヘドアー、喜び)と呼ばれ、喜びと完成を放っている。


125. 第2の白は輝き、上昇して下降し、その光線を放ち、他の3つの灯りを点火する。それらは、נצח(NTzCh、ネツァフ、勝利)、חסד(ChSD、ヘセド、慈悲)、תפארת(ThPARTh、ティフェレト、美)と呼ばれ、完成と喜びを放っている*2


126. 第3の白は放たれて輝き、下降して上昇し、脳を取り囲む部分から向かい、その光線を第7の中間の灯りへと放つ。


127. そして、これは低位の脳へと小路を形成し、低位者への小路を形成し、これにより全ての低位の灯りは点火される」


128. ラビ シモンは言った。汝はよく語った。そして、日の老いたる者は、汝が必要な時に、この目を汝へと開くであろう。


129. また別の言い伝えもある。白き中の白き目、全ての白を含む白がある。


130. その第1の白は輝き、左側の3つの灯りへと上昇して下降し、これらは放ち、この白に浸る。それは、人が自らの体を良き軟膏や香料に浸して、それ以前よりも良い状態となるようにである。


131. 第2の白は下降して上昇し、右側の3つの灯りへと輝き、これらは放ち、この白に浸る。それは、人が自らの体を良き軟膏や香料に浸して、それ以前よりも良い状態となるようにである。


132. 第3の白は輝き、上昇して下降し、脳の内なる白の灯りへと向かい、黒い髪と頭と脳が必要な時に光線を放つ。


133. そしてこれは3つの王冠を照らし、それらは必要な時には留まり、全てから隠された最も老いたる者が喜ばれるならば、明かされるであろう。


134. そして、こうも言い伝えられている。この目は決して閉じる事はなく、2つの目がありつつも、1つの目にと変えられている。


135. 全ては正しく、誤ったものはここには無い。この方は眠ったりまどろみをしたりはせず、保護を必要としない。この方は自らを守る必要のある者ではない。なぜなら、この方は万物を守っており、自らを万物のために待機しており、その目の視線は万物に定められているからである。


136. こう言い伝えられている。これらの目が一瞬たりとも閉じられたならば、万物は存在できなくなるであろう。


137. そのため、この目は、開かれた目、聖なる目、素晴らしき目、神の摂理の目、眠りもまどろみもしない目、万物の守護者である目、万物を保つ目と呼ばれている。


138. またこれらについて、箴言 第22章9節に「恵みを与える目」と書かれている。だが、汝はこれを「恵まれた目」と読まずに、「この目は恵む」と読むのだ。これは「恵みを与える目」と呼ばれ、万物はこの目により祝福されるからである。


139. また、こうも言い伝えられている。低位者の目には光が無く、そのため黒や赤に浸されている。その例外は、「恵みを与える目」と呼ばれる上位者の目の白い輝きにより見られた場合である。


140. そして、上位の聖なる目がいつ輝き、低位者へと注がれるのか、いつ義人と上位の祝福された者が、この知恵を見るかを知る者は誰もいない。


141. これらについて、イザヤ書 第52章8節で「彼らは目と目と相合わせて」と書かれている。それはいつか? (次の文の)「主がシオンに帰られる時」である。また、民数記 第14章14節にも「主(テトラグラマトン)なるあなたが、まのあたり現れ」と書かれている。


142. そして、この恵みを与える上位者の目が、低位者へと目を降ろして、その目を浸さない限り、この世界は一瞬たりとも存在できないであろう。


143. これは「隠された神秘の書」で言い伝えられている。最も高位の壮麗の輝きが低位者に注がれると、神の摂理が低位者の目から起き上がる。この高位の壮麗は低位者へと向かう。ここから万物は照らされるからである。


144. これについては、民数記 第14章14節に「主(テトラグラマトン)なるあなたが、まのあたり現れ」と書かれている。また、詩篇 第33篇18節にも「見よ、主の目は主を恐れる者の上にあり」と書かれている。また、ザカリヤ書 第4章10節にも「これらの七つのものは、あまねく全地を行き来する主の目である」と書かれている。


145. 「主の目は主を恐れる者(が高潔な者たちならば)の上にある」。これは上位者の目である。反対に「あまねく全地を行き来する主の目」と述べられる時、これは低位者の目である。


146. こうも言い伝えられている。ヨセフが価値ある者なので、邪眼はヨセフには何の効果も無かったというのは何故か? なぜなら、ヨセフは上位の恵みを与える目に見られる価値があったからである。


147. これについて、創世記 第49章23節に「ヨセフは実を結ぶ若木、アインの上に実を結ぶ若木」と書かれている。なぜ「アイン*3の上に実を結ぶ若木」なのか? それは暗喩ではあるが、「ヨセフを見る目からである」。


148. また、箴言 第22章9節にも「人を見て恵む者は恵まれる」と書かれている。何故か? なぜなら、それは貧者に自らのパンを与えるからである。


149. なぜ、これは単数形で述べられているのか? 来たりて見よ。低位者の両目は右目と左目があり、これらは2つの違った色がある。


150. だが、この場合(広大な顔の目)には左目*4は無く、これらの両方は1つの小路を上昇し、全ては右(正しい)なのである。そのため、2つではなく1つの目として記されているのである。


151. そして、こうも言い伝えられている。この目、観察する目は、常に開き、常に笑み、常に喜んでいる。


152. これらは、赤、黒、白の3色のある低位者の目ではない。この低位者の目は常に開いているわけではない。これらの目を保護するための瞼があるからである。


153. この事については、詩篇 第44篇23節に「主よ、起きてください。なぜ眠っておられるのですか」と書かれている。また、列王記下 第12章16節*5にも「主よ、目を開いてごらんください。」と書かれている。


154. これらが開かれる時、ある場合には善のために、ある場合には悪のために開かれる。


155. 災いなるは、それが開かれた時、その目が赤と混ぜられた者。この赤が近づき、この目から放たれた時、誰がそこから逃れようか?


156. だが、日の老いたる者は祝福され、この目が白く輝くように保つようにする。また、この白は全ての白を含むほどである。


157. また祝福されるは、全ての白の輝きが放たれる、その部分である。


158. そして、これらについては、箴言 第22章9節に「人を見て恵む者は恵まれる」と書かれている。またイザヤ書 第2章5節にも「ヤコブの家よ、さあ、我々は主(テトラグラマトン)の光に歩もう」と書かれている。


159. こうも言い伝えられている。これらの例全てにて、老いたる者の御名は全てから隠されていて、律法でも述べられておらず、小さな顔がアブラハムに誓った場所のみである。


160. それについて、創世記 第22章16節に「主(テトラグラマトン)は言われた、『わたしは自分をさして誓う』」と書かれているようにである。これは、小さな顔について述べていると理解すべきである。


161. また、創世記 第48章20節にも「あなたを指してイスラエルは、人を祝福して言うであろう」と書かれている。ここでは、上位のイスラエルの事である。


162. また、イザヤ書 第49章3節にも「あなたは我が僕、我が栄光をあらわすべきイスラエルである」と書かれている。この文では、日の老いたる者は、イスラエルと呼ばれている。


163. だがまた、私は日の老いたる者は、その御名により呼ばれていると述べてきたが、それでいて、この文も他の文もいずれも正しいのである。


164. こうも言い伝えられている。ダニエル書 第7章9節に「わたしが見ていると、もろもろの御座が設けられて、日の老いたる者が座しておられた」と書かれている。


165. この「御座が設けられて」とは何か? ラビ シモンは、ラビ イェフダに言った。「立ちあがって、これらの御座について説明せよ」


166. ラビ イェフダは答えた。「(先の文の続きで)『その御座は火の炎であり』と書かれており、その御座には、日の老いたる者が座ると。


167. 何の理由からか? なぜなら、こうも言い伝えられているからだ。日の老いたる者がこの御座に座らなかったならば、この世界は御座の前にはもはや存在しなくなるからであると。


168. 日の老いたる者がこの御座に座ると、御座はこの方に服従する。それに座る方が、それを支配するからである。


169. だが、この御座から離れて、別の御座へと座るならば、最初の御座は転覆され、日の老いたる者を除いて誰も支配できない。この御方のみが座れるのである」


170. ラビ シモンは、ラビ イェフダに言った。「汝の道が定められ、日の老いたる者により汝が指し示されんことを!」


ゾーハル 大聖会の書 10
↑ 明かされたカバラ


*1 マサース注。これは、広大な顔のように、第1のセフィラ、ケテルの称号の1つである。序説を参照せよ。
*2 マサース注。ネツァフ、ヘセド、ティフェレトは、それぞれ第7、第4、第6のセフィロトである。
*3 マサース注。このアインは目を意味する。
*4 左には悪しきという意味もあるから。
*5 実際には19章16節。