ゾーハル 隠された神秘の書 2

ページ名:ゾーハル 隠された神秘の書 2

第2章


1. 真理の髭(すなわち、以下の節では広大な顔の髭と、その13の部分の説明が続く。これらは「大聖会」の書でより完全に説明している)

(この髭とは第1のセフィラから残りの全てへと降りていく流れの事である。広大な顔は無論、序説で私が完全に説明しているように、第1のセフィラ、ケテル、王冠の事であり、また老いたる者とも呼ばれる)


2. この髭については、これまで記されてこなかった(マントヴァ文書には、ここに訂正箇所もあり、そこではDQNA(デケナ)が原文に加えられている。この意味は、ソロモン王の「雅歌」では、全ての他の部分については記していあるが、この髭はそうではない)。なぜなら、これは全ての装飾だからである(この髭は装飾と呼ばれるが、それは衣が体を覆うように、残りを覆っているからである。だがこの髭は広大な顔を覆うだけではなく、父と母と小さな顔にも降りて覆っている。膨大な光が交流するので、沈黙の大いなる崇敬とともに、衣のように身にまとっている)。

(この髭が覆う「広大な顔のみならず、父と母も」という意味は、この髭は広大な顔(これは、慎重に読んでいる読者は、IHVHではなくAHIH(エヘイエ)であるのを思い起こすであろう。IHVHに関しては、広大な顔はI(ヨド)の頂点にある点で表される)の重要な属性のみならず、セフィロト全体へと拡張されている。なぜなら、この髭は父と母(すなわち、第2のセフィラ、ホクマー、知恵と、第3のセフィラ、ビナー、理解、IHVHのIH)も覆っているからである。そのため、適切に述べるならば、この髭はAHIHの部分であり、IHVHではないが、テトラグラマトンIHVH全体へと拡張される。なぜなら、「これは小さな顔にも降りて」いるからである。これは次の6つのセフィロトの事で、IHVHではVである)


3. 耳からこの髭は開かれた空間を円形に伸びている。その白髪は上昇し下降する。その13の部分に、この髭は装飾として配られている(これら全てについては、「大聖会」と「小聖会」の書の説明を参照せよ)。

(これらの広大な顔の髭の13の部分は全て、「大聖会」と「小聖会」の両方の書で詳細に説明があり、大聖会の方では、それぞれの部分についての章がある。そのため私はここでは、これについて詳しく述べる必要は無いだろう。本書の後半で、読者は必要とする情報を得るだろうからだ。ゲマトリア(序説を参照)により、AchD(アハド)、一つ、統一の言葉は、13の値がある。そのため、髭は統一の印である)


4. 装飾品に関して、(エレミヤ記 第2章6節には)こう書かれている。「人の通らない、人の住まない地」。人はこの中にはなく、人はこの中に含まれない。男はさらに少ない。

(ここでの聖書の節は、英語版では「Through a land that no man passed through, and where no man dwelt.」となっている)


5. 13の泉は、配る泉である(これにより流れが小さな顔と、低位者へと流れていく)。その4つは、個別に共に加わっているが、残りの9つは体を流れ(あるいは、正確なマントヴァ文書では、助言すると読める)、庭園(すなわち、小さな顔)を取り囲む。

(この個別に加わる4つとは、テトラグラマトンの4文字を指し、そして9つは、残りの9つのセフィロト、すなわち、ケテルを除いたものであろう。庭園あるいは楽園は、アツィルト、原型の世界でのセフィロト系の全てを表現する別名である)


6. この装飾品は、耳の門の前で始まる。


7. そして、美のうちに降下し、唇の始まりへと至る。この始まりから、かの始まりへと行く。


8. 2つの鼻の孔の下より始まる小路が存在する。これは過ちを許されるのを求めるために進む。箴言 第19章11節に「過ちを許すのは人の誉である」と書かれているようにである。

(上唇の口髭の部分である。なお英語の聖書では「It is his glory to pass over a transgression.」である)


9. 唇の下より、髭は別の始まりの部分へと向かう。


10. この部分の下より、別の道が進む。


11. それは、上にある芳香の始まりへ向かう道を覆っている。


12. 光を照らすために、2つのリンゴが見える。

(この2つの「リンゴ」あるいは「リンゴの木」は、頬の事である。これとソロモン王の雅歌にある表現とを比較せよ)


13. これら全ての影響は心臓にまで流れ落ちる(この中では、上位者と低位者とが吊るされている)。


14. 吊るされたこれらの髭は、上にあるものほどには輝かない。


15. この低位の髭は、喉を装飾品のように覆う。上位のものは、その完全な比率へと復する。


16. 唇はあらゆる側で自由である。幸いなる者は、これらの接吻を受ける者である。


17. これらの影響の全ての流れは、最も純粋な香油の13の滴により落ちる。


18. この影響の下で、万物は存在し、隠される。


19. 7ヶ月目の時には最も近くに引き寄せられ、上位の世界では、これらの月では13ヶ月と見出せ(文書ではThRISR(タリサル)、12の数の言葉が消されていると、よく言われる。あたかも1年は13ヶ月であるのを示すかの様である。影響の13の部分に従い)、慈悲の13の門は開かれる。この時には(すなわち、償いの日へと到達する時には。イザヤ書 第55章6節の文によると)「汝らは主にお会いすることのできるうちに、主を尋ねよ」

(上位の世界の影響の13の部分とは、勿論、アツィルト界、原型の世界、純粋なセフィロトのみがある世界での広大な顔の髭の13の部分である。英語版聖書の文は「Seek ye the LORD while he may be found.」である)


20. 創世記 第1章11節にこう記してある。「神はまた言われた、『地は青草と、種をもつ草とを地の上にはえさせよ』」(ここで、IHI(イェヒ)「そのようになった」を加えるならば、これらは9つの言葉となる)。これは、「9ヶ月の汝の謙虚な体」とも書かれる(これは、先に述べた時間によって理解すべきである。なぜなら、その時に主は求められるからである)。

(VIAMR ALHIM ThDShA HARTz DShA OShB MZRIO ZROで8つの言葉となり、これにIHIを加えるならば、9つの言葉となる。英語版聖書では「And God said, Let the earth bring forth grass, the herb yielding seed.」である)


21. (申命記 第3章24節では、こう記してある)「主なる神(アドナイ イェホヴァ)よ、あなたの大いなる事と、あなたの強い手とを、たった今、僕に示し始められました。」この神名、テトラグラマトン、IHVHは、その両面に完全に書かれて存在する(そのため、ADNI(アドナイ)の名前は、片方の面からの低位のH(ヘー)を示し、ALHIM(エロヒム)の点は、もう片方の面からの上位のH(ヘー)を示す)

(「その両面」とは、その様相についてである。ここでの点とは母音を示す点の事である)


22. だが、地へのこの繁殖は完全なものではなかった。なぜなら、IHI(イェヒ。そのようになった)が、まだ書かれていないからだ(ゆえに、我らがこう読んでも、これらの文字は完全な御名をまだ表していない)。


23. (だが、この中には我々を表している)上位のI(ヨド)(すなわち、上位の慈悲の徴であり、最も聖なる老いたる者である。マントヴァ文書では、余白にそのように記されている)と、低位のI(ヨド)(すなわち、低位の慈悲の徴であり、これにより小さな顔は、広大な顔からの影響を受ける。この2つのヨドはまた、創世記の第2章7節の以下の文で表される)VIITzR IHVH(ヴァイェイェツシル ヨド ヘー ヴァウ ヘー)、そして(上位のヨドと低位のヨドによる)テトラグラマトンが形成される。

(VIITzR IHVHが、ここにあるような創造をなすと私が可能と思える唯一の方法は、以下のものである(これは高名なヘブライ学者のミュー氏も同意している)。V(ヴァウ)、I(ヨド)、ITzR(イェツェル)により、IHVH、テトラグラマトンが形成される。この形成において、VIITzRの最初のヨドの文字は動詞のITzRの目的語であり、前置代名詞ではない。また、最も聖なる古き御方とは、アイン ソフが、アイン ソフ アウルの状態にある時のケテルの起源である(序説を参照)。一方で、低位のヨドとは、イェソドの象徴である)


24. だがIHIの中には(他にも)上位と低位のH(ヘー)も存在し、これらの間には、完全への結びつきがある(これにより、広大な顔から小さな顔へと流れは伝えられる)。


25. (それゆえ)これは完全である(これは分離無き名前だからである)が、あらゆる面には向いていない(なぜなら、小さな顔の花嫁の象徴が、この中には無いからである)。(そのため)この御名はこの場から取られて、別の葉所へと置かれる(すなわち、これらの文字はまた、低位の小路からの別の意味合いを受け取る)。


26. (なぜなら)創世記 第2章8節に「主(テトラグラマトン エロヒム)は(エデンの園に人を)置かれた」と書かれているからである。(それにより理解できるのは)IHI(イェヒ)の言葉のH(ヘー)は、二つのI(ヨド)の間に置かれ、(その上位のヘーは)小さな顔の上にある老いたる者の鼻の位置にあるからである(これらについて詳しくは、「大聖会」の書の175節を参照せよ)。これは霊無しには存在できないからである。

(このH(ヘー)は、エロヒムを象徴したものであり、低位のヘーや、上位と低位を組み合わせたものではなく、上位のヘーの単独である。広大な顔の鼻は、「大聖会」の書では、あらゆる部分の命だと述べられている。そのためこの命は、鼻の孔から流れる霊(あるいは空気、息)の流れ無しには存在できない(先の1章15節を参照))


27. そのためH(ヘー)を通じて、御名は完成する(花嫁ではなく上位の母により。これこそが、その魂なのである)。1つのH(ヘー)は上にあり(すなわち、テトラグラマトンの最初の理解を示し)、もう1つのH(ヘー)は下にある(王妃と花嫁を示している)からである。


28. エレミヤ書 第32章17節に、AHH ADNI IHVH(アハー アドナイ ヨド ヘー ヴァウ ヘー)「ああ、主なる神(イェホヴァ)よ」と書かれているようにである。ここでは、繋げているリンク(すなわち、AHH(アハー)の言葉の2つのH(ヘー)が組み合わさり、その他の全ては繋がった小路の媒体なのである)の結合がある。霊により、天秤の均衡の繋がりがなされる(すなわち、小さな顔とその花嫁のように、父と母も組み合わされる)からである。


29. (次に「隠された神秘の書」の著者は、広大な顔とIHV(ヨド ヘー ヴァウ)の神名の説明を離れて、低位の小路らの説明に入る。これは父と母と小さな顔により表わされている。そして最初に生じるのは)上位のI(ヨド。父の象徴)が、より老いたる者の王冠をかぶる(すなわち、これらの至高の頂点は、至高の王冠あるいは広大な顔として表され、別の文にある「それは秘密の事柄により取り囲まれている」――すなわち、父と母を覆っている広大な顔の髭の影響により取り囲まれているのである)。これは上位の脳の膜であり、その卓越から、輝くと共に隠されている(これらについて、より詳しくは「大聖会」の書の58節を参照せよ)。


30. 上位のH(ヘー)は、霊(あるいは風、息)により取り囲まれ、この霊は回廊(あるいは広大な顔の鼻の孔)の入り口を出たり入ったりし、万物に命を与える。


31. 上位のV(ヴァウ)は、激しく煌く炎である(もともと小さな顔は母の中に存在しているのは疑い無いので、これは裁きの始まりである)。これはその王冠(すなわち母)により取り囲まれている。


32. そして、これらの文字が拡張された形にされると(それにより、神名はVV(ヴァウ)、HH(ヘー)、IVD(ヨド)という風に充分に書かれる。そしてこれらが完成した形ならば、通常はBN(ベン、息子)と呼ばれる。なぜなら、これらの数値は共に52だからである)、小さな顔の中でこれらは含まれる(それにより、小さな顔は花嫁を抱擁する)。

(序説の33ページにある、四界のテトラグラマトンの書き方を示した表を参照せよ)


33. (この形が)始まったら、これらは頭蓋骨の中で発見される(すなわち、これらの文字とその中にあるものは、広大な顔の最も上位の部分に分配される)

(頭蓋骨の中とは、BGVLGLThA(ベゴルゴルタ、あるいはゴルゴルタの中)と書き、新約聖書でイエス キリスト(息子)が、ゴルゴタ(頭蓋骨)と呼ばれる丘で十字架に架けられた事は注記する価値がある。ここでは、カバラでは、小さな顔(息子)は、テトラグラマトンとして以下の図のようにゴルゴタ(頭蓋骨)の中で十字架の形へと拡張されると言われる。



 上記の文書の33節の最後では、「広大な顔の」とあるが、私はこれは「小さな顔の」の誤植だと考える)


34. それゆえ、これらは(元の慈悲より)その全体の形に、さらに万物の基盤にまで(すなわち、低位者らの魂として)拡張される。


35. これが純粋な均衡に留まるならば(すなわち、最も聖なる老いたる者の白髭が、光あるいは御名を降ろしたら)、これらの文字は均衡にされる(すなわち、それらの美徳より光が来る)。

(この「光あるいは御名」は、10のセフィロトと、それらに割り当てられている神名の事である(序説を参照せよ)。これらは(第1のセフィラを例外として)テトラグラマトンIHVHの中に含まれる)


36. 小さな顔の中にその御方(すなわち広大な顔)が発現したら、これらの文字となり、それにより呼ばれる。


37. 老いたる者のIVD(ヨド)はその源へと隠されている(すなわち、通常はI(ヨド)により象徴され、老いたる者とも呼ばれる父が、広大な顔の髭により取り囲まれる。あるいは別の方法では、他の2つの文字が2重にされる――すなわち、HHやVV――が、ヨドはその本質的な性質から、この2重化は行えず、単独のままで留まる)。なぜなら、この御名は見つけられないからで、IIとしたならば、もはやI(ヨド)とは発音されなくなるからである。そのため、これはIVDと書かれる)。

(「老いたる者」とは、第1のセフィラ、広大な顔の称号の1つである。だが、テトラグラマトンのI(ヨド)の文字は、第2のセフィラ、ホクマーを表しており、これもまた父と呼ばれている。序説の67節を参照せよ)


38. HA(ヘー)は、別により拡張され(ヘーは一般にHHとして書かれるが、時にはHIやHAとしても書かれる。ここでの別のものとは、1つはOB(アウブ)でもう1つはMH(マー)の名前である)、その女性原理の象徴では、2人の女(すなわち、上位の母と低位の母、理解と王国)としても記される。そして、様々な形を通じても見出せる(すなわち、広大な顔の髭と、その形あるいは部分を通じて、その光を小さな顔へ向けて放つなら、小さな顔の花嫁は光により生み出される。そして、上位のH(ヘー)は別である低位のH(ヘー)により反映される)

(序説での、四世界のテトラグラマトンの書き方を示す表を参照せよ)


39. VV(ヴァウ)は、別により拡張される(ヴァウはVVとして書かれるが、他にもOB(アウブ)の名前ではI(ヨド)と、SG(セグ)の名前ではA(アレフ)と共に、MH(マー)では、VAVとして書かれる事もある。また、BN(ベン)においては、VVとして書かれる。だが露にするには、これは完全に書かれる)。雅歌 第7章9節で「我が喜びへと甘く流れ落ちる」とあるようにである(ここで「甘く」は、VVの2つの文字が適切に拡張されたと理解される)。

(英訳聖書の権威ある版では、「And the roof of thy mouth like the best wine for my beloved, that goeth down sweetly. causing the lips of those that are asleep to speak.」と記されている)


40. 激しく煌く炎の中にて(すなわち、小さな顔の中にて彼は見出せる。低位の段階では、彼は裁きと混ぜられていないからである)。かの門を包み隠すために(すなわち、彼は成熟へと向かい、そして50の門で象徴されるその母と抱擁する)。

(ここでの「彼」とは、テトラグラマトンの中のV(ヴァウ)の文字である。理解の50の門とは、IとHと同等であり、その値の10と5を掛け合わせたら50、N(ヌン)の文字と同値になると私は先に述べている)


41. (彼はゆえに、こう呼ばれる)上位のV(ヴァウ。ダートあるいは知識と)低位のV(ヴァウ。すなわち外側の小さな顔。また)上位のH(ヘー。母)と低位のH(ヘー。花嫁)。だがI(ヨド。父の象徴)はそれら全ての上にあり、彼無しには、他の誰も上昇できない。彼は最初にあるI(ヨド)であり、彼自身でも(数の高みを通じて、5であるH(ヘー)や6であるV(ヴァウ)のように、似たような高さへと上昇する)、象徴的な図形無しには上昇できない(すなわち、10の数であるが、I(ヨド)と同じ文字によって表現されておらず、6と4によってである)。

(このV(ヴァウ)は、IとH(テトラグラマトンの父と母)の値を足してから、結果より最後の数として解釈する。すなわち、I + H + = 10 + 5 = 15となり、この2桁を再び足して、 1 + 5 = 6 = V(ヴァウ)を得る。「5であるH(ヘー)や6であるV(ヴァウ)と共に上昇する」という文は、これらの文字の値を象徴的なセフィロトの図として解釈するのを暗喩している。10の数は、IVD(ヨド)の言葉で表されており、最後の2つの文字、VとDを足す事で、 = 6 + 4 = 10、I(ヨド)を再び得る)


42. これにより、2重の形が発現し(すなわち、HHやVVなどの上で示された形での御名の文字となり)、1つの小路に、1つの組み合わせに、1つの序列に統一し、そのように説明されよう(すなわち、これらが上のやり方によって完全に書かれたら)、さらに(別のI(ヨド)ではなく)VD(ヴァウ、ダレト)がI(ヨド)に加えられる(それにより、均衡の隠された類似がここにもあろう)


43. 災いなるかな! 災いなるかな! これが取り去られて、他の2つのみが発現するならば(すなわち、IVDから、I(ヨド)の文字が取り去られて、VDのみとなったら。これは小さな顔とその花嫁から父を取り去り、母の中にまだ隠されているのを表されているので、この2つのみの発現は無駄で早産となる。なぜなら、父の生成の力が欠けているからである。あるいは別の意味で言うならば、流れが阻害されて、上位の小路が途絶する)。我らから、その効果は遠く遠く離れよ!


44. (そして低位者らの罪によりなされた事が、これらの言葉から明らかである)エゼキエル書 第1章14節の「生きものは、稲妻の閃きのように速く行き来していた」と、民数記 第24章3節*1の「急いで自分のところへ帰れ」、またオバデヤ書 第1章4節の「たといあなたが鷲のように高くあがり、星の間に巣を設けても、私はそこからあなたを引きおろすと主は言われる」とある。


45. (再び、こうも言われる)創世記 第1章12節の「そして地は芽を生えさせよ」何時か? それは、御名がその中に植えられた時である(すなわち、小さな顔が必要な数に従った、その適切な一致を受け取った時である――248の仲間らであり、365は無益となる)。

(これらの248と365の数は、ゲマトリアの巧みな組み合わせにより作られるが、ここで説明するには複雑すぎる)


46. そして風が流れ(すなわち、広大な顔からの生命の流れが吹いてきて)、火花が準備される(すなわち、小さな顔はそれ自体が偉大であるが、上位者らと比べるならば火と火花ほど違っている。彼はこの激しい光から生み出されるゆえに)


47. そして、かの力強き光の輝きの耐えられない只中にて、いわば頭のようなものが現れる(すなわち、至高の王冠が広大な顔の中で見出せる)。


48. そして、小さな顔の上には、2つの色による様々な豊富な滴がある(広大な顔では白のみであったが、ここでは、裁きに従って白と赤である。「大聖会」の書の44節を参照せよ)。

(上にあるのは、広大な顔ではなく、小さな顔である)


49. 3つの空洞の場所が発現し、その中に文字が表現される(脳の3つの機能、知恵、理解、知識の象徴として理解される。これらはより明白に現われるが、上位者の場合は、これらはより隠されている)。

(ここでの「文字」は、テトラグラマトンの最初の3文字のIHVである)


50. (頭の)4つの側面から黒(い髭)が放たれ、耳の曲線の開口部より降りていき、そのため彼は聞く事は出来ない。

(「聞く事は出来ない」というのは、これは広大な顔、アリク アンピンではなく、小さな顔、ザイル アンピンの事であるのに気を付けよ)


51. (顔と頭の全ての部分のうちの)右と左がここでは与えられる。

(この「右と左」とは、小さな顔は前面から見る顔として象徴され、一方で広大な顔は「全てが右」として、すなわち横顔として象徴される。ここと以後の幾らかの節の内容は、「イドラ ラッバ カディシャ」(大聖会)と、「イドラ ズタ カディシャ」(小聖会)の書でより詳しく説明されており、読者は参考にすべきである)


52. 1つの細い高次の小路は存在する(髪の部分)。


53. その額は輝かず、それらを見ようと彼が望むだろう遠い未来に定められている(広大な顔の中に見出せる、これらのアンチテーゼを含んだ全ての性質については、「大聖会」と「小聖会」の書でより完全に説明されており、参照すべきである)。


54. その目は3つの色(すなわち、赤、黒、金)がある。そのため、これらの前には恐怖が走り、これらの表面には輝く栄光がある。


55. イザヤ書 第33章20節に「あなたの目は平和な住まい、エルサレムを見る」と書かれている。


56. またイザヤ書 第1章21節にも、「正義がそのうちに宿っていた」と書かれている。


57. この「平和な住まい」とは、隠された老いたる者である。それゆえ、「あなたの目」はONIK(アウイナク。ここではヨドの文字は欠けている。これら全ての事は「大聖会」の書で説明されている)と書かれる。


58. また、小さな顔の威厳のために鼻もある。


59. その鼻の孔から、3つの炎が噴き出ている。


60. その耳には善と悪の両方を聞くための、深い道が存在する。


61. イザヤ書 第13章8節*2に「私は主(テトラグラマトン)である、これが私の名である。私は我が栄光を他の者に与えない」と書かれている(次に、「隠された神秘の書」の著者は、小さな顔と広大な顔との秘められた違いについての説明に入る。それらの名称についてもであり、先の聖書の文のANI(アニ。私)は、小さな顔を表している。なぜなら、ここには花嫁の概念が含まれているからである)。また申命記 第32章39節には「私は殺し、また生かし」と書かれている。またイザヤ書 第46章4節には「私は(貴方がたを)造ったゆえ、必ず負い、持ち運び、かつ救う」と書かれている。

(ANI(アニ)の言葉には、花嫁(マルクト、テトラグラマトンの最後のH(ヘー))の概念が、I(ヨド)の文字が最後にある事で暗喩されており、この文字は小さな顔と王妃とを繋げるリンクである第9のセフィラ、イェソドを象徴する。また2つ目の文字であるN(ヌン)は、私が先に述べたように、父と母(IとH)との繋がりの象徴である)


62. (次に、広大な顔は勿論、我々にはより密接に知ってはおらず、一人称で我々に語らずに、HVA(ホア、彼)と三人称で呼ばれる)同様に、詩篇 第100篇3節で「我らを造られたものは彼(主)であって、我ら自身では無い」と書かれている。またヨブ記 第23章13節でも「しかし彼は変ることはない。だれが彼をひるがえすことができようか?」と書かれている。

(広大な顔は、発現した神の唯一の始まりである)


63. (そのため、この三人称のHVA(ホア)は)隠された方と呼ばれ、どの姿でも見いだせない。彼は人の目の前には来なくて、その御名によっても呼ばれない。

(「その御名によっても呼ばれない」とは、先に何度も述べているように、テトラグラマトンには含まれない第1のセフィラの事である)


64. (これまで小さな顔、またH(ヘー)の文字のHHと2重に書かれる事での完全な形についての説明が続いたが、次には別の観点から考慮に入る。すなわち、この文字の別の2つの書き方、A(アレフ)と共に書かれるのと、I(ヨド)と共に書かれる場合についてである。前者はMH(マー)の名前でなされ、後者はOB(アウブ)とSG(セグ)の名前でなされる。この2つの形は、AHIH(エヘイエ、出エジプト記で「我は在りし者」と訳される)にて組み合わされる。そのため、考慮すべき事は)HAとHIである(そのため、これはHAと書かれるものの、上記の聖書の文での三人称のHVA(ホア、彼)と解釈できる。なぜなら、A(アレフ)は、それ自身にV(ヴァウ)を含んでおり、アレフの文字がこの形で書かれるならば、Vの文字は省略できるからである。そのため、HAと書かれるものの、HVAの言葉の象徴とできる。だが、これは逆もまた真では無い。もっとも)V自身にはAが含まれる(なぜなら、Aの文字の形は、中央の線を分割するならば、VIVにより構成されると言われるからである。そのため、Aの文字について考慮しないならば、これはHVと読めるであろう)が、にも関わらず、両者ともそれ自身の中には、Hの文字のどの実際の形も含まれておらず、そのため、HVあるいはHIと読める。

(読者は、この節で述べている内容は、ヘブライ文字の「形」についてのみであり、数値や発音の力については考えていない事に注意する必要がある。ヘブライ文字の形については、序説でのアルファベットの表で見る事ができる)


65. (さらに、HAと書く形で、AはVを含んでいるので、HVA(ホア)と読めるように)Aはアレフと発音され(これは、HAの第2の発音であり、MH(マー)として単純に述べられている。だが、また他にも)、アレフはIVD(ヨド)としても発音される(なぜなら、通常Aの文字の形は、ヨドは上の点に、ヴァウは中央の棒として、ダレトは下の部分として、これらの3つの文字に分解できるからである。そのため、HAと書いても、その中に深遠な3つ組の概念を含む。だが、HIをHAと理解するような、逆もまた真では無い。I(ヨド)はアレフとは発音せず、IVDは、I(ヨド)として発音し、その中に全てが隠されており、VDは(アレフの文字の形の中に見つけられるようには)それらと繋がっていないからである)

(H(ヘー)は定冠詞であり、H-Aは、ハ=アレフ、「The」アレフと読めよう)


66. (だが、それ自身にV(ヴァウ)とD(ダレト)が含まれるこの形は、低位の小路と父の中では通常である。そして)災いなるかな! I(ヨド)が、V(ヴァウ)とD(ダレト)の文字を照らさず、(それよりも酷いのは)VとDからIが世界の罪により取り去られ、(そのために)これら全ての裸が見つけられるならば。


67. そのため、レビ記 第18章7節には「あなたの父の裸を露にしてはならない」と書かれている(VD(ヴァウ ダレト)は、H(ヘー)と同じであり、IVDとして書かれるならば(つまり、V(ヴァウ)がD(ダレト)に含まれるならば)、IHと呼ばれるのと同じだからである)。災いなるかな! ヨドがヘーから取り去られるならば(すなわち、妊娠している母である理解から知恵から取り去られるならば)。なぜなら、レビ記 第18章7節には「あなたの母の裸も露にしてはならない」とも書かれているからである。彼女を崇めよ。彼女はあなたの母なのだ。なぜなら、箴言 第2章3節に「あなたは、自らの母を理解と呼ぶべきだからである」と書かれているからである(これは、この聖書の文のAMの言葉に対して、通常のキレクの母音点ではなく、ツェレの母音点で発音した場合である)。

(「VD = H」については、これも文字の形の事を指している)

(また私は、ヘブライ語やカルデア語の学者では無い我が読者の利益のために、序説で既に述べているが、ヘブライ文字は主に子音によるものであり、母音は文字の近くに置く小さな点や印により与えられている)


ゾーハル 隠された神秘の書 3
↑ 明かされたカバラ


*1 実際には11節。
*2 実際は第42章8節。