古今の秘密の教え 四大エレメンツとその住人たち

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四大エレメンツとその住人たち


 オカルトのプネウマ論(霊的な形質を扱う哲学の部門)の最も完全で流暢な解説者は、疑いなくフィリップス アウレオールス パラケルスス(テオフラストゥス ボンバストゥス フォン ホーエンハイム)、錬金術師とヘルメース哲学者らの君主にして王者の秘密(哲学者の石と生命のエリクサー)の真の保有者である。パラケルススは、古代からよく知られていた四大エレメンツ(地、水、火、風)のそれぞれは、微細で気体的な原理と、粗雑で物質的な形質により構成されていると信じていた。


 そのため、風は自然の実体的な圏と、霊的な風とでも名付けられるであろう非実体的で気体的、根本的なものの2つがある。火にも見えるものと見えないもの、認識出来るものと出来ないもの、物質的、実体的な炎を通じて発現する霊的、エーテル的な炎がある。さらにこの類似を進めると、水も濃い流体と、流れる性質の潜在的なエッセンスにより構成される。地も同様に2つの部分がある――低次の固体的、大地的、不動のものと、高次の精練され、希薄で、動的で、実質的なものである。エレメンツの一般的な名前は、低位、物理的な四大原理の様相に用いられ、一方でエレメンツのエッセンスの名前は、それらと対応する不可視で霊的な構造に当てはめられてきた。鉱物、植物、動物、人は、これらの四大エレメンツの粗雑な面で構成される世界で生き、それらエレメンツの様々な組み合わせから、これらの生ける有機体は構成されている。


 ヘンリー ドルモンドは「霊的世界の自然法」で、このプロセスを以下の様に記している。「この全ての生命の始まりである形質の点を分析すると、明確な無構造、卵の白身に似たゼリー状の形質を見出せるであろう。これは炭素、水素、酸素、窒素で出来ており、原形質と呼ばれる。そしてこれにより全ての生体が命を持つ構造体なだけではなく、これらにより継続して生命は造られていく。ハクスリーはこう述べている。『この単独で有核の原形質は、全ての生命の形式基準である。これは陶器における土なのだ』と。」


 古代哲学者らが考えた水エレメントは、現代科学の水素へと変わっていった。同様に、風は酸素に、火は窒素に、土は炭素にである。


 この見える自然には無数の生物が存在するように、パラケルススによれば、見える自然と対応する不可視の霊的な部分(見えるエレメンツの希薄な諸原理により構成される)にも、特有の霊的存在の大群が住んでおり、これらに対してはエレメンタルズと名付けられ、後には自然霊と呼ばれるようになった。パラケルススは、これらエレメンツ界の住人らを4つの違った集団に分割し、ノーム、ウンディーネ、シルフ、サラマンダーと呼んだ。パラケルススは、これらは真に生きた存在であり、多くは人間の姿と似ており、それ自身の界に住んでいて、人には未知である。なぜなら、人の未開発の感覚は、粗雑なエレメンツの限界を超えて働けないからであると。


 古代ギリシア、ローマ、エジプト、中国、インドでは、サチュロス、スプライト、ゴブリンらを暗黙に信じられてきた。海に住む者らはマーメイド(人魚)、川や泉にはニンフ、風にはフェアリー、火にはラレースとペナーテース、地にはファウヌス、ドリュアス(ドライアド)、ハマドリュアスがいた。これらの自然霊らは、高く重んじられており、機嫌を宥めるための供犠がなされてきた。たまに崇拝者らの環境的な状態や特有の感受性の結果として、これらが見える事もあった。古代の多くの著者らが、実際に自然の微細な領域の住人らを目撃したものとして記していた。この分野の幾らかの権威者らは、多神教徒らにより崇拝されていた神々の多くは、実際にはエレメンタルズであるという意見を持っていた。これら「不可視な者ら」の一部は、命令をする神像のものや、崇高な振る舞いをすると信じられてきたからである。


 ギリシア人は、これらのエレメンツの一部、特に高次の位階にある霊らにダイモンの名を与え、崇拝していた。おそらくは、これらのダイモンの中でも最も有名なのは、ソクラテスに助言をしていた神秘的な霊であろう。この大哲学者は、この霊について最も高く評価していた。人の不可視の構造についてよく研究している者らは、このソクラテスのダイモンや、ヤコブ ベーメの天使は、実際にはエレメンタルズではなく、これらの哲学者自身の隠された神的な性質であると気づいていた。アプレイウスの「ソクラテスの神」への注記の中で、トーマス テイラーはこう述べている。


「そのためソクラテスのダイモンは、この哲学者のほとんどの者らに対しての知的優越性から推測して、疑い無く最も高次の位階のものであり、アプレイウスはこのダイモンを神と呼ぶ事を正当化している。そして、このソクラテスのダイモンが勿論のこと神であるのは、「アルキビアデスI」の中のソクラテス自身の証言から明らかである。この対話篇の中でソクラテスはこう明白に述べている。『私は長い間、神はあなたとの対話をなす事をこれまで導いてこなかったという意見を持っていた。』そして、弁明の中で、ソクラテスはこのダイモンはその位階の中でも超越的な神に属すると明解に主張していた。」


 このかつて信じられてきた、大地を取り巻き、相互作用する不可視のエレメンツ界には生きた知的生命体が住んでいるという考えは、現在の散文的な精神からは馬鹿げて見えるであろう。だがこの考えは、世界で最も知的な者らの一部からも支持を得てきていた。シルフは、ミラノの哲学者ファキウス カルダンにより、サラマンダーはベンヴェヌート チェッリーニに見られ、パーンは聖アントニウスに、赤い小人、ノームはナポレオン ボナパルトにも、歴史のページの中にこれらの場所を見出している。


 文学もまた、自然霊の概念を永続化させてきた。シェイクスピアの「真夏の夜の夢」に出てくる悪戯好きの妖精パック、アレキサンダー ポープの薔薇十字団の詩「髪盗人」に出てくるエレメンタルズ、リットン卿の「ザノーニ」に出てくる神秘的な生き物、ジェームス マシュー バリーの不滅のティンカー ベル、リップ ヴァン ウィンクルがキャッツキル山地で出会った有名なボール遊びをする男たちは、文学の愛好家らには良く知られているキャラクターたちである。世界中の民話と神話でも、これらの神秘的な小人らが、古城に出没したり、地の底の宝を守護していたり、キノコの傘に守られた下に家を建てたりする伝説に富んでいる。フェアリーは子供時代の喜びであり、ほとんどの子供らは育つにつれて、しぶしぶこれらを諦めている。だが、世界の最も優れた精神の持ち主らが、フェアリーの存在を信じていたのは、そう昔の事では無く、プラトン、ソクラテス、イアンブリコスらが、これらのリアリティーを公然と認めていたのは間違っていたのかという議論はなおも続いている。


 パラケルススは、エレメンタルズの体を構成する形質について記す中で、肉を2つの種類に分割している。第1は我々全てがアダムから受け継いできたものである。これは可視で、物質の肉である。第2はアダムから来たものでは無い肉で、より洗練され、前者の限界に属さないものである。エレメンタルズの体はこの超形質的な肉により構成される。パラケルススは、物質と霊として、人間の体と自然霊の体には大きな違いがあると主張している。


 パラケルススは「だが」と続ける。「エレメンタルズは霊では無い。なぜなら、これらにも肉や血、骨があるからである。これらは生き、繁殖する。起き、会話をし、活動し、眠る。結果として、これらは「霊」と適切には呼べない。これらは人と霊との中間に位置する存在であり、人と霊とに似ており、その体内器官と姿は人間の男女に似て、その運動の素早さは霊に似ている。」(フランツ ハルトマン訳の「オカルト哲学」より)後にはパラケルススは、これらの生き物をcomposita(混合物)と呼ぶが、これらの形質が、霊と物質の混合物から構成されているように見えるからである。パラケルススはこの概念を説明するために色の例えを用いる。例えば、青と赤を混ぜたら、新しい紫の色となり、両方とも似ていないが、それでいて両方を混ぜ合わしているのである。自然霊も同様であり、これらは霊的生物とも物質による存在とも似ていないが、霊的物質、あるいはエーテルとでも呼べる形質により構成されているのである。


 パラケルススはさらに、人は様々な性質(霊、魂、精神、肉体)で構成され、1つの存在として組み合わされているが、エレメンタルは1つの「原理」のみであり、それにより構成されて生きている。読者はエーテルとは4大エレメンツの1つの霊的なエッセンスを意味すると覚えておく必要がある。エレメンツが存在するのと同じほどのエーテルの領域があり、自然霊はエーテルがあるのと同じだけの違った種類がある。これらの種族は自らのエーテルの中に完全に孤立して存在し、他の何十ものエーテル界との交流は無い。だが人の中には4大エレメンツの全ての振動を感じる意識の諸センター*1があり、適切な条件によって、全てのエレメンタルの領域と交流する事が可能となっている。


 自然霊は、物質の地水火風といったような粗雑なエレメンツでは破壊できない。これらは地上の形質よりも高い振動率で活動しているからである。単独のエレメントあるいは原理(そのエーテルの中で、これらは機能する)から構成されているゆえ、これらは不死の霊を持っておらず、死んだら単に基に個別化したエレメントに帰るのみである。死後に個々の意識が保たれたりはしない。それらを含むための上位の媒体が無いからである。1つの形質からのみ造られているために、媒体の間での機能は無く、これらの体の機能は僅かにしか傷つかず、そのためとても長生きする。地のエーテルで構成された生き物は、この中でも最も短い寿命があり、風のエーテルで構成されたものは最も長い寿命を持つ。これらの平均的な寿命は、300年から1,000年である。パラケルススはさらに、これらは我々の地上の環境に似た状態で生きており、病に罹ったりする事もある。これらの生き物は、霊性を高める能力はないと考えられているが、ほとんどは高い倫理の持ち主である。


 これら自然霊らが存在するエレメンタルのエーテルについて、パラケルススはこう記している。「これらは4大エレメンツの中で生きる。水エレメントの中ではニンフが、風エレメントの中ではシルフが、地エレメントの中ではピグミー(小人)が、火エレメントの中ではサラマンダーがである。これらはまた、ウンディーネ、シルヴェストル、ノーム、ウゥルカニ(ヴァルカン)などとも呼ばれる。それぞれの種族は、自らが属するエレメントの中でのみ動き、我々で言えば風や、魚でいえば水といったように、その適切なエレメントの外へ出る事も無い。そして別の種族が属するエレメントではこれらは生きられない。各エレメンタルが生きるエレメントは、我々でいえば大気のように透明で不可視で呼吸可能なものである。」(フランツ ハルトマン訳の「オカルト哲学」より)


 読者はこの自然霊と、不可視の諸世界を通じて進化する真の命の波とを、混同しないように気を付けて欲しい。エレメンタルは単独のエーテルの(あるいは原子の)エッセンスによってのみ構成されるが、天使、大天使、その他の上級の超越的な霊的存在は、複合的な器官を持ち、霊的な性質と媒体の鎖で構成され、その性質は人間のものと似ていなくも無いが、限界を伴った肉体は含まれないのである。


 自然霊の哲学は、一般に東洋を起源とするとされており、おそらくはインド起源であろう。そしてパラケルススはその知識を、哲学的放浪の時代に出会ったオリエントの賢者らから受け取っている。古代エジプト人もギリシア人も、同じ情報源からこれらの情報を得ていた。では自然霊らの4つの主な分類を、パラケルスス、モンフォーコン ド ヴィラール、その他の現在でも僅かに入手可能な著者らの教えをもとに、これから記していくとしよう。


一般的なノームの図

ギェレルプの「Den AEldre Eddas Gudesange」より


 ノームらの中でも、もっともよく見る類はブラウニーやエルフであり、12から18インチの高さの悪戯好きでグロテスクな小人*2で、通常は緑色やあずき色の衣を着ていた。これらのほとんどは、非常に年を取った姿で現われ、長い白髭を伸ばし、丸みのある姿をしていた。これらは、木の切り株の穴の中で見る事ができ、時には木そのものの中へと実際に溶けていく事で消えたりもした。


ノーム


 地のエーテルと呼ばれる地の希薄な領域に住むエレメンタルらは、ノームの総称の下でグループ化されている(このノームは、ギリシア語のゲノムスから来ており、その意味は地に住む者である。「新英語辞典」を参照)。


 この自然の客観的な物理的エレメンツにおいても、人間の多くの種族があるように、自然の主観的なエーテル界でも、多くの種類のノームがある。これらのエレメントの中で働く大地の霊らは、物質の地と振動数が近いため、岩や溶岩、さらに人間や動物界の鉱物の要素に対して莫大な力を及ぼしている。ピグミーのような一部のノームは、石、宝石、金属にも働き、隠された宝の守護者だと見做されてきた。これらは北欧人らがニーベルンゲンの地と呼んだ、遥か地下の洞窟の中に住んでいた。ワグナーのオペラ「ニーベルンゲンの指輪」では、アルベリヒがピグミーの王となり、地下に隠された宝を集めるように小人らに命じていた。


 ピグミーの他にも、木や森の霊と呼ばれている他のノームらもいる。このグループには、シルヴェストル、サテュロス、パーン、ドリュアス、ハマドリュアス、ドルダリス、エルフ、ブラウニー、森の老小人らがいる。パラケルススはノームは自分たちの構成要素に似た物質、アラバスター、大理石、セメントのようなもので家を建てるが、これらの物質の真の性質は未知であり、物理的な自然に対応するものが無いと述べている。ノームの一部の種族は、集まって社会を形成しており、他の種族は固有の物質の中に生きている。例えば、ハマドリュアスはこれらが部分である植物や木の中で生き、死ぬ。あらゆる低木や花にはそれ自身の自然霊がおり、しばしばその植物の物理的な体を住居として用いていると言われている。古代の哲学者らは、自然のあらゆる部分には知性が発現する原理を認めていたので、組織化された精神を持たない生き物が住む自然の選択の質は、実際には自然霊らの決断によるものだと信じていた。


 C.M.ゲイレーは、著書「古典神話」にてこう述べている。「古代の多神教徒らは、自然のあらゆる作用は、神々の僕によるものと考えるのを好んでいた。ギリシア人の想像力は地上や海に多数の神々で満たし、それらの僕は、我々の哲学では自然法の働きとする現象に割り当てられていた。」そのため植物において、エレメンタルはその食物を受け入れたり拒否したり、その色を配置したり、種を保持し保護したり、その他の多くの利益となる働きを行っていた。各種には違っているが相応しい種類の自然霊により仕えられていた。例えば、毒のある低木で働く自然霊は、その見た目も不気味だった。ドクニンジンの自然霊は小さな人間の骸骨に似ていて、半透明の肉で薄く覆われていると言われる。これらはドクニンジンの中に住み、それらが切り取られても、両者とも死ぬまで留まる。低木の中に命がある僅かな証拠しかないが、それはエレメンタルの守護者の存在を示している。


 大樹にもまた、それらの自然霊を持っているが、それらはより小さな植物のエレメンタルよりも、遥かに大きいものである。 ピグミーの働きには、岩の中の水晶を切るのや、鉱脈を発展させるのも含まれている。ノームが動物や人間と共同で働く時には、それら自身の性質と照応する体組織により、それらの働きを確認できる。そのため、これらが骨に働くならば、鉱物界に属するのであり、古代人は折れた骨を治すのは、エレメンタルとの共同が無い限り不可能だと信じていた。


 ノームには様々な大きさがある――そのほとんどは、人間よりも遥かに小さいが、それらの一部は望むように姿を変えられる能力を持つ。これらが働くエレメントの極端な機動性の結果である。これらについて、ド ヴィラールはこう記している。「大地はその中心核に近い場所までノーム、小人の民で満ちている。これらは宝、鉱物、宝石の守護者であり、器用で人の友であり、容易に支配できる。」


 ノームの好意的な気質について、全ての権威者らが同意している訳では無い。多くの者は、これらはトリッキーで、悪意のある性質があり、付き合うのが難しく、油断ならないと述べている。だが、これらの信用を得たならば、忠実で正直となる事には著者らは同意する。古代世界の哲学者や秘儀参入者らは、これらの神秘的な小人らと、どのように対話をするか、重要な事柄で共同に働くかも教えていた。だがマギは決してこれらの信用を裏切らないようにと常に警告していた。もし裏切ったならば、この不可視の生き物らは、人の主観的な性質を通じて働き、終わりなき苦しみの原因となり、最終的には破滅へともたらされる可能性が高い。他者のために神秘家が働くかぎり、ノームもこの神秘家に仕えるであろが、この人物がその助けを、一時的な力を得るために利己的に用いようとしたら、これらは容赦のない怒りで向き合うであろう。これらを欺くのを求めた場合にも同じ事が言える。


 地の霊らはシェイクスピアが「真夏の夜の夢」で記しているように、1年のうちの特定の時期に集会を開く。そこではエレメンタルらは、自然の美と調和を楽しむために共に集い、優れた収穫を予想する。ノームは大いに愛し崇めている王によって支配されており、その名はゴブ(Gob)である。そのため、その配下はしばしばゴブリンと呼ばれている。中世の神秘家らは、天地創造の端(東西南北)をそれぞれ自然霊の4大の領域に割り当てていたが、ノームはその地の性質から、北――古代人が闇と死の源とした場所へと割り当てられている。人間の4つの主な気質の1つもまた、ノームと関連づけられている。なぜなら、洞窟や森の暗闇の中で住む多くの者らが、メランコリー、陰鬱、消沈の気質を持つと言われるからである。だがそれは彼ら自身がそのような気質なのを意味するのではなく、似たような濃度を持つエレメンツへの特別な支配を持つからである。


 ノームもまた結婚し家族を持つ。そして女のノームはノーミデスと呼ばれる。一部の者は住んでいるエレメンツの織物を着ている。別の場合には、その衣は自らの部分であり、動物の毛皮のように自らと共に成長する。ノームは大きな食欲を持ち、その時間の多くを食べる事に費やしていると言われている。だが、これらは熱心で誠実な労働によって食料を得る。ほとんどの者は欲深い気質があり、秘密の場所に宝を貯めている。小さな子供がしばしばノームを見る豊富な証拠がある。これらの子供は、自然の物質的側面との繋がりがまだ完成しておらず、不可視の世界を見る能力が多かれ少なかれ残っているのである。


 パラケルススによれば、「人はエレメンツの外側に住み、エレメンタルはエレメンツの内側に住む。エレメンタルはそれ自身の住居、衣服、習慣、言語、政府がある。蜂にはそれらの女王がおり、動物の群れにその指導者がいるようにである。」(フランツ ハルトマン訳の「オカルト哲学」より)


 自然霊に科せられた環境の限界について、パラケルススは古代ギリシアの神秘家らとは違った意見を持っていた。このスイス人哲学者は、これらが微細で不可視のエーテルにより構成されると考えていた。この説では、これらは特定の時間で、エーテルの振動が共鳴した場合にのみに見えるようになる。一方で古代ギリシア人らは、多くの自然霊らは物理世界でも機能できる形質で構成されると信じていたようである。夢から覚めてからも記憶が生き生きとしていると、その人物は実際に物理的な経験をしたと信じる。物理的に見るのとエーテルの幻視との境界線を判断する困難には、様々な意見があろう。


 だがこの説明でも、聖ヒエロニムスの証言にある、コンスタンティヌス大帝の御代にサチュロスが生きたまま捕えられ、人々に晒された話を満足して説明出来ない。このサチュロスは角を持った人間の姿をして、その足は山羊のものだったという。その死後、死体は塩漬けにして保存され、皇帝の下へと献上されたというが、皇帝はそれが現実かどうか試したであろう(これは現代科学が奇形として知られている現象である可能性が高い)。


マーメイド

リュコステネスの「徴と驚異の年代記」より


 おそらくウンディーネらの中でも最も有名なのは、神秘的なマーメイド(人魚)であろう。古代の船乗りは七つの海にこれらを満たしたのである。これらの生き物の存在は、上半身は人間のもので下半身は魚のようなものだと信じられてきた。おそらく、遠くから見たペンギンやアザラシの群れにより思いついたものであろう。中世のマーメイドの説明では、それらの髪は海藻のような緑色で、水面下の植物とイソギンチャクの花輪を身に着けていると述べられてもいた。


ウンディーネ


 ノームがその働きを地エレメントに限定されているように、ウンディーネ(この名前は水エレメンタルの種族に与えられている)も湿気の(あるいは流体の)エーテルと呼ばれる不可視で霊的なエッセンスの中でしか働かない。その振動率は、水エレメントに近いため、ウンディーネは自然のこの流体の流れと機能をかなり制御する事ができる。美はこれらの水の霊らを主に表す言葉に思える。我々が絵や彫刻で見る時はいずれも、これらはシンメトリーと魅力に富んでいる。水エレメント――これは常に女性原理の象徴であった――を制御するため、この水の霊らはほとんどの場合、女性として象徴されている。


 ウンディーネには多くのグループがある。ある者らは滝に住み、そのしぶきの中で見られる事がある。他の者らは激しく動く川に住んでいる。ある者らは滴りにじみ出る沼に住み、他のグループは清澄な山の湖に住んでいる。古代の哲学者らによると、あらゆる泉にはそのニンフが、あらゆる海の波にはオーケアニスがいるという。水の霊らは、オーケアニス、ネーレーイス、リモニアデス、ナーイアス、水の霊、海の乙女、マーメイド、ポタミデスの名前の下で知られていた。しばしば水のニンフらは、それらの名前を住んでいる川、湖、海から取られていた。


 これらを記述する中で、古代人らは特有の顕著な性質について同意していた。一般的に、ほぼ全てのウンディーネらは、その姿と大きさで人間に密接に似ている。もっとも、小さな川や泉に住む者らは、それらに比例して小さくなっている。これらの水の霊らは、時には通常の人間の姿に化ける事もでき、実際に人間の男女と付き合うこともあると信じられてきた。これらの霊が漁師の家族となる多くの伝説があるが、そのほとんどの結末では、ウンディーネはやがては海からの呼び声を聞いて、海の王ネプトゥーヌスの王国へと帰っていくのである。


 男のウンディーネについては、事実上ほとんど知られていない。水の霊らはノームのように家を建てたりはしないが、海底の珊瑚の洞窟や、川や湖の岸に育つアシの間に住む。ケルト人の間では、かつてアイルランドでは現在の人間が住む前には、半神の生き物の奇妙な種族が住んでいたという伝説があった。現在のケルト人が住むようになると、これらは沼の中へと隠居し、今日までそこに留まっているという。小さなウンディーネは、スイレンの葉の下で、滝によって散りばめられた藻による小さな家に住んでいるという。ウンディーネは植物、動物、人間の生命のエッセンスと液体を動かしており、水を含んでいる万物の中にある。ウンディーネが見られた時には、その姿はギリシアの女神の彫像に一般的に似ている。これらは霞みを覆う水から生まれ、それらから離れては長くは存在できない。


 ウンディーネには多くの種族があり、それぞれには特有の限界があり、ここでその詳細を全て述べるのは不可能である。これらの君主はネックサ(Necksa)といい、これらは愛し称えて、弛まずに仕えている。これらの気質は活気があると言われ、その座は天地創造の西の端に与えられている。これらは些か感情的なところもあり、人間には友好的で、人類に仕えるのを好む。時にはこれらはイルカや他の大きな魚に乗った姿で描かれる。また、花や植物を特別に愛するように思われ、それらに対してウンディーネは、ノームのようにほとんど献身的で誠実に仕えている。古代の詩人らは、ウンディーネの歌は西風の中から聴こえて、これらの生涯は物質の大地を美しくする事に捧げられていると述べている。


パラケルススによるサラマンダー

パラケルススの「30の魔術の図の叙説」より


 古代エジプト人、カルデア人、ペルシア人はよくサラマンダーを、その輝きの放射と偉大な力から、神々と誤解していた。ギリシア人も、これら古き国々の伝統に従い、この火の霊を定義し、香と永遠に燃える祭壇の火の名前として栄誉を与えていた。


サラマンダー


 エレメンタルの第3のグループは、サラマンダー、火の霊らであり、微細で霊的なエーテル、自然の不可視の火エレメントの中に住んでいる。これら無しには、物質の火は存在できない。サラマンダーの助け無しには、マッチは点火できず、火打石や鋼も火花を与えない。サラマンダーは摩擦により呼ばれ(中世の神秘家らが信じるには)即座に現れる。これらが住んでいる火のエレメントのせいで、人はサラマンダーと対話は出来ない。これらに近づくと全ては灰となるからである。薬草と香木の特別な調合の準備により、古代の哲学者らは様々な香を作っていた。そして香が燃やされると、そこから上がる煙はこれらのエレメンタルの表現の媒体として特に適している。この香の煙のエーテルの気を用いて、これらのエレメンタルを知覚出来るようにできた。


 サラマンダーは、ウンディーネやノームと同様に様々なグループ分けと配置ができる。これらには多くの種族があり、見た目、大きさ、威厳に違いがある。時にはサラマンダーは小さな光の玉として見える。パラケルススは「サラマンダーは、野原を走ったり家々を透かしている、火の玉や火の舌の姿として見える。」と述べている(フランツ ハルトマン訳の「オカルト哲学」)。


 中世の自然霊の研究者らは、サラマンダーの最も一般的な姿は、火の中でねじったり這ったりしている、1フィート以上の長さのトカゲのような形をしていて、育った有尾類として見えるという意見を持っていた。別のグループは、巨大な火の巨人で、燃えるロープを身に着け、さらに火の鎧により身を守っていると記している。ド ヴィラールを含めた中世の一部の権威らは、ザラシュストラ(ゾロアスター)はウェスタ(ノアの妻と信じられてきた)と大サラマンダー、オノマシスの間の息子だと見做していた。それゆえ、ザラシュストラの燃える父の栄誉のために、ペルシアでのゾロアスター教の祭壇では常に炎が灯されたのである。


 サラマンダーの下位グループの中でも最も重要なものはアクツニキ(acthnici)である。これらの生き物は、不明瞭な球状の姿でのみ現われる。これらは夜に海の上を浮かんでおり、時には船のマストや索具の上に炎の又(聖エルモの火)として見えると考えられてきた。サラマンダーは全てのエレメンタルの中でも最も強く、その君主はジン(Djin)と呼ばれる、恐ろしく畏敬のある姿の、輝いて燃える霊である。サラマンダーは危険な存在であり、賢者らはこれらから離れるよう警告をしてきた。これらの研究で得る利益は、しばしばその労に値する事は無いからである。古代人は熱を南に割り当てていたので、サラマンダーの座ともなった。そしてこれらは、万物の燃える気質や体温に特別に影響を及ぼす。動物と人間の両方で、サラマンダーは体温、肝臓、血流の操作によって、感情の性質を通じて働く。これらの霊の助け無しには、世界には熱は無かったであろう。


シルフ

ハワード ウーキーのスケッチ画より


 シルフは体を変化させる存在であり、稲妻のように素早く行き来する。これらは地上の気体とエーテルを通じて働き、人間に優しい傾向がある。これらはほとんど常に翼のある姿だが、時には小さなケルブや、微細なフェアリーの姿で現される事もある。


シルフ


 賢者らはエレメンタルの第4のグループ、シルフは、風のエレメントの中で住むと述べてきたが、それらは地上の自然の大気の圏の事では無く、不可視で無形の霊的な媒体、我々の大気の圏と構成が似ているが、より微細なエーテルの形質によるものである。プラトンにより「パイドン」として保たれてきたソクラテスの最後の講義で、この有罪判決を受けた哲学者はこう述べている。


「そして大地には動物や人がおり、その中間の領域には、我々が海の周囲に住むように、風の周囲に他(のエレメンタル)が住んでおり、他には大陸の近くの風が周囲を流れる島に住む。そして一言で言うならば、これらは我々が海と川を用いるように、風を用いており、我々にとっての風はこれらにはエーテルである。さらにその気候の良さから、これらには病が無く(パラケルススはこれに反論している)、我々よりも遥かに長く生き、その視覚、聴覚、嗅覚、その他の全ての感覚は、遥かに優れている。風が水よりも純粋であるように、エーテルは風よりも純粋である。また、これらは神殿や聖所を持ち、そこには真に神々が住んでいて、これらの嘆願の声を聞いて返答をし、これらを意識し、対話をする。そして、これらは太陽、月、星々の真の姿を見て、その他の幸福もこれらと共にあるのである。」さらにソクラテスは、シルフは雲の周囲、風に取り囲まれて住んでいると信じられているが、その真の家は山頂にあるという。


 サルヴェルトの「オカルト学」の編注にて、アンソニー トッド トムソンはこう述べている。「フェイとフェアリーは、明らかに北欧起源である。もっともフェアリーという名前は、ペルシアのペリ、想像上の慈悲深く、悪霊から守る霊的存在から来ている、というよりその修正であると見做されているが、より可能性が高いのは、ゴート族のファグル(Fagur)、エルフがアルファから来たように、部族全体の一般名称からであろう。このフェアリーの名前の由来を受け入れるとしたら、ブリテン島でフェアリーの概念が始まったのは、デンマーク人の征服の時期からと見る事ができよう。これらは小さな風の存在で、美しく、生き生きとして、交流した人間に対して慈悲深く、フェアリーランド、アルフ・ヘインナーと呼ばれる、一般的に地下にある領域に住むと見做されてきた。そしてこれらが地上を訪れる時には、美しい緑の輪を残し、そこでは月夜でのこれらの踊りにより、霞を帯びた草地が踏み荒らされているという。」


 シルフに対して、古代人は雪を造り、雲を集める仕事をしていると考えていた。そして後者の仕事では、湿気を与えるウンディーネと共同で達成していた。風はこれらの特有の乗り物で、古代人はこれらを風の霊と呼んでいた。これはら全てのエレメンタルの中でも最も高い位置にあり、これらが住む風エレメントは最も高い振動率がある。これらは数百年は生き、しばしば千年の寿命を持つが、老人には見えない。シルフの君主はパラルダ(Paralda)と呼ばれ、大地の最も高い山に住んでいると言われる。女のシルフはシルフィードと呼ばれていた。


 シルフ、サラマンダー、ニンフは古代人の神託で多く働くと信じられていた。事実、これらは地の底と上の風から語りかけてくるものであった。


 シルフは時には人間の姿を取る事もあるが、ごく短い間のみのようである。これらの大きさは様々であるが、その多くは人間よりも大きくなく、しばしば比較的小さかった。シルフは人間を自らの共同体へ受け入れる事もあり、かなりの間住む事を許すと言われる。事実、パラケルススはそのような出来事について書いているが、勿論そのような事は人間の訪問者が自らの肉体の中にある間には起きない。一部の著者らは、古代ギリシアの詩の女神ムーサイらは、シルフであると信じていた。これらの霊は、夢見る者、詩人、芸術家らの心に踏み入り、自然の美と働きのこれらの良く知る知識を啓明すると言われるからである。シルフは創造での東の端に住むとされる。これらの気質は陽気で気まぐれ、風変わりなものである。天才に共通する性質は、シルフとの共同の働きの結果と見做され、これらの助けはまた、シルフ的な気まぐれももたらすのである。シルフは人体内のガスと間接的に神経系に働き、そこではこれらの気まぐれさもまた現われている。これらは定住はせず、各地を彷徨い続ける――エレメンタルの遊牧民であり、宇宙の知的活動の不可視であるが常に存在する諸力なのである。


概説


 一部の古代人は、パラケルススとは違い、エレメンタルの領域はお互いに戦争をする事もあるという意見を持ち、自然霊らのこれらの領域の間で不同意があったエレメンツの戦いも認めていた。稲妻が岩を打ち砕いたりすると、人々はサラマンダーらがノームらを攻撃していると信じた。これらは自らのエーテルの特有のエッセンスにある他のエレメンタルを攻撃できず、これらの領域を構成する4つのエーテルの間に振動的な照応もない事実からして、これらは共通点、すなわちこれらが力を及ぼせる物質宇宙の形質を通じて攻撃する他ない。


 また戦争は、これらのグループ内部でも行われていた。ノームのある軍が、別の軍を攻撃し、内戦がこれらの間で引き起こされた。古代の哲学者らは、自然の一見しての無定見ぶりの問題を、それらの全ての諸力を個人化、人格化する事で解決し、これらは人間に似た気質を持ち、典型的な人間の無定見ぶりを示しているとした。黄道12宮の4つの不動宮は、4大エレメンツに割り当てられている。ノームは金牛宮の性質があり、ウンディーネは磨羯宮の、サラマンダーは獅子宮の、シルフは宝瓶宮の流出の発現であると言われている。


 キリスト教会は、これらのエレメンタルの住人全てを集めて、デーモンのレッテルを貼った。これは誤称であり、大きな過ちの結果となった。平均的な人間にとって、デーモンは悪しき存在を意味し、自然霊らは本質的には鉱物、植物、動物より悪意は無いからである。初期教会の教父らの多くは、これらのエレメンタルと出会ったし主張し、その性質を議論している。


 既に述べたように、自然霊らは不死になる希望が無い。もっとも一部の哲学者らは、特別の場合には、これらにも不可視の世界の特定の微細な諸原理を理解している達人と秘儀参入者らによって、不死が授けられていたという意見を持っていた。物質世界で分解作用があるように、物的形質と対応するエーテルの部分にも、それらは起きるとされた。通常の死においては、自然霊は個別化した元のエレメント、透明な原始のエッセンスへと単に再吸収される。進化的な発達が起きたとしても、それらはエレメントの原初のエッセンスの意識にのみ記録され、エレメンタルの一時的に個別化した存在にではない。人の複合的な器官が無く、その霊的、知的な媒体も欠けているので、自然霊は理性的知性においては亜人であるが、それらの機能――1つのエレメントに制限されているものの――は特別な種類の知性となっており、それらは人間の特有のエレメントの探求の線において遥かに優れているのである。


 教会の教父らにより、エレメンタルに対してインキュバスとサキュバスの名前が無差別に割り当てられていった。だがインキュバスとサキュバスは、悪しき非自然的な存在であり、一方でエレメンタルは4大エレメンツのエッセンスにいる全ての住人の総称である。パラケルススによれば、インキュバスとサキュバス(それらは男と女をそれぞれ表している)は、寄生虫的な生き物で、被害者のアストラル体から悪しき考えと感情を食っている。またこれらの言葉は、妖術師と黒魔術師の超自然的なオーガニズムにも用いられている。これらラルヴァエは想像上の存在では断じてないが、にも関わらず、これらは想像力により生まれる。古代の賢者らにより、これらは悪意の不可視の原因と見做されてきた。なぜなら、これらは倫理的に弱い者の周囲のエーテルに浮かび、常に堕落するように囁き続けるからである。この理由から、これらは麻薬窟、いかがわしいたまり場、売春宿の環境にしばしば現れ、不法に負けた不幸な者らに憑りつくのである。麻薬の悪習やアルコールの刺激に耽溺することで、自らの感覚を閉ざす事により、被害者は一時的にアストラル界のこれらの住人と共振するようになる。ハシシやアヘンの中毒者が見る極楽の美女や、精神錯乱の犠牲者を痛めつける不気味な怪物は、これらの非現実的な存在の例であり、悪しき行いをする者らにのみ、これらの注意を磁石のように引いて、見えるようになるのである。


 エレメンタルと、またサキュバスやインキュバスとも大きく違っているものは、吸血鬼である。これはパラケルススによって、生者や死者(通常は後者の状態である)のアストラル体として定義されている。吸血鬼はこの物理世界で寿命を延ばすために、生者の生命力を奪い、それらのエネルギーを自らの目的のために用いているのである。


 パラケルススは「De Ente Spirituali(霊的存在について)」で、これらの悪しき存在についてこう書いている。「健康で純粋な人物は、これらに憑依される事は無い。なぜなら、このようなラルヴァエは、これらのために部屋を用意した者のみに働けるからである。健康な精神は城に例えられ、その主の許可が無ければ侵入は出来ないのである。だが、これらが入るのを許可されたとしたら、これらは男女の情熱を刺激し、切望を創り出し、その悪しき考えは脳を傷付け、動物的な知性を鋭くさせ、倫理の意識を止めるのである。悪霊は動物的性質が主流となっている人間にのみ憑依する。真理の霊によって照らされた精神は、憑依される事は無い。低位の衝動に習慣的に振り回されている者のみが、これらの影響の犠牲者となるのである。」(フランツ ハルトマンの「パラケルスス」参照)


 通常と異なる奇妙な受胎についてガバリス伯爵が記しているものは、無垢なる受胎、すなわち、人間とエレメンタルの結合によるものである。このような結合から生まれた子らについて、伯爵はヘーラクレース、アキレウス、アイネイアース、テーセウス、メルキセデク、神のプラトン、ティアナのアポロニウス、魔法使いマーリンの名を挙げている。


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*1 ホールはチャクラの事を述べているように思える。
*2 J.R.R.トールキン教授がファンタジー小説「指輪物語」でエルフを「再定義」するまで、このように他の妖精と変わらないように考えられてきたのである。