アブラメリン 3 終わりに

ページ名:アブラメリン 3 終わりに

先の諸象徴への不可欠な備考


 私がこれまで記してきた象徴全てにおいて、それらを悪しき目的のために用いる事ができるのは確実である。そして、私はそのため最初はこれらを明かさないように考えていた。だが、後に私は自らが悪しき作業をしていなかったのを思い起こした。しばしば神の秘密の裁きにより(悪しき作業の実行者に)不名誉、障害、病弱、その他の苛立たせる事故が起きて、それにより死すべき定めの者に、その創造主を認めなかったりするほどの暗愚さから目覚めさせたり、これらの方法により増大する苦悩によって、その機会を与えたりするのである。そして神は悪しき事をせず、常に善ではあるが、時には第2原因らにそれらを働かせるのを許す事も否定できない。なお、神の義の執行と執行者は悪霊らである。そのため、悪のための作業を勧めるのは何の意義も無いが、特殊な場合にはそれらを行うのも許される事もあると私は結論した。(例えば)自らの命を救い、守る必要がある時や、何らかの大きなスキャンダルや悪を回避するためや、自分自身や神を喜ばせず、隣人を苦しめるような攻撃を防ぐためや、正義の戦争や他の場合などである。だがそのような場合には、常に汝の聖守護天使との相談に従うようにするのは最良である。また私は神はメリット、デメリットの両方での自由意志を人に与えたため、それらも書いた。さらに言うと、(前行の)作業を終えてから、汝が悪の作業を望み(私は神が許可しないのを祈るが)、神が汝に与えた恵みを悪用するなら、いずれにせよ霊らは積極的に象徴を汝に与え、発現させるであろうし、望んだことを全て与えようとするだろう。これらの事を考えると、私は再び汝に繰り返して言おう――主を畏れ、主を愛し、良心とともにその命令を尊重せよ。さすれば汝はこの地上で幸福に生きられよう。


 汝がこの作業の不可欠な点とは何かと熟考するならば、その第1の点は、中庸で真に宗教的な生活し、堅固で真実で真の大望をなし、隠遁については汝が行える限りにおいてなす事だと見出すであろう。なぜなら独居は多くの祝福の源だからである。例えば、汝が祈りや神の事柄を熟考するために世俗を諦めさせたり、悪しき会話や罪の機会を離れさせたり、自らで生きるようにしたり、そのような規則的な生活をするように自らを慣れさせたりなどである。もし王の御前に出る必要があったとしたら、高貴と威厳の姿で御前へ向かうだろうし、そのための準備の実践を熱心と慎重さとともに行わないだろうか。さらに我々が理解すべきなのは、主の天使らの喜びや幻視は、地上の君主らより無限に上であり、実際、地上の君主らは無益で、影で、地の塵なのである。なお、喜びのためならば、これらの地上の君主らは、ほとんど偶像崇拝をなすであろう。神の威厳の代理者である、その聖天使らの御前で何をなすべきか。各自がなすべき事をなすようにせよ。確実に、主が我らに授けた恵み、その聖天使らによる方法と仲介により、この聖なる学を与えるのは、かくも偉大であり、それらを適切に表現する事も出来ない。


 この聖なる知恵を得たら、汝はこれを3人の友らに授け伝えられるのは確実である。だが、汝はこの3の数を超えて伝えてはならない。その場合、汝も含めて全ては失われるであろう。主の目には最も称賛に値する行いの1つは、神が我らに授けたものを隣人らと共有する事である。だが、神がモーセに命じた事にも我らは注意する必要もある。神はモーセに兄アロンにもこの作業を与える、すなわち10フローリン金貨と交換に象徴を受け取るように命じ、それらの金貨をアロンは72人の貧民らに自らの手で分け与え、私が第2の書で既に述べた詩篇を唱えるようにさせ、その数は72でなければならないのである。この作業を受け取った者がそれをなさなかったら、作業の価値は無に帰するであろうからだ。汝はそれを与える権威はまだ無く、10フローリン金貨を受け取っていないが、主が汝に与えた条件の中でモーセが兄アロンに与えたようになすのだ。


 また、この聖なる学を他人に渡す際での用心について私は前に述べたが、ここでも繰り返そう。まず少なくとも6ヶ月の観察期間を作り、しばしば対話をし、与えたいと望む人物が公正な気質があるかを試す必要がある。それにより、信用に値する人物で、この学を得るのに熱心であるかを知るであろう。そして、この人物が、軽くて無定見であり、曖昧な考えしか持っておらず、習慣や態度が良くないなら、たとえ既にこの学を与えると約束していたとしても、与えないための言い訳をしつつ、汝はしばらく延期させるべきである。汝が大いなる恵みを受け取った永遠なる神を不快にさせるよりも、死すべき定めの人間を不快にさせる方がマシだからである。私自身、このような試みをなして、(当時の)我が大いなる迷妄により、私は大きく尊敬していたある人物にこの学を与えるのは良いと考えていた。だが神自らが介入して、我が意図をなすのを許されなかった。この人物はこの真偽を自らで判断しはじめて、大いに疑いを持っており、これは偽りであると信じ、完全な信仰を持っていなかったからである。この人物との論議により、私が考えていたような人物では無いと理解させた。さらに後には、この人物は危険な病に陥り、私自身は我が天使に、その選択を叱責されたのである。この宇宙の全体の働きは、信仰により保たれている。そして信じない者は、この世界においても(死後の)次なる世界においても、その不信により懲罰を受けるのである。ここで私は自らに関連した事をさらに多く述べられるだろうが、汝は自らの聖守護天使の影響下で学ぶべきである。汝は自らの良き時に、この繊細で用心深く守られているこれらの事柄についての教授を、充分に受けられるだろうからだ。


 悪霊らは微細で巧みで悪賢く、召喚の時に得られなかったとしても、他の機会に自らの働きを汝に提供しようと求めるだろう。これはまず最初に、特に汝の使い魔の霊らに対して、自らについて何も言わず、質問した時にのみ述べるように命令しなくてはならない理由である。例外は、汝の利点や損失のためにすぐに警告しなくてはならない場合のみである。汝がこれらの発言の自由に制限を加えなかったならば、汝に多くの重要な事柄を語り、汝の頭を完全に混乱させ、何を信じるべきかを理解できないようにさせ、汝の考えの混乱により曲解させ、おそらく取り返しのつかない過ちへと落とすであろう。汝は隣人らを助け、援助できる事について、大いに嘆願したり、また隣人らが汝からの助けを求めるまで待たず、その隠されたものまで必要を完全に知り、素早く助けを与えるべきである。また、トルコ人(イスラーム教徒)、多神教徒、偶像崇拝者のいずれであろうとも気にせずに、神への信仰を持つ者らに善行をなせ。特に、強く助けを求めている者、囚人、病者らに慈善をなし、これらの心に触れ、鷹揚に助けるようにせよ。神は貧者が助けられるのを見ると喜ばれるからである。


 第28章では必要な分だけの金と銀を得る方法を扱っているが、汝が実際に必要な量の金と銀は、ひとたび得たならば、この機会にのみ用いられるのを知るべきである。そして24時間以内に汝が用いなかったならば、これら全ては消え去り、汝は2度とそれらを用いられないであろう。だが、これらの金は幻覚だとは考えてはならない。汝が効果的にこれらを消費し、貯めたりはしなかったならば、汝の手からこれらを受け取った者は、同様に楽しむ事ができ、その望みに応じて費やせ、この金はその者にも他の者にもリアルであろうからである。


 汝は1度のみ、自らの聖天使に、汝の資産と状態に適していると判断できる金と銀を要求できる。私はかつて僅かの資産しか持っておらず、そのため私は自らの聖天使に300万フローリン金貨を要求し、彼らは私に許可したのである。後には私はこの聖なる学を良く用いるようになり、我が資産を増やす方法をよく理解するようになったので、現在では、3人の娘らが結婚した際に、それぞれに10万フローリン金貨を持参金として与え、さらに私が作った遺書では、多くの価値ある家具の他にも100万フローリン金貨以上を残しているのを汝は見るであろう。私が高貴な地位に生まれたとしても、より多くを望み、より少なく得ていただろう。ある者が私に対して「おお! どうやって、あなたはそんなに多くを得たのですか?」と尋ねたとしたら、この年には小麦、大麦、その他の穀物は、イタリアでは安くてフランスでは高いなど、あれこれの場所にある物は価値があり、別の場所ではどう価値があるかを知り、商売をよく行い、豊かにしたのだと私は答えるであろう。


 霊らへの扱いと命令の仕方に関しては、適切な道を歩む者には容易な事であり、無知によりこれらに服従する者には非常に難しい。私はアカリ地方のある盲目な者や、ベアリの者や、アバノのピエトロ*1やその他の大勢の者らといった、これらについて有名な者らについて聞いている。どれだけ多くの者らが自らを欺いている事か! 私はこれらの者らが奇跡的な事をなせないとは言わないが、彼らの作業の仕方において、彼らの学は不完全なものであり、その権威は聖天使らを通じての神から来るものではなく、悪魔との契約*2から直接来ており、数千の悪魔的なまじないと、不純なエクソシズムに満ちた、聖別された書により行っていると注意する必要がある。これらを一言で言うならば、神の命令と人々の平和に反しているのである。そして、これら全ての作業は、特定の日と時間に定められており、最後には悪魔は作業者の悲惨な魂を取り去り、それらは実に多く起きる事なのである。それでいて、これらの人物の学は、彼らを有名な賢者だと見做されるようにしているのである。


 第1の書で、私がヨーロッパでの旅の中で出会ったこれらの者について記している。真の命令は神から来るものであり、どの霊にも拠るべきではない。汝がこれらに少しでも服従し、少しでも祈ったり名誉を与えたりしたら、汝は自らをこれらの奴隷となり、これらの霊らは汝に全く服従しなくなるだろうからだ。霊らは多くの知識を持っているので、我らの行動によりどのような傾向があるのかをよく理解しており、始めから我々が没落するように準備しているのである。これらが、召喚者が虚栄とプライドの傾向があると知るならば、その前で謙虚に振る舞い、ほとんど召喚者への崇拝の域にまで謙遜していき、この者はその栄光に包まれ、その自惚れに酔うようになり、霊らに有害な事柄への命令をする事無しには問題は終わらないであろうし、最終的には罪を犯すようになり、この人物を悪魔の奴隷としていくであろう。別の例では、金銭の貪欲に容易に偏る者の場合、この者が行いを改めなかったら、悪霊らは富を得て、間接的で不正に自らを豊かにするための数千の方法を提案するであろう。これらを受け入れた後には、完全な賠償は困難で、不可能ですらある。そのため、この場合この者は、永遠に霊らの奴隷となるのである。次に知識人の場合には、霊らは仮定を用いて啓明させようとするだろう。そして、この者は自らが(旧約聖書の)預言者らよりも賢いと信じるようになり、神に属する微細な点で迷わせ、その人物を千の過ちへと落とし、やがてはこの者は支持されるために、神とその高き神秘の拒絶をよくするようになるのである。


 人を迷わせるこの霊らの原因と問題は無限にあるが、特にこの者が霊に服従するよう命令しようとする時に起きる。そのため、これが召喚者が守りを固めて、(神を信じて)自らを信じないのが最も必要な理由である。神の命令を成熟して受け入れ、神について考え仕える者に対して、その真の命令は与えられるであろう。そして、死すべき定めの人が自らに拠り頼まずに、主の力と意志に支えられるならば、霊らに命令し、召喚者に服従するだけの充分な力を得るであろう。なぜなら、彼らは神が授けた者(聖天使)らと同じ徳と力を持つからであり、それらを失っていないからである。そして、これらは神からの霊であり、金が鉛と違うように、泥から引き揚げられた汝とは違っているのである。そして悪霊らの罪は膨大である。これらは天から追放されたからであり、自らでも分かるであろうが、この霊の性質は全てが虚栄であり、上位の力が抑圧しない限りは、汝に服従しようとせず、自ら望もうとも仕えようともしないであろう*3。これらの特有の事柄を反映し考える者は、我らに来る万物は神からのものであり、悪霊らが我らに服従するのは、神の望みと命令からであるのを知るであろう。それゆえ、万物は主に拠るものであり、そのため汝、人の子よ、自らのみで霊らを支配できると考えるのか? そのような試みは、自らの魂を失う事無く達成できないのは確実である。ゆえに、神の徳により、霊らは汝の足元に服従するのであり、汝の聖天使が定めるのに正確に従って、これらに命ずるべきである。「Donec ponam inimicos tuos scabellum pedum tuorum.(私はあなたの敵を、あなたの足台にしよう)」また、汝は悪霊らと親しくしないようにせよ。これらはペットの子犬では無いからだ。厳格な声を用いて、権威ある空気で、これらを汝に服従させるようにし、これらの与えるものは最小限に受け入れるようにせよ。そして支配者としてこれらを扱うようにし、汝は決してこれらを虐めたりもせず、汝の命令をどのように加えたり曲げたりする事無く実行させるようにせよ。また汝が低位の霊らを用いる時には、その上位者への要求を決してしないようにせよ。また全ての霊らが同じ力を持つ訳では無いので、汝は明らかに別の霊らの権能の事柄を命じたりはしないようにせよ。そして、私がここで全ての霊らの性質、徳、権能について記すのは不可能なので、汝は自らで研究し、その知識を深めるようにせよ。


 そして汝がなすべき最初の要求は、4体の魔王らと8体の公爵らに、最も技量ある霊らを求める事で、さらに実践に都合が良いように手続きをするようにせよ。それらを私は汝のために、この第3の書に書いたが、ここで汝は多くの霊の象徴を見い出すであろう。だが、人の心には様々な誤った気質があり、日々様々な他の事柄も起きたりするので、各人には、その性質や才能、さらに汝が用いる事に適した霊を得るであろう。そして汝が作業で霊らの一部で極端な抵抗があるのを見つけ、後に霊に必要な教授を与えても、霊が汝が与えた命令を実行できないならば、汝は上位の霊を呼び、汝の必要に仕える、より良い能力のある別の霊を送るように要求せよ。そしてどの場合にも、汝は自らの聖天使の力と命令を用いるようにせよ。常に汝の目の前に、神への畏れを保ち、神とその聖天使の命令に服従し、その聖なる教授を汝の心に常に抱くようにし、たとえそれが自らや隣人らの利益になるように見えても、悪霊らには僅かといえども服従しないようにせよ。このようにするならば、霊らは汝に完全に服従して準備し、どの作業も困難にはならず、汝は大きな誘惑に駆られる事もないであろう。私自身もそのようにしてきたのである。隣人らの必要のために仕える事については、汝は熱心にそれをなすようにし、汝に尋ねるまで待つような事はせず、最も必要な事を探し、それにより公正な行動が取れるようにせよ。汝は衰弱した者や病者に援助をなすようにし、彼らが癒されるように作業せよ。そして、賞賛や世界で自らが語られるのを求めて働こうとはしない。また汝は祈りや、通常の祈願や、詩篇を唱えたり、他の方法により、(汝の治癒を)働かせたように装うのだ。


 また汝は統治する君主らの事柄のようなものを見つけないように慎重にあるのだ。また、特に汝は自らの良き天使の助言無しには、何事もしないようにせよ。決して満足しない世代があり、単なる好奇心からの他にも、そのような行動を義務と考えている君主らもいるのだ。また、この神聖魔術を保有する者は、彼らの必要は全く無いのも確実である。さらに、彼らは汝に害となる事を尋ねる自然な傾向があり、汝により叶えられたとしたら、主を不快にさせるであろう。そして断ったとしたら、彼らは汝の敵と宣言するのである。そしてこれらへの我が意見は、汝は常に(より望ましい事は)彼らに遠くから行える勤めを果たすようにすべきである。


 天使らには、知識を求められる事よりも彼らを喜ばせるものは無い。そして私自身に関しては、このような師らから学び賢者となるよりも喜ばしい事は無い。


 私は独居生活を推奨し、行ってきたが*4、これらは全ての良きものの源である。それらをなすように自らを慣らすのは難しいのは事実である。だがひとたび汝がこの聖なる学と魔術を得たならば、汝は自然と独居を愛するようになり、自発的に商業や人付き合いを避けるようになろう。汝がこの学の教授となってからの喜びと満足はかくも大きく、汝は全ての娯楽、旅行、富、他のあらゆる誘惑的なものを嫌うようになるだろうからだ。


 汝はその地位と階級に応じた資産と財を得るのを、1度のみ許されるであろう。その後には、この資産を汝自身とその隣人らの必要に応じて鷹揚に用いて、神が汝に授けた良き物を、必要な者と共有するのだ。これらを悪しき目的のために用いる者は、神からそれ以上の恵みと利益を得るのを不可能にしていくからである。


 この聖なる学を確実に成功して得るために選ぶ(霊視者の)子供は、正当な結婚によって生まれた嫡子である必要があり、その父と母もまた正当な嫡子であるべきてある。この子は6、7歳くらいからであり、活発で才覚があり、明白に発言し、よく発音する子にせよ。汝は作業を行う前に、しばらく準備をし、必要な時間に子供が準備できるようにせよ。私自身の意見では、何らかの事故、病や死、その他の障害が起きた場合を想定して2人の子供を用意すべきである。汝は子供に幼稚なオモチャを与えて喜ばせて、汝を好ませるようにし、必要な時への準備が取れるようにせよ。だが、何のために行うかなどは一切話してはならない。それにより、両親が子供に対して何をしたのかと尋ねても、子供は答えられないであろう*5。そして、子供が良く躾けされているならば、より良いであろう。この方法により、この聖なる学を得るのは確実であろう。作業者が信仰深く作業をなす中、子供の無垢が望むものに与えられるからである。そして聖天使らは、子供の純粋さを大いに喜ぶであろう。また、我々は女をこの作業に加えさせてはならない*6


 この6ヶ月の間に用いた全ての衣や他のものを、この作業を行った家に住み続けるつもりならば、汝は保持するようにせよ。これらは常に良きものだからである。だが汝が、これらや祈祷堂をもはや用いるつもりが無いならば、汝はこれら全てを燃やして、灰を秘密の場所へ埋めるようにせよ。


 今や、汝に小さな光を与え、霊らの性質や価値について説明する時が来た。それにより汝はこれらを用いて、確実に成功できるようになろう。だが、汝に服従する地獄の霊らには、それぞれが大きな性質を持つのに注意すべきである。また、基礎的で下劣で大して重要でない事については、上位の霊らは行ったりはせずに、自らの配下の霊らに厳守させて行わせるであろう。そして、これらの事柄を作業しない者に対して、その命令が満たされ、厳密に服従するのを示されるであろう。


第1の位階の序列(セラフィム、ケルビム、スローンズ)*7


 セラフィムの霊らは、汝に敬意が持たれるようにし、慈善の働きにより愛されるよう仕える。この霊らは名誉や他の似た事を司るからである。重要な問題には、これらは自らで働くが、基礎的で軽い事柄には、その配下らが仕え働く。


第2の位階の序列(ドミニオンズ、ヴァーチュース、パワーズ)


 ドミニオンズの性質は、支配し、自由を授け、敵を滅ぼし、君主らや全ての種類の者ら、聖職者らにすら、それらの上に権威を与える事である。


 ヴァーチュースは、戦争にせよ平和にせよ、全てのこれらの事柄に力を与え、また人の健康に関連する全ての作業、末期の病に対してであるが、いまだ書かれていない全ての療法を与えるのに適切である。


 パワーズは、全ての低位の霊らに対して支配しており、これらが善悪の一般的な全ての事柄に仕えられる理由である。そして、これらは善悪の一般的な全ての事柄に捧げられている。そして、これらは実行では率直になし、非常に厳格で、迅速で、正確に行う。


第3の位階の序列(プリンシス*8、アークエンジェルズ、エンジェルズ)


 プリンシスは、宝や富を与えられる霊らで構成され、これらとその配下らは全ての作業に仕えられる。様々な位階の者らで構成されていて、これらは充分に忠実である。


 アークエンジェルズは、全てのオカルトの事柄、神学や法学の曖昧な点といった全ての種類の秘密の事柄を明かすのに適切である。これらは勤勉に仕える。


 エンジェルズは、一般的には個々の性質に従って働く。これらは無限の数がおり、全ての種類の作業で4人の君主と8人の副官らにより命令される。この8人の副官らは、誓いを立てて、約束した事を実行し、これらの力のうちに要求された作業を与える。


 霊に死体の中へと再び入らせるのは、非常に大きく困難な作業である。なぜなら、それらを達成するには、4大君主らの同意が必要だからである。また、大いに慎重に行う必要もあり、この警告をよく聞くのだ。すなわち、病人が死の間際にあり、その命は絶対的に絶望的な状況でのみ、この作業をなすべきである。そして病人が死んでから、亡霊となるまでの短い期間になす必要もある。そして第2の書で私が述べた全てのことを汝はなさねばならない。だが、この作業を自らやあらゆる階級の人物の慰めのためになすのではなく、完全で最も絶対的な必要な場合にのみ行う。私はこの作業を2回のみ行っており、それらの1つはザクセン公のために、もう1つは、皇帝ジギスムント陛下が情熱的に愛した、ある婦人のためであった。


 使い魔の霊らはとても迅速で、工学の性質のある全ての事柄の最も詳細な部分にまで実行できる。そのため、これらには良く適している。例えば、歴史的な絵画、彫刻、時計、武器、その他のものの作成などである。また、化学や、他人の下での商売や取引もなす。さらにある場所から別の場所への輸送業や、他の品物を運んだりもする。また、喧嘩、戦闘、殺人、あらゆる種類の悪しき働きをなすのにも用いられるし、ある地方から別の地方へと手紙やメッセージを運ぶのにも使える。他にも囚人を解放したり、他にも1000の用途もあり、私はしばしば経験している。


 これらの霊らは、その性質に応じて扱うべきで、大いなる霊と、些細だったり重要でない性質のある霊とには区別が必要である。にも関わらず、汝は常に作業に適切な霊を保つべきである。これらへの対話では、汝は常にこれらに称号を与えずに、時には「あなた」、時には「汝」と呼び掛けて、これらを喜ばせるための表現を決して探したりしてはならず、常にこれらに対しては誇り高く命令的な空気を持つようにせよ*9


 特殊な小さな地上の霊らがおり、これらは単に嫌われている。妖術師と降霊術を用いる魔術師らは、一般的にこれらを用いている。これらは悪の作業のみをなすからで、我々には何の用途も無い。これらと作業するのを望む者には、100万の霊らを持つだろうが、降霊術以外で働くこの聖なる学では、汝にこれらの霊を服従するように誓いを立てたりするのは許していない。


 これまで述べてきた全ての事で充分であり、これらを逐一実行するのに疑いを持つのは賢明ではない。そして、全能の神の誉れと栄光のために、自らの善のために、隣人らのためにこの聖なる学を用いるといった正しい意図を持たなくてはならない。さすれば、これらは容易に得る事ができるし、たとえ最も困難とされる事も、その者には容易に現われるであろう。だが人間の性質はかくも堕落して腐っており、主が創造された時代から大きく変わっていて、僅かに少数の者のみが、正しい道を歩むのである。そして邪道に陥るのは容易であり、人の魂の全てを要求する作業へと陥らないのは難しい。そしてこの作業をなす者を怖がらせないために、私はその者の親族により起こされるであろう、困難、誘惑、障害について書くとしよう。また、これら全ては悪霊らによって起こされる。よって、これらに服従するのを避け、これらの自尊心を挫き、これらの最大の敵である人に服従させよ。これらが人の永遠の栄光を楽しむ強力な状態を見て、これら自身は愚かしくも失ったものであり、これらの怒りは強く、その悲しみはかくも鋭く、この世界でこれらが働かない悪は無いほどである。神が許されるならば、これらは常に人類の破滅の考えに引き寄せられるのである。そのため勇気と、大胆に全ての悪しき事に抵抗する、大望を常に持つのが不可欠である。さらに悪人や悪魔に対しての、神からの恵みを得るのを熱心に望むべきである。また前もって汝は霊らが妨害しないように、賢明に準備しておくべきである。また6ヶ月の前行で不安をもたらさないようにせよ。この期間には、鋭くも微細な敵らが汝に襲撃し、損傷を与える試みがなされる大きな可能性がある。そして汝に、悪しき書、悪人と接触させるようにさせ、これらは悪魔的な方法とトリックによって、汝の前に一見して最重要に見えても、実際には偽り(で悪の)基盤の上に立てられたものをもたらす事で、汝をこの試みから、たとえ既に始めていても逸らせようとするだろう。そのような不快な出来事に対して、私が充分に与えた教授に慎重に従う事で、汝は堅固に対決すべきである。それにより、これらを汝の前から静かに消し去り、敵に汝を腐敗させるための詐欺のトリックをする機会を与えないであろう。


 また汝の親族関係も、人生とその隠居の方法において、それらが理性的になるよう、あらゆる努力をなすべきである。彼らを愛情ある言葉で満足させ、同時に彼ら自身で生きられるようにするのは不可欠である。これは、かくも多くの善人や博識な者らが荒野に隠居し、それにより親族と世俗から離れた理由である。彼らは祈りとともに静かに生き、主の恵みを通じて、かくも偉大で完全な賜物を得るに値するものへとなったのである。


 私はさらに、汝が自身で用いるための、世俗の言語での聖書、またダヴィデ王の詩篇の書を得るよう強く勧める。ここである者らはこう反論するかもしれない。「私はラテン語が理解できるので、一般言語を使う必要はありませんよ。」私はそれに対して、こう答えよう。我々が祈る時には、心の中で詩篇を翻訳するのを含むべきではない。この時には、我々は可能な限り強く神と合一しなくてはならないからだ。さらに記憶に植え付けた世俗の言語で詩篇を読む方が、まだ良いのであり、これは特別な祈りの真の方法である。もしある人が、ラテン語で詩篇を述べても、字を知らずに祈るならば、その者は神に何を尋ねているのかを知らないであろう。


 これらの3冊の書で、私は真で不可欠な基盤で無いものを少しも発見していない。そして我々はあたかも猛毒に対してのように慎重に扱い、終わりまで行うという堅固な大望をまだ抱いていないならば、この作業をなす事から自らを保つべきである。なぜなら(逆の場合には)、この作業を(軽薄に)始めた者に、顕著な不幸が降りかかるだろうからだ。そして良く考え抜いた者のみが、主を嘲ずに済むであろう。それらが起きたら、神はその意志と命令により、汝に訪れて、病に罹らせ、汝が既に始めた作業を、その望みに従って終わらせるのを不可能にするだろう。その時には、汝は忠実な僕のように、自らを謙虚に神の聖なる意志と命令に従わせ、神を満足させる事でその恵みを授けるようにすべきである。そして、汝の作業をいったん止めて、別のより良い機会に終わらせるようにし、その間は汝は自らの体の治癒に専念すべきである。そのような場合、汝には影響はないであろう。神の秘密は貫けず、その働き、許可、作業は、我らはたとえ理解できなかったとしても、その最良で幸福のために、全てあるからである。


 この後、私はこの作業の鍵を記すとしよう。これは聖天使らの幻視を楽しむための、この作業を容易にするものであり、以後に載せた象徴を、子供と作業者の眉の間に置く事でなされる。それは私が第1の書で述べた事であり、容易に引用できよう。


 私はさらに、この鍵無しでは、100人のうちに僅か5、6人のみが、この神聖魔術を得る事が出来るとすら言おう。その理由については、私はここでは述べられない。


 また我々は、詩篇 第6篇「Domine, ne in furore tuo arguas me(主よ、あなたの怒りをもって、私を責めず)」などを繰り返し唱えなくてはならない。


 この世界において、この真の学を得るほどの高き望みは無く、またそれを獲得するほどの困難も無い。なぜなら、これを完全に得る前に、ほとんどの者は死ぬからである。


 これは真実であり、この聖なる学と魔術を得る唯一の道は、主が我らにその純粋な憐れみにより与える事のみである。そしてこの6ヶ月の作業により、我々が考えられる限りにおいて、主からの最も高くオカルトの賜物を得られるようにするのである。


 これは真の学であり、全ての他の学を含んでいる。


 おお! どれだけ「一見して」驚異的な書を我らは読んでいる事だろうか!


 この学とその性質を一部といえども明かすのは、私には適していない。それらは、私よりも優れた人物が相応しいであろう*10。これを教えるだけでも、私が行える事を遥かに超えている。汝に最後に2つの象徴を与えたが、父の愛では他に何が行えようか? 我が教授にのみ従って行い、私が書いた内容の、我が訓示に逐一従うのだ。神への畏れを、汝の目の前に常に保つのだ。またこれらの3冊の書で私が汝に述べた事を、僅かも忘れるなかれ。万物を支配し、天地を栄光とともに統治し、地獄を正義によって輝かす神の助けがあるからだ。汝が神と和解し、全ての汝の信頼を神の慈悲に置くならば、その力は言い表せない、この聖なる学と魔術を汝は得るであろう。そしたら、我が息子よ! またこの書を得た者よ、主を称え栄光を与え、祈るのを忘れないようにせよ。主はその聖なる栄光、真の休息の場を授け、私と一致させている。私はまだこの涙の谷に住むものの、神はその善意と憐れみにより、私に多くのものを授けているのだ。
 また私は、この聖なる祝福を汝や、汝によってこの神聖魔術を保有するに至った者、神の聖なる意志に従って用いる者らにも授けるように主に祈ろう。


 神が汝に全ての一時的な良きものを授け、さらに死後にはその聖なる王国へと招かれんことを!


かくあれかし!


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URIEL
RILUE
ILILI
EULIR
LEIRU

ADAM
DARA
ARAD
MADA
HOMO


(マサースの注記)――上記の4つの方陣は、明らかに第2の書の第20章と、この第3の書の結論で
引用されていた、天使の招聘の間に作業者と子供の額に置くとされたものである。URIELの名前のあるものは作業者のためであり、ADAMの名前のあるものは子供に対してである。だが明らかに、その上の2つの数の方陣は、下の2つのものと対称したものである。ラテン語のHOMOは人という意味でADAMの翻訳である。この数の方陣は、通常の魔術のカテゴリーにあるものではない。


↑ アブラメリンの書


*1 マサース注。だが、アバノのピエトロは常に偉大で強力な魔術師と見做されていた。
*2 マサース注。アバノのピエトロの有名な「ヘプタメロン」「魔術の要素」の中には、悪魔の契約については、どこにも書いて無く、ユダヤ人アブラハムの悪罵を受けるよりも価値がある書である。
*3 マサース注。この文は原書ではひどく混乱しており、私は可能な限りにおいて、文字通りに訳するように努めた。
*4 マサース注。だがアブラハムの生涯は、独居とはかけ離れたもので、この時代の最も政治的な出来事らと混ざり合ったものだった。
*5 現代では確実に犯罪なので、決して行ってはならない。
*6 マサース注。アブラハムは、ここでは明らかに、女を子供の代わりに用いてはならないのを意味している。
*7 マサース注。この箇所と以下の位階の称号らは、通常は良き天使らに帰するものである。だが時には、悪しき堕天使らの位階を示すために用いられる事もある。
*8 プリンシパリティーズともいう。
*9 マサース注。アブラハムがここで言う事に対して、私は繰り返し述べるが、霊に対しては丁重な態度は常に用いられるべきである。さもなければ、作業者は速やかに過ちへと導かれるであろう。
*10 マサース注。このフランス語の原文は、ぎこちなく曖昧なものである。この「優れた人物」については、私はアブラハムはアブラメリンの事を指していると私は考えている。