アブラメリン 1-8

ページ名:アブラメリン 1-8

第8章


 人が主の良きものを、良き目的、すなわち主の誉れと栄光のため、自らとその隣人のために用いるのを示すために、この章では私がかつて行った、多くにして最も考慮に値する作業について、幾らかの言葉を述べようと思う。そしてこれらは、全能の主とその聖天使らにより、この術によって、私はその望んだ目的を容易に行えたのである。そして私はこれから記すのは我が自慢や虚しい栄光ためではない。それらは神に対して大罪となるであろう。なぜなら、これらは神が全て行ったのであり、私の力では無いからだ。私がこれらを記すのは、他の者がどのようにしてこの術を用いるかを知るための教授に仕えるためであり、またこの知恵を人々に授けた神の誉れ、栄光のためにも用いるためであり、人々が主の宝はいかに偉大で尽きる事が無いかを知り、この貴重な賜物に対して心から感謝へと導かれるであろうからだ。そして特別に(神に感謝)ただの大地の毛虫に過ぎない私に、アブラメリンの方法を通じて、他者にこの聖なる学を与え、伝えるために、この力を許されたのである。我が死の後に、この書は見つけられるであろうが、これは私がこの術の実践を始めた時、その年を計算すると1409年から、私が96歳*1となった今日に至るまでの、全ての誉れと幸運の増大について書き記しており、この書の中には、私が行った最小の事までの詳細を読めよう。だがここでは、先に述べたように、最も記憶に残る事のみを記すとしよう。


 今日に至るまで、私は全ての状態、死に至る呪いに至るまでの病人らを癒しており、その数は8413人を下る事はなく、患者らは全ての宗教に属しており、どの場合にも例外を作る事は無かった。


 私はとても寛容な君主である、我が皇帝ジギスムンド陛下*2の命によって、第2の位階の使い魔の霊を授けており、その働きによって陛下は豊富な利益を得ていた。陛下は作業全体の秘密も知りたいと望んだが、私は主からそれは我が意志にあらずとの警告を受けたので、陛下は皇帝としてではなく私人として許された分のみで満足しなくてはならなかった。私はこの術によって、陛下と皇后様との結婚を円滑にすらしており、陛下に結婚への反対への困難を乗り越えさせるようにした。


 私はフリードリヒ伯*3へも、(第3の書の第29章にある内容によって、我が術によって出現させた)2,000の人工的な騎兵を授けており、ザクセンのレオポルド公の手から伯を自由にしている。我が助けが無ければ、フリードリヒ伯は自らの命と領土を共に失い、継承者は領土を受け継げなかったであろう。


 我が町の司教に対しても、その領土であるオレンブルグの市民らが裏切るのを私は示し、それは1年後に現実のものとなった。そして私はこれは気に病む必要は無く、なぜなら司教は聖職者だからと述べたが、これは沈黙のうちに過ぎ去り*4、私はさらに司教のために仕える事を行っている。


 ウォリック伯*5も私によって、イングランドで首を斬られる前夜に、牢獄から抜け出させている。


 また私は公爵*6と教皇ヨハネス聖下*7をコンスタンツ公会議から脱出させるのを助けている。さもなければ、彼らは怒り狂う皇帝陛下の手に落ちていたであろう。また教皇聖下は後に、2人の対立教皇のヨハネス23世とマルティヌス5世のうち、どちらが最終的に得られるかの予知を頼んだ。我が予言は正しいものであり、私がレーゲンスブルクで予知した聖下の側に幸運は降りて来た。


 この頃、我が主君のバイエルン公*8の館に私は最重要な事柄のために滞在していたが、(不在の時に)我が部屋の扉が破られ、83,000ハンガリー貨の価値のある宝石と貨幣を盗まれた。私が帰ってすぐに、盗賊(もっとも、こやつは司教だった!)は自らの手で金、宝石、貴重な書を返すべく強制され、他人ではなく自ら盗みをなした主な理由について告白させられた。


 6ヶ月前に、私はギリシアの皇帝*9に対して、陛下が神の怒りを和らげない限り、その帝国は非常な危機にあり、崩壊の瀬戸際にあるとの警告の手紙を送った。私はもう長くは無いが、我が後にも生きている者は、この予言の結果の知らせを受け取るであろう。


 第2の書の第13章*10の作業を私は2度行っており、ザクセン公の館にて1度なし、別の時にはマクデブルク侯の館にてであり、彼らの領地が子供らに無事に継承されるようにした。


 ところで、ひとたび神聖魔術を行える能力を得てからは、汝の生まれ、性質、能力に応じた金貨の集まりを天使に要求するのは許され、それらは困難無く汝に与えられよう。そのような金は隠された宝から得るものである。だが、全ての宝はその5分の1のみを取るのを神が許していると注意する必要がある。一部の自慢げなお喋りは、アンチキリストのためにこれらは無限に定められ準備されていると述べているが、私はそれらが偽りだとは今は言わない。だが疑い無く、これらの宝の5分の1を取る事も出来よう。他のために定められたものは、より多いのである。私自身には、ヘルビポリス*11で特定の宝が定められていて、私は第3の書の第8章*12にある作業を行った。この宝は何者も守っておらず、非常に古いものだった。これらは金で、インゴット状にはされていなかった。そして霊に命じて、これらを数時間でフローリン貨へと鍛練し変えた。(また私が以下の作業をなした理由は)私自身の資産はとても少なくて、僅かな価値しか無く、あまりに貧しかったので、かなりの持参金を持つ娘と結婚するために、我が術の第3の書の第4の印と、第20章の第3の印*13を用いざるを得なかった。その結果、私は我が従姉妹と結婚し、40,000フローリン金貨の持参金も得て、この金貨は我が幸運を覆うものとして仕えたのである。


 第3の書の第18章*14にある全ての印は、何度も私によって用いており、それらは数えきれないほどである。だが、これらは私が既に述べた(第3の)書に与えられている。


 私は、第3の書の第2*15と第8章*16にある印で、大いなる素晴らしい試みをなしている。また第3の書の第1章*17の最初の印は最も完成したものである。


 全てのこれらの作業を迅速で巧みになす必要がある。これらは神に属するので、我々はソロモン王が陥ったよりも大きな過ちを容易に犯せるからである。


 これらの印全ては、大いに容易さと楽しみとともに私は行っており、(私自身と他者に対して)とても有用であった。これらの作業と他の事柄を、第3の書の印により私は数えきれずに行っており、我が目的が失敗する事は決して無く、常に(霊らは)服従していて、常に私は成功していたが、それは私が神の命に従っていたからである。また我が天使の助言と定めに逐一従い、アブラメリンが私に教えたものに正確に従ってきた。それは私が書いた次の2冊の書のものと同じであり、私は例示し、さらに明白に説明している。なぜなら私が受け取った教授は、とても曖昧な言葉とヒエログリフ的なものであったが、我が目的を得るようにし、私に過ちや、多神教的で、奇妙で、迷信的な偶像崇拝には陥らないようにしたからである。私は常に、真理であり、唯一であり、過ち無き方である主の道を保持するようにし、その結果、この神聖魔術を得るに至ったのである。


アブラメリン 1-9
↑ アブラメリンの書


*1 マサース注。この文書は1458年に書かれているので、アブラハムは1362年に生まれた事になり、結果として1409年には47歳で無ければならない。
*2 マサース注。ジギスムントはドイツの神聖ローマ帝国皇帝(カイザー)で、1368年2月14日に生まれて、1437年12月9日にズノイモの町で崩御している。(後略)
*3 マサース注。フリードリヒ1世、この好戦公の異名があるザクセン選帝侯は、1369年にアルテンブルクで生まれ、1428年に亡くなっている。フリードリヒはマイセン辺境伯フリードリヒ3世(厳格伯)とヘンネベルク女伯のカテリーナの息子である。(後略)
*4 マサース注。これは翻訳文もフランス語の原文にも、アブラハムか司教かのいずれが沈黙のうちに通り過ぎたのか曖昧な部分がある。Et je n`en dis pas davantage acause quil est un eclesiastique passant sous silence ceque joy fait deplus pour luy rendre service. (私はフランス語原文の綴りをここに留めておく。)
*5 マサース注。アブラハムの「Varvich」伯は、明らかに「ウォリック伯」を意味する。文書の全体で、「w」は適切な名前で用いられていたとしても決して使われず、常に「v」が使われているからである。このウォリック伯とはおそらくは、リチャード ド ビーチャムの息子のヘンリー ド ビーチャム、ヘンリー6世王の義兄弟の第14代ウォリック伯であろう。(後略)
*6 マサース注。おそらくはオーストリア公のアルブレヒト5世であろう。
*7 マサース注。対立教皇のヨハネス23世(バルダッサッレ コッサ。在位1410年 - 1415年)は、ナポリで生まれ、若い頃は海賊をしていて、聖職界に入った後も、その堕落と、教皇ボニファティウス9世への強要と暴力でのみ有名であった。(後略)
*8 マサース注。バイエルン公のエルンストかヴィルヘルム3世のいずれかであろう。2人は兄弟で、バイエルンを共同統治していた。アブラハムがバイエルン公を我が主君と呼んでいる事からして、当時はこの領地に住んでいたようであるが、興味深い事にアブラハムは住んでいた町の名前を述べていない。
*9 マサース注。ビザンチン帝国の最後の皇帝、コンスタンティノス13世パレオロゴス ドラガセスである。メフメト2世率いるトルコ軍によって皇帝は殺され、コンスタンティノープルは征服される。今日のその直系の子孫は、ウジェニー ディ クリストフォロ パレオロガエ ニコフォラエ コムネナエ皇女である。
*10 マサース注。この章題は「どのように善霊を呼ぶべきか」である。
*11 マサース注。ヘルビポリスとはバイエルンのヴュルツブルクのラテン語での呼び名である。この文から、ここはユダヤ人アブラハムが住んでいた町に思える。そのため、アブラハムが「我らの町の司教」と述べている幾らかの文もここを意図しているようである。ヴュルツブルクとその周辺は司教領であり、アブラハムの時代には、司教とその郎党らと、市民との間で激しい闘争が絶えなかった。後には、この町ではユダヤ人への恐るべき迫害が起き、魔女術に対しての多くの布告が発布されている。
*12 マサース注。これは明らかに、第6章か第16章、あるいは第28章の間違いである。おそらく後者であろう。
*13 マサース注。知人に愛されるためのものである。
*14 マサース注。第18章の章題は「様々な病を癒すには」である。
*15 マサース注。第2章の章題は「あらゆる種の主張や全ての疑わしい諸学から情報を得て啓明されるには」である。
*16 マサース注。第8章の章題は「嵐を刺激するには」である。
*17 マサース注。「神とその聖なる意志に反さずに、過去、現在、未来の全ての類の事柄を知るには」である。