アブラメリン 1-4

ページ名:アブラメリン 1-4

第4章


 帰還の最中に、私は自分がこの旅で失った時間や、大いに費やして何の見返りも無かった金銭、さらに私が望み、そのために旅を取る事にしたものの獲得も無かった事について考えていた。だが私はアラビア砂漠からパレスチナの我が家へと向かい、それからエジプトへ行く事に決めた。そして6ヶ月が過ぎて、ついに私はエジプトのナイル川の畔にある「アラキ」*1と呼ばれる小さな町へと到着した。そこで私はアロンという名のユダヤ人の老人の家に泊まった。私は以前にも旅の途中にここに泊った事があったからである。そして私は自らの感傷について老人に話したら、アロンはどれだけ成功し、望んだものを見つけたらかと尋ねた。私は、何も、と悲しげに答えた。そして私は今までの旅の苦難について述べるとともに、私の目から涙が止まらなくなった。それはアロンに哀れみを催して、私を慰めようして述べた。我が旅の最中に、アロンは先に述べたアラキの町からそう遠くない砂漠に、アブラメリンという名の非常に博識で敬虔な人物が住んでいると聞いたという。そしてアロンは私にもう何度も失敗しているのだから、この1回くらいはどうという事もあるまい、おそらく最も慈悲深い神は、私を憐れみ、私が正当に望むものを叶えるだろうと熱心に向かうのを勧めた。それはあたかも、人間ではなく天からの声を聞いたようであり、私の心には表現できない喜びがあった。そのため私は、アロンが道案内人を私に紹介するまで休む事もしなかった。


 この道案内人に導かれて、私は3日半の間、砂漠の旅を続けたが、人間の住居はどこにも見なかった。やがて、私はそれほど高くなく、周囲が木々で覆われた丘の麓へとたどり着いた。そして我が道案内人は言った。「この小さな木々の中に、あなたが探している人は住んでいますよ」そして方角を指さした。彼はもはや私と伴うつもりは無いようで、我々がこれまで来た道を、食料を運んでいたラバと共に戻っていった。こうなるともはや私は、神の摂理の助けを、その御名を呼ぶ事により求める他は考えられなかった。そして神はいと高き恵みを私に与え、我が目を先に述べた方角へと向けさせ、そこで私は神々しい老人が私に近づいて来るのを見た。老人はカルデア語と愛すべき仕草で私に挨拶をし、その住居へと私を招いた。そして大いなる喜びとともに受け入れ、主の摂理はかくも偉大なものかと瞬時に悟った。この良き老人は、私に対してとても親切で優しく扱い、常に彼は神への畏れのみを語り、私に規則的な生活を勧め、時々には人間の弱さから来る特定の過ちについて警告をし、さらに彼は、我々が常に自らの都市生活で隣人を苦しめるための高利貸などを用いて得ようとする、富と豊かさを嫌っていると私に理解させた。彼は私にそのような人生の道を変え、我々の過った教義ではなく、主の道と律法に従って生きるように、謹厳で正確な約束をするよう求めた。私はそれらを約束し、以後ずっとそれらを犯さずにいて、再び我が隣人や他のユダヤ人と一緒になっても、邪悪で愚かな者には近づかないようにし、神の意志がなされるようにと自己に言い聞かせた。そして正しい道から逸れた者らに敬意を持たずに、この者は欺く者だと見た。


 先に述べたアブラメリンは、私が学びたい強い願いについて知っており、2冊の文書を渡した。それらは我が息子ラメクよ、今汝に授けようとするものとほとんど同じである。だがとても古い文書であり、私はそれらを慎重に書写するように言われた。そして私が行うと、これらを慎重に読むようにと命ぜられた。そしてアブラメリンは私に幾らか金を持っているかと尋ねた。私は「はい」と答えると、10フローリン金貨を求めた。それをアブラメリンが得ると、主が与えた命令に従い、それらを彼自らで72人の貧者らに分け与え、受け取った者は特定の詩篇を唱えなくてはならず*2、土曜日、つまりサバトの日の祝祭まで保つ必要があると述べた。アブラメリンはアラキの町へと向かった。なぜなら、これらは彼自身の手によって分配しなくてはならなかったからである。そしてアブラメリンは私に、これらの3日間、すなわち水曜日、木曜日、金曜日に断食をするように命じた。昼間に1度のみ食事をし、食物には血や死体が含まれないようにする*3。そしてアブラメリンは正確に始めて、少しの誤りも無いように命じた。良く作業するためには、始めが良い必要があるからである。また、私にこれらの3日間の1日ずつに、ダヴィデ王の7つの詩篇を唱えて、従者の仕事は何もしないように命じた。


 アブラメリンが私の金を取って出発する日が来た。私は忠実に命令に従い、毎日命じた通りに実行した。アブラメリンが帰ってきたのは15日後で、到着するとすぐに私に対して、次の日(それは火曜日であった)の太陽が昇る前に、大いなる謙遜と献身とともに、主に対して我が生涯の全ての罪の告白をするように命じた。さらに私が過去に行ったものよりも、神に畏れ仕え、そのいと高き律法と神に従うのを生涯望むという、真にして堅固な宣言もである。私は全ての注意と正確な必要とともに、我が告白を行った。それは日の入りまで続いた。そして翌日には、アブラメリンは私に笑みを浮かべて述べた。「これにより、我は常に汝とともにあるだろう」それから、私を彼の住居へと連れて行き、そこで私が書写した2冊の文書を与えられた。アブラメリンは真にして恐れる事無く、神の智と真の魔術を望むかと尋ねた。私はそれはこれまでの長き困難な旅をさせた唯一の目的であり、特別な動機であり、そして主からの特別な恵みにより、これを受けるのを見たと答えた。アブラメリンは「そして我は、主の慈悲を信じ、汝にこの聖なる智を与えよう。汝はそれらを、この2冊の小さな文書に定められた方法により、何ら欠ける部分も無く得るであろう。これらには虚栄もあるや無しやの説明も無く、これらを書いた術師は、無から万物を造った神そのものと見るのだ。汝はこの聖なる智を、大いなる神に反したり、隣人を苦しめるために用いるなかれ。また、長い付き合いをして完全に知っていない者にもこれを伝えてはならない。この者は善か悪のために働くかの意図を良く観察せよ。そして与えようとする際には、我が汝に行ったようなやり方で伝えるのだ。それ以外の方法によるならば、受け取った者は何の果実も引き出せまい。この学を売りそれで金儲けをしようとする蛇からは、自らを保持するのだ。主の恵みは自由に無料で我らに与えたゆえ、それを売るのは賢明では無いからだ。この真実の智は、汝とその世代に72年間保つようにし、我らが宗派にはそれ以上は残るまい。汝はその理由について好奇心を働かせるべきではなく、自らで悟るのだ。すなわち、我らは善でありすぎたので*4、我らの宗派は人類全体だけではなく、神自身に対してすらも、支えられなくなったのだ!」私はこの2冊の小さな文書を受け取った事に対して、アブラメリンの前に跪こうとしたが、それは叱られて、我々は神の前にのみ跪くべきだと述べられた。


 私はこれらの2冊の書*5は正確に書かれていると公言しよう。我が息子ラメクよ、我が死後にこれらは汝が見るであろう。そして、私が汝をどれだけ大切に思っていたかを知るだろう。私が世を去る前に、これらを良く読んで学習したのは事実である。そして、アブラメリンに尋ね、私に思いやりと忍耐とともに説明した事には、理解が困難な部分や曖昧な部分は何も無かった事もである。完全に教授されて、それらをアブラメリンから得て、その父的な祝福も受け取っている。ここにある象徴は、キリスト教徒らの間で使われるだけではなく、我らの父祖の習慣のものでもあった。私はまたアブラメリンの下を去って旅をし、コンスタンティノープルへの道を辿った。そして町にたどり着くと、私は2ヶ月ほど病に罹った。だが主の慈悲により、私は回復し、力を取り戻すとすぐにヴェネツィア行きの船を見つけて、それに乗って水の都へとたどり着いた。そして数日休んでから、対岸のトリエステの町へと向かい、上陸するとそこからダルマチア地方の道を辿り、最終的に我が父の家へと帰り、そこで我が親戚や兄弟らとともに住んだのである。


アブラメリン 1-5
↑ アブラメリンの書


*1 デーンによれば、現代では上エジプトのケナ県の、有名なグノーシス文書が発見されたナグ ハマディの町の近くにある村である。デーンはこれらから、アブラメリンとグノーシス派との繋がりについて推測している。
*2 マサース注。カバラを知る読者は、この「10」と「72」の数の象徴主義にすぐに気づくであろう。この「10」はセフィロトの数であり、「72」はシェム ハ=メフォラシュの数である。だが多くの読者はこれらの意味合いについて知らないだろうから、私はこれらについて簡潔に説明する。10のセフィロトは、通常の10の数の最も抽象的な概念とコンセプトであり、ピュタゴラスは、形而上学の教授の方法として、この数の抽象的概念を用いていた。シェム ハ=メフォラシュ、あるいは「神名」は、全ての自然の諸力が含まれると考えられている4文字の神名 I H V H(イェホヴァ)の性質を探求するためのカバラ的な技法である。「出エジプト記」の第14章の3つの節は、イスラエルの子らをエジプト人から守るために火と雲の柱が造られる記述であるが、それぞれの節は、ヘブライ語の72文字で構成され、特定のやり方によりこの3つの節を並べると、3文字ずつによる72の列となる。そして、それぞれの列の3文字を名前として扱い、それらの解説は詩篇の中の特定の詩に求める。これは本文に仄めかしてある、72人の貧者が唱えるように語られている詩篇の事であろう。
*3 マサース注。これは卵や牛乳を除外する必要は無かっただろう。
*4 マサース注。これはどうやら皮肉に述べている。
*5 マサース注。おそらくこれはオリジナルではなく、アブラハムが書写するようにアブラメリンから命ぜられた方だと、アブラハムは言いたいようである。