『すべてのことを確かめよ』

ページ名:『すべてのことを確かめよ』
『すべてのことを確かめよ』真理の探究者が基本的な教えを確かめて確信を抱くことのできるように、70の題目別に聖書の句を編集したもの。『すべての事を確かめよ。良いものをしっかり守りなさい。』--テサロニケ前,5:21,新世。(英文)


(以上)[1]  

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1953年 英文発行

  

1957年4月1日改訂

  

1963年 日本文発行WATCHTOWER BIBLE AND TRACT SOCIETY OF NEW YORK, INC.INTERNATIONAL BIBLE STUDENTS ASSOCIATION BROOKLYN,N.Y,U.S.A.

  

 創世記からマラキ書までのヘブル語聖書よりこの本に引用された聖句は、特に出所の示されていない限り、すべて旧(舊)新約聖書[:大正新約改訳旧約明治元訳(もとやく)文語訳]からの引用です。マタイ伝から黙示録までのギリシャ語聖書は、1955[:4?]年改訳聖書によっています。 上記以外の場合には下記の略号が付されています。標準---旧[:舊]新約聖書[:新約改訳A.D.1917年、大正6年。旧約元訳A.D.1888年、明治21年、新約元訳は、明治13年、A.D.1880年]新口---1955年[:聖書協会全訳]改訳聖書[:新約改訳A.D.1954年]口語---キリスト新聞社新約聖書口語訳‘‘MAKE SURE OF ALL THINGS’’Japanese

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目次

                  頁

 先祖崇拝…[Ance…             9

 動物崇拝…[Animat…             10

 反キリスト…[Anti-C…            14

 使徒の継承…[Apost            16

 ハルマゲドン…[Armage…           26

 バプテスマ(洗礼)[:今で言う浸礼]…[Ba… 28

 聖書…[Bible…               39

 輸血…[Blood…               51

 再生…[Came-to               52

 カイザルのものはカイザルへ…[Ca-esar…    55

 階級制度…[Class…             58

 慈善行為…[Charity…             63

 共産主義…[Commu…             66

 告白…[Confetio…               73

 神の会衆…[Congre…             77

 創造…[Creatio…               86

 十字架…[Cross…              91

 死…[Death…                95

 献身…[Devotio…               100

 悪魔と悪霊たち…[Devil-and-Demons…          106

 地とその運命…[Destiny…           118

 進化論…[Evolutio…              123

 信仰…[Faith…               130

 自由…[Freedo…               133

 世の友…[Friend…              138

 神からの賜物…[God's…           148

 いやし…[Heal…              158

 天…[Heaven…                165

 地獄…[Hell…               169

 祭日…[Holiday…               181

 名誉の称号…[Honor…            188

 偶像崇拝…[Idolatry…             189

 化肉…[Inflectio…               196

 信仰合同…[Jamboree…             199

 エホバ…[Jehovah…              205


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 エホバの証者…[Jehovah's-Witness…           211

 イエス・キリスト…[Jesus-Christ…         227

 ユダヤ人のパレスチナへの復帰…[Jews…   231

 さばきの日…[Judgement…            248

 御国…[Kigdom…               248

 律法…[Law…               260

 生命…[Life…               266

 愛…[Love…                274

 結婚…[Marriage…               278

 ミサ…[Mass…               282

 神の奉仕者…[Minister…            288

 新しい世の生活…[New-World…          298

 祈り…[Prayer…               307

 煉獄…[Purgatory…               314

 人種…[Race…               318

 贖い…[Redemptio…               322

 宗教…[Religeo…               325

 悔改め…[Repent…              337

 復活…[Resurrec…               341

 キリストの再来…[Return…          350

 安息…[Sabath…               355

 救い…[Salvatio…               370

 終りの日のしるし…[Sign…         370

 罪…[Sin…                377

 魂…[Soul…                383

 霊…[Spirit-and-Ghost…                392

 霊媒術…[Psychic-medium…              402

 上にある権威…[Superior-Authori…           405

 十の『失われた支族』…[Ten-Tribe…       409

 十分の一を納めること…[Tithe…       412

 異言を語ること…[Tongue…          417

 転生…[Transmigratio…               420

 三位一体…[Trinitas…             423

 世の艱難…[Tribulatio…             428

 マリヤ崇拝…[Worship…            436

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       まえがき

 人は、物事がなぜそうなのかという理由を知りたいと望みます。世の中には、なぜ多くの混乱した考えがあり、その考え方は移り変わってゆくのですか。数多くの異なった信条、多くの異なった宗教があり、すべての宗教には熱心さの程度に差こそあれ、その特定の信仰を奉ずる追随者がいます。この時代に人は何を信ずべきですか。誰が正しいのですか。 『すべてのことを確かめよ』とは健全な助言です。それはあなたの見出し得る最高の権威に聞きなさいという意味です。最高の権威とはエホバの言葉、聖書です。神の独り子は神に向かって言われました、『あなたの御言は真理であります。』(ヨハネ,17:17)しかしエホバはそれ以上のことをすすめています。最高の権威であるこの書物は、述べられている一つの真理をただ盲目的に受け入れることを私たちにすすめているのではありません。むしろ神の預言者は述べています。『ヱホバいひたまはく、いざわれらともに論(あげつ)らはん』(イザヤ,1:18)そうです!考えぬいて答えを出しなさい。初期クリスチャンのしたごとく、聖書の中に答えを探し求めなさい。『心から教えを受けいれ、果たしてそのとおりかどうかを知ろうとして、日々聖書を調べていた』(使行,17:11)これらの初期クリスチャンが物事のわけを知ろうとして熱心に聖書を調べたとすれば、たしかに私たちも同じく勤勉に真理の探求に務めなければなりません。 他の人の言葉をそのまま受け入れてはなりません。『すべてのことを確かめよ。良いものをしっかり守りなさい』とは使徒パウロの言葉です。(テサロニケ前,5:21,新世)(英文)またヨハネの述べていることを聞いてごらんなさい。『すべての霊の信じることはしないで、それらの霊が神から出たものであるかどうか、ためしなさい。』(ヨハネ第一,4:1)この本は、あなたが聖書の頁をあちこち調べて、これらの使徒の言葉通りにするのを助けます。この本の目的は、エホバの真理の言葉を用いてすべての事を調べるように強くおすすめすることです。読者の気づかれるように、この本にとりあげられている色々な教えの根拠はすべて聖書によっており、読者の研究の便宜のため、さまざまの主題に応じて聖句を排列してあります。聖書のどの翻訳を使うにしても、あなたはご自分の聖書を用いて教え調べ、『果してそのとおりかどうかを』知ることができます。 そのうえ他の人を教える時、あなたには大きな責任があります。もちろ

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んあなたは何時でも正しいことを教えたいと望み、『あなたがたのうちにある望みについて説明を求める人には、いつでも弁明のできる用意をし……やさしく、慎み深く、明らかな良心をもって、弁明』したいと望まれるでしょう。(ペテロ前,3:15)使徒ペテロのこの言葉は正しいものです。理由を述べ、証拠をあげなさい。あなたの信仰を確かめなさい。それを人間の哲学と混同してはなりません。常に最高の権威、エホバの言葉を頼りにしなさい。イエスが御父に述べた言葉、『あなたの御言は真理であります』を何時も心に留めなさい。イエスは真理を信じ、それを伝道し、それに生きました。 良いたよりをひろめるとき、何時でも聖書を使うべきです。ゆえに聖書を研究しなければなりません。また御言葉により『善悪を見わける感覚を実際に働かせて訓練された』人々にとって、聖書が全く理にかなうものであることを理解しなければなりません。--ヘブル,5:14。

       知識をどうすべきか

 知識は貴重なものであるゆえに、それを自分のものだけにしておくことはできません。それで知っていることを語り告げなければならなりません。この必要を痛感したパウロは次のように述べました。『もし福音を宣べ伝えないなら、わたしはわざわいである。』(コリント前,9:16)エホバの言葉は良いたよりで満ちています。私たちはその全部を知りたいと願わずにはいられません。良いたよりを知る人は、他の人がそれを知ることを望みます。しかし単に願うだけでは不十分です。その人々は、他の人が良いたよりを知るようにしなければなりません。そのわけでイエスは言われました、『行って……教えよ。』(マタイ,28:19,20)願っているだけでは決して知識を与えることはできません。他の人に良いたよりを語り、伝道し、宣べ伝えるとき、たしかに知識をひろめることができます。そしてその知識は正しい種類のものでなければなりません。 パウロは若い人テモテに語りました、『自分のことと教えのこととについて気をつけ……なさい。』テモテは永遠の生命を得ることを願い、従って聖書を読む必要、円熟するために聖書の教えに従い、聖所を伝道することの必要を知っていました。そのようにして正しい教えと間違った教えを見分ける力を訓練できます。すべての事は神の言葉と一致していなければならないからです。賢明な助言者であったパウロはテモテに対し、自分の教え、つまり他の人々に語る事柄に何時も気をつけなさいとすすめました。今日でもあなた

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の語ることはエホバの真理の言葉と一致していることを確かめねばなりません。知識を取り入れることを決して怠ってはなりません。そして学ぶと同時に、学んだ事をそのまま他の人に教えなさい。それはあなたとあなたに聞く人を救うことになるからです。--テモテ前,4:16。 私たちは自分の持つ知識を他の人に与えねばなりません。利己的にそれを何時までも自分の中に貯えておくことはできません。すべての良い、完全な賜物の与え主の授ける知識を得、新しい事柄を学んで自分のものにするのは大きな喜びです。しかし次ぎのことは真実ではありませんか。『人の心にある計りごとは深い井戸の水のようだ、しかし、さとき人はこれをくみだす。』(シンゲン20:5,新口)エホバの証者、また正義を愛するすべての人は、神の言葉を理解して自分の得たことをくみ出し、それを他の人に与えたいと望みます。『すべてのことを確かめよ』は、それを使うすべての人が真理をくみ出して他の人に自由に与えるのを助けます。

       この本の使い方

 『すべてのことを確かめよ』には70の題がのせられています。そして各題に関連して問われる主な疑問と異論に対し、聖句だけを用いて答えています。それによって読者はつりあいのとれた理解すなわち事柄の全体を手落ちなく知ることができます。この本は聖書の注釈ではなく、問題としている主題に関連した多くの聖句を1ヵ所に集めたものです。それは聖書の便利な手引きとなります。 この本は聖書に代わるものではなく、また引用されている聖句の適用をここにあげられている色々な題だけに限るものではありません。しかしこの本の目的は、教える心の中に聖書の清い真理を入れ、聖書自体が何と述べているかを示すことです。この本の助けによって、読者は伝道活動のあらゆる面においていっそう効果的に聖書を使うことができるはずです。

…………


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反キリスト

       

定義


 キリスト、またはキリスト教に反対する制度あるいは個人。特に、神に奉仕すると自称しながら、実際にはキリストとその御国に反対している制度または機構。


サタンの制度で在るバビロンは反キリストを生み出す マタイ、13:27,28,38,39『「ご主人様、畑におまきになったのは良い種ではありませんでしたか。どうして毒麦がはえてきたのですか。」「畑は世界である。良い種というのは御国の子たちで、毒麦は悪い者の子たちである。それをまいた敵は悪魔である。」』反キリストは偽預言者 マタイ、24:11,24『また多くの偽預言者が起って、多くの人を惑わすであろう。にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、大いなるしるしと奇跡とを行い、できれば選民をも惑わそうとするであろう。真の預言者が持つべき資格を持たない 申命、18:20ー21『但し預言者もしわが語れと命ぜざる言葉を我が名をもてほしいままに語りまたは他の神々の名をもて語ることをなすならばその預言者は殺さるべし汝あるいは心に言わん我らいかにしてその言葉のヱホバの言ひ給(たま)ふ者にあらざるを知らんとさればもし預言者ありてヱホバの名をもて語ることをなすにその言(ことば)とげずまた効(しるし)あらざる時はこれヱホバの語りたまふ言(ことば)にあらずしてその預言者がほしいままに語る所なり汝その預言者をおそるるに及ばず』『不法の人』--キリスト教国の牧師級 テサロニケ後、2:3,4,9,10『だれがどんなことをしても、それにだまされてはならない。まず背教のことが起り、不法の者、すなわち、滅びの子が現れるにちがいない。

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彼はすべて神と呼ばれたり拝まれたりするものに反抗して立ち上がり、自ら神の宮に座して、自分は神だと宣言する。不法の者が来るのは、サタンの働きによるのであって、あらゆる偽りの力と、しるしと、不思議……を行うためである。』 ヱレミヤ、23:11,21,22『預言者と祭司はともに邪悪なり我が家においてすら彼等の悪を見たりとヱホバ言ひ給ふ。預言者らはわがつかはさざるに走り我が告げざるに預言せり彼らもしわが議会に立ちしならばわが民にわが言葉をきかしめて之(これ)をその悪しき途とその悪しき行いにはなれしめしならん』牧師たちはこの世の権力と名誉を求む コリント前、4:8『あなたがたは、すでに満腹しているのだ。すでに富み栄えているのだ。わたしたちをさしおいて[現行新世界訳: わたしたちを抜きにして王として支配しはじめたのですか。]、王になっているのだ。ああ、王になっていてくれたらと思う。そうであったなら、わたしたちもあなたがたと共に王になれたであろう。』 ヤコブ、4:4『不貞のやからよ。世を友とするのは、神への敵対であることを、知らないか。おおよそ世の友となろうと思うものは、自らを神の敵とするのである。』悪い僕 マタイ、24:48ー51「もしそれが悪い僕(しもべ)であって、自分の主人は帰りが遅いと心の中で思い、その僕(しもべ)仲間をたたきはじめ、また酒飲み仲間と一緒に食べたり飲んだりしているなら、その僕の主人は思いがけない日、気がつかない時に帰って来て、彼を厳罰に処し偽善者たちと同じ目にあわせるであろう。彼はそこで泣き叫んだり、歯がみしたりするであろう。』 ヨハネ第一、2:18,19『子供たちよ。今は終わりの時である。あなたがたがかねて反キリストが来ると聞いていたように、いまや多くの反キリストが現れて来た。それによって今が終わりの時であることを知る。彼らはわたしたちから出て行った。しかし、彼らは私たちに属する者ではなかったのである。もし属する者であったなら、わたしたちと一緒に止(とど)まっていたであろう。しかし出て行ったのは、元来、彼らがみなわたしたちに属さない者であることが、明らかにされるためである。』異教の宗教 エペソ、2:12『また、その当時は、キリストを知らず、イスラエルの国籍もなく、約束された色々の契約に縁がなく、この世の中で希望もなく神もないものであった。』 コリント前、10:20,21『人々が供える物は、悪霊ども、すなわち、神ならぬ者に供えるのである。わたしは、あなたがたが悪霊の仲間になることを望まない。主の杯と悪霊どもの杯とを、同時に飲むことはできない。主の食卓と悪霊どもの食卓とに、同時にあずかることはできない。』共産主義者の赤い宗教は多くの反キリストの中に含まれる 黙示、19:18,19『「王たちの肉、将軍の肉、勇者の肉、馬の肉、馬に乗っている者の肉、また、すべての自由人と奴隷の肉、小さき者と大いなる者との肉を食らえ」。なお見ていると、獣と地の王たちと彼らの軍勢とが集まり、馬に乗っているかたとその軍勢とに対して戦いをいどんだ。』 詩、14:1『愚かなる者は心の中に神なしと言へり、彼らは腐れたり、彼らは憎むべき業をなせり、善を行ふものなし。』


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反キリスト運動の頂点は国連支持 黙示、17:3ー8,18『わたしは、そこでひとりの女が赤い獣に乗っているのを見た。その獣は神を汚すかずかずの名でおおわれ、また、それに七つの頭と十の角とがあった。この女は紫と赤の衣をまとい、金と宝石と真珠とで身を飾り、憎むべきものと自分の姦淫の汚れとで満ちている金の杯を手に持ち、その額には一つの名が記されていた。それは奥義であって、「大いなるバビロン、淫婦どもと地の憎むべきものらとの母」というのであった。……あなたの見た獣は、昔はいたが、今はおらず、そして、やがて底知れぬ所から上って来て、遂には滅びにいたるものである。地に住む者のうち世の初めからいのちの書に名をしるされていない者たちは、この獣が、昔はいたが今はおらず、やがて来るのを見て、驚きあやしむであろう。あなたの見たかの女は、地の王たちを支配する大いなる都のことである。』反キリストはハルマゲドンで永遠に滅ぼされる 黙示、17:16『あなたの見た十の角と獣とは、この淫婦を憎み、みじめな者にし、裸にし、彼女の肉を食い、火で焼き尽くすであろう。』 テサロニケ後、2:8『その時になると、不法の者が現われる。この者を、主イエスは口の息を持って殺し、来臨の輝きによって滅ぼすであろう。』 マタイ、7:22,23『その日には、多くの者が、わたしに向かって「主よ、主よ、わたしたちはあなたの名によって預言したではありませんか。またあなたの名によって悪霊を追い出したではありませんか」。……その時、わたしは彼らにはっきり、こう言おう、「あなた方を全く知らない。不法を働くものどもよ、行ってしまえ。」』

      (『宗教の項も見なさい』)

使徒の継承定義 十二使徒に後継者たちがあって、神の任命に拠って彼らに権威がゆずられるという教理。ローマ・カトリック教会においては、法王は連綿としてつづくペテロの後継者の一人であって、ペテロ(同教会は、彼が使徒たちの頭であって、最初の法王であったと主張しています)からゆずられた天の国の鍵を所持する者であると言われています。偽教理。起源 ローマ・カトリック教会が西暦325年と381年のニケヤ信条の中で定められたものであって、こう述べられています。『われは一つの聖なるカトリックの、そして使徒の教会を信ず。』それは16世紀のトレント会議で再び確認されました。マタイ伝16章18節を誤って適用ペテロではなく、キリストが『岩[:隗]』 マタイ伝、16:18『わたしもあなたに言う。あなたはペテロ[ギリシャ語ペテロス。シリヤ語ケパ。何れも男性名詞で『一つの石』を意味す]


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である。そして、わたしはこの岩[ギリシャ語ペトラ。シリヤ語ケパ。いずれも女性名詞で『岩の塊』を意味す。そしてそれは女性指示代名詞(これ)を伴う]の上に私の教会を立てよう。よみの力もそれに打ち勝つことはない。』 コリント前、10:4『みな同じ霊の飲み物を飲んだ。すなわち、彼らについて来た霊の岩らが飲んだので在るが、この岩はキリストに他ならない。』 エペソ、2:20,21『またあなたがたは、使徒たちや預言者たちという土台に上に建てられたものであって、キリスト・イエスご自身が隅のかしら石である。このキリストにあって、建物全体が組み合わされ、主にある聖なる宮[:神殿]に成長し…』 マタイ、21:42『イエスは彼らに言われた、「あなたがたは、聖書でまだ読んだことがないのか、『家造りらの捨てた石が隅のかしら石になった。これは主がなされたことで、私たちの目には不思議に見える』(イザヤ,28:16及び詩篇,118:22,23を見よ) 使行、4:8ー12『その時、ペテロが聖霊に満たされて言った、「……この人が元気になってみんなの前に立っているのは、ひとえに、あなたがた十字架につけて殺したのを、神が死人の中からよみがえらされたナザレ人イエス・キリストの御名によるのである。このイエスこそは『あなた方家造りらに捨てられたが、隅のかしら石となった石』なのである。この人による以外に救いはない。」』ヨハネ伝21章15-17節を悪く適用、ペテロだけでなく、すべての弟子たちがキリストの羊を養う義務をもつ 使行、20:28『どうかあなたがた自身に気をつけ、また、すべての群れに気をくばっていただきたい。聖霊は、神が御子の血であがない取られた神の教会を牧させるために、あなたがたをその群れの監督者にお立てになったのである。』 ペテロ前、5:1-4『そこで、あなたがたの中の長老たちにすすめる。わたしも、長老たちのひとりで………あなたがたにゆだねられている神の羊の群れを牧しなさい。しいられてするのではなく、神に従って自ら進んでなし、恥ずべき利得のためではなく、本心から、それをしなさい。………むしろ群れの模範となるべきである。そうすれば、大牧者が現れる時には、しぼむことのない栄光の冠を受けるであろう。』ペテロは霊の宮[:神殿]の石のうちの一つにすぎない ペテロ前、2:4ー8『主は、人には捨てられたが、神にとっては選ばれた尊い生ける石である。この主のみもとに来て、あなたがたもそれぞれ生ける石となって、霊の家に築き上げられ、聖なる祭司となって、イエス・キリストにより、神に喜ばれる霊のいけにえを、ささげなさい。……この石は、より頼んでいるあなたがたには尊いものであるが、不信仰な人々には「家造りらの捨てた石で、隅のかしら石となったもの」、また「つまづきの石、妨げの岩」である。』

………

[18]……

キリストはクリスチャン会衆の不滅の頭(かしら)であって、地上の頭は不用 コロサイ、1:18『そして自らは、そのからだなる教会の頭である。』 エペソ、1:22,23『そして、万物をキリストの足の下に従わせ、彼を万物の上にかしらとして教会に与えられた。その教会はキリストのからだであって、すべてのものを、すべての物の中に満たしているかたが、満ちみちているものに、ほかならない。』 エペソ、4:15。5:23,24『愛にあって真理を語り、あらゆる点において生長し、かしらなるキリストに達するのである。』『キリストが教会のかしらであって、自らは、からだなる教会の救い主であられるように、夫は妻のかしらである。そして教会がキリストに仕える……』 ゼカリヤ、4:7『彼は恵みあれこれに恵みあれと呼ばはる声を立ててかしら石を引き出さん』

[19]……

天国の鍵ペテロに与えられた。しかし、その使用は天からの指図に従った マタイ、16:19『わたしはあなたに天国の鍵をさずけよう。そしてあなたが地上でつなぐことは、天でもつながれ、[欄外、すでにつながれていたものであり]あなたが地上で解くことは天で解かれるであろう。[欄外、すでに解かれていたものである] 』 マタイ、18:18『よく言っておく。あなたがたが地上でつなぐことは天でもつながれ、あなた方が地上で解くことは天でもみな解かれるであろう。』

[21]

………

ペテロは、それ以降、鍵を使用していない。ペテロではなく、神とキリストが、御国に入る資格あるものを判定す マタイ、20:23『イエスは彼らに言われた、「確かにあなたがたはわたしの杯を飲むことになろう。しかし、わたしの右、左にすわらせることは、わたしのすることではなく、わたしの父によって備えられている人々だけに許されることである。」』 テモテ後、4:1『神のみまえと、生きている者と死んだ者とをさばくべきキリスト・イエスのみまえでキリストの出現とその御国とを思い、おごそかに命じる。』 ヘブル、12:23『天に登録されている長子たちの教会、万民の審判者なる神』 ペテロ前、4:5『彼らは、やがて生ける物と死ねる者とをさばく方に、申し開きをしなくてはならない。』 コリント前、12:18『そこで神は御旨のままに、肢体をそれぞれ、からだにそなえられたのである。』

[22]

………

ペテロはクリスチャン会衆を支配しなかった ガラテヤ、2:9『かつ、わたしに賜った恵みを知って、柱として重んじられているヤコブとケパとヨハネとは、私とバルナバに、交わりの手を差し伸べた。』 マタイ、3:8ー10『しかし、あなたがたは先生と呼ばれてはならない。あなたがたの先生は、ただひとりであって、あなたがたはみな兄弟なのだから。また地上のだれをも父と呼んではならない。あなたがたの父はただひとり、すなわち、天にいます父である。また、あなたがたは教師と呼ばれてはならない。あなたがたの教師はただひとり、すなわち、キリストである。』 使行、15:13-23,28『ふたりが語り終えた後、ヤコブはそれに応じてこう述べた、……「神が初めに異邦人たちを顧みて、その中から御名を負う民を選び出された次第は、シメオンがすでに説明した。……そこで、わたしの意見では、異邦人の中から神に帰依している人たちに、わずらいをかけてはいけない。……「そこで、使徒たちや長老たちは全教会と協議した末、お互いの中から人々を選んで、……この人たちに託された真理はこうである。「……すなわち、聖霊とわたしたちとは、次の必要事項のほかは、どんな負担をもあなたがたに負わせないことに決めた」。』人間は不完全であって、誰一人として無過失と云えない。ペテロも例外ではない マタイ、14:29ー31『ペテロは舟からおり、水の上を歩いてイエスの所へ行った。しかし、風を見て恐ろしくなり、そしておぼれかけたので、彼は叫んで、『主よ、お助け下さい』と言った。イエスはすぐに手を伸ばし、彼をつかまえて言われた、「信仰の薄いものよ、なぜ疑ったのか」。』 マタイ、16:22,23『すると、ペテロはイエスをわきへ引き寄せて、いさめはじめ、「主よ、とんでもないことです。そんなことがあるはずはございません」と言った。イエスは振り向いて、ペテロに言われた。『サタンよ、引き下がれ。わたしの邪魔をするものだ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている」。』 ヨハネ、18:10,11『シモン・ペテロは剣を持っていたが、それを抜いて、大祭司の僕(しもべ)に切りかかり、その耳を切り落とした。その僕の名はマルコスであった。するとイエスはペテロに言われた、「剣をさやに納めなさい。父がわたしに下さった杯は、飲むべきではないか」。』 ルカ、22:31ー4『シモン、シモン、見よ、サタンはあなたがたを麦のようにふるいにかけることを願っ

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て許された。しかし、わたしはあなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈った。それで、あなたが立ち直った時には、兄弟たちを力づけてやりなさい」。シモンが言った、「主よ、わたしは獄にでも、また死に至るまでも、あなたと一緒に行く覚悟です。するとイエスが言われた、「ペテロよ、あなたに言っておく。今日、鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」。』 ルカ、22:60ー62『ペテロは言った、「あなたの言っていることは、わたしにはわからない」。すると、彼がまだ言い終らぬ中(うち)に、たちまち鶏が鳴いた。主は振り向いてペテロを見つめられた。その時ペテロは、「きょう、鶏が鳴く前に、三度わたしを知らないと言うであろう」と言われた主のお言葉を思い出した。そして外へ出て、激しく泣いた。」 ガラテヤ、2:11ー14『ところが、ケパが、アンティオケに来た時、彼に非難すべきことがあったので、わたしは面と向かって彼をなじった。というのは、ヤコブのもとからある人々が来るまでは、彼は異邦人と食を共にしていたのに、彼らがきてからは、割礼の者どもを恐れ、しだいに身を引いて離れていったからである。……彼らが福音の真理に従ってまっすぐに歩いていないのを見て、わたしは衆人の面前でケパに言った、「あなたは、ユダヤ人であるのに、自分自身はユダヤ人のように生活しないで、異邦人のように生活していながら、どうして異邦人にユダヤ人のようになることをしいているのか」。』 ヨハネ、20:6-9『シモン・ペテロも続いてきて、墓の中にはいった。………しかし、彼らは死人のうちからイエスがよみがえるべきことをしるした聖句を、まだ悟っていなかった。』

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ペテロがローマに行ったという記録はない。主としてユダヤ人に宣(の)べ伝え、ユダヤ文化の中心であったバビロンへ旅行した ガラテヤ、2:7ー9『それどころか、彼らは、ペテロが割礼の者への福音をゆだねられているように、わたしには無割礼の者への福音がゆだねられていることを認め、(というのは、ペテロに働きかけて割礼の者への使徒の務めにつかせたかたは、わたしにも働きかけて、異邦人につかわして下さったからである)、かつ、わたしに賜った恵みを知って、柱として重んじられているヤコブとケパとヨハネとは、わたしとバルナバとに、交わりのてを差し伸べた。そこで、わたしたちは異邦人に行き、彼らは割礼の者に行くことになったのである。』 ペテロ前、5:13『あなたがたと共に選ばれてバビロンにある教会………から、あなたがたによろしく。』ペテロは霊を見分け、病をいやし罪を許し、悪鬼を追い出し、死人を復活させたりする賜物を持っていた。すべての法王はこのすべての力を主張することはできない 使行、5:1ー11『アナニヤという人とその妻サッピラとは共に資産を売ったが、共謀して、その代金をごまかし、一部だけを持ってきて、使徒たちの足元においた。そこで、ペテロは言った、「アナニヤよ、どうしてあなたは、自分の心をサタンに奪われて、聖霊を欺き、地所の代

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金をごまかしたのですか。………あなたは人を欺いたのではなくて、神を欺いたのだ」。……そこでペテロが彼女(アナニヤの妻)にむかって言った、……「あなたがたふたりが、心を合わせて御霊を試みるとは、何事であるか。見よ、あなたの夫を葬った人たちの足が、そこの門口にきている。あなたも運び出されるであろう」。すると女は、たちまち彼の足もとに倒れて、息が絶えた。』 ヨハネ、20:22,23『そう言って、(イエスは)彼らに息を吹きかけて仰せになった、「聖霊を受けよ。あなたがたが許す罪は、誰の罪でも許され、あなた方が許さずにおく罪は、そのまま残るであろう」。』

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 使行、9:36ー41『ヨッパにタビタ(これを訳すと、ドルカス、すなわちかもしか)と言う女弟子がいた。………病気になって死んだので、……ペテロはみんなの者を外に出し、ひざまずいて祈った。それから死体の方に向いて、「タビタよ、起きなさい」と言った。すると彼女は目をあけ、ペテロを見て起きなおった。』 使行、9:36ー41『ペテロが言った、「金銀はわたしには無い。しかし、わたしにあるものをあげよう。ナザレ人イエス・キリストの名のよって歩きなさい」。こう言って彼の右手を取って起こしてやると、足と、くるぶしとが、立ちどころに強くなって、踊りあがって立ち、歩き出した。そして、歩き回ったり踊ったりして神をさんびしながら、彼らと共に宮にはいって行った。』王と祭司としての144,000人は1000年の間天から支配す。ペンテコステの時から地上で支配するのではない コリント前、4:8『あなたがたは、すでに満腹しているのだ。すでに富み栄えているのだ。わたしたちを差しおいて、王になっているのだ。ああ、王になっていてくれたらと思う。そうであったなら、わたしたちもあなたがたと共に王になれたであろう。』 テモテ後、4:1『神のみまえと、生きている者と死んだ者とをさばくべきキリスト・イエスのみまえで、キリストの出現とその御国とを思い、おごそかに命じる。』 黙示、1:1。5:9,10『イエス・キリストの黙示。この黙示は、神が、すぐにも起こるべきことをその僕たちに示すためキリストに与え……』『彼らは新しい歌を歌って言った、「……その血によって、神のために、あらゆる部族、国語、民族、国民の中から人々をあがない、わたしたちの神のために、彼らを御国の民とし、祭司となさいました。彼らは地上を支配するに至るでしょう」。』 黙示、20:4ー6『また見ていると、かず多くの座があり、その上に人々がすわっていた。そして、彼らにさばきの権が与えられていた。……彼らは生きかえって、キリストと共に千年の間、支配した。………キリストと共に千年の間、支配する。』 テモテ後、2:12『もし耐え忍ぶなら、彼と共に支配者となるであろ

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う。もし彼を否むなら、彼もわたしたちをいなむであろう。』 ロマ、5:17『もし、ひとりの罪過によって、そのひとりを通して死が支配するに至ったとすれば、まして、あふれるばかりの恵みと義の賜物とを受けている者たちは、ひとりのイエス・キリストをとおし、いのちにあって、さらに力強く支配するはずではないか。』ハルマゲドン定義 (字義:『[神による]軍隊の集結の山』)全能の神ヱホバの戦いであって、その戦いにおいて神の執行者キリスト・イエスはサタンと彼の悪鬼の制度と人間の制度を滅ぼすために正義の目に見えぬ軍勢を導きます。そして宇宙から悪を取りのぞき、ヱホバの宇宙的主権を証明[神の主権の正しさの立証とヱホバの御名の神聖さの証明??今の言葉遣い??!を]します。両方の陣列 黙示、16:14,16『これらは、しるしを行う悪霊の霊であって、全世界の王たちのところに行き、彼らを召集したが、それは、全能者なる神の大いなる日に、戦いをするためであった。三つの霊は、ヘブル語でハルマゲドンという所に、王たちを召集した。』 黙示、19:19『なお見ていると、獣と地の王たちと彼らの軍勢とが集まり、馬に乗っているかたとその軍勢とに対して、戦いをいどんだ。』クリスチャンは殺害の業に加わらない エペソ、6:12『わたしたちの戦いは、血肉に対するものではなく、もろもろの支配と、権威と、闇の世の主権者、また天上にいる悪の霊に対する戦いである。』 コリント後、10,:3,4『わたしたちは、肉にあって歩いてはいるが、肉に従って戦っているのではない。わたしたちの戦いの武器は、肉のものではなく、神のためには要塞をも破壊するほどの力あるものである。』 歴代下、20:15,17『なんぢらの戦いにあらずヱホバの戦いなればなりこの戦いはなんぢら戦うには及ばず汝らただ進みいでて立ち、汝らと共にいますヱホバの救いを見よ』 ロマ、12:19『愛する者たちよ。自分で復讐をし無いで、むしろ、神の怒りに任せなさい。なぜなら、「主が言われる。復讐はわたしのすることである。私自身が報復する」と書いてあるからである。』

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超自然力の戦争 ゼパニヤ、3:8『ヱホバ言ひ給ふこの故に汝らわが起ちてえものをする日いたる迄(まで)我を待て我もろもろの民をつどえもろもろの国をあつめてわがいきどほりと我がはげしき怒りをことごとくその上に注がんと思ひ定む全地は我がねたみの火に焼きほろぼさるべし』 ユダ、14,15『「見よ、主は無数の聖徒たちをひきいてこられた。それは、すべての者にさばきを行うためであり、また不信心な者が、信仰を無視して犯したすべての不信心なしわざと、さらに、不信心な罪人が主にそむいて語ったすべての暴言とを責めるためである[:現行新世界訳:……不敬虔な罪人が[神]に逆らって語ったすべての衝撃的な事柄に関して断罪するためである」。]」。』 イザヤ、66:15,16『見よ、ヱホバは火の中にあらはれて来たり給ふ、そのみ車ははやちの如し、はげしき勢(いきおい)をもてその怒りをもらし火のほのほをもてそのせめをほどこし給はんヱホバは火を持て劔(つるぎ)を持てよろずの人をつみなひ給はん、ヱホバに刺殺(さしころ)さるる者多かるべし』 ゼカリヤ、14:3,12『そのときヱホバ出(いで)きたりてそれらの國人(くにびと)を攻撃(せめうち)たまはん在昔(むかし)そのいくさの日に戦ひたまひしごとくなるべし、ヱルサレムを攻撃(せめうち)しもろもろの民にヱホバ災はひを降してこれを撃(う)ちなやましたまふこと是(かく)のごとくなるべし即ち彼らその足にて立ちをる中に肉腐れ目その孔の中にて腐れ舌その中にて腐れん』 詩、46:1ー3,8ー10『きたりてヱホバのみ業を見よ、ヱホバはおほくのおそるべきことを地になしたまへりヱホバ地の果てまでも戦をやめしめ弓を折り戈(ほこ)をたち戦車を火にて焼き給ふ』 ハバクク、3:2,11,12『ヱホバよこのもろもろの年の中間(あひだ)に汝のわざをいき潑(はたら)かせたまへ怒る時にもあわれみを忘れ給はざれ汝のはしる矢の光のため汝のやりの電光(いなびかり)のごとき閃爍(きらめ)きのために日月(じつげつ)その住まいに立ちとどまる汝はいきどほりて地を行きめぐり怒りて国民を踏みつけ給ふ』

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突然に不意に来る ペテロ後、3:11『しかし、主の日は盗人のように襲って来る。その日には、天は大音響を立てて消え去り、天体は焼けくずれ、地とその上に作り出されたものも、みな焼きつくされるであろう。』 イザヤ、8:21『ヱホバむかしペラジム山にて起ち給ひしが如くにたちギベオンの谷にいきどほりをはなち給ひしが如くにいきどほり、しかしてそのおこなひを行ひ給はん、くすしきみおこなひなり、その業をなし給はん異なるみ業なり』 ルカ、21:34,35『あなたがたが

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放縦や、泥酔や、世の煩いのために心が鈍っている中に、思いがけないとき、その日がわなのようにあなたがたを捕えることがないように、よく注意していなさい。その日は地の全面に住むすべての人に臨むのであるから。』 テサロニケ前、5:3『人々が平和だ、無事だと言っているその矢先に、ちょうど妊婦に産みの苦しみが臨むように、突如として滅びが彼らをおそって来る。そして、それから逃れることは決してできない。』全世界に渡る警告運動の後に来る マタイ、24:14『この御国の福音は、すべての民に対してあかしするために、全世界で宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである。』 エゼキエル、9:2,4ー6『北にむかへる上の門の路より六人の者おのおの打壞(うちやぶ)る器具を手にとりて来るその中に一人布の衣を着筆記人に墨入を腰におぶる者あり……ヱホバ彼に言ひ給ひけるは、邑(まち)の中を巡れ………憎むべきことのために歎き哀しむ人々の額に記號(しるし)をつけよと我聞くに彼またその他の者に言ひ給ふ彼に従がいて邑を巡りて撃てよ汝らの目人を惜しみ見るべからず老人(としより)も少者(わかうど)も童女(むすめ)も孩子(こども)も婦人(をんな)もことごとく殺すべしされど身に記號(しるし)ある者にはふるべからず』 イザヤ、6:9,11『ヱホバいひたまはく往きてこの民にかくの如く告げよ、…………ここに我いひけるは主よいつまでかくあらんか主こたえたまはく、邑は荒れすたれて住むものなく家に人なく邦ことごとく荒土となり……』生き残る人々 テサロニケ前、5:4『しかし兄弟たちよ。あなたがたは暗やみの中にいないのだから、その日が、盗人のようにあなたがたを不意に襲うことはないであろう。』 ゼパニヤ、2:2,3『……みことのりのいまだ行はれざる先ヱホバのはげしき怒りのいまだ汝等に臨まざる先ヱホバの忿怒(いかり)の日いまだ汝らにきたらざるさきに自らかへりみるべしすべてヱホバの律法を行ふこの地のへりくだる者よ汝らヱホバを求め公義を求め謙遜を求めよさすれば汝らヱホバの忿怒(いかり)の日に或(あるひ)はかくさるることあらん』またマタイ、24:20ー22。黙示、7:9,10,14ー17を見よ。この時代のうちに来る。しかし日と時は人間に知らされていない マタイ、24:34,36『これらのことが、ことごとく起こるまでは、この時代は滅びることがない。その日、その時は、だれも知らない。』バプテスマ(洗礼)[:浸礼]定義 (1)水の中に、[または(2)キリストと共の死、(3)キリストの体へ、(4)聖霊によって、(5)新しい組織制度の大いなるノアへ、(6)火による滅亡へ] 完全に浸(ひた)し、没し、漬けること。クリスチャンの水のバプテスマは、バプテスマを受けるものが負うキリスト・イエスを通じて宇宙の主権者エホバ神の御心

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を行う事に同意し、完全に十分に、そして無条件に献身したことを、証人たちのまえで証言として行う外的象徴であります。それは、彼の過去の行いが、(水に没入する事によって)葬られ、そして神の御心のみを行うために自ら出てきて、それ以後新しい生命に歩む事を意味しております。完全に水に没入され浸されるのであって水をふりかけるのではない『水に入れる、浸す、没する』と言う意味のギリシャ語バプテスマからくる。 ロマ、6:3,4『あなたがたは知らないのか。キリスト・イエスにあずかるバプテスマを受けたわたしたちは、彼の死にあずかるバプテスマを受けたのである。すなわち、わたしたちは、その死にあずかるバプテスマによって、彼と共に葬られたのである。』 コロサイ、2:12『あなたがたはバプテスマを受けて彼と共に葬られ、』 マタイ、3:16『イエスはバプテスマを受けるとすぐ、水から上がられた。』 マルコ、1:10『そして、水の中から上がられるとすぐ、天が裂けて、聖霊がはとのように自分(イエス)に下って来るのを、ごらんになった。』

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父の名において、(職務と権威を認める) 詩、83:18『ヱホバてふ御名をもち給ふ汝のみ全地をしろしめすいとたかき者なることを知るべし』 詩、36:9『命の泉は汝にあり』 ヘブル、10:7『神よ、…………御旨を行うためにまいりました。』 'ペテロ前,3:21,[:新聞社]'口語『この水を象つているバプテスマは、今やあなた方を救うであろう。それは肉体から汚れを除くことではなく、イエス・キリストのよみがえりを通して、神に対し清い良心を求めることである。』 ヘブル、11:6『神に来る者は、神のいますことと、ご自身を求めるものに報いて下さることを、必ず信じるはずだからである。』 ヨハネ、5:23『わたしは父の名によってきた…………』 ヨハネ、10:25『イエスは彼らに答えられた、「………わたしの父の名によってしているすべてのわざが、わたしのことをあかししている。」』子の名において、(職務と権威を認める) イザヤ、55:4『みよわれ彼をたててもろもろの民のあかしとし又もろもろの民の君となし命令するものとなせり』 ピリピ、2:9ー11『神は彼を高く引き上げ、すべての名にまさる名を

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彼に賜わった。それは、イエスの御名によって、天上のもの、地上のもの、地下のものなど、あらゆるものがひざをかがめ、また、あらゆる舌が、「イエス・キリストは主である」と告白して、栄光を父なる神に帰するためである。』 黙示、19:16『「王の王、主の主」という名がしるされていた。』 ヘブル、5:9,10『彼に従順であるすべての人に対して、永遠の救いの源となり、神によって、メルキゼデクに等しい大祭司と、となえられたのである。』 イザヤ、9:6『その名は奇妙、又議士、又大能の神、とこしえの父、平和の君ととなえられん。』 ヨハネ、4:42『この人こそまことに世の救い主である。』聖霊の名において、(働きと目的を認める) エペソ、5:18『御霊にみたされ……』 ガラテヤ、6:8『霊にまく者は、霊から永遠のいのちを刈り取るであろう。』 ペテロ後、1:21『預言は決して人間の意志からでたものではなく、人々が聖霊に感じ、神によって語ったものだからである。』 ヨハネ、6:63『人を生かすものは霊であって、肉はなんの役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、また命である。』 ヨハネ第一、5:6『御霊は真理だからである。』人の強制によらず自由意志で決定 コリント前、1:17『キリストがわたしをつかわされたのは、バプテスマを授けるためではなく、福音を宣べ伝えるためであり、しかも知恵の言葉を用いずに宣べ伝えるためであった。それは、キリストの十字架が無力なものになってしまわないためである。』 使行、8:36ー38『道を進んでいくうちに、水のある所に来たので、宦官が言った、「ここに水があります。わたしがバプテスマを受けるのに、何のさしつかえがありますか。」

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……そこで車をとめさせ、ピリポと宦官と、二人とも、水の中に降りて行き、ピリポが宦官にバプテスマを授けた。』 ヨハネ、17:3『永遠の命とは、唯一の、まことの神でいますあなたと、また、あなたがつかわされたイエス・キリストとを知ることであります。』 ヨハネ第一、2:2『彼は、わたしたちの罪のための、あがないの供え物である。ただ、わたしたちの罪のためばかりではなく、全世界の罪のためである。』バプテスマの後、信仰の行いを必要とす マタイ、4:17『この時からイエスは教えを宣べはじめて言われた、『悔い改めよ、天国は近づいた。」』 イザヤ、1:1,2『主ヱホバの靈(みたま)われに臨めり、こはヱホバわれに膏(あぶら)をそゝぎて貧しき者に福音をのべ傳(つた)ふることをゆだね、我をつかわして心のいためる者をいやし、俘囚(とらはれびと)にゆるしをつげいましめられたるものに解放をつげヱホバのめぐみの年と、われらの神の刑罰の日とをつげしめ叉すべて哀(かなし)むものをなぐさめ……しめたまふなり。』 伝道、5:4,5、新口『あなたは神に誓いをなすとき、それを果(はた)すことを延ばしてはならない。神は愚かな者を喜ばれないからである。あなたの誓ったことを必ず果せ。あなたが誓いをして果さないよりは、むしろ誓いをしないほうがよい。』 ヘブル、6:1,2『そういうわけだから、わたしたちは、キリストの教えの初歩をあとにして、完成を目ざして進もうではないか。』 ルカ、9:62『イエスは言われた、「手をすきにかけてから、うしろを見る者は、神の国にふさわしくないものである」。』 ヘブル、10:38『わが義人は、信仰によって生きる。もし信仰を捨てるなら、わたしの魂はこれを喜ばない。』 コリント後、6:1『わたしたちはまた、神と共に働く者として、あなたがたに勧める。神の恵みをいたずらに受けてはならない。』 詩、116:13,14『われ救いのさかづきをとりてヱホバの御名をよびまつらんわれすべての民のまへにてヱホバに誓いをつくのはん。』献身した者は大いなるノア(キリスト)につくバプテスマをうけ(新しい組織制度内で)保護をうく。

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キリストは大いなるモーセ ヘブル、11:7『信仰によって、ノアはまだ見ていないことがらについて御告げを受け、恐れかしこみつつ、その家族を救うために箱舟を造り、その信仰によって世の罪をさばき、そして、信仰による義を受け継ぐ者となった。』 ゼパニヤ、2:2,3『かの日はもみがらの如く過ぎ去るさればみことのりのいまだ行われざる先・・・自らかへりみるべしすべてヱホバの律法を行なうこの地のへりくだるものよ汝らヱホバを求め公義を求め謙遜を求めよさすれば汝らヱホバの怒りの日にかくさるることあらん。』 イザヤ、26:20『我が民よゆけ、汝の室に入り汝の後ろの戸を閉ぢていきどほりのすぎゆくまでしばしかくるべし。』 ペテロ前、3:20,21,[:新聞社]口語『箱舟に乗り…………水を通って救われたのは八人であった。この水をかたどっているバプテスマは、今やあなたがたを救うであろう。』 ヘブル、3:4ー6『家はすべて、だれかによって造られたものであるが、すべてのものを造られたかたは神である。さて、モーセは、のちに語られるべきことがらについてあかしをするために、仕える者として、神の家の全体に対して忠実であったが、キリストは御子として、神の家を治めるのに忠実であられたのである。』

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聖 書定義 聖書は人類のために書かれたエホバ神の言葉であって、それはエホバご自身を啓示し彼の目的を表わし示しています。著者としてのヱホバは、少なくとも35人の異なった忠信者に霊感を与えて書かせました。完全な聖書それ自体は1冊の本ですが、、実際には66冊の本の集められたもので、その中39冊は本来ヘブル語[:Hebrew]とアラミア語[:Aramaic]で書かれたので正確にはヘブル[:ヘブリュー]-アラミア[:アラマイック]語聖書[:スクリプチャーズ]と呼ばれ、そして他の27冊は本来ギリシャ語で書かれたので、正確にはクリスチャン・ギリシャ[:グリーク]語聖書[:スクリプチャーズ]と正しく呼ばれるべきです。聖書全巻の書かれた期間はキリスト前1513年から西暦98年か99年までであります。英語のバイブル(聖書)の語はギリシャ語のビブリアから来たもので、その意味は『草紙の巻物、巻軸、巻、本』または文字通り『小さな文書、または小冊子』です。[聖書のことは語り尽くされているようにも思われるため、ページの量もあるので、省略もしたい]

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カイザルのものはカイザルへ定義 聖書では『カイザル』は世俗の支配者、またこの世の政府をさしています。『カイザルのものはカイザルに返しなさい』(マルコ,12:17)イエスによって宣言されたこの健全で合法的な教理は『カイザル』政府が彼らの下位者、または臣民であるクリスチャンたちに、ある定められた義務を課することを許していますが、しかし国家に対する彼らの義務の限界を示す明瞭な一線が引かれています。この線を越したところから、神だけに果すクリスチャンの義務が始まります。なぜならイエスは『神のものは神に返しなさい』と言って、この合法的宣言を結んでいるからです。

…………

受けた奉仕に対する税は支払うべきもの マタイ、22:15ー21『そのときパリサイ人たちがきて、どうかしてイエスを言葉のわなにかけようと、相談をした。そして、彼らの弟子を、ヘロデ党の者たちと共に、イエスのもとにつかわして言わせた、「先生、わたしたちはあなたが真実なかたでであって、真理に基いて神の道を教え、また、人に分け隔てをしないで、だれをもはばかれないことを知っています。それで、あなたはどう思われますか、答えてください。カイザルに税金を納めてよいでしょうか、

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いけないでしょうか。」イエスは彼らの悪意を知って言われた、「偽善者たちよ、なぜわたしをためそうとするのか。税に治める貨幣を見せなさい」。彼らはデナリ一つを持ってきた。そこでイエスは言われた「これはだれの肖像、だれの記号か[:銘刻か]」。彼らは「カイザルのです」と答えた。するとイエスは言われた、「それではカイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさい。」』 マタイ、11:19『人の子がきて、食べたり飲んだりしていると、見よ、あれは食をむさぼる者、大酒を飲む者、また取税人、罪人の仲間だ、と言う。しかし、知恵の正しいことは、その働きが証明する。』 ロマ、13:7『あなたがたは、彼らすべてに対して、義務を果しなさい。すなわち、貢を納むべき者には貢を納め、税を納むべき者には税を納め、恐るべき者は恐れ、敬うべき者には敬いなさい。』

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法律上の社会的差別は承認される エペソ、6:5『僕たるものよ、キリストに従うように、恐れおののきつつ、真心をこめて、肉による主人に従いなさい。』 テモテ前、6:1,2『くびきの下にある奴隷はすべて、自分の主人を真に尊敬すべき者として仰ぐべきである。それは、神の御名と教えとがそしりを受けないためである。信者である主人を持っている者たちは、その主人が兄弟であるというので軽視してはならない。むしろ、ますま

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す励んで仕えるべきである。その益をうける主人は、信者であり愛されている人だからである。』 テトス、2:9,10『奴隷には、万事につけその主人に服従して喜ばれるようになり、反抗せず、盗みをせず、どこまでも心をこめた真実を示すようにと、勧めなさい。そうすれば、彼らは万事につけ、わたしたちの救い主なる神の教えを飾ることになろう。』 ペテロ前、2:18『僕たる者よ。心からのおそれをもって、主人に仕えなさい。善良で寛容な主人にだけでなく、気むずかしい主人にもそうしなさい。』

…………

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クリスチャンは良心のためにカイザルの法律を守る ロマ、13:5,6,8『だから、ただ怒りをのがれるためだけではなく、良心のためにも従うべきである。あなた方が貢を納めるのも、また同じ理由からである。……互いに愛し合うことの外は、何人にも借りがあってはならない。人を愛する者は、律法を全うするのである。』

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 ペテロ前、3:16,17『しかし、やさしく慎み深く、明らかな良心をもって弁明しなさい。そうすれば、あなたがたがキリストにあって営んでいる良い生活をそしる人々も、そのようにののしったことを恥じ入るであろう。善をおこなって苦しむことは--それが神の御旨であれば--悪をおこなって苦しむよりも、まさっている。』 ペテロ前、3:2,7『あなたがたのうち、だれも、人殺し、盗人、悪を行う者、あるいは、他人に干渉する者として苦しみに会うことのないようにしなさい。』 テモテ前、3:2,7『監督は、非難のない人で……さらにまた、教会外の人々にもよく思われている人でなければならない。そうでないと、そしりを受け、悪魔のわなにかかるであろう。』カイザルは人の命と崇拝と忠順を要求できない。これらは神に属す マタイ、22:21『するとイエスは言われた、「それではカイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさい。」』 詩、66:8,9、新口『もろもろも民よ、われらの神をほめよ。神をほめたたえる声を聞かせよ。神はわれらを生きながらえさせ、われらの足のすべるのをゆるされない。』 ルカ、4:8『イエスは答えて言われた、「『主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ』と書いてある。」』 イザヤ、8:13『なんぢらはただ万軍のヱホバを聖としてこれを畏みこれを恐るべし。』 ルカ、12:4,5『わたしの友であるあなた方に言うが、からだを殺してもそのあとでそれ以上なにもできない者どもを恐れるな。恐るべき者がだれであるか教えてあげよう。殺した後で、更に地獄[:ゲヘナ:絶滅!!]に投げ込む権威のあるかたを恐れなさい。』

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共産主義定義 すべての所有物を共有し、実際の所有権は社会全体にまたは国家に帰属するという基礎に立脚した社会組織の理論または制度。事実上今日において、それは、すべての経済的、教育的、宗教的および政治的活動が、単一の自動的に継続する政党によって支配されている全体主義国家により指導され、指揮されている組織です。優越者としての国家はその国民を下位者として、全く国家に頼らせるようにします。無神論を主張しながらも、ある場合には選択された宗教が国家の役に立つように運用されることが許されています。共産主義それ自体が偽宗教となり、全世界に宣べ伝えられています。なぜなら、神に属する権威を僭越(せんえつ)にも横取りし、人民をして救いは国家から来るものと、神の代りに国家を仰がせ崇拝させるからです。

[69]

…………

人間は自分自身や仲間の人間を支配し得ない エレミヤ、10:23『ヱホバよ我知る人の道はおのれによらずかつ歩む人は自らその歩みを定むること能(あた)はざるなり』 エレミヤ、17:9『心はよろずのものよりも偽る者にしてはなはだ悪し誰かこれを知るをえんや』 伝道、8:9「我(われ)この一切(すべて)の事を見(み)また日(ひ)の下(した)におこなわるゝ諸(もろゝゝ)の事に心(こゝろ)を用(もち)ひたり時(とき)としては此人彼人(このひとかのひと)を治(をさ)めてこれに害(がい)を蒙(かうむ)らしむることあり」 シンゲン 14:12、新口『人が見て自ら正しいとする道でも、その終りはついに死に至る道となるものがある。』 詩、37:23,31『人のあゆみはヱホバにより定めらる、そのゆく途をヱホバよろこびたまへりかれが神の法はそのこころにあり、そのあゆみは一歩たにすべることあらじ』 シンゲン、16:9『人の心におのれの途を考へはかる、されどそのあゆみを導くものはヱホバなり』 シンゲン、21:29「惡人(あしきひと)はその面(かほ)を厚(あつ)くし義者(たゞしきもの)はその道(みち)を謹(つゝし)む

[70]

…………

共産主義はエホバの証者と戦うゆえに滅亡する ロマ、13:2,3「したがって、権威に逆らう者は、神の定めにそむく者である。そむく者は、自分の身にさばきを招くことになる。いったい、支配者たちは、善事をする者には恐怖でなく、悪事をする者にこそ恐怖である。あなたは権威を恐れないことを願うのか。それでは、善事をするがよい。そうすれば、彼からほめられるであろう。」 詩、83:2-5,17、新口「見よ、あなたの敵は騒ぎたち、あなたを憎む者は頭をあげました。彼らはあなたの民にむかって巧みなはかりごとをめぐらし、あなたの保護される者にむかって相ともに計ります。彼らは言います、『さあ、彼らを断ち滅ぼして国を立てさず、イスラエルの名をふたたび思い出させないようにしよう』。彼らは心をひとつにして共にはかり、あなたに逆らって契約を結びます。……彼らをとこしえに恥じ恐れさせ、あわて惑って滅びうせさせてください」。 詩、2:1ー12『地のもろもろの王はたちかまへおさらはともにはかり、ヱホバと受膏者とにさからひて………天に座するもの笑ひたまはん主かれらをあざけりたまふべし………汝くろがねの杖をもて彼らをうち破り陶工のうつわもののごとくに打砕かん』 ゼカリヤ、2:8『万軍のヱホバかくいひたまふヱホバ汝らを捕へゆきし国々へ栄光のために我らを遣わしたまふ汝らを打つ者は彼の目の珠(たま)を打つなればなり』 エレミヤ、25:29ー31「視(み)よわれ我名(わがな)をもて稱(とな)へらるゝこの邑(まち)にすら災(わざはひ)を降(くだ)すなり汝(なんぢ)らいかで罰(ばつ)を免(まぬか)るゝことをえんや汝らは罰を免れじ蓋(そは)われ劍(つるぎ)をよびて地に住めるすべての者を攻(せむ)べければなりと萬軍(ばんぐん)のヱホバいひたまふ 汝彼等にこの諸(すべて)の言(ことば)を預言していふべしヱホバ高(たか)き所より呼號(よばは)り其聖宮(そのきよきみや)より聲(こゑ)を出(いだ)し己(おのれ)の住家(すみか)に向(むかひ)てよばはり地(ち)に住(すめ)る諸(すべて)の者にむかひて葡萄(ぶだう)を踐(ふ)む者のごとく咷(さけび)たまはん 號咷地(さけびち)の極(はて)まで聞(きこ)ゆ蓋(そは)ヱホバ列国(くにゞゝ)と爭(あらそ)ひ萬民(ばんみん)を審(さば)き惡人を劍に付(わた)せば也とヱホバ曰(いひ)たまへり」 マタイ、25:45,46『そのとき、彼は答えて言うであろう、「あなたがたによく言っておく。これらの最も小さい者のひとりにしなかったのは、すなわち、わたしにしなかったのである」。そして彼らは永遠の刑罰受ける……であろう。』 黙示、12:5『女は男の子を産んだが、彼は鉄のつえをもってすべての国民を治めるべき者である。』 使行、3:23『彼に聞きしたがわない者は、みな民の中から滅ぼし去られるであろう。』 詩、110:5,6『主はあなたの右におられて、その怒りの日に王たちを打ち破られる。主はもろもろの国のなかでさばきを行い、しかばねをもって満たし、広い地を治める首領たちを打ち破られる。』牧師が真理を教えなかった為、共産主義はキリスト教国の人々を掌握す。牧師に主として責任がある エレミヤ、23:21,22、新口。エレミヤ、5:31、新口。エレミヤ、6:13、新口。アモス、8:11使徒行伝2章44節に基づいて初期クリスチャンが会衆が共産主義的であったとの主張は偽り。各自は私有物に全き支配権を有していた 使行、2:44,45『信者たちはみな一緒にいて、いっさいの物を共有にし、資産や持ち物を売っては、必要に応じてみんなの者に分け与えた。』 使行、5:3,4『ペテロが言った、「アナニヤよ、どうしてあなたは、自分の心をサタンに奪われて、聖霊を欺き、地所の代金をごまかしたのですか。売らずに残しておけば、あなたのものであり、売ってしまっても、あなたの自由になったはずではないか。どうして、こんなことをする気になったのか。あなたは………、神を欺いたのだ』。愛とあわれみの贈り物が自発的になされ統治体はその取り扱いを助けた 使行、24:17。使行、11:29,30。コリント後、9:5ー3各自は自分自身の家族を扶養する責任をもつ テモテ前、5:8あるものは職業をもって、自分の責任を果たした 使行、18:2ー4

[72]

…………

クリスチャンは正当に設立された政府を認め、それをくつがえそうと企てない。神を至上者として認める マタイ、22:21。ロマ、13:5-8。エペソ、6:5-9

[73]

 コリント前、7:20,21。ペテロ前、2:18。ピレモン、15:16告白定義 (1) 真の悔い改めをし、仲介者であり大祭司であるイエス・キリストを通して、神の赦しを求め神の前に自分の罪を認めること。 (2) 神の御心を行なうためにその人の献身を告白しあるいは認めて、神の御名の証明のための神のご準備と、イエス・キリストを通して与えられる人々の救いを告げ、聖書中に啓示された神のご目的を公けに宣明すること。 (3) 他のクリスチャンに対し、わたしたちの罪を個人的にうち明けること。それは、私たちが彼らのクリスチャン的で聖書にかなった助言と助けと祈り

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を得て、神に霊的健康を保ち、かつクリスチャン会衆と一致調和しているためです。 (4) 偽りの解釈---『改悛の秘跡---………この全体の儀式は、その一部分から名をとって、通例「告白[:告解の秘跡:カトリックでの言い方?!]」と呼ばれる………それは、ざんげ者が直ちに告訴者、被告、証人となり、同時に司祭が判決と宣告を下すという裁判上の一過程である………告白は、ざんげ者の心の中でひそかになされるべきでなく、または友人や弁護の立場にある一般人に向かってなされるべきでなく、また、人間の権威と代表者に向かってなされるべきでもなく、かえってそれは必要な裁判権と「鍵の権力」すなはちキリストから教会に与えられた罪を赦す権力を持つところの正しく任命された司祭に向かってなさるべきである。』--カトリック百科辞典1911年版(英文)、第11巻618,619頁起源 真の告白は正義の人アベルから始まりました。彼はその罪を認めて神に犠牲の供え物を献(ささ)げました。 これは贖価を備えるキリストの犠牲を正しく予影しています。-- ヘブル、11:4 司祭に告白する偽りの習わしは古代の異教国バビロンから始まりました。(ヒスロップの『二つのバビロン』9,10頁を見よ。)告白[:告解:ユダ・イスカリオテも偽宗教指導者に告白した。が失敗したのは周知の通り。]の偽教理はトレント会議(1551年)でローマ・カトリック教会により再確認されました。

[77]

神の会衆定義 (ギリシャ語エクレシア--『集会』、『会衆』)全能の神に奉仕するためにこの世から召し出された人々の集会。クリスチャン会衆、『聖い国民』は頭であるイエス・キリストと彼の体の十四万四千人の成員から成り立っています。この語はまた、ある特定な時に地上に居る油注がれた霊的級のすべての人々に、または色々の場所に在る地方の集会に、適用されます。(エクレシアはしばしば『教会』と訳されています。)

[138]

世の友定義 サタン、悪魔によって支配される現在の悪い組織制度[世。それは『天』(悪鬼たち)と『地』(偽宗教、政治、商業の見える制度)で構成されています。]を愛すること。その政治、商業および偽宗教の諸計画に参与し、また支持し、あるいはその放蕩や底抜け騒ぎや過度の快楽に共にあずかること。クリスチャンであると自称する人が、この世の道と同じ道を歩むなら、この世を愛し、この世の友であることを示します。

………

この世はサタンによって支配されている マタイ、4:8,9『次に悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての国々とその栄華とを見せていった、「もしあなたが、ひれ伏してわたしをおがむなら、これらのものを皆あなたにあげましょう。」』 コリント後、4:4『この世の神が不信者たちの思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光の福音の輝きを、見えなくしているのである。』 ヨハネ第一、5:19『全世界は悪しき者の配下にあることを、知っている。』 詩、96:5『もろもろの民のすべての神はことごとくむなし、されどヱホバはもろもろの天をつくり給へり』 エペソ、6:12『わたしたちの戦いは、血肉に対するものではなく、もろもろの支配と、権威と、やみの世の主権者、また天上にいる悪の霊に対する戦いである。』この世が愛するもの ヱレミヤ、5:30,31『この地に驚くべきことと憎むべきこと行はる預言者は偽りて預言をなし祭司は彼らの手によりて治め、我が民はかかることを愛す、されど汝らその終りには何をなさんとするや』 ヨハネ第一、2:16『すべて世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、持ち物の誇りは、父から出たものではなく、世から出たものである。』 ルカ、12:29,30『あなたがたも、何を食べ、何を飲もうかと、あくせくするな、また気を使うな。これらのものは皆、この世の異邦人が切に求めているものである。あなたがたの父は、これらのものが、あなたがたに必要であることを、ご存じである。』 黙示、18:3,23『すべての国民は、彼女の姦淫に対する激しい怒りのぶどう酒を飲み、地の王たちは彼女と姦淫を行い、地上の商人たちは、彼女の極度のぜいたくによって富を得たからである。また、おまえの中では、あかりもともされず、花嫁、花婿の声も聞かれないというの

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は、おまえの商人たちは地上で勢力を張る者となり、すべての国民はおまえのまじないでだまされていたからである。』世は神の僕たちを憎む ヨハネ、7:14『わたしは彼らに御言を与えましたが、世は彼らを憎みました。わたしが世のものでないように、彼らも世のものでないからです。』 コリント前、4:13『わたしたちは今に至るまで、この世のちりのように、人間のくずのようにされている。』 ヨハネ第一、3:13『兄弟たちよ。世があなたがたを憎んでも、驚くには及ばない。』 黙示、18:24『また、預言者や聖徒の血、さらに、地上で殺されたすべての者の血が、この都で流されたからである。』この世の考えは神と一致していない コリント前、1:20ー28『知者はどこにいるか。学者はどこにいるか。この世の論者はどこにいるか。神はこの世の知恵を、愚かにされたではないか。この世は、自分の知恵によって神を認るに至らなかった。それは、神の知恵にかなっている。そこで神は、宣京の愚かさによって、信じる者を救うこととされた。……神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからである。………強い者をはずかしめるために、この世の弱いものを選び、有力な者を無力な者にするために、この世で身分の低い者や軽んじられている者、すなわち、無きに等しい者を、あえて選ばれたのである。』 コリント前、2:6ー8,12『わたしたちは、円熟している者の間では、知恵を語る。この知恵はこの世の知恵ではなく、この世の滅び行く支配者たちの知恵でもない。むしろわたしたちが語るのは、隠された奥義としての神の知恵である。それは神が、わたしたちの受ける栄光のために、世の始まらぬ先から、あらかじめ定めておかれたものである。この世の支配者たちのうちで、この知恵を知っていた者は、ひとりもいなかった。もし知っていたなら、栄光の主を十字架につけはしなかったであろう。ところがわたしたちが受けたのは、この世の霊ではなく神からの霊である。それによって神から賜った恵みを悟るためである。』 コリント前、3:18,19『だれも自分を欺いてはならない。もしあなたがたのうちに、自分がこの世の知者だと思う人がいるなら、その人は知者になるために愚かになるがよい。なぜなら、この世の知恵は、神の前で愚かなものだからである。「神は、知者たちをその悪知恵によって捕える」と書いてあり………』 ロマ、8:6『肉の思いは死であるが、霊の思いは、命と平安とである。』[:世の行動とか欺瞞的宣伝とか嘆かわしいが、割愛もする]

[141]

クリスチャンはこの世と同じ方向の道筋を歩いてはならない ロマ、6:13ー16『あなたがたの死体を不義の武器として罪にささげてはならない。むしろ、死人の中から生かされた者として、自分自身を義の武器として神にささげるがよい。なぜなら、あなたがたは律法の下にではなく、恵みの下にあるので、罪に支配されることはないからである。それでは、どうなのか。律法の下にはなく、恵みの下にあるからといって、わたしたちは罪を犯すべきであろうか。断じてそうではない。あなたがたは知らないのか。あなたがた自身が、だれかの僕になって服従するその者の僕であって、死に至る罪の僕ともなり、あるいは、義にいたる従順の僕ともなるのである。』 ヤコブ、'''1:27『父なる神のみまえに清く汚れのない信心とは、困っている孤児や、やもめを見舞い、自らは世の汚れに染まずに、身を清く保つことにほかならない。』 ロマ、13:14『あなたがたは、主イエス・キリストを着なさい。肉の欲を満たすことに心を向けてはならない。』この世の友はこの世と共に滅ぼされる結果となる [:今のエホバの証人の教えでもあるが、何時も同じことを言われるので割愛:よく知っていると思うと!!]世の考え方と行いは過ぎ去る コリント前、7:31、イザヤ、65:17、ヨハネ第一、2:17,

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 コロサイ、2:20,エペソ、2:-3イエスの歩んだ道は、この世に有罪のさばきをもたらした ヨハネ、12:31『今はこの世のさばかれる時である。今こそこの世の君は追い出されるであろう。』 ヨハネ、16:11『この世の君がさばかれるからである。』

………

神の霊は、クリスチャンをしてこの世の中で神に忠節を保たしめる ヨハネ、14:17;16:8『それは真理の御霊である。この世はそれを見ようともせず、知ろうともしないので、それを受けることができない。あなたがたはそれを知っている。なぜなら、それはあなたがたと共におり、またあなたがたのうちにいるからである。』『それがきたら、罪と義とさばきとについて、世の人の目を開くであろう。』クリスチャンは世に住むすべての者を愛し、親切にし、友好的でなければならない ガラテヤ、6:10『だから、機会のあるごとに、誰に対しても、とくに信仰の仲間に対して、善を行おうではないか。』 ルカ、6:27-36『しかし、聞いているあなたがたに言う。敵を愛し、憎む者に親切にせよ。のろう者

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を祝福し、はずかしめる者のために祈れ。……あなたがたの望むことを、人々にもそのとおりにせよ。自分を愛してくれる者を愛したからとて、どれほどの手柄になろうか。罪人でさえ、自分を愛してくれる者を愛している。自分によくしてくれる者によくしたからとて、どれほどの手柄になろうか。罪人でさえそれくらいの事はしている。……しかし、あなたがたは敵を愛し、人によくしてやり、また何も当てにしないで貸してやれ。そうすれば受ける報いは大きく、あなたがたはいと高き者の子となるであろう。いと高き者は、恩を知らぬ者にも悪人にも、なさけ深いからである。あなたがたの父なる神が慈悲深いように、あなたがたも慈悲深い者となれ。』 コリント前、9:22,23『弱い人には弱い者になった。弱い人を得るためである。すべての人に対しては、すべての人のようになった。何とかして幾人かを救うためである。福音のために、わたしはどんな事でもする。わたしも共に福音にあずかるためである。』 ヘブル、12:14『すべての人と相和し、また自らきよくなるように努めなさい。きよくならなければ、だれも主を見ることはできない。』 ロマ、12:18ー21『あなたがたは、できる限りすべての人と平和に過ごしなさい。愛する者たちよ、自分で復讐しないで、むしろ、神の怒りに任せなさい。なぜなら、「主が言われる。復讐はわたしのすることである。わたし自身が報復する」と書いてあるからである。むしろ、「もしあなたの敵が飢えるなら、彼に食らわせ、かわくなら、彼に飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃えさかる炭火を積むことになるのである」。悪に負けてはいけない。かえって、善をもって悪に勝ちなさい。』

………

 クリスチャンはこの世の存続を祈らない。しかし支配者たちが御国の業に対して正当な態度をとるように祈る ヨハネ、17:9『わたしは彼らの為にお願いします。わたしがお願いするのは、この世のためにではな

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く、あなたがわたしに賜ったものたちのためです。』 テモテ前、2:1,2『そこで、まず第一に勧める。すべての人のために、願いと、祈りと、とりなしと、感謝とをささげなさい。それはわたしたちが、安らかで静かな一生を、真に信心深くまた謹厳に過ごすためである。』法廷は弁護のため訴える正当な場所として尊敬される 使行、24:10;26:2,25クリスチャンは世とある関係を持たねばならない(証言、世俗の仕事) ヨハネ、17:15 コリント前、5:9-11 マタイ、28:19,20クリスチャンは金もうけを御国のわざの妨げにしない ヤコブ、4:13,14 テモテ前、6:10 マタイ、6:19ー21,25ー34 

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伝道、7:12 シンゲン1:19 シンゲン15:27クリスチャンの良心は生まれつきのものではなく、神の言葉によって訓練されなければならない ヱレミヤ、17:9 テトス、1:5 テモテ前、1:13 ロマ、10:2,3 ヨハネ、8:31,32 テモテ後、3:16,17 テモテ前、4:2良心に背くことは神の恵みを失うことを意味する 使行、24:16 テモテ前、1:19 クリスチャンは他の人の良心を尊ぶ コリント前、8:17[7??]ー12 

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 コリント前、10:27-29クリスチャンは大使として諸国の中に立つコリント後、5:20 エペソ、6:19,20 ピリピ、3:20 クリスチャンは局外中立であって、世の闘争や計画や政治に干渉しない テモテ後、2:3,4 ヨハネ、18:36 テモテ前、5:22 コリント前、14:8イスラエルの国民に対する神の律法は奉仕者たちを免除した   民数、1:47ー54『但(ただ)しレビの支派(わかれ)の人はその父祖にしたがひて核数(かぞへ)らるること無かりき………汝レビ人をして律法(おきて)と幕屋とその諸の器物とそれに属する…管理(つかさど)らしむべし彼等ははその幕屋とその…運搬(もちはこ)ぶことを為し………イスラエルの子孫(ひとびと)はその軍旅(ぐんりょ)に循(したが)ひて各々自己の營(えい)にその天幕を張り………然どレビ人は律法(おきて)の幕屋の四圍(まわり)に營を張るべし是イスラエルの子孫(ひとびと)の全会衆の上に震怒(いかり)のおよぶことなからん爲なりレビ人は律法の幕屋をあづかり守るべし………』 クリスチャンは宣教のわざに固執することを要求されている マタイ、6:33 マタイ、6:24 

[147]

マタイ、15:24 ルカ、4:43 マタイ、10:5,6 マタイ、28:19クリスチャンは拘束されずに、神の命じられた方法で真理を語らねばならない コリント後、4:2 使行、4:18-20 出エジプト、8:25,26 出エジプト、10:8ー26クリスチャンは一人の人のように、一緒に働かねばならない

 ピリピ、1:27,28

 また『エホバの証者』、『カイザルのものはカイザルへ』を見よ。

………

[158]…………

いやし定義 霊的または肉体的病人を良い健康に回復させること。それはヱホバ神によって、キリスト以前のある人々、および初期の会衆のある者たちに与えられた聖霊の特別な賜物であって、その賜物を受けたものたちは肉体的な病気の奇跡的ないやしを行い、死人をよみがえらせることさえできました。それは神の力のしるしとして、多くは会衆外の人々に対して行なわれました。西暦33年のペンテコステの時およびそれ以後与えられたすべての聖霊の特別な賜物と同様に、それはキリストによって十二使徒を通して、すなわち使徒のいるその場で授けられました。使徒たちが死ぬ時にこの特別な賜物を他のものへ譲り渡すことは不可能でした。それゆえこの賜物はもはやありません。エホバ神は病気を起させ、またいやす力を持たれる 申命、28:27,35『ヱホバまたエジプトのはれもの………をもて汝を撃ち給はん汝はこれより癒えることあらじヱホバ汝の膝(ひざ)と脛(すね)とに悪しくして癒えざるはれものを生ぜしめてつひに足の裏より頭の頂にまでおよぼし給はん』 出エジプト、15:23ー26『彼ら遂にメラに至りしがメラの水苦くして飲むこと得ざりき……モーセ ヱホバに呼ばはりしにヱホバこれに一本の木を示したまいたればすなわちこれを水に投げ入れしに水甘くなれり……ヱホバ……言いたまはく汝もし善く汝の神ヱホバの聲(こえ)に聽(き)きしたがひヱホバの目に善しと見ることをなしその

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いましめに耳を傾けそのすべてののりを守らば我わがエジプト人に加へしところのその疾病(しっぺい)を一つも汝に加へざるべしそは我はヱホバにして汝をいやすものなればなりと』その力はキリスト・イエスの初臨のとき、いやすために彼に与えられた マタイ、9:35『イエスは、すべての町々村々を巡り歩いて、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、あらゆる病気、あらゆるわずらいをおいやしになった。』 使行、10:38『神はナザレのイエスに聖霊と力とを注がれました。このイエスは、神が共におられるので、よい働きをしながら、また悪魔に押さえつけられている人々をことごとくいやしながら、巡回されました。』 マタイ、11:5『盲人は見え、足なえは歩き、らい病人は清まり、耳しいは聞え、死人は生き返り、貧しい人々は福音を聞かされている。』

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 いやしの目的はその賜物を持つ者が親しい者たちをいやすためではない ピリピ、2:25ー30『彼は実に、ひん死の病気にかかったが、神は彼をあわれんで下さった。彼ばかりでなくわたしもあわれんで下さったので、わたしは悲しみに悲しみを重ねないですんだのである。………彼は、わたしに対してあなたがたが奉仕のできなかった分を補おうとして、キリストのわざのために命をかけ、死ぬばかりになったのである。』

       いやしの力はその賜物を持つ者自身に使用されなかった

 ルカ、4:23,24『そこで彼らに言われた、「あなた方はきっと『医者よ、自分自身をいやせ』ということわざを引いてカペナウムで行われたと聞いていた事を、あなたの郷里のこの地でもしてくれ、と言うであろう」。それから言われた、「よく言っておく。預言者は、自分の郷里では歓迎されないものである。」』イエスは疲労を回復するのに自然の手段を用いられた ヨハネ、4:6『イエスは旅の疲れを覚えて、そのまま、この井戸のそばにすわっておられた。』 マルコ、4:38『イエス自身は、舳(とも)の方でまくらをして、眠っておられた。』 ルカ、8:23『渡って行く間に、イエスは眠ってしまわれた。』 マルコ、6:30ー33『さて使徒たちはイエスのもとに集まってきて、自分たちがしたことや教えたことをみな報告した。するとイエスは彼らに言われた、「さあ、あなたがたは人を避けて寂しい所へ行って、しばらく休むがよい」。それは、出入りする人が多くて、食事する暇もなかったからである。そこで彼らは人を避け、舟に乗って寂しい所へ行った。ところが、多くの人々は彼らが出かけて行くのを見、それと気づいて、方々の町々からそこへ、一せいに駆けつけ、彼らより先に着いた。』エリシャは偉大ないやしの力を持っていたが、彼は病気で死んだ 列王下、4:32ー35『エリシャここに於いて家に入りて視るに子は死にて

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……子……目を開く』 列王下、5:9,10,14『ここにおいてナアマンその馬と車とを…ヨルダンに七たび洗へさらば汝の肉もとにかへりて汝は淸くなるべしと……神の人の言のごとくに七たびヨルダンに身を洗ひしにその肉もとにかへりてをさなごの肉の如くなりて淸くなりぬ』 列王下、13:14,20,21『[:現行新世界訳:14 エリシャについていえば、彼は病気を患い、そのために死にそうになっていた。]エリシャ終(つい)に死にたれば葬りしが年のたちかへるに及びてモアブの賊黨國(ぞくとうくに)にいり來たれり……その人をエリシャの墓におしいれけるにその人いりて…骨にふるるや生きかへりて起(た)ち上がれり』パウロの有していたいやしの賜物は彼自身をいやすことができなかった コリント後、12:7ー9『そこで、高慢にならないように、わたしの肉体に一つのとげが与えられた。それは、高慢にならないように、わたしを打つサタンの使いなのである。このことについて、わたしは彼を離れ去らせて下さるようにと、三度も主に祈った。ところが主が言われた、「私の恵みは、あなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあられる。」』自然にいやす方法は、賜物が存在していた時でさえ用いられていた テモテ前、5:23『これからは、水ばかりを飲まないで、胃のため、また、たびたびのいたみを和らげるために、少量のぶどう酒を用いなさい。』 コロサイ、4:14『愛する医者ルカ……が、あなたがたによろしく。』返礼を受けたり、金銭を徴収したりすることは、神癒を行なった者たちに許されなかった 列王下、5:15ー27『かれすなはちその従者とともに神の人の許にかへり来てその前に立ちていふわれ今イスラエルのほかは全地に神なしと知るされば請ふ僕より禮物(れいもつ)を受けよエリシャいひけるはわがつかふまつるエホバは活くあへて禮物をうけじとかれ強(しい)て之を受けしめんとしたれども遂に之を辭(じ)したり……ゲハジいひけるは我が主人このスリア人ナアマンをいたわりて彼が手に携えきたれるものを受けざりしが……われかれのあとを追いかけて彼より少しく物をとらんと……エリシャこれにいひけるは……今は金をうけ衣をうけかんらん園(ばたけ)葡萄園(ぶどうばたけ)羊牛僕(しもべ)婢(しもめ)をうくべき時ならんやさればナアマンの癩病(らいびょう)はなんじにつき汝の子孫に及びて限りなからんと……』 マタイ、10:8『病人をいやし、死人をよみがえらせ、らい病人をきよめ、悪霊を追い出せ。ただで受けたのだから、ただで与えるがよい。』第五の賜物である神癒は今日神の真の制度の証拠ではない。かえって愛と宣教の賜物こそ証拠である コリント前、12:28『そして、神

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は教会の中で、人々を立てて、第一使徒、第二に預言者、第三に教師とし、次に力あるわざを行なう者、次にいやしの賜物をもつ者……』 コリント前、14:1『愛を追い求めなさい。また、霊の賜物を、ことに預言することを、熱心に求めなさい。』 使行、2:17,18『神がこう仰せになる。終わりの時には、わたしの霊をすべての人に注ごう。そして、あなたがたのむすこ娘は預言をし、若者たちは幻を見、老人たちは夢を見るであろう。その時には、わたしの男女の僕たちにもわたしの霊を注ごう。そして彼らも預言をするであろう。』 コリント前、13:12『たといまた、わたしに預言する力があり、あらゆる奥義とあらゆる知識とに通じていても、また、山を移すほどの強い信仰があっても、もし愛がなければ、わたしは無に等しい。』

     特別な賜物は使徒たちの死後過ぎ去ってしまったので、肉体的の神癒は今日行われていない

 コリント前、13:8ー12『預言はすたれ、異言は止み、知識はすたれるであろう。………わたしたちが幼子であった時には、幼子らしく語り、幼子らしく感じ、また、幼子らしく考えていた。しかし、大人となった今は、幼子らしいことを捨ててしまった。わたしたちには、今は、鏡に映して見るようにおぼろげに見ている。しかしその時には、顔と顔とを合わせて、見るであろう。わたしの知るところは、今は一部分にすぎない。しかしその時には、わたしが完全に知られているように、完全に知るであろう。』

     最後に記録された奇跡的いやしは西暦59年頃に起った

 使行、28:8,9『たまたま、ポプリオの父が赤痢を患い、高熱で床について居た。そこでパウロは、その人のところにはいって行って祈り、手を彼の上においていやしてやった。このことがあってから、ほかに病気をしている島の人たちが、ぞくぞくやってきてみないやされた。』

     キリスト・イエスをとおして行われる神癒は彼の千年統治の間に完全に成し遂げられる

 イザヤ、33:24『かしこに住める者の中われ病めりといふ者なし、かしこにをる民のとがはゆるされん』 ヱレミヤ、33:6『視よわれ巻き布と良薬をこれに持ちきたりて人々をいやしやすきと真實の豐かなるをこれに示さん』 ヨハネ、8:51『よくよく言っておく。もし人がわたしの言葉を守るならば、その人はいつまでも死を見ることはないであろう。』 イザヤ、35:6『そのとき足なへは鹿のごとくにとびはしりおふしの舌はうたうたはん』 黙示、21:4,5『「人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである」。すると御座にいますかたが言われた、「見よ、わたしはすべてのものを新たにする。」』

…………

[169]…………

      地獄

      定義

 にせ宗教はこう教えます。地獄とは悪人が損失の苦痛と感覚の苦痛の二重の刑罰を受ける場所である。損失の苦痛とは罪人が神から永遠に分離されることと、天に至り得ないことは罪人自身の罪過に基づくのであるということを体得することとから成っている。感覚の苦痛とは消えぬ火の責め苦のことである。肉体そのものは苦痛を受けることができないと主張されている。苦しむのは魂である。[『魂』の項を見よ]この不合理な教理は聖書と相いれません。三つの全く異なったギリシャ語と一つのヘブル語の本来の意味を誤訳することによって、聖書の真理は混乱してしまいました。ヘブル語のショオールとギリシャ語のハーデスは本来聖書記述者によって、墓ま

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たは人類の一般の墓を表わすために用いられました。ギリシャ語のゲヘナは絶滅または目ざめることのない、無意識の、永遠の死の象徴として用いられました。ギリシャ語のタルタロスは反逆した霊者だけに適用され位を奪われて低く落とされた霊者の意識ある生存中の状態を意味します。そして彼らに死刑が執行される時には確実な絶滅が待っているのです。これらの原語は乱雑に区別なく『地獄』『地獄の火』『墓』『坑(あな)』または『死』と翻訳されて来ました。英語の『ヘル[:Hell]』(地獄)という言葉はアングロ・サクソン語のヘランから取られたものであって、文字通りの意味は『隠す』です。ゆえに死者の状態についての本来の言い表し方に順応させて、そしてその言葉自身の本来の意味に従って言えば、英語の『ヘル』の言葉は聖書的に、善悪一様の、そして苦しみも楽しみもない、無意識状態の墓、全人類の墓に適用されます。生命と不滅性についての真理をイエスが紹介した後に、ただ無意識な悪人だけがゲヘナに入れられると語られました。そしてハーデスという言葉[英語では『地獄』と翻訳されています。]は神の記憶の中にある死人、すなわちよみがえりの機会または希望のある人々に適用されています。

      起源

 死後の永遠の責め苦という偽りの概念は、背教のキリスト教に早くから持ち込まれました。そしてキリスト後第四世紀にはにせ宗教の中にしっかりした位置を占めました。それはエデンにおけるサタンの最初の虚言に基づいています。

   すべての人は神によって有罪の宣告を受けており、[個人注解:死の切断であって、地獄では無く]刑罰を受けるべき者である

 ロマ、5:12『このようなわけで、ひとりの人によって、罪がこの世にはいり、また罪によって死がはいってきたように、こうして、すべての人が罪を犯したので、死が全人類にはいり込んだのである。』 ロマ、3:23『すなわち、すべての人は罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっており………』 ロマ、6:23『罪の支払う報酬は死である。』

    地獄の真の意味は、三つの違った状態を意味する四つの原語の訳によって混乱した

 詩、16:10『そは汝は我がたましひを陰府(よみ)[:新世:シェオル:復活の希望がある]にすておきたまわず……(欽定訳では『地獄』ドーエイ訳では15:10を参照)』 使行、2:27『あなたは、わたしの魂を黄泉(よみ)[:新世:ハデス:復活の希望がある]に捨ておくことをせず………(欽定訳、ドーエイ訳では『地獄』)』 ルカ、12:5『恐るべき者がだれであるか、教えてあげよう。殺したあとで、更に地獄[:新世:ゲヘナ:最終の裁きで復活し無い絶滅:ゲヘナとはキリストの言葉の新約に於いて明らかであって、旧約時代は良く解からないことだった、ただ滅びの裁きは在るとは思っていた:しかし死は意識は無いとは思っていた。伝道9:5の有名な聖句]に投げ込む権威のあるかたを恐れなさい。(欽定訳とドーエイ訳では『地獄』)』 ペテロ後、2:4『神は罪を犯した御使いたちを許しておかないで、彼らを下界[:新世:タルタロス:もと天にいた御使いだった者の裁きの後の状態で、底知れぬ暗黒](欽定訳では『地獄』、ドーヱイ訳では『低い地獄』)におとしいれ、さばきの時まで暗やみの穴に閉じ込めておかれた。』 詩、30:3『ヱホバよ汝わが(ダビデの)たましひを陰府(よみ)[:シェオル:義人の復活を預言](欽定訳では『墓』、詩篇29:4のドーエイ訳は『地獄』)よりあげ我をながらへしめて墓にくだらせ給はざりき』 民数、16:33『すなはち彼等とか

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れらに屬(ぞく)する者はみな生きながら陰府(よみ)[:シェオル:旧約のシェオルは文語訳の地下の陰府(よみ)と言う意味:ヨブ記に於いて義人位いの復活のみが考えられており、悪しき者は滅ぼされたのかも知れない:しかし死は意識が無い。](欽定訳では『坑(あな)』ドーヱイ訳は『地獄』)に下りて地その上に閉じふさがりぬ彼等かく會衆の中より滅(ほろぼ)されたり』

………………

[173]……………

 アダムは『永遠の苦悩』を受けるようになったのではなくて、土の塵の中の無意識の絶滅を受けるようになったのである。このように『損失の苦痛』は不可能であり、また『神からの分離』が行われたのでもない 創世、3:3ー5,17,19『されど園の中央にある樹の果實をば神汝ら之を食ふべからず又之にさはるべからず恐らくは汝等死なんと言い給へり蛇婦に言ひけるは汝等必ず死ぬることあらじ神汝らが之を食ふ日には汝等の目開け汝等神の如くになりて善悪を知るに至るを知りたまふなりと又(ヱホバは)アダムに言ひたまひけるは汝その妻の言を聽(きき)て我が汝に命じて食ふべからずと言いたる樹の果を食(くら)ひしによりて土は汝のためにのろはる……汝はかほに汗して食物を食ひつひに土に歸(帰)らんそはその中より汝は取れたればなり汝は塵なれば塵に歸(帰)るべきなりと』 創世、5:5『アダムの生きながらえたるよはひはすべて九百三十歳なりきしかして死ねり』 ロマ、6:23『罪の支払う報酬は死である。』 詩、6:5『そは死にありては汝をおもひいづることなし陰府(よみ)(欽定訳は『墓』、ドーヱイ訳は詩篇6:6で『地獄』)にありては誰か汝に感謝せん』 伝道、9:5,10『生きている者はその死なんことを知るされど死ぬる者は何事も知らずまた報いをうくることもかさねてあらずその憶えらるる事も遂に忘れらるるに至る汝のゆかんところの陰府(よみ)(欽定訳では『墓』、ドーヱイ訳では『地獄』)にはわざも計謀(はかりごと)も知識も智恵もあることなければなり』      イエス以前のすべての者は無意識の同じ場所に行くと語られた 伝道、3:19ー21『世の人にのぞむところの事はまた獣にものぞむこの二つにのぞむところの事はひとつにして是も死ねば彼も死ぬるなり皆ひとつの呼吸に依れり人は獣にまさるところなし皆空なり皆ひとつの所

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にゆく皆塵より出で皆塵にかへるなり誰か人の魂の上に昇り獣の魂の地に下ることを知らん』 詩、31:17『ヱホバよ、われに恥を負はしめ給ふなかれ、そは我なんじをよべばなり、願わくは悪しき者に恥を受けしめ陰府(よみ)(欽定訳では『墓』詩篇30:18のドーエイ訳では『地獄』)にありて口をつぐましめ給へ』 詩、49:14『かれらは羊のむれのごとくに陰府(よみ)(欽定訳で『墓』詩篇48:15のドーヱイ訳は『地獄』)のものと定めらる、死これが牧者とならん直きもの朝に彼らををさめん、そのうるはしきは陰府(よみ)(欽定訳は『墓』ドーヱイ訳では『地獄』)にほろぼされて宿るところなかるべし』 詩、141:7『人つちをたがへしうがつがごとく我らのほねは墓(欽定訳では『墓』ドーヱイ訳では『地獄』)の口にちらさる』

     善人も悪人も同様に地獄へ行く

 ヨナ、2:2『われなやみの中よりヱホバを呼びしに彼われにこたへたまへりわれ陰府(よみ)(欽定訳、ドーヱイ訳では『地獄』)の腹の中よりよばはりしに汝わが聲(こえ)をききたまへり』 ヨブ、14:13『願わくは汝われを陰府(よみ)(欽定訳で『墓』、ドーヱイ訳で『地獄』)にかくし、汝のいかりのやむまで我をおほひ我のためにときを定めしかして我をおもひ給へ』 詩、139:8『われ天にのぼるとも汝かしこにいまし、われわがとこを陰府(よみ)(欽定訳と詩篇138:8のドーヱイ訳は『地獄』)にもうくるとも視よなんじかしこにいます』 詩、16:10『そは汝わがたましひを陰府(よみ)(欽定訳と詩篇15:10のドーヱイ訳は『地獄』)にすておきたまはず、なんじの聖者を墓の中に朽ちしめ給はざるべければなり』

………

      ある者は救い出されたゆえに、地獄にいる人々に希望が差しのべられている[:普通に陰府(よみ)とはシェオル:ハデスであると??!]

 使行、2:31,32『キリストの復活をあらかじめ知って、「彼は黄泉(よみ)(ギ語:ハデス:欽定訳、ドーヱイ訳は『地獄』)に捨ておかれることがなく、またその肉体が朽ち果てることもない」と語ったのである。このイエスを、神はよみがえらされた。』 サムエル前、2:6『ヱホバは殺しまた生かし給ひ陰府(よみ)(へ語:シェオル:欽定訳は『墓』、ドーヱイ訳は『地獄』)に下しまたのぼらしめ給ふ』 詩、86:13『そは汝のあはれみはわれに大なり、わがたましひを陰府(よみ)(欽定訳は『いと低き地獄』、ドーヱイ訳は詩篇83:13で『ひくい地獄』)のふかき處(ところ)よりたすけいだし給へり』 シンゲン15:24『さときひとの途は生命の路にして上へ昇りゆく、

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これ下にあるところの陰府(よみ)(欽定訳は『地獄』、ドーヱイ訳は『いちばん低い地獄』)を離れんが為なり』[ :『命の道筋は洞察力をもって行動する者にとっては上に向かう。下のシェオルから遠ざかるためである』。:新世訳現行訳。申命記28:13「かしら」なのは律法を守っている者の誉れ、,43罪を犯している者は、「下へ下へとくだって行く」のは律法違反の罪のため……隣人が上へ行くように見えるのは自身の罪が思い知らされるため!!] 黙示、20:13『死も黄泉(よみ)(ギ語:ハデス:欽定訳とドーヱイ訳は『地獄』)もその中にいる死人を出し。』

…………

     地獄[:ハデスの地獄であって:ゲヘナ(絶滅)は無くならない!!]は滅亡を意味する『火の池[:全き絶滅]』に投げ込まれることによって最終的に滅ぼされる

 黙示、20:14『それから、死も黄泉(よみ)(ギ語:ハデス:欽定訳、ドーエイ訳『地獄』)も火の池に投げ込まれた。この火の池が第二の死を意味する。』 ホセア、13:14『我かれらを陰府(よみ)(へ語:シェオル:欽定訳は『墓』、ドーエイ訳は『死』)の手よりあがなはん我かれらを死よりあがなはん死よなんじのなやみはいづくにあるか陰府(よみ)(欽定訳は『墓』、ドーエイ訳は『地獄』)よ汝の災いはいづくにあるか』

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…………

     忠信なクリスチャンでさえ、キリストが再臨するまで眠っていなければならない

 テサロニケ前、4:15,16『生きながらえて主の来臨の時まで残るわたしたちが、眠った人々より先になることは、決してないであろう。すなわち、主御自身が………天から下ってこられる。その時キリストにあって死んだ人々が、まず最初によみがえる。』 テモテ後、4:7『わたしは戦いをりっぱに戦いぬき走るべき行程を走りつくし、信仰を守りとおした。今や義の冠がわたしを待っているばかりである。かの日には公平な

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審判者である主が、それを授けて下さるであろう。私ばかりではなく、主の出現を心から待ち望んでいたすべての人にも授けて下さるであろう。』

…………

[178]…………

     意識ある永遠の責め苦は聖書に記されていない。しかし、永遠の滅亡はしるされている。それはゲヘナと『火の池』によって象徴されている

 マタイ、23:33『へびよ、まむしらの子らよ、どうして地獄[:新世:ゲヘナ](欽定訳、ドーヱイ訳では『地獄』)の刑罰をのがれることができようか。』 マタイ、10:28『またからだを殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、からだも魂も地獄[:新世:ゲヘナ](欽定訳とドーエイ訳では『地獄』)で滅ぼす力のあるかたを恐れなさい。』 ヱレミヤ、19:12,13『ヱホバいひ給ふ我この處(ところ)とこの中に住める者とにかくなしこの邑(まち)をトペテの如くすべし……いへはトペテの處(ところ)の如く』 ヱレミヤ、7:32,33『ヱホバいひ給ふされば視よここをトペテ又はベンヒンノムの谷と稱(とな)えずしてほふりの谷と稱(とな)ふる日來たらん、そは葬るべきところなきまでにトペテに葬るべければなりこの民の屍(しかばね)はそらの鳥と地の獣の食物とならんこれを追ふ者なかるべし』[:死んでいる時は無意識] オバデヤ、16『汝等のわがきよき山にてのみしごとく萬國の民もつねにのまんとすなはちみな飲みかつすすりてはじめよりあらざりし者のごとくならん』

    『火』は滅亡の象徴であって、『永遠』とは回復の可能性のないことを示している

 黙示、17:11『今はいないという

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獣は………ついには滅びに至るものである。』 黙示、20:11『彼らを惑わした悪魔は、火と硫黄との池に投げ込まれた。そこには、獣もにせ預言者もいて、彼らは世々限りなく日夜、苦しめられる[:バサノス、ギリシャ語、牢番、拘束される、死(無)に拘束される、との意]のである。』 エゼキエル、28:13ー15,18,19『汝神の園エデンにありき………汝はあぶらそそがれしケルブにしておほふことをなせり我汝をかくなせしなり汝神のきよき山にあり………汝の中に悪の見ゆるにいたるまではその行い全かりき………我汝の中より火を出して汝を焼きすべて汝を見るものの目の前にて汝を地に灰となさん………限りなくうせ果てん』 マタイ、3:10ー12『斧がすでに木の根もとに置かれている。だから良い実を結ばない木はことごとく切られて、火の中に投げ込まれるのだ………わたしのあとから来る人は………聖霊と火とによっておまえたちにバプテスマをお授けになるであろう。また、みを手に持って、打ち場の麦をふるい分け、麦は倉に納め、からは消えない火で焼き捨てるであろう。』 創世、19:24ー29『ヱホバ硫黄と火をヱホバの所よりすなはち天よりソドムとゴモラにふらしめ………おもてを望み見るにその地の煙かまの煙の如くにたち上れり神くぼちの邑(まち)を滅ぼし給ふ』 ユダ、7『ソドム、ゴモラも、まわりの町も、……永遠の火の刑罰をうけ、人々の見せしめにされている。』 ペテロ後、2:6『またソドムとゴモラの町々も灰に帰せしめて破滅に処し、不信仰に走ろうとする人々の見せしめとし』 ルカ、7:29,30『ロトがソドムから出て行った日に、天から火と硫黄とが降って来て、彼らをことごとく滅ぼした。人の子が現われる日も、ちょうどそれと同様であろう。』

[180]………

     イエスの肉体は腐敗しなかったのでイエスは底知れぬ所(またショオール、ハーデス)に居た

 使行、2:24ー27『神はこのイエスを死の苦しみから解き放って、よみがえらされたのである。イエスが死に支配されているはずはなかったからである。ダビデはイエスについてこう言っている。「……あなたは、わたしの魂を黄泉(よみ[:ギ語:ハデス])(欽定訳、ドーエイ訳では『地獄』)に捨ておくことをせず、あなたの聖者が朽ち果てるのを、お許しにならないであろう。」』 ロマ、10:6,7『しかし信仰による義は、こう言っている、………「だれが底知れぬ所に下るであろうかと言うな」。それは、キリストを死人の中から引き上げることである。』

………

     タータロス[:タルタロス:英文新世界訳:TARTARUS]は反逆した天使たちの低く落とされた状態の象徴

 ペテロ後、2:4「神は、罪を犯した御使いたちを許しておかれないで、彼らを下界[:新世:Tartarus:タルタロス]におとしいれ、さばきの日までくらやみの穴に閉じ込めておかれた。』神に従わせるための永遠の苦しみは神のにくむもの[:地獄の不滅の魂を罰し給う神観念は神を侮辱している:絶滅は神を聖なる者とする?!聖絶説?!:煉獄さえもそういう罰したもう神は存在しない?!] ヨハネ第一、4:8,9「愛さない者は、神を知らない。神は愛である。神はそのひとりごを世につかわし、彼によってわたしたちを生きるようにしてくださった。それによって、わたしたちに対する神の愛が明らかにされたのである。』 エゼキエル、33:11「汝彼らに言うべし主ヱホバ言たもふ我は活く我惡人の死(しぬ)るをよろこばず惡人のその途を離れて生きるをよろこぶなり汝らひるがへりてその惡しき道を離れよイスラエルの家よ汝等なんぞ死ぬべけんや』 ヱレミヤ、7:31「またベンヒンノムの谷においてトペテのたかきところをきずきてそのむすこむすめを火に焼かんとせり、我これを命ぜずまたかかることを思はざりし』

[205]…………

ヱホバ定義 その独特の御名で識別される宇宙の最高の御方。偉大な神権者。目的を成し遂げる方、真の生ける神、宇宙の創造主で最高主権者。三位一体の神ではありません。その偽りの教理はヱホバの全能の主権を否定するものです。ヘブル語の神の御名יהוה[右から読む、翻字してY(J)HW(V)H]を翻訳したものです。

[206]

御名 出エジプト、6:3『我全能の神といひてアブラハム イサク ヤコブにあらはれたりされど我が名のヱホバの事は彼等知らざりき』 詩、83:18『さればかれらはヱホバてふ御名をもち給ふ汝のみ全地をしろしめす至高者なることを知るべし』 イザヤ、42:8『われはヱホバなりこれわが名なり、我はわが榮光をほかの者に與(あた)えず、わがほまれを偶像に與へざるなり』主要な属性愛 ヨハネ第一、4:8『神は愛である。』知恵 ヨブ、12:23『ちゑ(知恵)と權能は神にあり』 ロマ、11:33『ああ深いかな、神の知恵と知識の富。』公正 詩、97:2『義と公平とはそのみくらのもとゐなり』力 詩、62:11『力は神にあり』 ヨブ、37:23『全能者は………ちからのおほいなる者にいまし』幸福な神 テモテ前、1:11『祝福に満ちた神の栄光の福音が示す』存在の始めもなく、また終わりもない 詩、90:2『永遠よりとこしへまでなんぢは神なり』 詩、93:2『なんぢのみくらはいにしへよりかたくたちぬ、汝はとこしへよりいませり』 テモテ前、1:17『世々の支配者、不朽にして見えざる唯一の神に世々限りなく、ほまれと榮光とがあるように』 ヱレミヤ、10:10『ヱホバは眞の神なり彼は生ける神なり永遠の王なり』 ヨブ、36:26『神は大なる者にいまして我等かれを知りたてまつらず、その御年の数も計り知るべからず』唯ひとりのお方である ヨハネ、8:17,18『あなたがたの律法には、二人による証言は真実だと書いてある。わたし自身のことをあかしするのは、わたしであるし、わたしをつかわされた父も、わたしのことをあかしして下さるのである。』 ヘブル、10:38『わが義人は、信仰によって生きる。もし信仰を捨てる[:もししりごみする:新世:信仰を放棄する?!見棄てる?!『論じる』から~~]なら、わたしのたましいはこれをよろこばない。』 申命、6:4『イスラエルよ聽け、我らの神ヱホバは唯一のヱホバなり』見る聞く等の性質を有する朽ちない体をもつ

 

 イザヤ、45:9『泥くれはすゑものつくりにむかひて汝なにを作るかといふべけんや、叉汝のつくりたる者汝を手なしといふべけんや』 詩、94:9『耳を植うる者きくことをせざらんや目をつくれるもの見ることをせざらんや』 コリント前、15:44『肉のからだがあるのだから、霊のからだがあるわけである』 歴代下、16:4『ヱホバは全世界をあまねく見そなわし己に向かひて心を全うするもののために力をあらわしたまふ』 テモテ前、'''1:17'『世々の支配者、不朽にして見えざる唯一の神のほまれと栄光とがありますように、アァメン。』宇宙の最高主権者 使行、4:24『天と地と海とその中のすべてのものとの造り主なる主

[207]

よ。』 ペテロ前、5:11『どうか、力が世々限りなく、神にあるように』 コリント前、15:28『そして万物が神に従う時には、御子自身もまた、万物を従わせたそのかたに従がうであろう。それは、神がすべての者にあって、すべてのとなられるためである』 イザヤ、33:22『ヱホバはわれらをさばきたまふもの、ヱホバはわれらに律法をたてたまひし者、ヱホバは我らの王にましまして我らをすくひたまふべければなり[:人間の政府では所謂(いわゆる)、三権分立の統合たる主権者で、天の王国によって救って下さると!!]』人間の目で見ることは不可能 ヨハネ第一、4:12『神を見た者はまだだれひとりいない。』 出エジプト、33:20『また言たまはく汝はわが面を見ること能はず我を見て生る人あらざればなり』 ヨハネ第一、3:2,3『愛する者たちよ。私たちは今や神の子である。しかし、わたしたちがどうなるのか。まだ明らかではない。彼が現われる時、わたしたちは、自分たちが彼に似るものとなることを知っている。そのまことの御姿を見るからである。』 テモテ前、1:17『世々の支配者、不朽にして見えざる唯一の神に………ほまれと栄光とがあるように』御使いや幻像によってその存在を表明す イザヤ、6:5『このときわれいへり、わざはいなるかな我ほろびなん我はけがれたる唇の民の中に住みてけがれたるくちびるの者なるにわが眼ばんぐんのヱホバにまします王を見まつればなり』 出エジプト、33:11,22,23『ヱホバ モーセと面を合わせてものいひたまふ………わが榮光其處を通る時にわれなんぢを岩の穴にいれ我が過ぎる時にわが手をもて汝をおほはん しかしてわが手をのくる時に汝わが背後を見るべしわが面は見るべきにあらず』 出エジプト、24:10,11『イスラエルの神を見るにその足の下にはすきとほれる青玉をもて作れるごとき物ありて輝ける天空にさも似たり神はイスラエルのこの頭たちにその手をかけたまはざりき彼等は神を見また食飲をなせり』 イザヤ、63:9『かれらのなやみのときはヱホバもなやみ給ひて、そのみ前の使いをもて彼らをすくひ、その愛とそのあわれみとによりて彼らをあがなひ彼等をもたげ、いにしへの日つねに彼らをいだき給へり』 ガラテヤ、3:19『それでは、律法はなんであるか。それは違反を促すため、あとから加えられたのであって、約束されていた子孫が来るまで存続するだけのものであり、かつ、天使たちを通し、仲介者の手によって制定されたものにすぎない。』 ヘブル、2:2『御使いたちを通して語られた御言が効力を持ち、あらゆる罪過と不従順とに対して正当な報いが加えられたとすれば』 ダニエル、7:7,9,13『我夜の異象の中に見しに………日の老いたる者座を占めたりしがその衣は雪の如くに白くその髪の毛はさらし潔(きよ)めたる羊の毛のごとし叉そのくらゐは火の焔にしてその車輪は燃える火なり我また夜の異象の中にみてありけるに人の子の如き者雲に乗りて来たり日の老いたる者のもとに到りたれば』 黙示、4:2,3『見よ、御座が天に設けられており、その御座に在すかたがあった。その座にいますかたは、碧玉(へきぎょく)や赤めのうのように見え、また、御座のまわりには、緑玉のように見えるにじが現れていた。』

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神の像を作ったり、何者とも比べることは不可能 イザヤ、40:18,25『さればなんぢら誰をもて神にくらべ、いかなる肖像をもて神にたぐふか聖者言ひたまはく、さらばなんぢら誰をもて我にくらべ我にたぐふか』 申命、4:15『ホレブにおいてヱホバ火の中より汝らにものいひたまひし日には汝等何の像をもみざリしなりされば汝ら深く自らつつしみ道をあやまりておのれのために偶像をきざむなかれ』 民数、4:5,6『すなはち營を進む時はアロンとその子等まずゆきへだての幕を取りおろしにこれをもて律法のはこをおほひその上にまみの皮のおほひをほどこしまたその上に總靑(そうせい)の布を打ちかけそのさをを差いるべし』御自身の創造についてすべてのことを知っておられる ヘブル、4:13『神のみまえには、あわらでない被造物はひとつもなく、すべてのものは、神の目には裸であり、あらわにされているのである。この神に対してわたしたちは言い開きをしなくてはならない』 ロマ、14:12『わたしたちひとりひとりは、神に対して自分の言い開きをしなくてはならない。』自由の子たちの神であり、唯一の解放者である コリント後、3:17『主は霊である、そして、主の霊のあるところには、自由がある。』 ヨハネ、8:31,38『イエスは自分を信じたユダヤ人たちに言われた、「もしわたしの言葉のうちにとどまっておるなら、あなたがたは、ほんとうにわたしの弟子なのである。また真理を知るであろう。そして真理は、あなたがたに自由を得させるであろう………わたしはわたしの父のもとで見たことを語っている。」』 ロマ、8:21「かつ、被造物自身にも滅びのなわめから解放されて、神の子たちの栄光に入る望みが残されているからである。』 ヤコブ、1:25『完全な自由の律法を一心に見つめてたゆまない人は………祝福される。』 イザヤ、58:6『わが悦(よろこ)ぶところの斷食は、惡の繩をほどきくびきのつなをとき、しへたげらるる者を放ちさらしめ、すべてのくびきを折るなどのことにあらずや。』 イザヤ、61:1-3『主ヱホバの霊われにのぞめりこはヱホバわれにあぶらをそそぎて………我をつかはして………とらはれびとにゆるしをつげいましめられたるものに解放をつげ』 またルカ、4:18を見よ。 イザヤ、49:9『われいましめられたる者にいでよといひ』 イザヤ、42:7『めしひの目を開きとらはれびとを獄よりいだし、暗きに住めるものををりの中より出さしめん』従順は神の制度の支配的原則 ロマ、13:1『すべての人は、上に立つ権威に従うべきである。なぜなら、神によらない権威はなく、おおよそ存在している権威は、すべて神によって立てられたものだからである。』 使行、3:23『彼に聴き従わない者は、みな民の中から滅ぼし去られるであろう。』 サムエル前、15:22,23『ヱホバはその言にしたがふ事をよみしたまふごとく燔祭と犧牲をよみしたまふやそれしたがふ事は犧牲にまさり聽くことは牡牛のあぶらにまさるなりそはそむくことは魔術の罪のごとく

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さからふことはむなしき物につかふる如く偶像につかふるがごとし』 使行、5:29『ペテロをはじめ使徒たちは言った、「人間に従うよりは神に従うべきである。」』[:神の至上命令と人間の俗権の命令が違う場合はより至高者の神の命令に従順に成るのは優先されなければならない。例えば俗権が信仰放棄をせよと言う命令(例えばナチスドイツとか共産主義の北の王とか??)には拒絶しなければならない:エゼキエル,3:8,9も見よ!父母の制限には(時には崇拝も直接には関係し無いが)服さなければならない。] テサロニケ後、1:8『その時、主(イエス)は神を認めない者たちや、わたしたちの主イエスの福音に聴き従わない者たちに報復し』 ペテロ前、4:17,18『神の福音に従わない人々の行く末は、どんなであろうか。また義人でさえ、かろうじて救われるのだとすれば、不信なる者や罪人は、どうなるであろうか。』神は創造物から利益を得ない 使行、17:24,25『この世界と、その中にある万物とを作った神は、天地の主であるのだから、手で造った宮などにはお住みにならない。また、何かの不足でもしているかのように、人の手によって仕えられる必要もない。神はすべての人々に命と息と万物とを与え』 ヨブ、41:11『誰か先に我に與(あた)へしところありて我をしてこれに報ひしめんとするものあらん普天(ふてん)の下にある者はことごとく我のものなり』 イザヤ、40:15ー17『視よもろもろの國民は桶(おけ)のひとしづくはかりのちりのごとくに思ひたまふ………レバノンはたきぎにたらず、その中の獣は燔祭にたらず、ヱホバの前にはもろもろの國民みななきにひとし、ヱホバは彼らを無き者のごとく思ひたまふ』 ロマ、11:35『また、だれが、まず主に与えて、その報いを受けるであろうか。』ヱホバを知り、賛美することによって生命を得る ヨハネ、17:3『永遠の命とは、唯一の、まことの神でいますあなたと、また、あなたがつかわされたイエス・キリストとを知ることであります。』 ロマ、6:23『罪の支払う報酬は死である。しかし神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスにおける永遠のいのちである。』 ヨハネ、6:57,63『わたしが父によって生きているように………わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、また命である。』 ピリピ、2:10,11『それは、イエスの御名によって、天上のもの、地上のもの、地下のものなど、あらゆるものがひざをかがめ、また、あらゆる舌が、イエス・キリストは主であると告白して、栄光を父なる神に帰する為である。』 また詩篇148篇を見よ。常に道理に合っていて、偽らない イザヤ、1:18『ヱホバいひたまはく、いざわれらともにあげつらはん』 ヤコブ、3:17『しかし上からの知恵は、第一に清く、次に平和、寛容、温順であり、あわれみと良い実とに満ち、かたより見ず、偽りがない。』

[:現行新世界訳:「しかし、上からの知恵はまず第一に貞潔であり、ついで、平和を求め、道理にかない(:新世訳1984年版脚注:すぐに応じ)、進んで従い、憐れみと良い実とに満ち、不公平な差別をせず、偽善的でありません」。注:言葉の迫力の点で優れていると思うと??!意味不能の点が無い??!]

 ヘブル、6:18『それは、偽ることのありえない神』 テトス、1:2『偽りのない神……』偏在しているものではなく、その力は至る所におよんでいる マタイ、23:9,22『あなたがたの父はただひとり、すなわち、天にいます父である。また、天をさして誓う者は、神の御座と、その上にすわっておられるかたとをさして誓うのである。』 列王上、8:30「なんぢその願ひを聽き給へ汝のすみかなる天において聽き………たまへ』 ヨブ、22:12『神は天の高きにいますならずや』

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 詩、102:19『ヱホバその聖所のたかき所よりみおろし天より地を見たまへり』 詩、11:4『ヱホバはその聖宮にいます、ヱホバのみくらは天にあり』 詩、14:2『ヱホバ天より人の子をのぞみみて』 アモス、9:2『彼ら陰府(よみ)に掘りくだるとも我手をもてこれをそこよりひきいださんたとひ彼ら天によじのぼるとも我これをそこよりひきおろさん』 イザヤ、43:13『今よりわれは主なりわが手より救ひいだし得るものなし、われ行はば誰か止むることを得んや』 イザヤ、50:2,3『わが手みじかくしてあがなひえざるか、われ救ふべき力なからんや、われ黒き衣を天にきせあらたへをもておほひとなす』十分に測りきわめることはできない ロマ、11:33,34『ああ深いかな、神の知恵と知識の富は。そのさばきはきわめがたく、その道は測りがたい。「だれが、主の心を知っていたか。だれが主の計画にあずかったか。」』 イザヤ、40:28『ヱホバ……のさときは測りがたし』 ヨブ、37:26『神は大なる者にいまして我等かれを知りたてまつらず』 ヨブ、37:23『全能者はわれら測りきはむることを得ず』キリストはエホバと親密な方 マタイ、11:27『すべての事は父からわたしに任されています。そして、子を知る者は父のほかになく、父を知る者は、子と、父をあらわそうとして子が選んだ者とのほかに、だれもありません。』その目的を妨げることはできない マタイ、19:26『神にはなんでもできない事はない。』 イザヤ、46:12『我このことを語りたれば必ず來たらすべし、我このことをはかりたらば必ずなすべし』 イザヤ、55:11『かくわが口よりいづる言もむなしくは我にかへらず、わが喜ぶところをなし、わが命じおくりし事をはたさん』 ヨブ、41:10『さらば誰かわが前に立ちうる者あらんや』誰をも罪に誘うことなく、悪を創造されない ヤコブ、1:13,14『だれでも誘惑に会う場合、「この誘惑は神からきたものだ」と言ってはならない。神は悪の誘惑に陥るようなかたではなく、また自ら進んで人を誘惑することもなさらない。人が誘惑に陥るのは、それぞれ、慾に引かれ、さそわれるからである。』 申命、32:4,5『その道はみな正しまた眞實ある神にましまして惡しき所なし只正しくして直くいます』 ハバクク、1:13『汝は目淸くしてあへて惡を見給はざる者あへて不義を視たまはざる者なるに何ゆゑよこしまの者をみすて置きたまふや』 エゼキエル、28:12ー15『汝は全く整へたるものの印、智慧の充ち美のきはまれる者なり汝神の園エデンにありき………汝はあぶらそそがれしケルブにしておほふことをなせり我汝をかくなせしなり汝神のきよき山にあり………汝はその立てられし日よりつひに汝の中に惡の見ゆるにいたるまではその行ひ全かりき』その立証は最も重大なこと ロマ、3:4『それは、「あなたが

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言葉を述べるときは、義とせられ、あなたがさばきを受けるとき、勝利を得るため」と書いてあるとおりである。』 また詩篇51:4を見よ。 マタイ、6:9『天にいますわれらの父よ、御名があがめられますように。』 ロマ、9:17『聖書はパロ[:ファラオ:新世訳]にこういっている、『わたしがあなたを立てたのは、この事のためである。すなわち、あなたによってわたしの力をあらわし、また、わたしの名が全世界に言い広められるためである。」』 また出エジプト記9:16を見よ。 シンゲン、27:11『わが子よちゑ(知恵)を得てわが心をよろこばせよ、さらば我をそしる者に我こたふることを得ん』 ヨブ、32:2『エリフ怒(いかり)をおこせリ、ヨブ神よりも己(おのれ)を正(ただし)とするによりて、彼ヨブに向かひて怒(いかり)を發(はっ)せり」 イザヤ、63:12ー14『榮光のかひなをモーセの右にゆかしめ………自らとこしへの名をつくり………かくおのれの民をみちびきて榮光の名をつくり給へり』 詩、111:9『ヱホバの御名は聖にしてあがむべきなり』今キリストを通して王として支配されている 黙示、19:6『ハレルヤ、全能者にして主なるわれらの神は、王なる支配者であられる。』 黙示、11:15『大きな声々が天に起こって言った、「この世の国はわれらの主とそのキリストの国となった。主は世々限りなく支配なさるであろう。」』 またマタイ伝24章と黙示録6章を見よ。


ヱホバの証者定義 全能の神エホバの僕であり、またエホバの最高主権を活発に証しする者です。キリスト・イエスの時以来、彼らはクリスチャン奉仕者たちであって、その指導者キリストの示された道に従うことによって神の御心を行っています。エホバの御名は『目的を立てる者』[彼は成らせる、成る所の者と成る:成就が目的?!在って在る者?!存在も目的?!]という意味を持ち、その証者たちはエホバが唯一の真(まこと)の神であることを宣明します。エホバは今その御国を通してご自分の御名と主権を立証し、すべての忠実な人類を祝福する御目的を成就しつつあります。また人間の指導者や礼式にへつらい従う宗派でもなく、教派でも在りません。イエス・キリストはヱホバのかしらの証者 黙示、1:5『忠実な証人、死人の中から最初に生まれた者、地上の諸王国の支配者であるイエス・キリスト』 黙示、3:14『アァメンたる者、忠実な真の証人、神に造られた者の根源であるかた』 ヨハネ、18:37『イエスは答えられた、「……わたしは真理についてあかしをするために生まれ、またそのためにこの世にきたのである。だれ

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でも真理につく者は、わたしの声に耳を傾ける。」』 ヨハネ、17:6,26『わたしは、あなたが世から選んでわたしに賜った人人に、御名をあらわしました。そしてわたしは彼らに御名を知らせました。またこれからも知らせましょう。』 ヨハネ、14:9『わたしを見た者は、父をも見たのである。』 イエスという名の意味は『エホバは救い』です。アベルは連綿と続く地上のエホバの証者の最初の者 ヘブル、11:1ー40;12:1『アベルはカインよりもまさったいけにえを神にささげ、信仰によって義なる者と認められた。神が彼の供え物をよしとされたからである………このほか何を言おうか。もしギデオン、バラク、サムソン、エフタ、ダビデ、サムエル及び預言者たちについて語り出すなら、時間が足りないであろう。………わたしたちは、このような多くの証人に雲のように囲まれているのである』神は証者たちを起して、それぞれの審判の期間に特別の警告を告げさせた ヱレミヤ、44:4『われ我がしもべなる預言者たちを汝らにつかはししきりにこれをつかはし』 アモス、3:7『それ主ヱホバはその僕なる預言者に傳(つた)えずしては何事をもなしたまはざるなり』洪水前の世 ヘブル、11:7『信仰によって、ノアはまだ見ていない事柄について御告げを受け、恐れかしこみつつ、その家族を救うために箱舟をつくり、その信仰によって世の罪をさばき、そして信仰による義を受けつぐ者となった。』 ペテロ前、3:20『神が寛容をもって………箱舟に乗り込み、水をへて救われたのは、わずかに八名だけであった。』 ペテロ後、2:5『古い世界をそのままにしておかないで、その不信仰な世界に洪水をきたらせ、ただ、義の宣伝者ノアたち八人の者だけを保護された。』 また創世記6章と7章を見よ。エジプト 出エジプト、3:15『神またモーセにいひたまはくは汝かくイスラエルの人々にいふべしなんぢらの先祖等の神アブラハムの神イサクの神ヤコブの神ヱホバ我を汝につかはしたまふとこれは永遠に我が名となり世々にわがしるしとなるべし』

      ユダの王国

 ヱレミヤ、1:4ー10『我汝につかはすところにゆき、我汝に命ずるすべてのことを語るべし………視よわれ我が言を汝の口に入れたりみよ我けふ汝を萬民のうへとと萬國の上にたて、汝をして或(あるい)は抜き或はこぼち或は滅ぼし或はたふし或は建て或は植えしめん』

 エゼキエル、3:17『人の子よ我汝を立てイスラエルの家のためにまもる者となす汝わが口より言をきき我にかはりてこれをいましむべし』

      ユダヤ人の組織制度

 ヨハネ、12:31『今はこの世が裁かれる時である。今こそこの世の君は追い出されるであろう。』

        現在の組織制度

 マタイ、24:14『そしてこの御国の福音は、すべての民に対してあかしをするために、全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである。』

 マタイ、25:31ー35『人の子が栄

[213]光の中にすべてのみ使いたちを従えて来る時、彼はその栄光の座につくであろう。そしてすべての国民をその前に集めて、羊飼いが羊と山羊とを分けるように、彼らをより分け、羊を右にやぎを左におくであろう。』

     クリスチャン会衆に適用される『クリスチャン』『キリストの教会』『神の教会』その他の聖書的名称は今正当なもの

 使行、11:26『このアンテオケで初めて、弟子たちがクリスチャンと呼ばれるようになった。』

 ペテロ前、4:16『しかし、クリスチャンとして苦しみを受けるのであれば、恥じることは無い。かえってこの名によって神をあがめなさい。』

 使行、26:28,29『アグリッパはがパウロに言った、「お前は少し説いただけで、わたしをクリスチャンにしようとしている」。パウロが言った、「説くことが少しであろうと、多くであろうと、わたしが神に祈るのは、ただあなただけでなく、きょう、わたしの言葉を聞いた人もみな、わたしのようになって下さることです。このような鎖は別ですが。」』

 使徒、20:28『聖霊は、神がご自身の[:御子の:新世訳脚注版の付録をも見よ!]血であがない取った神の教会を牧させる』

 テモテ前、3:15『神の家というのは、生ける神の教会のことである』

 マタイ、16:17,18『すると、イエスは彼にむかって言われた………わたしはこの岩(ペテロの固いキリストに対する信仰告白!!キリストが磐に掛かる)の上にわたしの教会を建てよう。』

     昔の忠信なイスラエルの全部はエホバの証者の民であった

 出エジプト、6:7『我汝らをとりてわが民となし汝らの神となるべし汝らはわがエジプト人のおもにの下より汝らをひき出したる汝らの神ヱホバなるを知らん』

 出エジプト、19:5,6『されば汝らもしよくわが言を聽きわが契約を守らば汝らはもろもろの民にまさりてわが寳[宝]となるべし全地はわがものなればなり汝らは我に對して祭司の國となり聖き民となるべし』

 サムエル後、7:23『地のいずれの国か汝の民イスラエルの如くなるそは神ゆきてかれらをあがなひ己の民となして大いなるおそるべき事をなしたまへばなりすなはち汝がエジプトよりあがなひ取り給ひし民の前より國々の人とそのかみがみをおひはらひたまへり』

     キリストの下のクリスチャン会衆は現代のエホバの証者の『国民』である

 黙示、14:1ー3『なお、わたしが見ていると見よ、小羊がシオンの山に立っていた。また、十四万四千人の人人が小羊と共におり、その額に小羊の名とその父の名とが書かれていた。……彼らは……新しい歌を歌った。この歌は地からあがなわれた十四万四千人のほかは、だれも学ぶことができなかった。』

 ペテロ前、2:9『しかし、あなたがたは選ばれた種族、祭司の国、聖なる国民、神につける民である。それによって、暗やみから驚くべきみ光に招き入れて下さったかたのみわざを、あなたがたが語り伝えるためである。』

 詩、33:12『ヱホバをおのが神とする國はさひはひなり』

 使行、15:14『神が初めに異邦人たちを顧みて、その中から御名を負う民を選び出された次第は、シメオンがすでに説明した。』

 マタイ、1:43『神の国はあなた

[214]がたから取り上げられて、御国にふさわしい実を結ぶような異邦人に与えられるであろう。』

 エペソ、3:14,15『わたしはひざをかがめて、天上にあり地上にあって「父」と呼ばれているあらゆるものの源なる父に祈る。』

    人間でなく、ヱホバこそご自分の証者の創立者であり、その名の与え主である

 イザヤ、43:9ー12『國々はみな相つどひもろもろの民は集まるべし、彼らのうち誰かいやさきになるべきことをつげ之をわれらに聞かすることを得んや、その證人(あかしびと)をいだして己の是なるをあらはすべし、彼らききてこはまことなりといはんヱホバのたまはく、なんぢらはわが證人わがえらみし僕なりさればなんぢら知りて我を信じわが主なるを悟りうべし、我よりまへにつくられし神なく我よりのちにもあることなからんただ我のみ我はヱホバなり、われの外にすくふ者あることなしわれ前につげ、また救いをほどこしまたこの事を聞かせたり汝らの中にあだし神なかりき、なんぢらはわが證人(あかしびと)なり、われは神なりこれヱホバのたまへるなり』

 イザヤ、44:8『なんじら懼(おそ)るるなかれ慴(おのの)くなかれ我いにしへより聞かせたるにあらずや告げしにあらずや、なんぢらはわが證人なり、我のほか神あらんや、我のほかには磐あらずわれその一つだに知ることなし』

 コリント前、3:7『植える者も水をそそぐ者も、ともに取るに足りない。大事なのは、成長させてくださる神のみである。』

    他のどんな人でもなく、キリストこそエホバの証者の指導者であり、永遠に生きているかしらである

 マタイ、23:10『あなたがたは教師と呼ばれてはならない。あなたがたの教師はただひとり、すなわち、キリストである。』

 イザヤ、55:4『視よわれ彼をたててもろもろの民の證(あかし)とし もろもろの民の君となし命令する者となせり』

 使行、3:23『彼に聞きしたがわない者は、みな民の中から滅ぼし去られるであろう。』

 エペソ、5:23『キリストが教会のかしらであって、自らは、からだなる教会の救い主であられるように、』

 コロサイ、1:18『そして自らは、そのからだなる教会のかしらである。』

      人々が彼らを呼ぶような一つの教派や宗派ではない

 使行、24:14『わたしは彼らが異端だとしている道にしたがって、わたしたちの先祖の神に仕え』

 ヨハネ、4:24『神は霊であるから、礼拝する者も、霊とまこととをもって礼拝すべきである。』

      この世の一部ではない

 ヨハネ、17:16,17『わたしが世のものでないように、彼らも世のものではありません。真理によって彼らを聖別してください。あなたの御言葉は真理であります。』

 ヤコブ、4:4『不貞のやからよ。世を友とするのは、神への敵対であることを、知らないか、おおよそ世の友となろうと思う者は、自らを神の敵とするのである。』

      政治的な政府を立てようとしない

 ペテロ後、3:13,14『わたしたちは神の約束に従って、義の住む新しい天と新しい地とを待ち望んでいる。愛する者たちよ。それだから、この日を待っているあなたがたは、しみもなくきずもなく、安らかな心で、神のみまえに出られるように励

[215]みなさい。』

 ペテロ前、4:15『あなたがたのうち、だれも、人殺し、盗人、悪を行う者、あるいは、他人に干渉する者として苦しみに合うことのないようにしなさい。』

 テモテ前、2:1,2『そこで、まず第一にすすめる。すべての人のために、王たちと上に立っているすべての人々のために、願いと祈りととりなしと、感謝とをささげなさい。それはわたしたちが、安らかで静かな一生を、真に信心深くまたきんげんに過ごすためである。』

…………

    『他の羊』級の成員たちは、そのわざが天的な級のものと一致しているゆえに彼らもまた正しくエホバの証者と呼ばれる

 黙示、7:4,9ー15『わたしは印をおされた者の数を聞いたが………十四万四千人であった。………その後、わたしが見ていると、見よ、あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、数えきれないほどの大ぜいの群集が………御座と小羊との前に立ち、大声で叫んで言った、「救いは、御座にいますわれらの神と小羊からきたる」。………彼らは、神の御座の前におり、昼も夜もその聖所で神に仕えているのである。』

 黙示、22:17『御霊も花嫁も共に言った、「きたりませ」。また聞く者も「きたりませ」と言いなさい。かわいている者はここに来るがよいいのちの水がほしい者は、価なしにそれを受けるがよい。』

 イザヤ、56:6ー8『またヱホバにつらなりこれにつかへ、ヱホバの名を愛しその僕となり、安息日を守りて汚すことなく、すべてわが契約をかたくまもる異邦人は我これをわが聖き山にきたらせ、我が祈りの家のうちにて樂ましめん、彼らの燔祭と犧牲とはわが祭壇の上に納めらるべし、わが家はすべての民のいのりの家と稱(とな)へらるべければなりイスラエルのおひやられたるものを集めたまふ主ヱホバのたまはく、我さらに人をあつめてすでにあつめられたる者にくはへん』

 ヘブル、12:1『こういうわけで、わたしたちは、このような多くの証人に雲のように囲まれているであるから、いっさいの重荷………をかな

[216]ぐり捨て』

     礼式ではなく活動的な奉仕が彼らの崇拝。伝道しなければならない

 ルカ、3:8,9『悔い改めにふさわしい実を結べ、………良い実を結ばない木はことごとく切られて、火の中に投げこまれるのだ。』[:巡回大会でもやっていたが、御言葉を述べるだけでも実を産み出すそうである。御言葉を宣(ふ)れ告げる事、それがキリストが種を播(ま)いたと言うことらしい。立派な種、それは健全な正確な御言葉らしい。]

 ルカ、19:40『答えて言われた、「あなたがたに言うが、もしこの人たちが、黙れば、石が叫ぶであろう。」』

 イザヤ、6:9,11『ヱホバ言ひたまはくゆきてこの民にかくの如く告げよ………邑(まち)はあれすたれて住むものなく家に人なくくにことごとく荒ちとなる………まで』

 エゼキエル、3:10,11『われに言ひたまひけるは人の子よわが汝に言ふところのすべての言をなんぢの心にをさめ汝の耳にきけよゆきてかのとらへ移されたる汝の民の子孫にいたりこれに語りて主ヱホバかく言たまふと言へ彼ら聽くもこばむも汝しかすべし』

 マタイ、28:19,20『それゆえにあなたがたは言って、すべての国民を弟子として………あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。』

 エゼキエル、33:8,9『我惡人に向かひて惡人よ汝死なざるべからずと言はんに汝その惡人をいましめてその途を離るるように語らずば惡人はその罪に死なんなれどその血をば我汝の手にもとむべしされど汝もし惡人をいましめてひるがえりてその途を離れしめんとしたるに彼その道を離れずば彼はその罪に死なんしかして汝は己の生命を保つことを得ん』

     各証者は奉仕者。伝道しない者はエホバの証者の一人ではない

 使行、2:46,47,標準『日々、心を一つにしてたゆみなく宮[:神殿]に居り………神を讃美してすべての民によろこばる。』

 使行、5:42『そして毎日宮[:神殿:ラッセルのようにプロテス…の教会で、説教したり…ラッセルの見出した福音、良いたより知らせを宣(の)べたり…]や家で、イエスがキリストであることを、引き続き教えたりのべ伝えたりした。』

 ペテロ前、2:21『あなたがたは実に、そうするように召されたのである。キリストも苦しみをうけ、御足の跡をふみ従うようにと模範を残されたのである。』

     国家、人種、社会、言語の違いは分裂を生ずる障壁ではない

 黙示、7:9『その後、わたしが見ていると見よ、あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから数えきれないほどの大ぜいの群衆が白い衣を身にまとい………御座と小羊のとの前に立ち』

 ガラテヤ、3:28『もはや、ユダヤ人もギリシャ人もなく、奴隷も自由人もなく、男も女もない。あなたがたは皆、キリスト・イエスにあって一つだからである。』

     神に対する愛と御国のおとずれの伝道は一致をもたらすきずなである

 マルコ、12:30,31『心をつくし、精神をつくし、思いをつくし、力をつくして、主なるあなたの神を愛せよ。………自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ。』

[217] マタイ、6:33『まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。』

 ルカ、18:29,30『イエスは言われた、「よくきいておくがよい。だれでも神の国のために、家、妻、兄弟、両親、子を捨てた者は、必ずこの時代ではその幾倍もを受け、またきたるべき世では永遠の生命を受けるのである。」』

 ヨハネ、13:35『互いに愛し合うならば、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての者が認められるであろう。』

      その伝道は自分と他の者の救いをもたらす

 テモテ前、4:16『自分のことと教えのことに気をつけ、それらを常に努めなさい。そうすれば、あなたは、自分自身とあなたの教えを、聞く者たちを救うことになる。』

 シンゲン14:25『眞實の證人は人のいのちを救ふ』

 ダニエル、12:3『さとき者は空のかがやきのごとくに輝かんまた多くの人を義に導ける者は星のごとくなりて永遠にいたらん』

[219]  『奴隷級』の代表的成員『見える統治体』を通して制度に関する助言が与えられる--その権威と任務

[の続きのことがら]

[223]   制度の清さを監督すること

 コリント前、5:1ー5『わたし自身としては、からだは離れていても、霊では、一緒にいて、その場にいる者のように、そんな行いをした者を、すでにさばいてしまっている。……あなたがたも……集まって、彼の肉が滅ぼされても、その霊が主のさばきの日に救われるように、彼をサタンに引き渡してしまったのである。』

 コリント後、2:5ー11『多数の者から受けたあの処罰でもう十分なのだから、あなたがたはむしろ彼をゆるし、また慰さめてやるべきである。そうしないと、その人はますます深い悲しみに沈むかも知れない。』

 ヨハネ第三、9,10『わたしは少しばかり教会に書きおくっておいたが、みんなのかしらになりたがっているデオテレペス[:新世:デオトレフェス]が、わたしたちを受けいれてくれない。だからわたしがそちらへ行った時、彼のしわざを指摘しようと思う。彼は口ぎたなくわたしたちをののしり、そればかりか、兄弟たちを受けいれようとする人たちを妨げて、教会から追い出そうとしている。』

 テモテ前、1:20『その中に、ヒメナオとアレキ[:ク]サンデルとがいる。わたしは、神を汚さないことを学ばせるため[:新世:冒瀆すべきでない事を懲らしめによって学ぶよう]、このふたりをサタンの手に渡したのである。』

 テサロニケ後、3:6ー15『兄弟たちよ。主イエス・キリストの名によってあなたがたに命じる。怠惰な生活をして、わたしたちから受けた言い伝えに従わないすべての兄弟たちから、遠ざかりなさい。…………もしこの手紙にしるしたわたしたちの言葉に聞き従わない人があれば、そのような人には注意をして交際しないがよい。彼が自ら恥じるようになるためである。しかし、彼を敵のように思わないで兄弟として訓戒しなさい。』

 ヨハネ第二、10:11『この教えを持たずにあなたがたの所に来る者があれば、その人を家に入れることも、あいさつすることもしてはいけない。そのような人にあいさつする者は、その悪い行いにあずかることになるからである。』

 ユダ書全部を見よ。

 コリント前、5:13『その悪人を、あなたがたの中から除いてしまいなさい。』

     他の羊の成員は統治体の下で奉仕

[224]  の地位を保つことができる

 イザヤ、61:5『あだしびとはたちてなんぢらの群れをかひ異邦人はなんぢらの畑をたがへす者となり葡萄をつくるものとならん』

 出エジプト、18:13ー6『モーセのしゅうと(ユダヤ人ではない)これに言ひけるは汝のなすところよからず汝かならず氣力おとろへん汝も汝とともなる民もしからん此事汝には重きに過ぐ汝一人にては之をなすことあたはざるべし今わが言(ことば)を聽け我なんぢに策を授けん願はくは神なんぢとともにいませ汝民のために神の前に居り訴訟を神に陳べよ………叉汝全體[:体]の民の中より賢くして神を畏れ眞實を重んじ[巧?]利をにくむところの人をえらみて之を民の上に立て千人の司となし百人の司となし五十人の司となし十人の司となすべし………モーセそのしゅうとの言にしたがひてそのすべて言(いひ)しごとくなり』

 民数、10:29ー1『ここにモーセそのしゅうとなるミデアニ人リウエルの子ホバブに言ひけるは我等はヱホバがかつて我これを汝等に與[:与]へんと言ひたまひしところに進み行くなり汝も汝等もともに來たれ我等汝をして幸福ならしめんそはヱホバ イスラエルに福祉を降らさんと言いたまひたればなり………こふ我等をすて去るなかれ汝は我等が荒野に營を張るを知れば願くは我等の目となれ』


    各会衆には監督として円熟した奉仕者がいる

 ピリピ、1:1『キリスト・イエスの僕たち、パウロとテモテから、ピリピにいる、キリスト・イエスにあるすべての聖徒たち、ならびに監督たちへ。』

 使徒、20:17,28『そこでパウロは、ミレトからエペソに使いをやって、教会の長老たちを呼び寄せた。どうか、あなたがた自身に気をつけ、また、すべての群れに気をくばっていただきたい。聖霊は、神がご自身の血であがない取った神の教会を牧させるために、あなたがたをその群れの監督者にお立てになったのである。』

 ペテロ前、5:1ー11『そこで、あなたがたのうちの長老たちに勧める。………あなたがたにゆだねられている神の羊の群れを牧しなさい。しいられてするのではなく、神に従って自ら進んでなし、恥ずべき利得のためではなく、本心から、それをしなさい。また、ゆだねられた者たちの上に権力をふるうことをしないで、むしろ、群れの模範となるべきである。』

[226]

    奉仕会の番組[=プログラム??!と言う意味??!]は変化に富み円熟した僕の話もあって会衆を強める

 コリント前、14:26『すると、兄弟たちよ。どうしたらよいのか、あなたがたが一緒に集まる時、各自はさんびを歌い、教えをなし、啓示を告げ、異言を語り、それを解くのであるが、すべては徳を高めるためにすべきである。』

………

   宣教を正しく行ない、個人を援助するために、各奉仕者の成したわざの記録が保管される

 コリント前、14:33『神は無秩序の神ではなく、平和の神である。』

 テモテ前、1:18『わたしの子テモテよ。以前あなたに対してなされた数々の預言の言葉に従って、この命令を与える。あなたは、これらの言葉に励まされて、信仰と正しい良心とを保ちながら、りっぱに戦いぬきなさい。』

 エゼキエル、9:11『時にかの布の衣を着て腰に筆記者の墨いれをおぶる人かへりごとをまをして言ふ汝が我に命じたまひしごとくになしたりと』

 使行、2:41『そこで、彼のすすめの言葉を受けいれた者たちは、バプテスマを受けたが、その日、仲間に加わったものが三千人ほどあった。』

 使行,、:4『しかし、彼らの話を聞いた多くの人たちは信じた。そして、その男の数が五千人ほどになった。』

 使行,15:36『幾日か後、パウロはバルナバに言った、「さあ、前に主の言葉を伝えたすべての町々にいる兄弟たちを、また訪問して、みんながどうしているかを見てこようではないか。」』

 ペテロ前、5:2『あなたがたにゆだねられている神の羊の群れを牧しなさい。しいられてするのではなく、神に従って自ら進んでなし、恥ずべき利得のためではなく、本心から、それをしなさい。』

    地域[:地区]、全国、国際大会が開催される

 歴代下、30:1,10,11,13,23,26,27『ここにヒゼキヤ イスラエルとユダにあまねく人を遣わしまた書をエフライムとマナセに書きおくりヱルサレムなるヱホバのいへに來りてイスラエルの神のヱホバに過越しのいはひを行はんことをすすむかくの如く飛脚エフライム マナセの國にいりてまちよりまちに行めぐりて遂にゼブルンまで至りしが人びとこれをあざけり笑へりただしアセル マナセおよびゼブルンの中より身をひくくしてヱルサレムに來りし者もありかかりしかば二月にいたりて民たねいれぬパンのい

[227]はひを行はんとして多くはヱルサレムに來り集まれりその會([:大?]会)はなはだ大いなりき……かくて叉全會あいはかりて更に七日を守らんとさだめよろこびをいだきてまた七日を守れりかくイスラエルに大なるよろこびありきイスラエルの王ダビデの子ソロモンの時よりこのかたかくのごとき事ヱルサレムにあらざりしなりこの時祭司レビ人起(たち)て民を祝しけるにその言聽(ことばき)かれそのいのりヱホバの聖(きよ)き住所なる天に達せり』

 また『エホバ』、『イエス・キリスト』、『上にある権威』、『神の会衆』、『神の奉仕者』、『世の友』の項を見よ。

[248]

        御国

        定義

 神の御国は主権者から力を受けた神権政府であり神の任命する王たちがこれをつかさどります。エホバ神ご自身は偉大な永遠の王です。(テモテ前,1:17。黙示,15:3。エレミヤ,10:10)彼は御子キリスト・イエスをご自身と共なる共同支配者とされました。神は御国を宇宙制度の支配部分とする目的を立てました。その御国で王キリスト・イエスと、人々の間から選ばれた144,000人の仲間の王たちで構成されます。それは全く天的のものであって、地的部分はありません。すべての資格にかなう成員はよみがえらされて霊者の体を与えられます。時々『御国』という言葉は王の位、性質、特性と権威を有する方(聖書中ではキリスト)に適用されます。その言葉はまた御国政府が支配を及ぼす領域を指して用いられます。この御国は西暦1914年にキリストが天で即位した時に全権力をもって運営を開始しました。

      御国は聖書中で教えられている最大の真理である

 イエスは御国の宣明で伝道活動を始めました。彼は四福音書の中で御国のことを110回以上語りました。

 エペソ、1:8ー10標準『御意の奥義を御意のままに示し給へり。すなはち時みちてけいりんに従ひ、天にあるもの、地にあるものをことごとくキリストに在りて一つに歸(帰)せしめ給ふ。これ自ら定め給ひし所なり。』

 ピリピ、2:9ー11『それゆえに、神は彼を高く引きあげ、すべての名にまさる名を彼にたまわった。それはイエスの御名によって、天上のもの、地上のもの、地下のものなどあらゆるものがひざをかがめ、またあらゆる舌が「イエス・キリストは主である」と告白して、栄光を父なる神に帰するためである。』

 イザヤ、9:6,7 ヘブル、12:25-28 ロマ、8:19 マタイ、24:14 マタイ、6:10,33

      新しい世の基礎の置かれる前に預言され、予めに定められて居た

 創世、3:15。エペソ、1:4。ルカ、22:29。ロマ、9:23,24


    

[260]

        律法

        定義

 聖書中に用いられている律法とは、普通にはエホバ神が仲保者モーセの手を通してイスラエルの国民に与えられた律法契約のことです。この理由でそれは時々モーセの律法と呼ばれますが、モーセ自身の作った部分あるいはモーセの与えた部分は少しもありません。偽りの宗教は律法が二つの部分分けられたと主張します。(1)神の律法、神御自身によって書かれた道徳の律法、(2)モーセの律法、モーセによって書かれた儀式の律法。儀式の律法は廃されましたが、十戒の中に含まれている道徳の律法は廃止されなかったというのは非聖書的な主張です。聖書によると、全部の律法契約すなわち律法に属するすべての犠牲と儀式の事柄同様に十戒もまたイエス・キリストによって成就され、西暦33年キリストの苦しみの杭に釘づけられることによって廃止されました。それゆえクリスチャンは十戒を含む律法のどの部分の下にもいません。

………

[261]……

     律法はメシヤが来るまで有用

 ガラテヤ、3:19,24

     エホバは律法をイエスの苦しみの杭に釘づけて取り除いた

 コロサイ、2:13,14

     パウロは、エホバが廃止された律法は、ユダヤ人を異邦人から分けへだてた神の律法(「安息日のしるし」を含む)であったと示した

 エペソ、2:11-16

     イエスは山上の教えの中で、十戒と同様に律法の他の部分に言及し、すべて一つの律法であると示した

     祭壇の供え物

 マタイ、5:23,24

 また申命記16:16,17と比較しなさい。

     離婚

 マタイ、5:31

 申命記24:1と比較しなさい。

     偽りの誓い

 マタイ、5:33

     報復の律法

 マタイ、5:38

 また出エジプト記21:23ー25と比較しなさい。

     隣人愛

 マタイ、5:43

 レビ記19:18と比較しなさい。

     イエスは律法を破らず、ユダヤ人に対する模範として完全に守った

 ガラテヤ、4:4。レビ、18:5。マタイ、5:17,19,20

     イエスは、パリサイ人が言い伝えのゆえに律法を破る者でありそのため御国から排除されると示した

 マタイ、15:1ー36、現行新世界訳『……『…その者は自分の父をすこしも敬ってはならない』と言いますこうしてあなた方は、自分たちの伝統のゆえに神の言葉を無にしています。………彼らがわたしを崇拝しつづけるのは無駄なことである、人間の命令を教理として教えるからである』」………パリサイ人たちがつまづいた……「わたしの天の父がお植えになったのでない植物はみな根こぎにされます。……盲目の案内人なのです。…二人とも穴に落ち込むのです」

マタイ、21:43,45、現行新世訳『このゆえにあなた方に言いますが、神の王国はあなた方から取られ、その実を生み出す国民に与えられるのです。また、この石の上に落ちる人は粉々になるでしょう。これがその上に落ちる人は、みじんに砕かれるでしょう』

     イエスは本体、律法の予影したものをもたらすことにより律法を成就された

 マタイ、5:17,18。コロサイ、2:16,17。ヘブル、10:1,2

     イエスは罪を除く完全な犠牲として来られた

 ヘブル、10:8ー10

     聖書はイエス御自身が過ぎ越しの小羊の本体であったと示す

 出エジプト、12:5,21。コリント前、5:7。ペテロ前、1:19。黙示、5:12

     律法契約の他の箇所は、本体を始まらせるために終った

 ヘブル、9:1ー3,9,10,24

     安息日を永遠に守れという命令は十戒が将来いつまでも適用されることを意味しない

 出エジプト、31:16,17『かくイスラエルのひとびとは安息日を守り代々安息日を祝ふべしこれ永遠[原注:オーラム]の契約なりこれは永遠[原注:オーラム]に我とイスラエルの子孫の間のしるしたるなり』

     同様のヘブル語の言葉は犠牲の律法に関連して用いられている

 出エジプト、40:15『彼らのあぶらそゝがれて祭司たることは代々変(よよかわ)らざる[オーラム]べきなり』

 レビ、6:18,22『アロンの子等の男たる者はみな之を食ふことを得(う)

[264]べしこれはヱホバにたてまつる火祭ののりにして汝らが代々永(よよなが)く[オーラム]守るべき者なり……アロンの子等の中あぶらそゝがれて彼に繼[継:つ]いで祭司となる者はこれを献(ささ)ぐべしこれはヱホバに對して永く[オーラム]守るべきのりなり之は全く焚(や)きつくすべし』

    [:個人注:原語のヘブライ語の言葉[個人注:オーラーム]は代々(よよ)、永く、永遠とかいう意味。不確定の時をも含むとか注解があったと(洞察の本??!)??!]

     パウロは祭司職と犠牲がたしかに終ったと示す。それゆえ十戒もまた終った

 ヘブル、7:11,12,18,19

     律法の契約はキリスト・イエスの犠牲を通じ、彼を仲保者として成立した新しい契約に置き代えられた

 コリント後、3:5,6,12ー14 ヘブル,8:6,13

     クリスチャンは律法に含まれている原則にしたがって生きる

 マタイ、5:21,22;5:27,28;5:43-47

[265]

     服従せしめる力は神の正義の活動力[:聖霊]。律法の定める罰より更に強い

 コリント後、3:15ー18『今日に至るもなお、モーセの律法が朗読されるたびにおおいが彼らの心にかかっている。しかし主に向く時には、そのおおいは取り除かれる。主は霊である。そして主の霊のある所には自由がある。わたしたちおはみな、顔おおいなしに、主の栄光を鏡にうつすように見つつ、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていく。これは霊なる主の働きによるのである。』

 ガラテヤ、5:18,22『もしあなたがたが御霊に導かれるなら、律法の下にはいない。しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制であって、これらを否定する律法はない。』

     クリスチャンは十戒の下にいないが支持を与える証拠としてそれらを引用するのは正しい

 エペソ、6:1ー3

 また申命、5:16と比較しなさい。

 ロマ、13:8-10

 また出エジプト、20:13-15,17。レビ、19:18と比較しなさい。

     偶像崇拝を禁ずる律法はクリスチャンに対する要求として再び述べられた

 コリント前、10:14。ガラテヤ、5:19,20。コロサイ、3:5。ヨハネ第一、5:21

     クリスチャンはモーセの律法の下にいない。神の過分のご親切を通し信仰によって救われる

 ロマ、6:14『なぜなら、あなたがたは律法の下にあるのではなく、恵みの下にあるので、罪に支配されることはないからである。』

 エペソ、2:8,9『あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのである。それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物である。決して行いによるのではない。それは、だれも誇ることのないためなのである。』

 また『安息日』の項をも見なさい。    

  

[266]

        生命

        定義

 動植物を無機物や死んだ有機体から区別する状態。生命を見分け得る 表わ‘にれは、新陳代謝による成長、生殖、内部から生ずる変化により外界の環境適応する力です。

 最も十分な聖書的意義において 生命は、理知ある者を指して用いらるとき、生命への権利を持つ存在です。それは天の生命の場合もあり、地上の生命の場合もあります。生命は神の与える『生命の原則』すなわち『生命力』(霊)によってうまれ、この生命力が霊の体あるいは肉体を生きたものにします。

 神性の生命:神性者エホバ神ご自身の持たれる最高の生命。キリスト・イエスと144,000人の御国共同支配者のみに与えられます。---使徒行伝17:29;ヨハネ第一書3:1-3。不死すなわち不滅性を持つ者の生命は、他の者がこれを奪うことはできません。その生命は如何なる被造物にも依存していません。

 不滅性:おとろえることなく、害されぬ、またそこなわれぬ有機体を指して用いられます。

 不朽性と不滅性は御国と密接なつながりを持っています。天の御国の成員以外の者は誰もこれらの生命の性質を受けることができません。

 永遠の生命:完全な有機体の持つ生命。地上で生命を得る人間には肉的な生命。天で住み続ける忠実な御使いたちには霊的な生命。他の創造物は誰もこのような賜物を正当に取り去ることができません。神はその制度を通してこのような者の生命を永遠に保持します。このような者は食物に依存し、創造物を支配する神の律法にしたがいます。

…………

[267]

      生命はキリスト・イエスを通して従順な人類に与えられる

 ヨハネ第一、2:2『彼は、わたしたちの罪のための、あがないの供え物である。ただ、わたしたちの罪のためばかりでなく、全世界の罪のためである。』

 ヨハネ、3:16『神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。』

 ヨハネ、5:26「それは、父がご自分のうちに生命をお持ちになっていると同様に、子もまた、自分のうちに生命を持つことをお許しになったからである。』

 ヨハネ、6:51『わたしは天から下ってきた生きたパンである。それを食べる者は、いつまでも生きるであろう。私が与えるパンは、世の命のために与えるわたしの肉である。[:記念式に直接与(ちょくせつあずか)る者は霊的イスラエルの14万4千人、直接与らない者は、ツヴィングリが言うように、信じること自分の心で信仰を働かせることによって食べたり飲んだりする。霊的イスラエル以外の異邦人の大群衆の場合である。]』

 ロマ、6:23『罪の支払う 報酬は死である。しかし神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスにおける永遠のいのちである。』

 ヨハネ、14:6『イエスは彼に言われた、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。」』

      アダムとエバは彼らの完全さのゆえに条件つきの権利を有した

 創世、1:27-31『神はそのかたちの如くに人をつくりたまへりすなはち神の像の如くに之をつくり之を男と女につくりたまへリ神彼らを祝し神彼らに言たまひけるは生めよふえよ地に満てよ之をしたがはせよ叉海の魚と空の鳥と地に動く所のすべての生物を治めよ………神そのつくりたるすべての物をみたまひけるにはなはだ善かりき』

 申命、32:4『ヱホバは いはにましましてそのみわざはまったくその道はみな正しまた眞實ある神にましまして悪しき所なしただ正しくしてなほくいます』

 創世、2:9,17『ヱホバ神みるに美しくして食らふに善きもろもろの樹を土地より生ぜしめ叉園の中に生命の樹および善悪を知る樹を生ぜしめ給へりされど善悪を知るの樹は汝その果を食らふべからず汝その果を食ふ日には必ず死ぬべければなり』

     アダムとエバはこの権利を永遠に失なった

 創世、3:17ー19『叉アダムに言たまひけるは汝その妻の言をききて我が汝に命じて食ふべからずと言ひたる樹の果を食らひしにより土は汝のためにのろはる汝は一生のあひだくるしみてそれより食を得ん土はいばらとあざみとを汝のために生ずべしまた汝は野のくさを食ふべし汝はかほに汗して食物を食らひ終に土に歸(帰)らんそはその中より汝はとられたればなり汝は塵なれば塵に歸(帰)るべきなりと』

 テモテ前、2:14『またアダムは

[268]

惑わされなかったが、女は惑わされて、あやまちを犯した。』

 ヘブル、6:4ー6『いったん、光をうけて天よりの賜物を味わい、聖霊にあずかる者となり、また、神の良きみ言葉と、きたるべき世の力とを味わった者たちが、そののち堕落した場合には、またもや神の御子を、自ら十字架につけて、さらしものにするわけであるから、再び悔い改めに立ち帰ることは不可能である。』

 ヘブル、10:26,27『もしわたしたちが、真理の知識をうけたのちにもなお、ことさらに罪を犯しつづけるなら、罪のためのいけにえは、もはやあり得ない。ただ、さばきと、さからう者たちを焼きつくす激しい火とを、恐れつつ待つことだけがある。』

     すべての人は生命の権利なしに生まれた

 詩、51:5『視よわれよこしまの中にうまれ罪にありてわが母われをはらみたりき』

 マタイ、7:18『良い木が悪い実をならせることはないし、悪い木が良い実をならせることはできない。』

 ヘブル、9:27『そして、一度だけ死ぬことと、死んだ後さばきを受けることとが人間に定まっているように』

     人類は神によって死んでいるものと見なされている

 ルカ、9:60『彼に言われた、「その死人を葬ることは、死人にまかせておくがよい。あなたは、出て行って神の国を告げひろめなさい。」』

 エペソ、2:1『さてあなたがたは、先には自分の罪過と罪とによって死んでいた者であって』

 テモテ前、5:6『これに反して、みだらな生活をしているやもめは、生けるしかばねにすぎない。』

     神は生命を与える義務を誰にも負っていない

 ロマ、9:14ー24『では、わたしたちはなんと言おうか。神の側に不正があるのか。断じてそうではない。神はモーセに言われた、「わたしは自分のあわれもうとする者をあわれみ、いつくしもうとする者を、いつくしむ」。ゆえに、それは人間の意志や努力によるのではなく、ただ神のあわれみによるのである。聖書はパロにこう言っている、「わたしがあなたを立てたのは、この事のためである。すなわち、あなたによってわたしの力をあらわし、また、わたしの名が全世界に言いひろめられるためである」。だから、神はそのあわれもうと思う者をあわれみ、かたくなにしようと思う者を、かたくなになさるのである。そこで、あなたは言うであろう、「なぜ神は、なおも人を責められるのか。だれが神の意図にさからい得ようか」。ああ人よ、あなたは、神に言い逆らうとは、いったい何者なのか。造られた者に向って、「なぜわたしをこのように造ったのか」と言うことがあろうか。もし、神が怒りをあらわし、かつ、ご自身の力を知らせようと思われつつも、滅びることになっている怒りの器を、大いなる寛容をもって忍ばれたとすれば、かつ、栄光にあずからせるために、あらかじめ用意されたあわれみの器にご自身の栄光の富を知らせようとされたとすれば、どうであろうか。神はこのあわれみの器として、またわたしたちをも、ユダヤ人の中からだけでなく、異邦人の中からも召されたのである。』

      いまの大多数の人々は永遠の生命を得ない

 マタイ、7:13,14『せまい門からはいれ。ほろびにいたる門は大きく、その道は広い。そして、そこか

[269]らはいって行く者が多い。命に至る門は狭く、その道は細い。そしてそれを見いだす者が少ない。』

       キリストのあがないの犠牲は生命の機会を備える

 マタイ、20:28『人の子が来たのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためである』

 テモテ前、2:5,6『神は唯一であり、神と人との間の仲保者もただひとりであって、それは人なるキリスト・イエスである。彼は、すべての人のあがいとしてご自身をささげられたが、それは定められた時になされたあかしにほかならない。』

 ヨハネ第一、2:2『彼は、わたしたちの罪のための、あがないの供え物である。ただ、わたしたちの罪のためばかりではなく、全世界の罪のためである。』

 ヘブル、9:26『もしそうだとすれば、世の初めから、たびたび苦難を受けねばならなかったであろう。しかし事実、ご自身をいけにえとしてささげて罪を取り除くために、世の終りに、一度だけ現れたのである。』

…………

     将来の生命すなわち神から生命の権利を受けることは現在の生命とその利益よりも重大

 マタイ、10:28,39『また、からだを殺しても、魂を殺すことのできない者共(ものども)を恐れるな。むしろ、からだも魂も地獄[:ゲヘナ:新世:復活が無い]で滅ぼす力のあるかたを恐れなさい。自分の命を得ている者はそれを失い、わたしのために自分の命を失っている者は、それを得るであろう。』

 マタイ、18:8『もしあなたの片手または片足が罪を犯させるなら、それを切って捨てなさい。両手、両足がそろったままで、永遠の火に投げ込まれるよりは、片手、片足になって命に入る方がよい。』

 マタイ、6:25『それだから、あなたがたに言っておく。何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。命は食物にまさり、からだは着物にまさるではないか。』

 ペテロ前、1:24『人はみな草のごとく……草は枯れ、花は散る。』

 詩、144:4『人はいきにことならず、そのながらふる日はすぎゆく影にひとし』

 ヤコブ、4:14『あなたがたは、あすのこともわからぬ身なのだ。あなたがたの命は、どんなものであるか。あなたがたは、しばしの間あらわれて、たちまち消え行く霧(きり)にすぎない。』

 詩、102:11『わがよはいはかたぶける日影のごとし、またわれは草のごとくしほれたり』

 伝道、8:13『ただし惡人には幸福(さいはひ)あらず叉その生命も長からずして影のごとしそは神の前におそれをいだくことなければなり』

[270] ルカ、14:26『だれでも、父、母、妻、子、兄弟、姉妹、さらに自分の命までも捨てて、わたしのもとに来るのでなければ、わたしの弟子となることはできない。』

…………

[272]

     生きている者の中のある者は決して死なない

 ヨハネ、11:25,26『わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。また、生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも死なない。』

     他の者は復活によって生命の機会を得る

 ヨハネ、5:28,29『墓の中にいる者たちがみな神の子の声を聞き、善をおこなった人々は、生命を受けるためによみがえり、悪を行った人々は、さばきをうけるためによみがえって、それぞれ出て来る時が来るであろう。』

 使行、24:15『正しい者も正しくない者も、やがてよみがえるとの希望を……持っているのです。』

     永遠の生命はキリストの千年統治の終了後、試みられた地上の者たちに与えられる

 黙示、20:5,7ー12『(それ以外の死人は、千年の期間が終るまで生きかえらなかった)………千年の期間が終ると、サタンはその獄から解放される。そして、出て行き、地の四方にいる諸国民、すなわちゴグ、マゴグを惑わし、彼らを戦いのために招集する。その数は、海の砂のように多い。また、死んでいた者が、大いなる者も小さき者も共に、御座の前に立っているのが見えた。かずかずの巻物が開かれたが、もう一つの巻物が開かれた。これは命の書であった。死人はそのしわざに応じ、この書物に書かれていることにしたがって、さばかれた。』

[273]したがって、さばかれた[:文書に出版物に書かれて居る通りに善き業をする様に助けられる:エホバの教えを聴か無い者は生き続けることが出来無い。「百歳にて死るものも尚(:なほ)わかしとせられ、……[:呪]詛(のろ)われたる罪人(つみびと)とすべし」。イザヤ65:20!!]。』

     生命は律法によっては不可能。また律法によって人々に生命を与えることはできない

 コリント後、3:6『神はわたしたちに力を与えて、新しい契約に仕える者とされたのである。それは、文字に仕える者ではなく、霊に仕える者である。文字は人を殺し、霊は人を生かす。』

 ガラテヤ、3:21『もし人を生かす力のある律法が与えられていたとすれば、義はたしかに律法によって実現されたであろう。』

     すべての人の生命はエホバに永久に依存する

 ヨハネ、17:3『永遠の命とは、唯一の、まことの神でいますあなたと、また、あなたがつかわされたイエス・キリストを知ることであります。』

 詩、27:4『われ一つの事をヱホバにこへり我これをもとむ、われヱホバの美(うるわ)しきを仰ぎその宮[:新世:神殿]をみんがためにわが世にあらん限りはヱホバの家にすまんとこそ願ふなれ』

     生命の道を歩み始めるのに献身は必要

 ヘブル、10:7『その時、わたしは言った、「神よ、わたしにつき、巻物の書物に書いてあるとおり、見よ、御旨を行うためにまいりました。」』

 マルコ、1:9ー11『そのころ、イエスはガリラヤのナザレから出てきて、ヨルダン川で、ヨハネからバプテスマをお受けになった。そして、水の中から上がられるとすぐ、天が裂けて、聖霊が鳩のように自分に下って来るのを、ごらんになった。すると天から声があった、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である。」』

 マタイ、28:19『それゆえに、あなたがたは行って、すべての国民を弟子として、父と子と聖霊の名によって、彼らにバプテスマを施し』

     円熟に向かって進歩することが必要

 ヘブル、6:1ー3『そういうわけだから、わたしたちは、キリストの教えの初歩をあとにして、完成を目ざして進もうではないか。今さら死んだ行いの悔い改めと神への信仰、洗いごとについての教えと按手、死人の復活と永遠のさばき、などの基本の教えをくりかえし学ぶことをやめようではないか。神の許しを得て、そうすることにしよう。』

 コリント前、14:20『兄弟たちよ、物の考えかたでは、子供となってはいけない。悪事については幼子となるのはよいが、考えかたでは、おとなとなりなさい。』

 ヘブル、5:12ー14『あなたがたは、久しい以前からすでに教師となっているはずなのに、もう一度神の言の初歩を、人から手ほどきしてもらわねばならない始末である。あなたがたは堅い食物ではなく、乳を必要としている。すべて乳を飲んでいる者は、幼な子なのだから、義の言葉を味わうことができない。しかし、堅い食物は、善悪を見分ける感覚を実際に働かせて訓練された成人のとるべきものである。』

 ヘブル、10:38,39『「わが義人は、信仰によって生きる。もし信仰を捨てるなら、わたしのたましいは

[274]これを喜ばない」。しかしわたしたちは、信仰を捨てて滅びる者ではなく、信仰に立って、いのちを得る者である。』

 また『魂』、『贖い』、『死』と『御国』をも見なさい。


[278]

      結婚

      定義

 結婚とは一人の男と一人の女が、死別するまで互いの苦楽をわかち合いつつ、夫と妻の関係および義務の下に生活すると相互に同意(契約)することです。結婚は妻子を支え、家庭を維持し、子供を教え、訓練し、妻と家庭を危害や侮辱から保護する一切の法律上の義務を夫に負わせます。妻は夫の決定する場所で共に生活し、夫の利益と幸福の増進に努める義務を負います。妻は家事の務めをはたし、自分の子供たちを世話する義務を有します。

      起源

 エデンの園でアダムとエバに対してエホバが決定した。---創世,1:27,28。2:22-24。

      クリスチャンが結婚することは正しい

 コリント前、7:9,28,36『もし自制することができないなら、結婚するがよい。……たとい結婚しても罪を犯すのではない。……やむを得なければ、望みどおりしてもよい。それは罪を犯すことではない。ふたりは結婚するがよい。』

 ヘブル、13:4『すべての人は、結婚を重んずべきである。また寝床を汚してはならない。』

 コリント前、9:5『わたしたちは、ほかの使徒たちや主の兄弟たちやケパのように、信者である妻を連れて歩く権利がないのか。』

 マタイ、8:14『イエスはペテロの家にはいって行かれ、そのしゅうとめが熱病で床についているのをごらんになった。』

 使行、21:8,9『伝道者ピリポ……この人に四人の娘があったが、いずれも処女であって、預言をしていた。』

 レビ、21:10,13『祭司の長となれる者は……彼妻には処女をめとるべし』


      一夫多妻はクリスチャンに禁ぜられる

 テモテ前、3:2ー4『さて、監督は、非難のない人で、一人の妻の夫であり、自らを制し、慎み深く、礼儀正しく、旅人をもてなし、よく教えることができ……自分の家を

[279]よく治め、謹厳であって、子供たちを従順な者に育てている人でなければならない。……執事はひとりの妻の夫であって、子供と自分の家とをよく治める者でなければならない。』

     クリスチャンはクリスチャンだけと結婚

 コリント前、7:39『妻は夫が生きている間はその夫につながれている。夫が死ねば望む者と結婚してもさしつかえないが、それは主にある者とに限る。』

 申命、7:3,4『また彼らと婚姻をなすべからず汝のむすめを彼のむすこに與(あた)ふべからず汝のむすめを彼のむすこにめとるべからずそは彼ら汝のむすこを惑はして我を離れ之をして他の神々に仕へしむるありてヱホバこれがために汝らにむかひて怒りを發(はっ)しにはかに汝を滅したまふにいたるべければなり』

 シシ、14:3『その父母これにいひけるは汝ゆきて割禮をうけざるペリシテ人のうちより妻を迎へんとするは汝が兄弟等のむすめのうちもしくはわがすべての民のうちにおんななきが故なるかと』

 創世、26:34,35『エサウ……(異教徒の女)を妻にめとれり彼等はイサクとリベカの心のうれひとなれり』

 コリント後、6:14『不信者と、つり合わないくびきを共にするな。義と不義とになんの係わりがあるか。光とやみとなんの交わりがあるか。』

 また列王上、11:1-9を見よ。

      未婚のクリスチャンは御国の事柄により良く専心できる

 コリント前、7:32ー34『未婚の男子は主のことに心をくばって、どうかして主を喜ばせようとするが、結婚して居る男子はこの世のことに心をくばって、どうかして妻を喜ばせようとして、その心が分かたれるのである。』

 マタイ、19:11,12『するとイエスは彼らに言われた、「その言葉をうけいれることができるのはすべての人ではなく、ただそれを授けられている人々だけである。………天国のために、みずから進んで独身者[新世:閹人があり:母の胎からそのように生まれついた~、人によって~、天の王国のゆえに自らを閹人とした~]となったものもある。この言葉を受けいられる者は受けいれるがよい。」』

      既婚のクリスチャンは結婚状態を保つべきである

 コリント前、7:10ー16,標準[:文語訳]『われ婚姻したる者に命ず(命ずる者は我にあらず主なり)妻は夫と別(わか)るべからず。もし別るることあらば、嫁がずしておるか、叉は夫と和げ、夫もまた妻をさるべからず。………もしある兄弟に不信者なる妻ありてともに居ることをよしとせば、之を去るな。また女に不信者なる夫ありてともに居ることをよしとせば、夫を去るな。』

 マタイ、19:4ー6『あなたがたはまだ読んだことがないのか。「創造者は初めから人を男と女とに造られ、そして言われた、それゆえに人は父母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりの者は一体となるべきである」。彼らはもはや二人ではなく一体である。だから神が合わせられた者を人は離してはならない。』

 コリント前、7:15『しかし、もし不信者の方が離れて行くのなら、離れるままにしておくがよい。兄弟も姉妹も、こうした場合には束縛されてはいない。神は、あなたがたを平和に暮らさせるために召されたのである。』

      死は結婚の契約を解消する

 コリント前、7:39『妻は夫が生きている間は、その夫につながれている。』

 ロマ、7:2,3『すなわち、夫の

[280]ある女は夫が生きている間は、律法によって彼につながれている。しかし、夫が死ねば、夫の律法から解放される。であるから、夫の生存中に他の男に行けば、その女は淫婦と呼ばれるが、もし夫が死ねばその律法から解かれるので、他の男に行っても淫婦とはならない。』

      クリスチャンの離婚を許す理由

 マタイ、5:31,32『わたしはあなたがたに言う。だれでも、不品行[みだらな行ない:不法な結婚とも??淫行者なので、結婚自体が不法??]以外の理由で自分の妻を出す者は、姦淫を行わせるのである。また出された女をめとる者も、姦淫を行うのである。』

 マタイ、19:8,9『モーセはあなたがたの心がかたくななので、妻を出すことを許したが、初めからそうではなかった。そこでわたしはあなたがたに言う。不品行[みだらな行ない]の故でなくて自分の妻を出して他の女をめとる者は姦淫を行うのである。』

 マルコ、10:11,12『だれでも自分の妻を出して他の女をめとる者は、その妻に対して姦淫を行うのである。また妻が、その夫と別れて他の男に嫁ぐならば、姦淫を行うのである。』

 またルカ、16:18を見よ。

      結婚を禁ずることは悪い

 テモテ前、4:1ー3『後の時になると、ある人々は、惑わす霊と悪霊の教えとに気をとられて、信仰から離れさるであろう。……これらの偽り者どもは、結婚を禁じ』

      クリスチャンの夫の義務

 コリント前、11:3『あなたがたに知っていてもらいたい。すべての男のかしらはキリストであり、女のかしらは男であり、キリストのかしらは神である。』

 エペソ、5:22ー33『妻たるものよ。主に仕えるように自分の夫に仕えなさい。キリストが教会のかしらであって、自らは、からだなる教会の救い主であられるように、夫は妻のかしらである。……妻もすべてのことにおいて、夫に仕えるべきである。夫たる者よ、キリストが教会を愛してそのためにご自身をささげられたように、妻を愛しなさい……夫も自分の妻を、自分のからだのように愛さねばならない。自分の妻を愛する者は、自分自身を愛するのである……いずれにしても、あなたがたは、それぞれ、自分の妻を自分自身のように愛しなさい。妻もまた夫をうやまいなさい。』

      クリスチャンの妻の義務

 ペテロ前、3:1ー7『同じように、妻たる者よ。夫に仕えなさい。そうすれば、たとい御言に従わない夫であっても、あなたがたのうやうやしく清い行いを見て、その妻の無言の行いによって、救いに入られるようになるであろう。……夫たる者よ。あなたがたも同じように、女は自分よりも弱い器であることを認めて、知識に従って妻と共に住み、いのちの恵みを共どもに受けつぐ者として、たっとびなさい。それは、あなたがたの祈りがさまたげられないためである。』

 コロサイ、8:18,19『妻たる者よ、夫に仕えなさい。それが、主にある者にふさわしいことである。夫たる者よ、妻を愛しなさい。つらくあたってはいけない。』

………

[288]

      神の奉仕者

      定義

 字義通りには、僕(ギリシャ語デアコノス、『塵を通して』[:『洞察』の本の第二巻、p,822頁に現在の理解が在る。「『塵を通して』は現在では一般に受け入れられていない、それよりも『一つの場所から他の場所に達する』と言う意味の動詞[ディエーコー]を語根として居た可能性である。『急いで従う、追う』と言う意味の語[ディオーコー]と近縁の語である……『他の人のために根気よく手を伸ばす人』と言うことになる」--1983年、第140巻、153頁。「ビブリオテカ・サクラ」誌、D・エドモンド・ヒーバート])。全能の神エホバの公けの僕。エホバによって任命される。イエス・キリストの足跡に従い、エホバが建てられたキリストの御国の良いたよりを宣べ伝える者。宇宙の最高の神--支配者の発する命令と任務を実行する者。

 任命:奉仕に任ずること。

[307]

       祈り

       定義

 真の祈りは心からの願いであり、正しい事柄を正しい方法で願うもの、また正しい方に捧げられるものです。クリスチャンの祈りは、正しい方すなわち宇宙の至上者であるエホバ神にのみ捧げられます。ゆえに祈りは、祈りを聞き給う方の至上なることを正しく認め、また祈る者の低いことを十分に認めて敬虔に捧げられます。神に近づく正しい方法は、ただイエス・キリストの名によって、またその名を通して近づくことです。祈りは、エホバ御自身が正しいと認めた事柄を願い求めるときにのみ、聞きとどけられます。三つの肝要な事柄のうち何が欠けても、その祈りは聞かれません。正しい者の祈りだけが聞かれます。

      祈りはエホバ神のみに正しく捧げられる

 詩、5:1,2' '詩、'65:1,2 詩、143:1 マタイ、6:9 マタイ、6:9 ピリピ、4:6

      偶像、聖徒、被造物に捧げるのではない

 詩、115:4-6 コリント前、8:4-6 イザヤ、45:20 テモテ前、2:5

    神への祈りはイエス・キリストの名によってのみ捧げられる

 ヨハネ、14:6,14 ヨハネ、16:23-27 ロマ、16:27

     『アァメン』で結ぶことは正しい

 コリント前、14:16 

[309]黙示、5:14 歴代上、16:36 詩、72:19,20 また:申命、27:14-26。詩、41:13。89:52。ガラテヤ、6:18。ユダ、25。

     祈りを聞き、それに答えるエホバの力は無限

 イザヤ、65:24『かれらが呼ばざるさきにわれこたへ彼らがかたりをへざるに我きかん。』

 エペソ、3:20,21『どうか、わたしたちのうちに働く力によって、わたしたちが求めまた思うところのいっさいを、はるかに超えてかなえて下さることができるかたに、教会により、また、キリスト・イエスによって、栄光が世々限りなくあるように、アァメン。』

     祈りの大きなテストは、祈りを聞いて答えるエホバのすぐれた力を示す

 列王上、18:20-24

   祈りは敬虔なもので、霊と真理とをもって、捧げねばならない

 ヨハネ、4:23 詩、145:18

[310]………

   代表して祈るとき、女はかしらをおおう、男はかしらをおおってはならない

 コリント前、11:4,5,7,10,16

   たゆまずに祈ることのすすめ

 コロサイ、4:2『目をさまして、感謝のうちに祈り、ひたすら祈り続けなさい』

 ルカ、18:1-8『ある町に、神を恐れず、人を人とも思わぬ裁判官がいた。ところがその同じ町にひとりのやもめがいて、彼のもとにたびたびきて、「どうぞ、わたしを訴える者をさばいて、わたしを守ってください」と願いつづけた。彼はしばらくの間きき入れないでいたが、そののち、心のうちで考えた、「わたしは神をも恐れず、人を人とも思わないが、このやもめがわたしに面倒をかけるから、彼女のためになる裁判をしてやろう。そうしたら、絶えず(とことん:新世訳)やってきてわたしを悩ますことがなくなるだろう」』。

 ロマ、12:12『望みをいだいて喜び、患難に耐え、常に祈りなさい』。

   偽善的な公の祈りは正しくない

 マタイ、6:5,6

[311]

 ルカ、18:9ー14 マルコ、12:40

    会衆の祈りは聞かれる

 使行、1:14 使行、4:23-31 使行、20:36 列王上、8:22,23

   イエスは祈るべき事柄の重要さの順序を示した

 マタイ、6:9ー13[まず先に神の栄光の御名の名誉と目的(:意図)と御意志が先に成就するように祈られた、それから個人的な必要なものが祈られた。日毎に食物、他罪、自罪の相互の赦し、誘惑、険凶悪からの解放、真理、御意志の理解、賛美などは、基本的なものとされた。そのほかは個人的な物事で、自由に祈ることができる、その都度ごとに何時でも祈っても良いらしい、御名呼び求めも?!]

     祈るべき他の事柄と場合

     食物のために

 シンゲン30:7-9

[312]

     許しを願う

 マルコ、11:25

     誘惑から身を守るために

 マタイ、26:41

     神の御心を知るために

 詩、24:4,5『ヱホバよ汝の大路をわれにしめし、なんぢのみちをわれにをしへたまへ我をなんぢのまことにみちびき我ををしへたまへ』

     知識を求めて

 詩、119:66

     理解を求める

 列王上、3:7,9『わが神ヱホバ……この故にきき別る心を僕に與(あた)へて汝の民をさばかしめ我をして善惡をわきまふることを得さしめたまへ』

     賛美

 ダニエル、2:23

     感謝

 テサロニケ前、5:17,18

     食事のとき

 ルカ、24:30『一緒に食卓につかれたとき、パンを取り、祝福してさき、彼らに渡しておられるうちに』

     記念式のとき

 コリント前、11:23,24

     会衆のために

 民数、21:7『これによりて民モーセにいたりて言ひけるは我らヱホバと汝にむかひてつぶやきて罪をえたりこふ汝ヱホバに祈りて蛇を我等よりは取(とり)はな[:離]さしめよとモーセすなはち民のために祈りければ』

     家族のために

 ヨブ、42:10

     友人のために

 ヨブ、42:10『ヨブその友のために祈れる時、ヱホバの自己(おのれ)に宣(のた)まひしごとく為(な)しければ ヱホバすなはちヨブを嘉納(うけいれ)たまへり』

      神権的な奉仕者のために

 ロマ、15:30-32『兄弟たちよ。わたしたちの主イエス・キリストにより、かつ御霊の愛によって、あなたがたにお願いする。どうか、共に力をつくして、わたしのために神に祈ってほしい。すなわち、わたしがユダヤにおる不信の徒から救われ、そしてエルサレムに対するわたしの奉仕が聖徒たちに受けいれられるものとなるように』

      迫害に苦しむ者のために

 使行、12:5 [:現行新世訳:こうしてペテロは獄に入れられていた。しかし、彼のために神への祈りが会衆によって熱烈に続けられていた。]

     制度[神の組織]の平和を求めて

 詩、122:6『ヱルサレム[:地上で苦難に在っている地上の組織、ものみの塔の組織と信者14満4千人個々人??!]のためにやすきを祈れ、ヱルサレム(:神権王国)を愛す

[313]るものは榮(さか)ゆべし』

     霊的な病気の人のために

 ヤコブ、5:13-15 [:現行新世訳:13.あなた方の中で苦難にあっている人がいますか。その人は祈り続けなさい。元気な人がいますか。その人は詩を歌いなさい。14.あなた方の中に病気の人がいますか。その人は会衆の年長者を自分のところに呼びなさい。そして、エホバの名において油を塗ってもらい、自分のために祈ってもらいなさい。15.そうすれば、信仰の祈りが病んでいる人をよくし、エホバはその人を起き上がらせてくださるでしょう。また、その人が罪をおかしたのであれば、それは許されるでしょう。]

     迫害を加える者のために

 マタイ、5:44、[:現行新世訳、『しかし、わたしは言いますが、あなた方の敵を愛しつづけ、あなた方を迫害している者たちにために祈りつづけなさい』。]

     救いを求めて

 詩、143:9『ヱホバよねがはくは我をわが仇よりたすけ出したまへ、われ匿(かく)れんとして汝にはしりゆく』

     悪き者の滅びを祈る

 詩、59:5,13『汝ヱホバ萬軍の神イスラエルの神よ。ねがはくは目をさましてもろもろの國にのぞみたまへ、あしき罪人にあはれみを加えたまふなかれ、忿恙[:??正:恚:恙(つつがなき??)は誤植??](:ふんい)をもてかれらをほろぼしたまへ、再びなが[:永]らうることなきまでに彼等をほろぼしたまへ』

     世のために祈ることは間違いであり、従ってその祈りは聞かれない

 ヨハネ、17:9『わたしは彼らのためにお願いします。私がお願いするのは、この世のためにではなく、あなたがわたしに賜わった者たちのためです。』 

 ヤコブ、4:3,4『求めても与えられないのは、快楽のために使おうとして、悪い求め方をするからだ。不逞のやからよ。世を友とするのは、神への敵対であることを、知らないのか。』 

 イザヤ、1:15『我なんじらが手をのぶるとき目をおほひ、汝等が多くの祈禱をなすときも聞くことをせじ、なんじらの手には血みちたり』

     宣教に対して支配者が友好的にふるまうように祈ることは正しい

 テモテ前、2:1-4『そこで、まず第一に勧める。すべての人のために、王たちと上に立っているすべての人々のために、願いと、祈りと、とりなしと、感謝とをささげなさい。それはわたしたちが、安らかで静かな一生を、真に信心深くまた謹厳に過ごすためである。これは、わたしたちの救い主である神のみまえに良いことであり、また、みこころにかなうことである。』

 エレミヤ、29:7『我汝らをとらへ移さしめしところの邑(まち)の安(やすき)を求めこれが為にヱホバに祈れ、その邑の安きによりて汝らもまた安きをうればなり』

 エズラ、6:1-10『彼らをして馨しき香の犠牲を天の神に獻(ささ)ぐることを得さしめ王とその子女の生命のために祈ることを得せしめよ』

 ネヘミヤ、1:11-2:8『主よ請ふ僕の祈禱(いのり)……に耳を傾けたまへ願はくは今日僕を助けて此人(このひと)の目の前に憐憫(あはれみ)を得させたまへこの時我は王の酒人(さかびと)なりき』『王我に向ひて然らば汝何をなさんと願ふやと言ひければ我すなはち天の神に祈りて王に言けるは……我神(わがかみ)善く我を助け給ひしに因(よ)りて王これを我にゆるせり』

 使行、26:28-32…………それから、王も……みな立ちあがった。退場してから、互いに語り合って言った、「あの人は、死や投獄に当るようなことをしてはいない。」』

[314] コロサイ、4:3,4『同時にわたしたちのためにも、神が御言のために門を開いて下さって、わたしたちがキリストの奥義を語れるように…………祈ってほしい。』

 また エステル、4:19。5:2。

      悪しき者の祈りは聞かれない

 シンゲン15:29 [:現行新世界訳、エホバは邪悪な者たちから遠く離れておられる。しかし、義なる者たちの祈りを聞いてくださる。

 シンゲン28:9 :同上:律法を聞くことから耳を背けている者。-その者の祈りさえも邪悪である。]

 ミカ、3:4[:現行新世訳、『その時、この者たちが助けを呼び求めても、エホバはそれに答えない。そしてその時、彼らから顔を隠して、彼らが所業として行った悪のとおりに行なわれる』。]

 ゼカリヤ、7:12,13『且その心を金剛石のごとくにし萬軍のヱホバがその御霊をもって已往(さき)の預言者に由(より)て傳(つた)へたまひし律法と言詞(ことば)に聽きしたがはざりき是をもて大いなる怒り萬軍のヱホバより出て臨めり彼かく呼はりたれども彼等聽ざりき其のごとく彼ら呼はるとも我聽じ萬軍のヱホバこれを言ふ』

     『見知らぬ者』の中の正しい者あるいは『献身した者』の祈りだけが聞かれる

 シンゲン15:8『惡者(:あしきもの)の祭物(:そなえもの)はヱホバに憎まれ、直き人の祈りは彼に悦(:よろこ)ばる』

 ペテロ前、3:12『主の目は義人たちに注がれ、主の耳は彼らの祈りにかたむく。しかし主のみ顔は、悪を行う者に対して向かう。』

 詩、34:15,17『ヱホバの目はたゞしきものをかへりみ、その耳は彼らの號呼(:さけび)にかたぶく義しき者さけびたればヱホバ之をききてそのすべての患難よりたすけいだしたまへり』

 イザヤ、56:6,7『またヱホバにつらなりこれに事(:つか)へ、ヱホバの名を愛しその僕となり………異邦人は我これをわが聖山(:きよきやま)にきたらせ、わが祈りの家のうちにて楽しましめん』

 使行、10:30,31『これに対してコルネリオが答えた、「四日前、ちょうどこの時刻に、わたしが自宅で午後三時の祈りをしていますと、突然、輝いた衣を着た人が前に立って申しました、『コルネリオよ、あなたの祈りは聞きいれられ』」』

 ヨハネ第一、3:22『そして、願い求めるものは、なんでもいただけるのである。それは、わたしたちが神の戒めを守り、みこころにかなうことを、行っているからである。』

 マタイ、7:8『すべて求めるものは得、捜す者は見いだし、門をたたくものは開けてもらえるからである。』

 また エレミヤ、29:12,13。[:現行新世界訳:29:12.そして、あなた方は必ずわたしを呼び、来て、わたしに祈り、わたしはあなた方の言葉を聴くであろう。13.そして、あなた方は実際にわたしを求め、わたしを見いだすであろう。あなた方は心をつくしてわたしを尋ね求めるからである。]

        煉獄        

        定義

 『カトリックの教えによると、この煉獄(ラテン語パーガレ。清くする、清めるという意味)は、神の恵みのうちにこの世を去った者で、軽い過失を犯している者、また罪過に対して十分のつぐないをしていない者の一時的刑罰の場所または状態です。……その中に監禁されている魂は忠信者の

[315]祈りによって助けられますが、主として祭壇上の受け入れられる犠牲によって助けられます。』(カトリック百科辞典第12巻)偽りの教理。

        起源

 『この問題に関するあるカトリックの神父の見解が何であるにせよ、最初の600年間、クリスチャン教会の中で[煉獄]の教理は知られていなかった。それは十世紀になってはじめて一つの信仰箇条となったものと思われる。……1875年のオールド・カトリックのボン会議でドウエリンガーはこう言った、「罪を焼きほろぼすものとしての煉獄はグレゴリー一世[法王、595-604年]がそれを紹介するまでは西洋だけでなく東洋でも知られていない考えであった。………グレゴリー一世は苦しみの火の考えをつけ加えた。」』(マクリントックとストロングの百科辞典第8巻、1879年版)カトリック聖書のどの翻訳にも「煉獄」の言葉は出ていません。「煉獄」に魂がいると述べている聖書の句はひとつもありません。

      人間の言伝えは教理の真実さを証明する権威ではない。神の言葉である聖書は真の手引き

 マタイ、15:1-9 ガラテヤ、1:10-16 コロサイ、2:8 ヨハネ、8:31,32 イザヤ、8:20

      死んだのち魂は無意識で、『煉獄』で苦しめられることはない。ゆえに死者のための祈りは何の

[316]            役にも立たない

 エゼキエル、18:4 伝道、9:10 イザヤ、38:18 

 また『魂』の項を見よ。

      魂がすでに生きていて『煉獄』で清められたのなら、復活(すなわち生命へ再び起されること)は不必要

 ヨハネ、5:28,29 マタイ、22:31,32 ヨハネ、11:25,26

      人間の罪は生きている時にゆるされねばならぬ、なぜならキリストにあって死んでいるにせよ、死の眠りについているにせよ、罪は無活動のものと考えられている

 ロマ、6:6,7 使行、13:38,39 

      人類の罪はイエスの血によってのみ完全に清められる

 イザヤ、1:18『ヱホバいひたまはく、いざわれらともにあげつらはん、なんぢらの罪は緋のごとくなるも雪のごとく白くなり、くれないのごとく赤くとも羊の毛のごとくにならん』

 黙示、7:9,14『その後、わたしが見ていると、見よ……大勢の群衆が、白い衣を身にまとい、……御座と小羊との前に立ち………彼らは………その衣を小羊の血で荒い、それを白くしたのである。』

 ヘブル、9:22『こうして、ほとんどすべての物が、律法に従い、血によってきよめられたのである。血を流すことなしには、罪の許しはあり得ない。』

 ヨハネ第一、1:7,9『しかし、神が光の中にいますように、わたしたちも光の中を歩くならば、わたしたちは互いに交わりをもち、そして、御子イエスの血が、すべての罪からわたしたちをきよめるのである。も

[317]し、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる。』

    『清めの火』は信仰と忠節の試験を象徴的に表すために用いられている。それによって神の僕は奉仕にそなえて全き者とされる。彼ら自身のゆるしのためではない

 イザヤ、6:5-9 マラキ、3:1-3 ヘブル、9:14

    『清めの火』は死後ではなく、生きている時に人間のわざと信仰を試み、彼を清めると示されている。ある者は『滅びの火』からかろうじて救われる

 コリント前、3:11-15 [……15.だれかの業が燃え尽きるなら、その人は損失を被ることになりますが、その人自身は救われます。しかし、そうであるとしても、火をくぐるようにしてでしょう。] 

ペテロ前、1:7[:それは、火によって試されながらも滅びてしまう金よりはるかに価値のある、あなた方の信仰の試された質が、イエス・キリストの表わし示される時に、讃美と栄光と誉れのいわれとなるためなのです。] 

ユダ、22,23[:22.また、疑いを抱く者たちには引き続き憐れみを示しなさい。23.彼らを火の中からつかみ出して救いなさい。しかし、他の人々に引き続き憐れみを示しなさい。それと共に、肉によって汚された内衣をさえ憎みなさい。] 

アモス、4:11[:……神がソドムとゴモラを覆したときのようであった。そしてあなた方は、燃える中からつかみ出された丸太のようになった。それでもあなた方はわたしのもとに戻らなかった。]

[318]

    『迫害の火』はキリストの苦難にあずかることを意味す

 ペテロ前、4:12,13 [:12.愛する者たちよ、あなた方の間の燃えさかる火は、試練としてあなた方に起きているのであり、何か異常なことが身に降り懸かっているかのように当惑してはなりません。13.かえって、キリストの苦しみにあずかる者となっていることを歓びとしてゆきなさい。それは、彼の栄光の表わし示される時にも、あなた方が歓び、また喜びにあふれるためです。]

[322]

………

      贖い

      定義

 行為としての贖いは『代価を支払って、捕われの身、奴隷状態、刑罰またはそれと同様のことから受け戻すこと、束縛から買い戻すこと、罪と罪の刑罰、または、それと同様のことから救い出すこと、贖い主となること』を意味します。(ウエブスター『新国際辞典』)聖書の中で贖いとは、困難、患難や災難から救い出すもの、特に受けついできた罪および罪の結果である永遠の死から解き放つもの、解放するものを意味します。聖書の真の教理。

[325]

      宗教

      定義

 崇拝の組織、崇拝の形式。それは真の崇拝か、偽りの崇拝のいずれかであり得ます。宗教は(1)自然の宗教、(2)啓示宗教のいずれかです。

…………

     偽りの宗教は反逆の御使いによって始められ、紹介された

 コリント後、11:3 黙示、12:9 ヨハネ、8:44 エゼキエル、28:14,15

[327]

     西暦前2369年、ノアは洪水で清められた地に真の宗教を始めた

 創世、8:20 ヘブル、11:7

     ニムロデは洪水後、偽りの宗教組織を作り始めた

 創世、10:8-12 創世、11:4,9

     西暦前1513年-607年、ユダヤ国民は神の支配の下で国家的な崇拝を行ない、キリスト教の預言的な型となった

 出エジプト、19:5,6 イザヤ、33:22 ヘブル、8:5 ヘブル、10:1

     西暦29-33年、イエス・キリストは真の宗教を啓示するために肉体となって来られた

 ヨハネ、1:14-18 ヘブル、1:1,2

[328] イザヤ,42:6

     キリスト教国は真の宗教からの大きな背教とともに始まった

 テサロニケ後、2:6,7 使行、20:29,30 ペテロ後、2:1

……………

[329]

     唯一つの安全な道は偽りの宗教を捨てて真の宗教を学び、実行すること

 ゼパニヤ、2:3『すべてヱホバの律法を行ふこの地のへりくだるものよ汝等ヱホバを求め公義を求め謙遜を求めよさすれば汝等ヱホバのいかりの日にあるひはかくさるることあらん』

 シンゲン18:10『ヱホバの名はかたきやぐらのごとし、ただしき者はこれに走り入りて救いを得』

 マタイ、24:15-21『預言者ダニエルによって言われた荒らす憎むべき者が、聖なる場所に立つのを見たならば(読者よ、悟れ)、そのとき、ユダヤにいる人々は山へ逃げよ。屋上にいる者は、家からものを取り出そうとして下におりるな。畑にいる者は、上着を取りにあとへもどるな。その日には、身重の女と乳飲み子をもつ女とは、不幸である。あなたがたの逃げるのが、冬または安息日にならないように祈れ。その時には、世の初めから現在に至るまで、かつてなく、今後もないような患難が起こるからである。』

 ペテロ前、4:19『だから、神の御旨に従って苦しみを受ける人々は、善をおこない、そして、真実であられる創造者に、自分のたましいをゆだねるがよい。』

…………

     偽りの宗教は滅ぼされて真の宗教は生き残る

 ルカ、11:17 黙示、17:1,16

[330]

 エレミヤ、25:34,35

      全地に再び一つの真の宗教が存在する時が来て、それは永遠に続く

 ヨハネ、4:23,24 黙示、21:3,4 ダニエル、2:44,35

      真の啓示宗教は神の自由の子らのかがやかしい地位に人類を回復させる

 ロマ、8:21 ガラテヤ、5:1 コリント後、3:17

      真の宗教は御子を通して神から啓示された宗教である。自然を研究する自然の宗教は十分ではない

 コリント前、2:9,10 ロマ、16:25,26 ダニエル、2:22 アモス、3:7 エペソ、3:4、5 ロマ、1:17

[331]

      真の宗教は神とキリストをあがめる

 ペテロ前、2:17 黙示、5:12,13 黙示、7:12 黙示、19:1,6 詩、150:6

[341]

      復活

      定義

 復活とは、死んで今では存在していない者を生命に回復することです。ギリシャ語の言葉アナスタシスは、『起きあがる』という意味です。それは神のわざであり、キリストを通して働く神のすばらしい力および死者を記憶される神の記憶に全く依存しています。復活はその人の持つ生命の型を再び活動させることです。生命の型は神の持つ記録にのせられており、神の記憶にあると述べられています。復活はその人の持っていたからだを元通りに回復することではありません。生命の型はその人の一生の記録です。習慣、性癖、精神的能力、記憶、経歴に応じて一生の間に得る経験と、思想が生命の型を形づくります。また生命の型はその人の知的な成長およびその人の特質の記録で、その人の個性を形づくるものです。ゆえにその人に対する神の御心に従い、復活の時には人間あるいは霊者のからだに再創造されますが、その人の持つ特定の生命の型は再び生かされて活動を始めるので、その人は死んで復活を受ける以前の人と全く同じです。

…………

     人間不滅のにせ教理は復活を否定する。ゆえに異教徒は復活に反対した。

 申命、31:16『ヱホバ モーセに言ひ給ひけるは汝は先祖たちとともにねむらん』

 サムエル後、7:12『汝の日の満ちて汝が汝の父祖たちと共にねむらん時に我汝の身より出る汝ののこを汝の後に立ててその国を堅うせん』

 使行、2:14,29,34,35

 使行、17:18ー34『また、エピクロス派やストア派の哲学者数人も、パウロと議論を戦わせていたが、その中のある者たちが言った。「このおしゃべりは、いったい何を言おうとしているのか」。また、ほかの者たちは、「あれは、異国の神々を伝えようとしているらしい」と言った。パウロがイエスと復活とを宣べ伝えていたからであった。そこで、彼らはパウロをアレオパゴスの評議所に連れて行って、「君の語っている新しい教えがどんなものか、知らせてもらえまいか。君がなんだか珍しいことを我々に聞かせているので、それが何のことなのか知りたい

[343]

と思うのだ」と言った。そこでパウロは………言った、「………神は、義をもってこの世界をさばくためその日を定め、お選びになったおかたによってそれをなし遂げようとされている。すなわち、このおかたを死人の中からよみがえらせ、その確証をすべての人に示されたのである」。死人のよみがえりのことを聞くと、ある者たちはあざ笑い、またある者たちは、「この事については、いずれまた聞くことにする」と言った。』

…………

     人は生命の型により見分けられる。その生命の型が神の記憶にある

 ヨブ、14:13ー15『願わくは汝われを陰府(よみ)にかくし、汝のいかりのやむまで、我をおほひ我のために期を定めしかして我をおもひたまへ人もし死なばまた生きんや、我はわがいくさの諸日の間望みをりて我がかはりの來るを待たんなんぢ我を呼び給はんしかして我こたへん、汝かならず汝の手のわざをかへりみたまはん』

 シンゲン 23:7『そはその心に思ふごとくその人となりもまたしかればなり』

 マラキ、3:16『その時ヱホバをおそる者互いに相かたりヱホバ耳をかたむけてこれを聽きたまへりまたヱホバを畏るる者およびその名を記憶る者のためにヱホバの前に記念の書を書きしるせり』

     イエスの生命の型(記憶、精神的能力、性癖および習慣)は復活の時に回復された。化肉したさまざまのからだによってではなく、個性によってイエスであることが認められた

 ルカ、24:13ー35。ヨハネ、21:4ー7。ヨハネ、20:14,16。

[345]

………

     神の記憶の中にある者だけに希望がある

 ヨハネ、5:28,29『このことを驚くには及ばない。墓の中にいる者たちがみな神の声を聞き……よみがえって、それぞれ出てくる時が来るであろう。』

 使行、2:27ー32『ダビデは………キリストの復活をあらかじめ知って、「彼は黄泉に捨ておかれることがなく、またその肉体が朽ち果てることもない」と語ったのである。このイエスを神はよみがえらされた。そしてわたしたちは皆その証人である。』

 黙示、20:13『海はその中にいる死人を出し、死も黄泉もその中にいる死人を出し、そして、おのおのそのしわざにおうじて、さばきをうけた。』

     悪人は記憶されず、復活を受けない

 シンゲン 21:16『さとりの道を離るる人は死にし者の集会の中にをらん』

 シンゲン 10:7『義者の名は讃められ、悪者の名は腐る』

 オバデヤ、16『我らのわがきよき山にて飲みしごとく萬国の民も恒に飲まんすなはち飲みかつすすりてはじめよりあらざりし者のごとくならん』

 エレミヤ、51:57『彼らは永きねむりにいりて目を醒ますことあらじ』

 イザヤ、26:14『彼ら死にたればまた生きずなきたまとなりたればまたかへらず、なんぢかれらをただしてこれを滅しその記念の名をさへことごとくうせしめたまへり』

 詩、109:15,16『かれらは恒にヱホバの前におかれ、その名は地よりたたるべし』

 マタイ、25:41,46『それから、左にいる人々にも言うであろう、「のろわれた者どもよ、わたしを離れて、悪魔とその使いたちとのために用意されている永遠の火には[:い]つてしまえ」。そして彼らは永遠の刑罰を受け、正しい者は永遠の生命に入るであろう。』

    復活は人間の魂が新しく生まれる子の中に転生することではない

 ヨハネ、3:4。マタイ、17:10ー13。ルカ、1:13,15,17。

[347]

    144,000人の中の初期の人々は西暦1918年キリストの現われの日まで死んで眠っている

 コリント前、15:22ー24、52。テサロニケ、4:14、16。ヨハネ、11:23、24。テモテ後、4:7、8。またヨハネ、6:33、38ー40、53ー58を見よ。

    1918年以降に死ぬこの級の人々は死ぬと共にすぐに変えられる

 コリント前、15:51、52。テサロニケ前、4:15ー17。

[348]

    忠実を立証した、イエス以前の忠信者は地上の生命によみがえされる

 'ヘブル、11:30ー35。イザヤ、26:19。ホセア、13:14。使行、17:31。'​    

   いま死ぬ忠実な他の羊は地上に復活する希望を持つ ヨハネ、10:16。マタイ、25:33、34。詩、37:9ー11'​ 

'​    これら二つの級はたぶんハルマゲドン後早くよみがえる'​ 

 ヨブ、14:13。ダニエル、12:13。黙示、20:11、12。'''  

'    三つの級すべては正しい者と認められて生命の復活を受ける'​ 

 ヨハネ、5:25ー29。'''    

​    不義と認められた者で神の記憶にあるすべての者は地上でさばかれるために[:唯だ単に断罪されるためじゃ無くて、正しく教えられるために]よみがえる''' 

 ルカ、23:40、41、43。ヨハネ、5:25ー30。'​ [:であるから、必ずしもただに罰せられるために復活するんじゃ無くて!!命を受けるため、善い裁きとは命の復活にも成り得る裁きの復活では無くて!!14万4千人と同じ規準で!!大群衆も、同じ規準だが、天に召される者もあると言う??]'   

    目をさますことはハルマゲドン後に楽園の地が確立されるまで時を待たねばならない''' 

 ルカ、23:42、43。黙示、20:11ー13。

    たとえ早く目ざめさせられても地上のすべての者は1000年統治の終るまで生命の保証を受けない

 黙示、20:5,7,8。ルカ、20:35,36。

[350]

 コリント前、15:57。黙示、21:1ー4。

​………


[355]

        安息

       定義

 字義通りには、それは『休む、やめる』を意味する「サバス」から来ています。それゆえ『安息日』は『休みの日』またはあるわざをやめる日を意味します。安息日は常に清められ、正しい者に祝福を与えます。

 日:ある一定の期間。(かならずしも24時間ではない)

      異なった安息

 1. 創造の週の神の7,000年の休みの日。

 2. 週の安息(イスラエル人に対する神の律法)。

 3. イスラエル人に対する神の律法にある他の安息日。

 4. イスラエル人に対する神の律法にある安息の年(第7年と第50年)。

 5. 王キリストの支配する1,000年の『御国の安息』。

 1. エホバの7,000年の安息

 創世、2:2、3『第七日に神の造

[356]りたるわざををへたたまへりすなはちその造りたるわざををへて七日にやすみたまへり神七日を祝してこれをきよめたまへりそは神その造りなしたまへるわざを盡くをへてこの日にやすみたまひたればなり』

 出エジプト、31:17『其はヱホバ六日の中に天地をつくりて七日に休みて安息に入りたまひたればなり』

   神は地的な創造のわざだけを止めた

   神の創造の6日と休みの日の長さはそれぞれ24時間ではなく多くの年月

 創世、2:4

   神の創造の休みの日は7,000年の長さ

 神はアダムとエバを創造して彼らに律法を与えてから間もなく休まれた。

 創世、2:7、16,、7、22;1:28ー31

 第七日は、他の6日が終わっているように、すでに終わったものとして示されていない。---創世、2:1-4を見よ。

 神の休みの日はまだ続いている:

 ヘブル、3:9-4:11

 またイザヤ、28:12を見よ。

 (1) 人間の生存は[??生存期間ではなく、アダム、エバ創造後の創造の第6日の終わりと第7日の始まりがキリストの「第七千年期」の起点だと?!]聖書の年代表によって示されているように、ほとんど6,000年(キリスト前4025年から西暦1950年以後にまで)にわたっている。---ルカ、3:23-38[終わりの日を早めたのは模範的だったが??!]

 (2) ハルマゲドンと組織制度の変化は、マタイ伝24章その他の予言を成就する出来事によって示されている通り近い。---この時代のうちに起る。

 マタイ、24:34

[357]

 (3) キリストの1,000年支配はハルマゲドンの後すぐに続いて行なわれる。

 黙示、20:1-6

 (4) 神の休みの日は王キリストの1,000年支配の終る時に終り、従って大いなる休みの日は7,000年となる。

 コリント前、15:24,28

      安息は良い事の創造主、目的を立てる方、保持者であるエホバを立証するために分けられた

 創世、2:3。イザヤ、46:11;48:3;55:11。使行、15:17,18

     神の休みの日の間、利己的なわざは避けるべきである

 ヘブル、4:10『なぜなら、神の安息にはいった者は、神がみわざをやめて休まれたように、自分のわざを休んだからである』。 

 ロマ、9:31,32『しかし、義の律法を追い求めていたイスラエルは、その律法に達しなかった。なぜであるか。信仰によらないで、行いによって得られるかのように、追い求めたからである。

 ヨブ、32:2『時にラムの族(やから)ブジ人バラケルの子エリフ怒りを発(おこ)せり ヨブ神よりも己(おのれ)を義(ただし)とするに因(より)て 彼ヨブに向かひて怒りを発(おこ)せり』

 エレミヤ、10:23『ヱホバよわれ知る人の途はおのれによらずかつあゆむ人は自らそのあゆみを定むること能(あた)はざるなり』

 コロサイ、1:21 コリント前、5:8 マタイ、7:22,23

[358] イザヤ、58:13 伝道、4:4,6 テモテ前、6:9

[360]……………    

     週の安息はクリスチャンに命じられていない

 使行、15:28,29 ガラテヤ、4:9-11 コロサイ、2:16

[361]

 ロマ、14:5,10

…………

     イエスは律法を破ってそれをこわしたのではなく、それを取り除くために、律法を成就し完成させた

 ガラテヤ、4:4,5『しかし、時の満ちるに及んで、神は御子を女から生れさせ、律法の下に生まれさせて、おつかわしになった。それは、律法の下にある者をあがない出すため、わたしたちに子たる身分を授けるためであった』。

 マタイ、5:17『わたしが律法や預言者を廃するために来た、と思ってはならない。廃するためではなく、成就するために来たのである。』

 エペソ、2:14,15『キリストはわたしたちの平和であって、二つのものを一つにし、敵意という隔ての中垣を取り除き、ご自分の肉によって、数々の規定から成っている戒めの律法を廃棄したのである。それは、彼にあって、二つのものをひとりの新しい人に造りかえて平和をきたらせ、

     キリストは律法全体をひとつと見なし、『道徳』と『儀式』の部分に分けなかった

 マタイ、5:21,23,27,31,33,38,43『「殺すな」[出エジプト,20:13]……祭壇に供え物をささげようとする場合、[申命、16:16,17]……「姦淫するな」[出エジプト、20:14]……「妻を出す者は離縁状を渡せ」[申命、24:1]……「偽り誓うな」[民数、30:2]……「目には目を、歯には歯を」[出エジプト、21:24]……「隣人を愛し、敵を憎め」[出エジプト、23:4]』

 マタイ、5:18,19『天地が滅び行くまでは、律法の一点一画もすたることなく、それだから、これらの最も小さいいましめの一つでも破り、またそうするように人に教えたりする者は、天国で最も小さい者と呼ばれるであろう。[:儀礼的でも例えばバプテスマなど記念式(会衆の成員全部ではなく、14万4千人が天に行くのだと!!)とかは、教会の儀式ではなく、神エホバ御自身が認められるものであると!!]』

 ヤコブ、2:10『なぜなら、律法をことごとく守ったとしても、その一つの点にでも落ち度があれば、全体を犯したことになるからである。』

 5. 第七日の安息は人類の福利のために行われる栄光の王キリストの1,000年統治の予影

 マルコ、2:27,28。『また彼らに言われた「安息日は人のためにあるもので人が安息日のためにあるのではない。それだから、人の子は、安息日にもまた主なのである」』

[362] ルカ、13:16『それなら、十八年間もサタンに縛られていた、アブラハムの娘であるこの女を、安息日であっても、その束縛から解いてやるべきではなかったか』

マタイ、12:11,12『イエスは彼らに言われた「あなたがたのうちに、一匹の羊を持っいる人があるとして、もしそれが安息日に穴に落ち込んだなら、手をかけて引き上げてやらないだろうか。人は羊よりも、はるかにすぐれているではないか。だから、安息日に良いことをするのは、正しいことである」。

    週の第一日に集まることは安息日を守ることではない(キリストの復活は安息を週の初めに変えなかった)

…………

      今日安息を犯した者に死の刑罰を与える権力を持つ者は誰もいないゆえ、今日安息の律法はない。そのような制裁はモーセの律法から分離できない

 民数、15:32,35『イスラエルの子孫あら野に居る時安息日にひとりの人柴を拾いあつむるを見たり時にヱホバ モーセに言たまいけるはその人はかならず殺さるべきなり』

[363]

          救い

          定義

 救いは罪の破壊的なちからからの救助であり、罪の究極の終りである永遠の死、絶滅から贖い出すことです。それは罪を犯した後、すなわち、忠実な人類のために設けられた神の完全な的からはずれた後に、神の恩恵と完全とへ回復することを意味します。聖書中に言われている救いとは(1)困難または切迫する即刻の災難から保護すること、または(2)平和、幸福、繁栄の状態下の永遠の生命を得る機会のいずれかを意味します。救いは神の公正の行為というよりも神の恵みの行為です。それは至上者である神が不利の地位に立つ下位者に与える正しいとの証明、または義と宣言することです。恵みの行為としてそれは、神の律法を破ったことに対して当然負うべき(1)災難の結果、または(2)永遠の死(絶滅)の刑罰をを差しひかえることです。本当の救いは、自己救済、行いによる救い、律法による救いまたはすべての人の救いではありません。これらはすべて汚れた宗教のいつわりです。

       エホバ神は災難と困難からの救い主

 出エジプト、15:2『わが力わが歌はヱホバなり彼はわが救ひとなりたまヘリ彼はわが神なり我これをたたへん』

 サムエル、22:3『わが岩の神なりわれ神により頼むヱホバはわがたてわが救いの角わが高櫓わが逃れば我が救い主なりなんぢ我を救いひてあらき事を免れしめたまふ』

      エホバ神は永遠の生命への救い主

 テモテ前、4:8, 10『信心とは、今のいのちと後の世のいのちとが約束されてあるので、万事の益となる。わたしたちはこのために労し苦しんでいる。それは、すべての人の救い主、特に信じる者たちの救い主なる生ける神に、望みを置いてきたからである』

[366]

       恐れおののいて救いを達成せよ 

 ピリピ、2:12『わたしの愛する者たちよ。……わたしが……いない今は、いっそう従順でいて、恐れおののいて自分の救いの達成に努めなさい。』

      聖書の研究は救いを得るために必要

 テモテ後、3:15『幼い時から、聖書に親しみ、それが、キリスト・イエスに対する信仰によって救いに至る知恵を、あなたに与えうる書物であることを知っている。』

[367]

      救いはあわれみの事柄で在って神の欲する者だけに神は救いを施す

 出エジプト、33:17『ヱホバモーセに言たまひけるは……我わがもろもろの善を汝の前に通らしめヱホバの名を汝の前に宣ん我は恵まんとする者を恵みあはれまんとする者をあはれむなり』

      イエスのあがないはただ『多くの人』のためであって、生命を受けたすべての者のためではない

 マタイ、20:28『それは、人の子がきたのも仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人のあがないとして自分の命を与えるためである』

[368]

      神が伝道者、奉仕者を任命することを無効にする

 コリント前、9:16『もし福音を宣べ伝えないなら、わたしはわざわいである』

 エゼキエル、3:18,19『われ悪人に汝かならず死ぬべしと言わんに汝かれをいましめず彼をいましめ語りその悪しき道を離れしめてこれが生命を救はずばその悪人はおのが悪のために死なんされどその血をば我なんぢの手にもとむべしされど汝悪人をいましめんに彼その悪とその悪しき道を離れずば彼はその悪のために死なん汝はおのれの霊魂を救ふなり』[:ものみの塔の出版物その他??!を公やけに紹介されて、たとえ集会へも来ることもあるかも知れないが、新世界訳ではなく、聖書協会口語訳を持って行って、「主」よ!「主」よ!と心からでも叫んでいるなら救われないかも知れないと!!「主」とは三位一体の「主」であるなどと、心でも考えもしているならば、救われないかも知れない!!きっと救われないだろうと!!]

[369]

      神は救いを受ける者を選ぶ、他の者には生命の希望がない

 テサロニケ、2:13''' 『しかし、主に愛されている兄弟たちよ。わたしたちはいつもあなたがたのことを神に感謝せずにはおられない。それは、神があなたがたを初めから選んで御霊によるきよめと、真理に対する信仰とによって、救いを得させようとし』 

 テサロニケ前、4:13 『望みを持たない外の人々のように、あなたがたが悲しむことのないためである。』

      さし迫っているハルマゲドンの最大の災難から救われるために今準備せよ

 ゼパニヤ、2:2、3  『みことのりのいまだ行なわれざる先ヱホバの烈しきいかりの今だ汝等に臨まざる先ヱホバのいかりの日の今だ汝等に来たらざるさきに自らかへりみるべしすべてヱホバの律法を行なうふこの地のへりくだるものよ汝等ヱホバを求め公義を求め謙遜を求めよさすれば汝等ヱホバのいかりの日に或いはかくさるることあらん』 

 マタイ、24:8、13 『すべてこれらは産みの苦しみの初めである。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。』

      災難からの救いに対するすべてのほまれは救い主なるエホバに属する

 テモテ前、1:1 『わたしたちの救い主なる神と、わたしたちの望みであるキリスト・イエスとの任命によるキリスト・イエスの使徒パウロ』

 黙示、7:10 『大声で叫んでいった、「救いは御座にいますわれらの神と子羊からきたる。」』

 黙示、12:10 『今や、われらの神の救いと力と国と、神のキリストの権威とは現れた。』

 黙示、19:1 『ハレルヤ、救いと栄光と力とはわれらの神のものであり』[:啓示、7:14.の『わたしの主よ、あなたが知って……』という聖句はテトラグラマトンをわたしの主、と言い換えしたモノであろうとか??!モトモトはテトラグラマトンであったのに、完全な言い換えして、「わたしの主」になったであろうこととか??!完全に言い換えしてあるので、ヘブライ語でも見いだすことが出来ないとか?!それ位、その位!]

[370]

         終わりの日のしるし

         定義

 『終わりの日』とは、地と人類に対するサタンの支配の終わりの日です。サタンの組織制度が終わりの時に入り、サタンが意のままに地を支配することはもはや出来なくなった事を示す、預言されていた出来事から、このしるしは成り立っています。それはキリスト・イエスが天において王の位につき、サタンとその悪鬼を天から追い落としてサタンの支配を滅ぼし始めたこと、また神に善意を持つすべての人を集めるために、キリストがその目に見えない臨在を地におよぼしたことを示す、見える証拠です。それはサタンの支配からキリストの支配へと移る過渡期が始まったことを示す証拠でもあります。そしてハルマゲドンにおける全き終わりのとき、見えると見えないとにかかわらず、サタンとその全組織がことごとく滅ぼされる時の間近いことを示しています。一つあるいは五、六の出来事が同時に起きても、十分な証拠とはなりません。預言された通り、一時代のうちにすべての事が同時に起きるとき、綜合的なしるしとなります。少なくとも39の出来事がしるしをつくりあげます。

……

 1. 多くのにせのキリスト教

 マタイ、24:5,11 また マルコ,13:15。ルカ,21:8 を見よ。

 2. 世界戦争

 マタイ、24:6,7 黙示、6:4,8 また ダニエル,11:20。マルコ,13:7,8。ルカ,21:9,10 を見よ。

[371]

 3. 広範囲の飢饉

 マタイ、24:7 黙示、6:5,6:8 またマルコ,13:8。ルカ,21:11 を見よ。

 4. 異常に多い地震

 マタイ、24:7,8 また マルコ、13:8。ルカ、21:11を見よ。

 5. クリスチャンに及ぶ迫害

 ルカ、21:12-15 黙示、21:10

 6. クリスチャンは親類と友だちから背かれる

 マタイ、24:10 ルカ、21:16 また マタイ、10:35,36。マルコ、13:12。 を見よ。

 7. クリスチャンは御国の論争のゆえと高められたキリストの職務を支持するために全世界にわたって憎まれる

 マタイ、24:8 ルカ、21:7-19 また マルコ、13:13 を見よ。

 8. 御国のわざはこの世の指導者たちの組織的な反対にあう

 黙示、13:5-7 またダニエル、11:45 を見よ。

[372]

 9. 不法の増加

 マタイ、24:12 また テモテ後、3:2を見よ。

 10. 多くの者がキリスト教を捨てる

 マタイ、24:12,13

 11. 設立された御国の良いたよりの世界的な伝道

 マタイ、24:14

 12. 設立された神の御国に代わる国際連盟と国際連合の形成

 マタイ、24:15,16 ダニエル、11:31、新口

[412]

        十分の一を納めること

        定義

 所有物または所得の十分の一を与えること。十の数は聖書の中で全部を表わすために用いられていますが、十分の一は十の分数に過ぎず、これは献身した者が『宮』の奉仕のため年毎に捧げるもの、霊的、物質的に与える直接の支持を表わします。それはすべてをエホバ神に捧げたことを証明するものです。

       アブラハムがメルキゼデクに十分の一を捧げたことは、レビ人の祭司職に劣ることを示した

 創世、14:18ー20。ヘブル、7:4ー10

      (律法によらないで)十分の一を捧げるとヤコブが誓ったのは、クリスチャンが『宮』の奉仕[:王国の業を押し進めること?!]を直接に支持することの予影

 創世、28:20ー22『ヤコブは朝はやく起きて、まくらとしていた石を取り、それを立てて柱とし、その頂に油を注いで、その所の名をべテルと名付けた。その町の名は初めはルズと言った。ヤコブは誓いを立てて言った、「神がわたしと共にいまし、わたしの行くこの道でわたしを守り、食べるパンと着る着物を賜い、安らかに父の家に帰らせてくださるなら、主をわたしの神といたしましょう。またわたしが柱に立てたこの石を神の家といたしましょう。そしてあなたがくださるすべての物の十分の一を、わたしは必ずあなたにささげます」。

[413]

       律法の下にいたイスラエル人は十分の一[:神聖な分として?!]を納めた

        おもな什一……レビ人に

 民数、18:21

       第二の什一---エルサレムへの旅行また集まりのために神の定める他の場所への旅行するために用いられた。残りはその場所で食べるための費用とした

 申命、14:22ー6

        貧しい者への什一……七年間のうち第三年と第六年目に第二の什一に代った

 申命、14:28,29

       祭司へ与えるレビ人の什一……什一の十分の一

 民数、18:20,28,29

       王に対して……税。これは徴集される税に応じて異なる

 サムエル前、8:15

       十分の一を納めることは律法の重要な部分ではない

 マタイ、23:23,24

[414]

 ルカ、18:11ー14

      ​イエスはユダヤ人の律法が有効であった間、十分の一を納めることを支持した

 ルカ、11:42

       十分の一を納めることは、神がキリストを通して律法を廃止された時に終った

 コロサイ、2:13,14。ガラテヤ、3:13。エペソ、2:14,15。ヘブル、7:18;7:11,12

      クリスチャンの捧げ物は自由意志、『施し』、律法または命令によらない

 コリント後、9:5ー7『だから、わたしは兄弟たちを促して、あなたがたの所へ先に行かせ、以前あなたがたが約束していた贈り物の準備をさせておくことが必要だと思った。それをしぶりながらではなく、心をこめて用意していてほしい。わたしの考えはこうである。少ししかまかない者は、すこししか刈り取らず、豊かにまく者は豊かに刈り取ることになる。各自は惜しむ心からではなく、また、しいられてでもなく、自ら心で決めたとおりにすべきである。神は喜んで施す人を愛して下さるのである。』

[415]

 使行、24:17。ロマ、15:25ー27。使行、4:34,35。ガラテヤ、2:10

       十分の一を与えるようにクリスチャンに言われていない

 コリント前、16:2、3

       クリスチャンの『什一』は、神にすべてを捧げた献身のしるしとしてエホバの宮[:組織の活動の全部とかベテルかも??!あるいは神殿の地上の中庭での神聖な奉仕!!]の奉仕を定期的に、また直接に支持することである

 マラキ、3:10『汝ら什一をすべて我倉にたづさへきたれ。』

      宮[:ベテルの活動??!と特別開拓者も含める宣教者も??!ものみの塔の組織全部が神殿]は識別される

 ペテロ前、2:5、9『この主のみもとにきて、あなたがたも、それぞれ生ける石となって、霊の家に築き上げられ、聖なる祭司となって、イエス・キリストにより、神によろこばれる霊のいけにえを、ささげなさい。しかし、あなたがたは、選ばれた種族、祭司の国、聖なる国民、神につける民である。それによって、暗やみから驚くべきみ光に招き入れて下さったかたのみわざを、あなたがたが語り伝えるためである。』

       伝道と施しによって支持する

 ヘブル、13:15,16『だから、わたしたちはイエスによって、さんびのいけにえ、すなわち、彼の御名をたたえるくちびるの実を、たえず神にささげようではないか。そして、善を行なうことと施しをすることとを、忘れてはいけない。神は、このようないけにえを喜ばれる。』

       集合[:会??の誤植?!]は出席することにより支持する

 ヘブル、10:23,25『また、約束をして下さったのは忠実なかたであるから、わたしたちの告白する望みを動くことなくしっかりと持ち続け、ある人たちがしているように、集会をやめることはしないで互いに励まし、かの日が近づいているのを見て、ますます、そうしようではないか。』

       物質上の支持

 ルカ、12:33『自分の持ち物を売って、施しなさい。自分のために古びることのない財布を作り、盗人も近寄らず、虫も食い破らない天に、尽きることのない宝をたくわえなさい。』

[416]

      クリスチャンの施しは会衆とその任命された僕たちに定期的に与えられるとは限らない。それは貧しい兄弟を助け、伝道のわざを拡大するためのもの

 ヤコブ、2:15、16『ある兄弟または姉妹が裸でいて、その日の食物にもこと欠いている場合、あなたがたのうちのだれかが、「安らかに行きなさい。温まって、食べ飽きなさい」というだけで、その体に必要な物を何ひとつ与えなかったとしたら、何の役に立つか。』

 ロマ、15:26『なぜなら、マケドニヤとアカヤとの人々は、エルサレムにおる聖徒の中の貧しい人々を援助することに賛成したからである。』

 ピリピ、4:14ー17『しかし、あなたがたは、よくもわたしと患難を共にしてくれた。ピリピの人たちよ。あなたがたも知っているとおり、わたしが福音を宣伝し始めたころ、マケドニヤから出かけて行ったとき、物のやりとりをしてわたしの働きに参加した教会は、あなたがたのほかには全く無かった。またテサロニケでも、一再ならず、物を送ってわたしの欠乏を補ってくれた。私は贈り物を求めているのではない。わたしの求めているのは、あなたがたの勘定をふやしていく果実なのである。』


       今日のクリスチャンは御国のわざをすすめるため、『忠実な思慮深い僕』の協会に物質の富を委託する[:地上に富財を蓄えるな!!天(:協会に?!)に積め!!と!]

 使行、11:29、30。コリント後、9:1ー5;9:11ー13。コリント前、16:1ー4

[417]

      今日のクリスチャンは大会に出席するための費用を貯え、備えられた霊的食物を楽しむ

 申命、14:22ー27

       昔のイスラエルによって予表された如く、キリスト教国は神と清い崇拝に十分に献身していない

 マラキ、3:8、9 『ひと神の物をぬすむことをせんやされど汝らはわが物を盗めリ汝らはまた何において汝の物をぬすみしやといヘリ十分の一およびささげ物においてなり汝らは呪いをもてのろはるまた汝らすべての國人はわが物を盗めリ』

      神の無限の祝福は神の忠実な民の上にいま注がれている。増加は繁栄を証明する

 マラキ、3:10『わが殿に食物あらしめんために汝ら什一をすべてわが倉にたづさへきたれしかしてこれをもて我を試みわが天の窓をひらきているべきところなきまでにめぐみを汝らにそゝぐや否やを見るべし万軍のヱホバこれを言ふ』

 また『慈善行為』『律法』を見よ。 


     



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